完全犯罪
レイが貧民地区の寂れたバーで泥水を煽り、復讐の毒牙を手に入れていたその頃。ローゼン家の大邸宅の地下深く――この世の地獄のような監禁室には、愉悦に満ちた男の笑い声と、絶望に震える少女の鳴き声が響いていた。
「ひうっ、あ、アルベール様……お願いです、やめてください……!」
衣服をすべて剥ぎ取られ、冷たい金属製の診察台の上に組み伏せられているのは、昼間、出迎えてくれた若いメイドだった。アルベールは、怯えてガタガタと震える少女の肉体を、愛欲の対象としてではなく、文字通り『捕獲した昆虫』を見るかのような冷酷な目で観察していた。彼は手にした測定器や金属製の定規を使い、少女の体の各部位を事務的に、執拗に計測していく。
「身長、百五十四センチ。四肢の比率は平均的……だが、肌の白さは特筆に値するな。能無しの平民にしては、色素が薄く美しい。だが、この胸の形は少々不格好だ。先端の色調も、標本にするにはいささか鮮やかさに欠けるな。ふむ、大腿部の肉付きは悪くない……」
ピンセットや冷たい器具で全身をなぞられ、隅々まで値踏みされる精神的屈辱に、メイドは涙を流して身体を縮こまらせた。しかし、その怯える反応すらも、アルベールにとっては観察記録のデータに過ぎなかった。
「やめて、ください……そんな目で、見ないで……!」
「静かにしろ、能無し。標本が勝手に動くのではない。お前たち劣等種は、こうして私に詳細に記録され、分類されることで、初めてこの世界に存在価値を与えられるのだからな」
アルベールは手元の記録カードに、少女の『身体サイズ』『肌の質感』『各部の色彩』を狂気的なほど几帳面な文字で書き込んでいく。その様子は、珍しい甲虫の羽の長さを測る学者そのものだった。
「よし、測定は終わりだ。次は耐久実験といこうか」
アルベールは心底愉しそうに唇を歪める。これから始まる凄惨な暴行すらも、彼にとっては、どの程度の苦痛で、どのような命乞いの声を上げるかを採取するための、残酷な昆虫採集の延長線上でしかなかった。凄惨な生々しい音が地下室に木霊し、少女の絶叫が響き渡る。背後に影のように控える獣人の護衛ガザルは、その光景をピクリとも表情を変えずに見つめていた。彼らにとって、魔力を持たない人間の命など、文字通り虫ケラと同じだった。
「さあ、もっと喚け。お前がどのように泣き叫んだか、後で最高の感想と共に、このカードに記録してやろう」
狂気と愉悦に歪んだアルベールの笑い声が、冷たいガラスケースに閉じ込められた死体たちの間に、いつまでも醜く響いていた。
数日後の昼下がり。
レイは、アルベール専用の魔道研究室に面した中庭で、庭師の仕事に励んでいた。狙うのは、研究室の大きな窓の外壁をびっしりと覆う、見事なアイビーの蔓の剪定作業だ。放置すれば窓を塞いでしまうため、定期的な間引きが必要であり、庭師が脚立を立てて窓のすぐ外で作業をしていても、誰も怪しむ者はいない。
パチン、パチンと小気味よい鋏の音を響かせながら、レイは周囲をそっと窺う。アルベールは外出中。屋敷の他の使用人たちも、庭師が黙々と作業する姿に視線すら向けない。完全に死角となった一瞬の隙を突き、レイは開け放たれた窓から研究室へ忍び込んだ。狙い済ました場所は、窓際のすぐ横に設置されているアルベールの実験机、その引き出しの底の、見えない死角だ。レイは、あらかじめ用意していた強力な粘着剤を宝玉の裏に塗布し、机の底面へ貼り付けた。この『魔力反転の宝玉』は、それ自体が魔力を一切帯びていない。だからこそ、研究室に張り巡らされた異変魔力感知アラートに引っかからないのはもちろん、アルベールの鋭い魔力察知や、護衛である獣人ガザルの常人離れした『魔力の匂いを嗅ぎ分ける鼻』にすら、絶対に探知されることはない。設置を終えたレイは、何事もなかったかのように再び鋏を動かし、蔓のカットを再開した。その胸の内で、昏い復讐の炎をパチパチと燃え上がらせながら。
そして夜。研究室には、主であるアルベールと、影のように付き従う護衛の獣人ガザルの二人がいた。
「よし、今夜こそ新型の魔道具を起動させる」
「はっ、アルベール様」
アルベールは傲慢な笑みを浮かべ、実験机に向かって右手を掲げた。新たな魔道具にエネルギーを注ぎ込むため、彼の周囲に、まばゆい魔力の光が膨れ上がる。エリート魔法士たる彼の魔力は、確かに強大で、美しかった。
その、瞬間だった。
実験机の底に隠された宝玉が、アルベールの放った魔力を間近で感知し、青白く爆発的に発光した。
「な、なんだ!? 私の魔力が……流れが、逆流して――がはっ!?」
アルベールが放った最大出力の魔力のベクトルが、一瞬にして真逆にひっくり返る。制御を失い、呪いへと変質した莫大な魔力が、アルベール自身の生身の肉体へと容赦なく突き刺さった。
「アルベール様!? ぐ、お、これは――」
異変を察知し、アルベールを庇おうとした護衛のガザル。しかし、至近距離から嵐のように吹き荒れる暴走魔力は、近づく者すべてを圧殺するエネルギーと化していた。ガザルは暴風に巻き込まれ、自慢の頑強な肉体を内側からボキボキとへし折られて床に激突した。
「あああああ! 熱い、私の魔力が、身体が引き裂かれるゥゥゥッ!!」
内側から五臓六腑を自身の魔力で焼き切られ、血を吐きながら床をのたうち回るエリート魔法士。かつて彼が能無しの人々を虫ケラのように扱い、地下室で散々楽しんだその高慢な顔は、今や恐怖と苦悶に歪み、見る影もなかった。
「何が!何がおきているのだぁ――――!」
『ドカン――ッ!!!』
研究室の魔道具や触媒に暴走魔力が引火し、凄まじい大爆発を引き起こした。激しい炎が吹き荒れ、美しい屋敷の窓ガラスが夜空へと派手に吹き飛ぶ。中にいたアルベールとガザルの二人は、完全にその炎と爆風に呑み込まれて跡形もなく死亡した。
燃え上がる研究室の灯りを、夜の暗い庭園から静かに見つめる青年がいた。レイの目からは、涙がこぼれ落ちていた。だが、その胸を満たしていたのは、暗く、確かな復讐の達成感だった。
「リィナ……やったよ……」
赤々と燃える炎が、レイの顔を照らし出す。完璧な魔力の暴走による事故死。完全犯罪は、ここに成し遂げられた――はずだった。
翌朝。
夜の大爆発から、およそ半日。完全に沈黙した魔導研究室には、王都の重大事件の初期捜査を担う『聖樹騎士団』の魔導捜査部が臨場していた。その現場指揮を執るのは、魔導捜査部を率いるエルフ、エレノア・ヴァレンタイン部長だった。エルフ特有の、透き通るように白い肌としなやかな高身長。ディープネイビーのタイトな捜査部制服を完璧に着こなし、すらりと伸びた長い脚を黒革のロングブーツに包んだ彼女の佇まいは、周囲の男たちを圧倒する美しさと威厳に満ちていた。何より目を引くのは、エルフには極めて珍しい、艶やかな黒髪。それを知的にまとめ、知性の塊のような真紅の眼鏡を指先でクイと押し上げる仕草は、まさに冷徹なまでに仕事をこなす、一流のプロフェッショナルそのものだった。
「どこをどう見ても、アルベール様が新型魔導具の起動実験中に魔力操作を誤り、回路を暴走させて自爆した『事故』です。周囲の魔導具や触媒に引火したことで、大爆発したのでしょう」
現場を徹底的に調べていた部下が、魔力測定器の数値を手元の記録板に書き留めながら、エレノアへそう検証の結果を告げた。その見立ては、状況証拠から見れば非の打ち所がないほど完璧だった。だが、エレノアは赤い眼鏡の奥の瞳を険しく細めていた。
「いいえ。これは事件よ」
「しかし部長……。 魔力測定器には、本人の魔力が暴走した痕跡しかありません」
「王都でも有名な魔法士であるアルベールが、魔力の操作に失敗するとは考えられないわ。全員、部屋の瓦礫をすべて取り払い、現場を極限まで綺麗に清掃しなさい。物理的な痕跡を一つ残らず剥き出しにするのよ」
部下たちは首を傾げながらも、エレノアの言葉に従った。
「これより、一般の部署では扱えない超常犯罪の専門家を呼ぶわ……『魔導犯罪対策特務課』の、シルフィエルを」
完璧に仕組まれた完全犯罪に、巨大な亀裂が入ろうとしていた。




