第二十五話
「……じゃぁもともとは佳子さんが始めたサークルだったんですか?」
「まぁそういうことになるのかしらね。古道・史蹟同好会なんて地味で潰れかけなサークルじゃ学生が集まらないと思って名前を変えたのが最初。でもそれからじきに京大をやめてしまったから実質半年くらいしかいなかったけれど」
「すみません。結局私だけしか残らなくてサークルなくなっちゃいまして」
「え? いいのよそんなこと気にしなくて。仕方がないわよ、こういう渋くて狭い趣味の人ってなかなか居ないし……」
「稔……長野さんともその時に?」
「そ。まさか理学部に旧道マニアがいるなんて思いもしなかったから最初は驚いたわ。車出してくれていろいろ助かったし。……にしても全然変わってないわね、稔」
「そうなんですか?」
「そうよ! こうやって朝起きてこないとことか、部屋のなか片付けるの苦手なとことか、物捨てられなくて溜め込むとか、洗濯物干しただけで家事やった気になってるところとか!」
「いまはそんな感じじゃないですよ」
「……稔と一緒に暮らしてどのくらいになるんだっけ?」
「……2日です」
「一週間もすればわかるわよ、男子の本性。というか香住ちゃんは稔と付き合ってるの?」
「いや、べつにそういうわけじゃなくて、単純にちょっと生活費に困ってお邪魔してるというか……」
「まぁ院生もラクじゃないものね……にしてもそんな理由で上がりこむ? 普通、男の部屋に」
「……佳子さんはどうして上がり込んだんです?」
「え? えーと、住んでたアパートの家賃を滞納してて、それで……」
台所から何やら話し声が聞こえてくる。オレが寝ていることをいいことに言いたい放題だな、あいつら。にしたってなんでどいつもこいつも貧乏生活を送っているんだろうな? かりそめにも日本の最先端の大学で研究職を目指している人間なんだから、もう少し余裕のある生活を送っていてもよさそうなものなのに……。
「おはよー……」と声をかけると「おはよー」が二つ返ってくる。賑やか。悪くない。テーブルには和食な朝食。ご飯に味噌汁に納豆に焼鮭、生卵&味付け海苔という豪華旅館仕様。ほんと、悪くない。……っていうかこの食材はどうやって?
「ゴメンね稔。ちょっとお財布借りた。ごはんの材料がなくってコンビニで……」
「……いやな、別にいいんだけど、お前、帰りの新幹線代はどうすんだよ?」
「ゑ?」
そりゃ、オレだってそんなに裕福な暮らしをしているわけじゃないよ。女物の服とか下着とか車のガソリンとか、ここ2〜3日でいろいろと使い過ぎたってだけの話だよ。だいたいからして自分たちのことは棚に上げて「稔、計画性無さ過ぎ……」とか「先輩、貯金とか全然ないんですか?」とか文句言うのはどうかと思うよ、実際。……っていうか何も思わないのか、お前たちは??
センターに戻ると夜通し走らせていたプログラムが終わっていた。さすが最優先で横浜に割り込ませただけのことはある。昨日は吉田キャンパスのスパコンを間借りして演算していたのだけれど、その数十倍の精度で組み上がった二千年分の地殻運動の有様がきっちりと出力されている。
これに香住の蒐めた古地震の記録(昨日あーでもないこーでもないって言いながら修正かけたやつな)をプロットして、AIの自己診断プログラムを走らせれば、誰がいつどんなをウソついたのかわかるって寸法だ。
「こんな詳細なモデリングいつの間に作ったの?」
香住が怪訝な顔で聞いてくる。そういえば昨日の夜はおとなしく寝ていたな。
「昨日の夜、JAMSTEC(国立研究開発法人海洋研究開発機構)に投げておいた」
「まさか、あれを借りたの?」
と尋ねる佳子。結局東京に帰れず(←少しは貯金くらいしときなさいよね! 全く!! とか騒いでいたけれど、お互い様だよな、実際)、センターの誰かからお金を借りようとしているらしい。しかも二人揃って昨日とおんなじ格好。なんかもうどうでもいいよないろいろと。
「そう。せっかく『地球シミュレーター』なんて名前が付いているんだからさ、きわめて正しい税金の使い方だろ?」
「あんな稼働率の高いシステム、どうやって借りたのよ?」
「所長の伝手で割り込ませてもらったんだ。あのオヤジの顔があんなに広いとは思わなかったよ、実際……ってなんだ? M9.2って……」
地球シミュレータの出力した地殻運動のモデリングが734年で止まり、その上で走らせていたAIが同時期に起きた“はず”の地震の規模を無表情に出力している。プロットした古地震とはあまりにもかけ離れた数値なので、アラートがポップアップしたということのようだ。モデリングのスケールをあげていくと、金剛山地から始まり、奈良・京都盆地を抜け、琵琶湖底を貫いて若狭湾へ抜ける想定断層が姿を表す。既知のどの断層帯にも当てはまらないその巨大断層を目にした長野は一つの仮説を思い起こしていた。
フィリピン海溝から時計回りにルソン・琉球海溝、南海トラフ、小笠原海溝などに囲まれ、比較的新しく動きも早い岩盤であるフィリピン海プレートは、伊豆半島を本州へと押し込み、丹沢山地や箱根火山、富士山を形成しつつ、北アメリカならびにユーラシアプレートの下へと沈み込んでいる。
と、長年考えられてきたものの、近年の研究では、その沈み込み角が想定より浅く、神奈川県や千葉県、東京都はもとより、その先の紀伊半島や淡路島、鳥取あたりまで浅く長く貫入しており、とくに近畿地方の直下ではプレート自体が大きく変形し、部分的には断裂しているらしいことが判明していた。
地震波解析などにより、この断裂部は滋賀県南東部の地殻と固着しつつ、琵琶湖南東側に地震の“空白域”を形成していることがわかっており、4つの海洋プレートがひしめき合うこの小さな列島の歪み集中帯において、一種の安定板として機能しているのではないか、という仮説が示されたのは確か2015年のことだ。
もしその安定板が機能しなくなったら。あるいは安定板に蓄積された歪みが一挙に開放されたらどうなるのか。いやむしろこの安定板自体が一種のプレートとして振る舞い、内陸直下で海溝型の地震を発生させることになったらどうなるのか。
「まさかスロースリップ……なのか?」
「いきなりナニよ?」
「歪み計の異常、GPS観測点の不可解な変動、余震の少なすぎる浅震源の地震。活断層露頭の顕著な変位……海溝型の巨大地震の前兆によるものだとしたら?」
「こんな内陸でそんなことあるわけ……」
不意に耳障りな電子音。テレビの画面には最近馴染みの“緊急地震速報”のテロップ。少し遅れてスマホたちが騒ぎ始める。黄色く染まった福井県。☓印は……若狭湾!?
「……一番マズいところじゃない? あそこ」
腕を組みながらそう呟く香住の表情は何時になく険しかった。




