第二十一話
電話が鳴る。こんな朝っぱらから固定電話にかけてくるなんてどんだけ熱心で迷惑なセールスだろう? 本棚の横に積みあげられた資料の山の上で申し訳なさそうに鳴る電話をとったオレの耳に助教の慌てふためく声が響く。
“長野くんかっ!? 大変なことになった!!”
「どうしたんですか? 後藤先生」
“奈良県警から連絡があった! 生駒山のがけ崩れの現場から大和くんの荷物と作業服が見つかったらしい!! いま周辺の捜索を……”
「香住……大和研究員ならここに居ますよ」
“……なんだって?”
「いま目の前で飯食ってますけど……」
トースト(←二枚目だぜこれ)にベーコンエッグを載せて口に運ぼうとしながらこちらを見る“大和さん”が頭の上に?を3つほど載せている。
「お前探されてるみたいだぞ、警察に」
「……へ? どういうこと?」
「荷物と服が山の中で見つかったんだって」
「え? あったの!? よかったぁああ!!」
“……大和くん、君の家にいるのかね?”
「……そうなんです」
“……どういうことかね?”
「それを話すと長くなるんですけれど……」
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結局「……とにかく! 二人ともすぐに来なさいッ」などと騒ぎ立てる受話器の助教に追い立てられ、ロクな支度もせずに部屋を出る羽目に。宇治キャンパス正門まで歩いて10分。センターはさらに5分ほど入った先にある。
京都大学防災研究所附属地震予知研究センターは固体地球科学をベースに海溝地震や内陸地震、地殻活動や地球計測、地震発生機構や耐震工学などを横断的に研究し、地震予知手法の確立や地震災害の軽減を目とする組織だ。長野のような修士課程生が11名、博士課程生やPDが15名、教授や助教、そして職員を合わせると総勢60余名の大所帯だ。
1995年の兵庫県南部地震や2011年の東北地方太平洋沖地震の予見に失敗して以降、大規模な予算を組んで岩盤や深海底にセンサー類を設置し、24時間の観測体制を敷いて短期的あるいは直前の予知を実現することの困難さが浮き彫りとなり、日本の地震予知研究は長期的あるいは確率論的な予測へとシフトすることとなった。
地震がいつどこで起きるのかを予知することに血道を上げるよりは、いずれ必ず起きるであろう地震の震源や規模を予め想定し、それに抗堪し得るよう建築物やインフラの強化に努め、情報伝達網や避難経路ならびに資材備蓄を整備し、社会全体の“減災力”を高めていくべく、基礎的な研究から先鋭的な試みまで大小様々のプロジェクトが進行するこのセンターを動かしているのは、実際のところ研究者たちの飽くなき情熱と極めて限られた予算だった。
「おはようございます……」
恐る々々、といった体で入ったセンターは俄に浮足立っていた。
「阿武山、逢坂山、鯖江の観測所でも数値異常が出ている」
「屯鶴峯のひずみ計は……こりゃホントに壊れたな」
「近畿一体のGPS精密観測点が全て出鱈目な方向に動き始めた。一体何が起こっているんだ!?」
「生駒山の震源は山体直下だったんだろ? なぜ全く余震が起きないんだ??」
「教授! コレ見てください!!」
PDの一人が指差すテレビの画面には市街地を我先に駆け抜けていく鹿や猪の群れ。ローカル局のレポーターの間延びした報告に、地元のおじさんの“いやさぁ長ぇこと住んでっけどこんなん初めてだぁなぁ”などという濁声が重なる。
“……奈良市大安寺町の温泉施設『極楽湯奈良店』では、今朝早く、源泉を汲み上げる井戸が突如倒壊し、泥まみれの熱水が5mの高さまで噴き上がり、施設は閉鎖。周辺住民が避難する騒ぎとなっており……”
“二日前の地震で損傷した生駒トンネルならびに阪奈トンネルの内壁から大量の地下水が流れ出し、復旧作業が困難な状態となっており……”
“先週の奈良西部地震で現れた富雄川周辺の断層のズレが、この半日で1m以上拡大しているという報告が”
“次の地震マダー?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン”
“っていうかマジやばくね!?”
“次は震度8くらい逝くんじゃね?”
“わーい奈良リセットクル━━━━(゜∀゜)━━━━!!”
“本震来たと見せかけてからの神展開キボンヌ”
“奈良と見せかけて南海トラフというありがちな胸熱”
“お前ら午前中から超暇杉じゃね?”
“お前が言うなお前が……”
矢継ぎ早に報道される異常事態を受け、SNSや掲示板ではちょっとした祭り状態。こんなディザスター・ムービー的展開、奈良盆地では何百年ぶりだから致し方ないわよね。
「おぉ! 大和くん無事だったのか!」
いつから床屋に行っていないのか、年単位でしか語れないような長髪を後ろに束ねた後藤助教が駆け寄ってくる。
「……ご心配おかけしました」
「そんなことより大和くん! 君がこの間言っていたのはこのことなのかね?」
「たぶん……この程度では済まないと思います」
「なんだそれ?」
「大和くんがまとめていた古地震の件だよ。かつて奈良で起きたらしい巨大地震の話だ」
「奈良の……巨大地震?」
畿内七道地震。またの名を天平河内大和地震。続日本紀巻拾壱に記述の残る奈良時代の巨大地震。天平6年4月7日(グレゴリオ暦734年5月18日)に発生したM7.0〜7.5程度と推定される大地震で、その被害は奈良・京都・大阪に留まらず、熊野や出雲にまで及んだとされる。「畿内七道」とは当時朝廷のあった奈良周縁の畿内5カ国に、東海道や山陰・山陽道、北陸道などを加えた当時の日本の律令制下のほぼ全域を意味し、南海トラフ地震との関連も指摘されてはいるものの、沿岸部の津波などの被災記録が一切なく、その他の史料も乏しいため、地震学者の中でも評価の分かれる謎の多い地震だった。
「朝廷や神社に残されていた公式の記録と、民間で言い伝えられてきた伝承との間の齟齬が大きすぎること。当時の被災記録があまりに断片的で時系列も揃わないことの理由がわかってきたように思うんです」
「どういうことかね?」
「たぶんそれと同じ理由だと」
香住の指差す先の地元紙の一面には、崩壊した奈良県立総合医療センターの建設を請け負った登美建設社長、登弥雅彦その人の写真と、地盤調査の資料改竄か? の見出し。曰く、センター移転にあたり事業計画の策定と用地提供に奔走した登弥は、その建設予定地の地盤調査の際に発覚した直下の活断層帯の存在を意図的に隠蔽し、また免震装置の構造計算を改竄することによって工費と工期を2割近く削減していたとのこと。取り調べに対し登弥は「奈良でこのような大地震が起きること自体が想定外」などと供述しているそうで、「調査データの改竄と手抜き工事が主因。今回の崩壊の責任は全て登美建設にある」とするゼネコン側の主張とともに、世論の厳しい批判に晒されていた。
「さまざまな政争や地方の暴動・反乱を抱えていた当時の朝廷にとって、その政の不徳の象徴とされていた大地震はとても不都合な災厄だったのだと思われます。実際即位したばかりの聖武天皇は自戒の詔を出して領民に謝罪しているくらいですから」
「それがなぜ隠蔽に繋がるのかね?」
「聖武天皇は詔勅に前後して全国の神社へ使者を送り、被災状況の把握に努めているのですが、その全体像をまとめた史料は未だ発見されていません。また各地の神社にも朝廷からの使者を受け入れた記録はあるのですが、被害状況そのものの記録は残されていないのです」
「被害がなかったのではなく隠蔽された、と言うのかね?」
「当時すでに巨大な官僚機構を擁し、あらゆる政の記録を文書に残してきた朝廷の仕事にしては、あまりに不自然な欠落が多すぎるのです。民間伝承との齟齬もこの時代にしては大きすぎますし。それに昔はこうやって隠蔽を糾弾できるようなマスコミもありませんでしたしね」
「ほんとはどんな規模の地震だったんだろうな……」
「それがわからないから稔くんにお願いしているんじゃないの」
「そんなことできる……かもな」
これまでの古地震学は過去の史料や伝承をベースに研究が進められてきた。その史料の不完全さや史料同士の不一致は長い歴史の経過に由来する不可避の情報劣化とされ、そこに人為的な隠蔽が行われていた可能性などは検討されたこともなかった。どちらかというと犯罪捜査にも近い今回の研究。鍵を握るのは極めて長いスパンで動く上部マントルとプレートの運動の解析に基づく「過去の地下地図」の構築と、史料との照合だ。
「それって今からやって間に合うようなもんなのか?」
「さぁね。でも今始めなきゃ絶対間に合わないわよ」
「なんか宝くじみてぇだな……」
買わなきゃぜったい当たらない〜、とか言ってる場合じゃないし。




