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魔導犯罪対策特務課シルフィエルの憂鬱~1千年を生きたダークエルフとぬいぐるみとなった王女の物語~  作者: にんじん
弱者の英雄(アンダードッグ・ヒーロー)

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3/13

カオナシとぬいぐるみ

 エレノア部長が要請を出してから、およそ二時間後。


 清掃され、瓦礫が全て運び出された魔導研究室の空気は、それまでとは比べものにならないほどの重圧に支配されていた。入り口に近づく足音は一つ。だが、その足音が近づくにつれ、現場にいた魔導捜査部の精鋭たち全員の背筋に、冷たい緊張の走るのが分かった。



『魔導犯罪対策特務課』。


 それは、数千を数える高潔なる『聖樹騎士団』の中でも、ずば抜けた異能と実績を持つ者だけが選出される、最高峰の特務機関。総員、わずか5名。ただの捜査官ではなく、国家を揺るがす大罪人をその手で処断する絶対的な特権を与えられたその5人は、騎士団内部で畏怖を込めて――『五人の執行者クインテット・エグゼキューター』と呼ばれていた。国家最高の知略と頭脳を誇るだけでなく、その一人ひとりが「単騎で千人の軍隊に匹敵する」と謳われる圧倒的な武力をも持ち合わせている。その規格外の5名だけで、このヴェルダント聖樹王国で起きるあらゆる国家的難事件を信じがたい短時間で解決し、容赦なく法を執行してきたのだ。


 カツン、と最後の足音が室内に響いた。現れたのは、息を呑むほど美しいダークエルフの女性だった。健康的な褐色の肌に、流れるような白銀の長髪。エルフ特有のすらりとした高身長に、無駄な脂肪が一切ないスリムな体型。誰もが見惚れるほどの美貌を持ちながら、その表情には一切の感情が抜け落ちている。何より室内の捜査官たちを戦慄させたのは、冷徹にきらめく『銀眼』だった。感情を完璧に排し、冷酷に真実だけを暴いて罪を断つ鉄の女……。畏怖を込めて『カオナシ』、あるいは『ミス・パーフェクト』と呼ばれる、特務課最高峰の執行者、シルフィエルである。


(ひえええええええええ! 捜査官の人たちみんな直立不動でこっち見てる! 怖い、みんなの視線が痛いよぅ……! カオナシなんて呼ばれてるけど、私はただの人見知りのぼっちで、緊張するとまともにしゃべれないだけなのよ! はやく事件を解決して自宅に帰りたい……!)


 シルフィエルの脳内は、極度の人見知りと熱い視線でビビり散らかしていた。そのため、あまりの緊張のせいで顔面の筋肉が完全に硬直していた。だが、捜査官たちには、現場を冷徹な死神のように見分する様子に映っている。そんな彼女の圧倒的な勘違いの威圧感の中で、唯一、強烈な違和感を放つものが存在した。彼女が身に纏う深い黒の魔道服。その腰のあたりにある、不自然に大きなサイドポケット。そこから、ぴょこり、と場違いなほど鮮やかなピンク色をした、長くて愛らしいうさぎのぬいぐるみの耳が飛び出していたのだ。


「ポンコツ捜査官たちを救うべく、シルフィエル様が来てやったぞ!」


 沈黙を貫くシルフィエルのポケットから、モフモフとした短い手足をバタバタさせて飛び出したのは、ボタンの目で捜査官たちを威圧するピンクのうさぎ、モモだった。モモは短い足でトコトコと焦げた床へ着地すると、短い両手を腰に当ててふんぞり返る。


「そして私は、シルフィエル様がその強大な魔力で使役する使い魔にして、優秀な助手のモモちゃんである! 頭が高いぞ一っ!」


 ぬいぐるみの姿をした自称優秀な使い魔は、小さく跳ねながら、さらに不遜に声を張り上げた。


「ふん、エレノアさん。相変わらず地味で無能な現場ね! シルフィエル様は今、『魔導捜査部ともあろう者が、これが事件か事故かすら自分たちで判断できないなんて、全員の脳みそが腐ってるんじゃないかしら?』って、すごーく冷たい目で呆れてるよ!」


 ヒッ!!


 現場の捜査官たちの間に、血の凍るような戦慄が走った。あまりにも横暴、あまりにも不遜。相手をゴミのように見下した最悪の暴言。しかし、現場の捜査官たちは誰もモモを睨みつけることすらできなかった。彼らの脳内では、すでに最悪の勘違いが完成していたからだ。


(やはり、噂は本当だったんだ……! 一人で千人を屠る武力を持ったカオナシ様にとって、我々は直接言葉を交わす価値すら持たない『路傍の石ころ』同然なのだ。だからこそ、ぬいぐるみのような使い魔を使って、私たちに叱咤激励の言葉を下さっているんだ)


 自分たちは話しかけるに値しない無能だと見下されているという絶望的な勘違いにより、現場の空気はさらに重く沈み込んでいく。


(ち、違うのーーーっ!モモちゃん、適当に私の気持ちを代弁しないで!捜査官の皆さんが怒りで震えてるじゃないの……。 私はそんな恐ろしいこと微塵も思ってないよ!モモちゃんが適当なことを言ってごめんなさい)


 シルフィエルの脳内はあまりの恐怖と申し訳なさで、宇宙規模の大パニックを起こしていた。しかし、人見知りと焦りが限界を突破した結果、彼女の表情筋は完全に消滅。あらゆる感情が抜け落ちた、冷酷無比な『カオナシ』の鉄面皮のまま、ギロリと『銀眼』を鋭く光らせることしかできなかった。


 その凍りつくような視線に、部下たちは「ひえっ、直接声を出すのも汚らわしいと言わんばかりの冷徹な眼差し……! カオナシ様がマジギレされてる……!」とさらにガタガタと震え上がり、部屋の温度が氷点下まで下がったかのような錯覚に陥っていた。だが、その張り詰めた静寂の中で、一人だけ様子が違う者がいた。


「…………っ、……くくっ」


 現場指揮官であるエレノア部長は、赤い眼鏡をクイと押し上げ、手に持った記録板でそっと顔を伏せながら、肩を小刻みに震わせてクスクスと笑っていたのだ。エレノアはシルフィエルの本当の性質を知る、数少ない人物の一人だった。


(相変わらずね、シルフィエル。心の中では今頃、涙目で平謝りしているのかしら。……それにしても、あのモモちゃんの悪ノリに付き合わされるなんて、あなたも相変わらず災難なことね)


 親友のあまりにも不憫で完璧な「仮面」を内心で面白がりながら、エレノアはわざとらしくゴホンと咳払いを一つして、真面目な顔を作った。


「そこまでにしなさい、モモ。……シルフィエル、魔導捜査部の検証では、アルベールの魔力暴走による『事故』という結論が出ているわ。でも、私の直感がそれを否定している。あなたのその『銀眼』で、この現場の真実を執行して(暴いて)もらえるかしら」


 シルフィエルは、助け舟を出してくれたエレノアに心の中で(エレノア様一生付いていきます!!)と号泣しながら感謝し、現実の肉体はコク、と冷徹に一つだけ頷いた。


 

 シルフィエルが静かに一歩を踏み出す。その瞬間、彼女の『銀眼ディヴァイン・ジャッジ』が、通常の視覚とは異なる色鮮やかな世界を捉えた。『銀眼ディヴァイン・ジャッジ』。それは過去にその場で起きた魔力の道筋を遡る『過去眼』。さらにこの眼は、指紋のように一人ひとり全く異なる【個人魔力の形状】の差異をも克明に見分けることができる。


 魔導捜査部の測定器では識別できない魔力の残滓が、シルフィエルの瞳にはまるで夜空の星々のようにくっきりと映し出されていた。シルフィエルは音もなく部屋の中央へと歩みを進め、アルベールの遺体があった床の跡を見つめる。そこには円状の魔力の残滓が広がっていた。


(……おかしい。単なる事故の暴走なら、アルベールの魔力の波紋は同心円状に『内から外へ』と一方向に広がるはず。だけど……この銀の光跡は歪んでいる。『外から内へ』と引き戻され、それから激しく外へと弾けているわ)


 それは、一旦は正常に発動したアルベールの強大な魔力が、何かしらによって、強制的に内側へと押し戻された証拠。魔導捜査部が暴走事故と片付けた現場は、その実、極めて高度な偽装が施された明確な殺人事件の舞台だったのだ。


 その卓越した知略と銀眼ディヴァイン・ジャッジで現場の矛盾を次々と見抜き、脳内で恐るべき真相を組み立てていくシルフィエル。しかし、完全に無表情のまま、一点を凝視して微動だにしないその姿は、周囲の捜査官たちの目に、あまりにも厳かで、息を呑むほどに美しいものとして映っていた。


 流れるような白銀の髪。感情を完璧に排し、ただ真実だけを見つめてきらめく銀眼ディヴァイン・ジャッジ。一切の雑音を寄せ付けず、沈黙の中で冷徹に、かつ完璧に事件の全貌を紐解いていく彼女の姿は、まるで大理石で彫られた美しき戦神のよう。先ほどま緊張はいつしか消え去り、室内には、ただ彼女の圧倒的な気高さと知性の美に見惚れ、声を出すことすら忘れてしまった捜査官たちの、深い静寂だけが広がっていた。

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