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魔導犯罪対策特務課シルフィエルの憂鬱~1千年を生きたダークエルフとぬいぐるみとなった王女の物語~  作者: にんじん
光の王女と影の王子

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追憶の緑眼鏡(メモリア・エメラルド)

 シルフィエルが『魂魄縫縛(ソウル・バインド)』の術式を終え、ぐったりとしたピンクのウサギのぬいぐるみを黒の魔道服のポケットへと滑り込ませたのは、部屋に突入してからわずか一分足らずの出来事だった。


 ドタドタと、廊下から無数のけたたましい足音が近付いてくる。


「エレオノーラ様!? 御無事ですか!」

「今の大きな音はなんだ! 部屋に入れ!」


 部屋へと雪崩れ込んできたのは、王城の警備を専門とするエリートたち、【聖樹近衛騎士団】の面々だった。彼らが纏うのは、純白をベースに深緑のラインが鮮やかに映えるロングコート型の魔道服。極薄でありながら最高峰の障壁術式が刺繍された、敏捷性に特化した魔道戦闘服だ。彼らは殺気立って部屋の中を見回す。だが、そこにいたのは、粉々に破壊された扉の前に佇むシルフィエルただ一人。ベッドの上には、主であるエレオノーラの姿は影も形もなかった。


「……っ、特務課のシルフィエル!? なぜあなたがここに!」

「エレオノーラ様はどこへ行かれた! 説明を!」


 騎士たちに一斉に詰め寄られた瞬間、シルフィエルの身体がピキリと凍りついた。五人の執行者クインテット・エグゼキューターとして恐れられる存在だが、彼女の本質は極度のコミュ障であり、人前が病的なまでに苦手な不器用すぎるダークエルフなのだ。シルフィエルの顔面は、限界を超えてガチガチにこわばり、完全に蒼白になっていた。


「……」


 喉が緊張で完全に締め付けられ、声が出ない。周囲の騎士たちには、シルフィエルの感情が消失したカオナシに恐怖の旋律を感じた。


「みなさん、一旦外に出るのです!」


 その緊迫した空間に、鈴を転がすような、しかし凛とした幼い声が響いた。騎士たちがハッとして道をあける。そこにトコトコと歩いてきたのは、身長140センチほどの小柄な少女だった。エメラルドグリーンの鮮やかなショートカットに、尖った耳。彼女こそが、内廷近衛騎士団の隊長と魔導犯罪対策特務課を兼任するエルフ、ティルカであった。年齢は30歳。長寿を生きるエルフの基準では人間の8歳児ほどの子どもに過ぎないが、その内に秘めた魔力量は、大人のエルフと同等の超一流の実力者である。

 何より目を引くのは、彼女が纏う独自のカスタム魔道服だった。団員のロングコートとは異なり、「可愛い服がいいのです!」という本人の強い要望で作られた、純白と深緑のミリタリー・ロリータドレス。膝丈のふんわりとしたフレアスカートに、小さな足元には編み上げリボンの白いブーツ。圧倒的な華やかさと可憐さを誇る、世界に一着だけの特別な魔道服だ。


「ティルカ隊長、王女殿下のお姿が……!」

「うるさいのです! シルフィエルお姉ちゃんの捜査を邪魔しないの! 全員、廊下で待機なのです」


 子どもっぽい口調ながらも、隊長としての圧倒的な威圧感に圧され、騎士たちは不承不承ながらも部屋の外へと退去していった。全員が出たのを確認すると、ティルカはちいさな手をすっと振るう。高度な修復魔術により、粉々に破壊されていた扉が瞬時に元通りに繋がり、ガチリと閉まった。シルフィエルが人目を気にせず呼吸できるようにするための、彼女なりのコミュ障対策だった。


「シルフィエルお姉ちゃん。ここで何があったの?」


 ティルカは親しげに、首を傾げて尋ねてくる。だが、まだティルカに馴染めていないシルフィエルは、同じエルフ同士であるにもかかわらず、やはりガチガチのままであった。


「あの、……ええと、……その……」


 銀眼ディヴァイン・ジャッジで見た光景を言語化しようと試みるもカタコトになってしまい、どうしても会話が成り立たない。ティルカは、困ったようにふにゃりと眉を下げた。


「やっぱりダメそうなのです……。シルフィエルお姉ちゃん、今起きた出来事の記憶の覗き見を許してくださいなのです」


 ティルカには、対象の精神に干渉して「記憶を読み取る」特殊な固有能力があった。しかし、シルフィエルほど強力な魔力を持つ者の記憶を覗くには、本人の精神的拒絶を解くための「許可」が絶対に必要だった。シルフィエルは蒼白な顔のまま、小さくコクリと頷いた。


「『追憶の緑眼鏡(メモリア・エメラルド)』」


 刹那、ティルカのエメラルド色の瞳が、まるで幾重にもカットされた精密な魔導レンズのように怪しく明滅した。シルフィエルが拒絶を解いたことで、その精神の奥底へとティルカの意識が滑り込む。ティルカの瞳のレンズの奥で、シルフィエルがこの部屋に入ってからの光景が、目まぐるしい速度で再生された。ベッドの上の不自然な魔力の空白。千差万別であるはずのエレオノーラ固有の美しい魔力が急速にゼロになり、未知の術式に侵食されて無に還っていく不気味なプロセス――。シルフィエルがその銀眼ディヴァイン・ジャッジで捉えた世界の映像と共感覚のまま、ティルカの脳内へと完全に転写されていく。

 

「――っ!」


 ティルカのエメラルドグリーンの瞳が、驚愕に大きく見開かれた。子どもっぽい顔から一転して、隊長としてのシリアスな表情が浮かぶ。すべてを察したティルカは、シルフィエルの手をぎゅっと握った。


「あとは私に任せるのです。このことは、私から国王陛下へ直接報告するのです。シルフィエルお姉ちゃんは、ここで待機していてほしいのです」


 そう言い残すと、ティルカは小さな身体で翻り、大急ぎで国王の元へと走っていった。


 再び、静寂に包まれた部屋。誰もいなくなったことを確認し、シルフィエルはようやく、限界まで引き絞られていた呼吸を「はぁっ……」と大きく吐き出した。震える手で、魔道服のポケットから、先ほど魂を閉じ込めたピンクのうさぎのぬいぐるみを取り出す。ベッドの上にそっと置くと、ぬいぐるみは、短い手足をぎこちなく動かしながら、トコトコと頼りなく立ち上がった。丸いプラスチックのボタンの眼が、きょとんとした様子でシルフィエルを見つめる。


「エレオノーラ……何があったの? 」


 すがるように問いかけるシルフィエル。しかし、うさぎのぬいぐるみは首を小さく傾げるだけだった。


「……え? えれおのーら? だれそれ。それよりあなた、だぁれ?」


 魂の移し替えには成功した。だが、不完全な抽出の代償として、彼女は記憶を失ってしまっていた。


 シルフィエルの目から、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。シルフィエルはしゃがみ込み、喋る小さなぬいぐるみを、壊れ物を扱うように、けれどきつく、優しく両腕で抱きしめた。親友への底知れない愛と、犯人への激しい怒りが、涙となって溢れて止まらない。


「私が、絶対……元に戻してあげるからね……」


 シルフィエルは涙を流しながら、胸の奥で静かに、狂気的なまでの執念の炎を燃え上がらせていた。大切な親友の未来を奪った犯人を、世界の果てまで追い詰めて、必ず引きずり出してやる、と。

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