アンダードッグ・ヒーロー
美しい青空が広がる庭園。捜査官が仕分けした残骸を前にして、シルフィエルはすっとエレノアの元へ歩み寄り、周囲に聞こえないよう蚊の鳴くような、今にも消え入りそうな小声で耳打ちをした。極度の緊張のせいで、その声は小刻みにガタガタと震えている。
「……エ、エレノア様……あの、ま、窓際の……実験机の、残骸……。あの机の、ちゅう、中央部分だけ……魔力の、痕跡が……か、完全に……消えている、んです……」
過呼吸寸前の、今にも泣き出しそうな声音だった。しかし、シルフィエルは必死に脳内のパニックを抑え込み、気付いた不自然な違和感をエレノアに伝えようと言葉を紡ぐ。
「これ、は……おかしい、のです……。魔力の、暴発なら……す、すべてに魔力の痕跡が、残る、はずです……。魔力の痕跡が、ないということは……魔力制御の、ミスによる、暴発では……ない、のです……。な、何かしらの……そう、装置によって……暴発に、ぎ、偽造したと……考えられます……っ」
震える小さな声を、エレノアは記録板で口元を隠しながら神妙な顔で受け止めていた。エレノアは赤い眼鏡の奥の瞳を僅かに曇らせ、密やかに声を返す。
「素晴らしいわ、シルフィエル。……けれど、これだけではまだ『他殺』と断定するには難しいわ。あなたの『銀眼』が捉えた不自然な魔力の流れも、モモが見つけた『魔力のない瓦礫』も、現段階ではまだ『事故の際におきた奇妙な現象』として片付けられてしまう可能性を残しているのよ。あの完璧な人格者であるアルベールが、誰かに殺意を抱かれるだけの『動機』が必要でもあれば、これを事故ではなく『他殺』として、本格的な捜査へと舵を切ることができるのだけれど……」
それが、ただの事故か、それとも仕組まれた他殺か……。非の打ち所がない聖人を前に、殺される動機などどこにも見当たらない。二人がそんな深刻な捜査上のジレンマに直面しているすぐ横で、先ほどの大ハッタリという大役を終えたピンクのうさぎのぬいぐるみ、モモは、完全に気が緩みきっていた。
(ふぅー、頭脳労働は疲れるわねー。さすがは使い魔の私ね!。でも……ちょっと足元がふらついてきちゃったわ)
千鳥足でフラフラと歩いていたモモは、庭園に飾られていた、傲慢な表情を浮かべるアルベールの金の像に、ゴツンと派手にぶつかってしまった。
「痛っ! ……もうっ、なによこれ! 邪魔なのよ!」
イラッとしたモモは、ぬいぐるみの愛らしい見た目からは一ミリも想像できないほどの凶悪な怪力を発揮し、その巨大な金の像を「ふんっ!」と短い手で殴り飛ばした。すると、ドゴォォォン!!!と、庭園に凄まじい破壊音が響き渡る。
「ひえっ!?」
「な、なんだ!?」
驚いて腰を抜かす捜査官たちの視線の先で、粉々に砕け散った金の像の台座。……その真下から、不自然に隠されていた地下へと通じる、不気味な階段がぽっかりと姿を現した。
「あ……ら?」
モモがポカンとボタンの目を丸くする。これはモモの持つ天性にして天文学的な確率の幸運が、またしても奇跡の噛み合いを見せた瞬間だった。
(う、嘘でしょぉぉぉぉぉぉぉ!?)と心で呟くが、モモはニヤリと笑って高々に捜査官に言い聞かす。
「このブサイクな像が怪しいと思っていたのよ!私の睨んだ通り秘密の階段が現れたわよ」
突如として現れた、不気味な地下へ通じる階段。それを見たシルフィエルの脳内は凄まじい恐怖とパニックで埋め尽くされた。
(なんでこんなところに不気味な地下へ通じる階段が出てくるのぉぉぉ!? 狭いし暗いし湿気てるし、絶対にお化けとか恐ろしい怨霊とかが出るに決まってるわ! 嫌だ、嫌だ嫌だ! 絶対に降りたくない! 私は絶対に一歩も進まないわよ!)
あまりの恐怖により、シルフィエルの顔面は一瞬にして血の気が引き、顔面蒼白となった。感情の消滅した『カオナシ』の鉄面皮のまま、真っ白な顔で不気味な地下の深淵をギロリと限界まで鋭く睨みつけ、恐怖でガタガタと全身を小刻みに震わせるシルフィエル。だが、その姿を見た周囲の捜査官たちは、完全に魂を恐怖で叩き直されていた。
「な、見ろ……カオナシ様のあの表情……。顔色一つ変えずに、階段を凝視しているぞ!」
「そうだな。あの地下に何かがあるに違いない」
恐怖のあまり蒼白になって震えているシルフィエルの姿は、捜査官たちには「冷徹な死神」にしか見えなかった。その様子を見て、エレノアは(あ、この子ガチでお化けとか暗いところが怖くてフリーズしてるわね)と即座に親友の内心を察し、男前に助け舟を出した。
「シルフィエル。あなたはここで、全体の警戒(お留守番)をお願い。――ここから先は、私たちが調べるわ。行くわよ!」
「……」
シルフィエルはぎこちなく首を縦に振る。彼女にとっては精一杯の応答だった。一方、エレノアは捜査官たちを引き連れ、毅然とした足取りで階段を降りて行く。そして、その地下室で、捜査官はアルベールの「本当の顔」を目撃することになる。
暗い地下室に隠されていたのは、特殊な培養液に浸された、悍ましいコレクション。エリート魔術師という表の顔の裏で、彼は多くの女性を地下室に閉じ込めて快楽殺人を行っていたのだ。まさに、殺されて当然と言えるほどの凄惨な悪行の数々。エレノアは吐き気がする悍ましいコレクションを調査していると、ある重要な記録を発見し、細い指先で眼鏡を押し上げた。
「……なるほど、そういうことね。すべてのパズルが繋がったわ」
――数時間後、屋敷の広間。
アルベールの悪行という決定的な「動機」、地下から押収された物的証拠(動機)、そして大爆発の爆心地であり窓際にあって一番激しく炎に包まれたはずの実験机に残された「魔力の空白地帯」。それらすべてを机に並べたエレノアの、冷徹で容赦のない尋問の前に、容疑者として呼び出されたその人物は、もはや一言も言い逃れをすることができなかった。
「う、うあぁぁぁ……っ!!」
ついに膝を突き、床に涙をこぼしながら、レイは声を震わせて自白を始めた。
「そうだ、僕がやった……! あの男は、僕の最愛の幼馴染を実験体として弄び、殺したんだ! 騎士団に何度訴えても、高名な魔導士相手じゃまともに取り合ってもくれなかった! だから、僕がリィナの敵討ちをしたんだ!」
哀切な叫びが広間に響く。エレノアは静かに彼を見下ろし、淡々と、しかし鋭く問いかけた。
「教えて欲しいわ。あなたのような魔法を使えない庭師が、魔導捜査部の目を欺く『完全犯罪』をどうやって成立させたのかしら?」
「僕は……あの人が言った通りに、宝玉を机の引き出しの奥に隠しておいただけだ」
レイはガタガタと身を震わせながら、当時の犯行を思い出すように視線を彷徨わせた。
「その宝玉には、魔力が全く無いって言われたんだ。だから、屋敷の結界にも、鼻のいい獣人にも絶対に見つからないって……。あいつが魔法を使った瞬間に、その魔法を全部吸い取って……あいつ自身を内側から爆発させるんだって、そう、あの人が言ってた……!」
「魔法を吸い取って内側から爆発させる……。やはり魔力の反転術式。 だから、制御ミスによる暴発に見せかけることができたのね。……けれど、そんな魔道具を使えば、必ず現場に残骸が残るはずよ」
「残らない、残らないんだ……! 爆発した瞬間に、その宝玉も粉々になって、消えてなくなるって……! だから、現場にはあいつが勝手に失敗した『不運な事故』の跡しか残らないって……。どんなに調べても、証拠なんて絶対に出ない……」
プロの捜査の目をかいくぐる、悪魔的な自壊システム。レイは専門的な理屈など何も理解していない。ただ、復讐に狂った頭で、与えられた完全な魔道具を使用しただけだ。しかし、だからこそエレノアは、その背後にある圧倒的な隠滅性の高さに戦慄を禁じ得なかった。
(シルフィエルが言っていた『何かしらの装置による偽造』はこれだったのね……! 魔法の使えない素人に、こんな完璧な完全犯罪を平然と実行させるなんて……!)
「そんな恐ろしい魔道具、一体どこで手に入れたの?」
エレノアの鋭い追及に、犯人は涙に濡れた顔を激しく振りながら、怯えたように、しかしどこか救いを求めるような歪な声音で呟いた。
「 絶望していた僕の前に、あの人が現れて、この宝玉を授けてくれたんだ……! 虐げらる僕たちの味方……『弱者の英雄』が、僕の復讐を叶えてくれたんだ!」
「――っ!?」
レイの口から漏れ出た、不穏極まりない未知の存在『弱者の英雄』という言葉。完全犯罪を演出する完全な魔道具を裏で配り、王国を揺るがす闇の連鎖を生み出す黒幕の影が、初めてその姿をあきらかになった瞬間だった。




