91話 氷の女王
〜マリア視点〜
哀れな悪魔達。
創造の種族として高みにいるが故に、墜落していく悪魔達。
未来の魁人と取引をした、あの時の記憶。
手回し。
・・・地獄世界の真実。
私は私の過去を絶対に忘れたりはしない。
全部大切な思い出だ。
嫌な過去が大半を占めるけれども、それはそれでいい。
それでこそいい。
きっとそういうところが、私の私たる所以である。
そう確信していた。
「あらあらあら、珍しい。こんなに簡単に邪悪種なんて出来たっけ?」
「そんな訳ないじゃない。これも全部人間の力よ」
「・・・聞いてた通り、凄いわね。私が幾ら魔物を共食いさせても、覚醒なんてしなかったのに」
「だから貴方に頼んだのよ」
言わずもがな。
お互い分かっていること。
確認の必要なんてない。
普通の悪魔同士の会話は、余計な内容は一切いらないからだ。
それでもこんな会話が出てくるのは、ひとえに私達が変わり種だからだろう。
なおも私の横にいる彼女は、冷えた声色で話しかけてくる。
「可哀そうね、あの子」
「それでも貴方はこうして彼を試してる」
「あんたが頼んだからじゃない」
「嫌なら断っとけば良かったじゃないの」
もちろん、そんなことはさせない。
絶対に。
わざと彼女に心を読ませているから、これが皮肉だってことは分かっている。
その証拠に、彼女は小さく舌打ちをした。
「あんたに逆らえる悪魔なんていないわよ」
まあ、そうなんだけどね。
「で、もう助けてやらないと死ぬわよ?」
私は急かすようにそう言った。
見ると、悪魔の女の子2人と人間である彼が変貌を遂げつつある邪悪種から逃走を図っているのが見える。
あれではもうもたない。
すぐに死んでしまうだろう。
「ギリギリまで待って。私の娘をちゃんと最後まで守る意思があるかどうか・・・見せてもらうまで」
「私に条件をつけるぐらいだものね。よっぽどだわ」
「私はね、人間の考え方が好きなの。愛とか、憎悪とか、幸せとか、不幸とか。以前の貴方と同じで興味があるのよ。色々試したいの」
「人間である彼が殺されない限りはいいけど・・・その家族が今、殺されようとしてるわよ?」
「これも教育よ。邪悪種なんて滅多にお目にかかれないし」
「流石72柱。まさに鬼畜の成せる業ね」
「あんた程じゃないけど」
私が鬼畜?
悪魔の間違いでしょ?
「家族みんなで人間の世界へ行きたいのよ。こんな世界、もう沢山」
気持ちは分かる。
同じような気持ちは私にも経験があるから。
・・・だいぶ昔だけども。
「おおおあああァァ!!」
通路の奥の方から声が響いてくる。
彼が必死に戦っているのだ。
戒めを。
祝福を。
言うなればこれは贖罪だ。
もう戻れない。
帰還不能点。
全部私が終わらせる。
前回の彼も、今回の彼もこれで報われるように。
「ま、いいんじゃないかしらね」
人間の奮闘ぶりに彼女は満足したようだった。
若干心の機微を気付かれないようにコントロールしてはいるが、それでも彼女の判断は悪魔としては狂っている部類に入る。
結局は私と同類なのだ。
「止めろお!」
また彼の声が聞こえてくる。
それと同時に心の声も。
相当パニックになっているみたい。
無理もないわね。
「認めた証拠って訳じゃないけど、そろそろ人間を助けてもらいたいものね」
「あんたに言われなくても分かってるわよ」
そう言って、サフィーは目を閉じる。
怯えている娘達を向いて。
私の場合、意識して能力を使わなくてもテレパシーの内容は傍聴出来る。
だから勝手に頭の中に声が届いた。
「「スフィー、ソフィー。助けてあげるから、そこを退きなさい」」
娘達がピンと反応する。
うちの息子と違って、しつけが行き届いているみたいだった。
・・・まともな教育を施しているかは定かじゃないけど。
そんなこと、心を読んで知る気にもならない。
「「うん!」」
「「はい!」」
ほぼ同時にテレパシーが返ってくる。
並みの悪魔ではこうはいかない。
きっと状況慣れしてるのね。
素早く彼女の娘達は戦線を離脱する。
人間である彼を置いて。
「ここまで来たら、貴方も戻れないわよ」
一応の警告。
戻れないのは事実だ。
だから伝えておく。
「・・・私はね、この雪山に住み始めてからずっとそんな覚悟で生きてきたの。そんな言葉は200年遅いわ」
「・・・そうね」
72柱にそんな言葉は必要ないか。
杞憂だったわね。
そもそも、こんな言葉を必要とする悪魔であれば、私の戦力にはなりえない。
その程度であるならば、その時点で切り捨てる存在ということでもある。
「氷分身」
彼女が唱えると、姉妹がいた場所に氷の彫像が出来上がる。
先程の姉妹そっくりの像だ。
色が透明なことを除けば、形状はほぼ完璧に酷似している。
「クッソオオオオ!!スフィー!!ソフィー!!!」
彼は姉妹と入れ替わった氷の像を見て、覇気を若干失う。
・・・あの調子じゃあ勘違いしてるわね。
当の本人達はと言うと、既にこちら側へ退避していた。
狙って自分の娘達をかたどったアバターを作ったわね?
最後の最後で試すだなんて・・・
相変わらず悪趣味だこと。
でも、ここが彼の凄いところだ。
姉妹2人が死んだと思わされても、まだ抵抗を見せようとする。
最後まで可能性の模索を放棄していない。
これは単純に、そして本当に凄いことなのだ。
諦めないこと。
精神論で言う、根性のような話になってくるけど、洗脳の使い手としては、本当に興味深い。
自分の力もよく把握していないのに、現状を打破しようとするその精神力。
ああ、人間はどうしてこうも魅力的なのだろうか。
それに加えて、彼の心は様々な意思が残留、定着していてうまく読めない。
こんなこと、今までなかったことだ。
これは能力による恩恵ではなし得ないこと。
それは彼が、私の前世であるアリアとの繋がりをずっと、隠し持っているということでもある。
「お母・・・さん?」
氷の女王たる彼女は、駆けつけた自分の娘達にシー、と人差し指で口止めをする。
不思議で、分からなそうって顔をしている。
それでも心の波は、娘達が母親の行動に疑問すら持っていないことを露わにした。
・・・なるほど。
そういう教育方法なのね。
そして、彼女はスッと隙なく無駄なく音もなく彼の背後へ移動する。
邪悪種にすら気取らせないその移動。
彼女にとって、朝飯前の行為。
その直後。
「良し!あんたを認めるわ」
彼の体に近付いて、彼女・・・サフィー・レイジア・ウルファンスはそう言った。
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「いいっ!?」
首筋にかかる冷たい息。
本来の冷気とは全く別種の、死すら凍らせるようなその息に思わずゾッとした。
ピョンと俺は飛び跳ね・・・られはしなかったが、したつもりで後ろを見る。
そこには、見たこともない女の悪魔が、綺麗な佇まいで立っていた。
・・・全く気付かなかった。
何だ、こいつ・・・
確証もなにもないカンのようなものだが、危険な雰囲気が漂っている。
スフィーやソフィーと同じ青い髪で、本来なら地面にも届こうかという長い髪の毛を後ろへ全部束ねている。
真っ白い和服を着ていて、その美しい輪郭に大概の男は見惚れてしまうだろう。
悪魔・・・と言うよりも、雪女の方がイメージ的には合っているか。
「ヴヴァァアアア!!!」
「!?」
怪物が俺から離れて叫ぶ。
人間の出す声が、野太くなった感じの声色。
色々な意味で知的生物に近付いているその姿が、今は離れて見える。
・・・助かった・・・のか?
「足凍ってるみたいだけど、今は我慢してね?」
新たに現れた女悪魔は、軽くウィンクして怪物に向き直る。
その表情は怪物の出す威圧感を物ともせず、むしろ睨み返すようなものだった。
「イーター種ね。魔物狩りの魔物。私もいい迷惑してたし、丁度いいわ」
そう言って。
「さあ、行きなさい」
何かに指示を出した。
誰に?
他に仲間がいるのか?
そう思ったのも束の間、後ろから歩く音が聞こえた。
「・・・生きてたのか?」
凍らされた姉妹の氷像が歩いていた。
死体が動く?
そんな馬鹿な。
なら、生きている?
凍ったままで?
訳が分からない。
なんで歩いている?
能力か何かか?
「スフィー!ソフィー!」
呼びかける。
だが、反応はない。
ただただ歩くだけ。
その方向には、あの化け物がいる。
動作には生気が感じられない。
機械的な動きだ。
・・・あれは違う?
恐らくあれは姉妹じゃない。
「ヴァアアアアアアア!!!!」
「いっつ!!」
人間型怪物の咆哮が洞窟内に響く。
音が反響しているせいで、ギンギンと耳に届く。
鼓膜が破れそうだ。
俺が耳を抑えるのと同時に、その攻撃はやってきた。
ジャキン、と地面以外全ての氷が牙のように尖る。
まるで獣の口内に放り込まれた気分。
悪臭こそしないが、凶悪さはそれ以上。
何をどうやっているかは分からないが、その氷の牙は俺と女悪魔に向かって棒のように伸びてきた。
目にも留まらぬスピード。
それは氷で出来た姉妹もまた同様で、2体は攻撃が届く刹那に俺に覆いかぶさって、文字通り盾になった。
ザクザクザクと無数に牙が氷の姉妹に刺さっていく。
・・・攻撃は俺に届いていなかった。
だが、2体の身を挺した守りすら、突破しようと怪物は氷の牙を形状変化させる。
「蛇かよっ!!」
幾ら2人が俺に覆いかぶさろうとも、そこには隙間が出来る。
人間と同様の骨格を悪魔はしている以上、それを模した氷の姉妹は完全には俺を守れない。
そこを怪物は知ってか知らずか、伸びた牙を蛇の形に変化させて、隙間を潜ってきた。
氷で出来た蛇は、これまた生物的な動き・・・体をくねらせて中へ侵入してくる。
氷で出来ているのに、何故体を曲げられる?
原理が全く分からない。
それでも目の前で口を開いて、俺に噛みつこうと無数に迫ってくる。
ぐっ・・・狭いから身動きが取れない!
守られていることが逆に仇になっている!
蛇を見る。
防御の構えをしながら。
蛇が入ってきた隙間も、必然的に見てしまう。
その奥の景色。
何本も生えた牙の中で、女悪魔は平然とそこに立っていた。
「えっ」
見て唖然。
彼女の周りだけ、牙が届いていなかった。
氷の牙。
それが、さらに透明度の高い氷で動きを封じられている。
氷の牙が凍っていたのだ。
純度の低い牙は純度の高い氷によって、動きを止められているのがクッキリ見える。
不思議な光景。
彼女はその中心であくびをしながら立っていたのだった。
氷がさらに凍る。
・・・ありえないと思っていた。
実際に目にするまでは。
それが、蛇が噛みつこうとする直前で見た景色。
そしてこれから。
これからが彼女のターンだ。
それは、極めて静かに行われた。
「清浄なる凍土の世界」
女悪魔は静かに人差し指を、地面につけた。
途端に、聞こえた。
パキンッと簡素で飾り気のない音が。
「うわ・・・」
凍った音だ。
元々あった光景が、瞬間的に強大な能力によって浸食されていく。
そこは・・・綺麗な氷の世界だった。
周りは全て、一瞬で作り出された透明すぎる氷に覆われていた。
元々洞窟内にあった氷はさらに上塗りで凍らされている。
迫ってきた氷の牙。
無数の蛇。
俺を庇った姉妹。
全部動きを止めていた。
・・・時間が止まったかのように。
2度目の唖然。
なんだこれ?
素直な感想。
本当になんだこれ、だ。
かわす隙を与えない速度。
圧倒的規模。
どれを取っても規格外だった。
純度の高い氷は、まるでガラスのようだ。
もうそれはただの氷ではなくて、芸術作品にも匹敵するぐらい美しいもので、そんなものが、地面や天井隅々まで張り付いている。
俺やその場にいる悪魔達を除いて。
氷すらも凍てつかせる圧倒的な能力。
これはあれだ。
老騎士ヴァネールの炎と対極の力だ。
対極で、対等の力。
これだけの能力を瞬時に使用出来る悪魔。
それはつまり・・・
「ヴァ・・・ヴ・・・」
怪物は完全には凍っていなかった。
いや、もう殆ど体は透明な氷に覆われているのだが、それでも顔や体の一部は凍らず残っている。
この攻撃がどれほどの低い温度を生み出しているのかは知らない。
だが、攻撃の規模を考えてみても、この化け物が凍らないのは異常だろう。
「さっすが邪悪種。幼体とはいえ、しぶとさじゃあ随一かな」
言葉の通じない相手を褒めながら、余裕の立姿で見下している。
あの女悪魔・・・
「でも知ってる?1回凍らされた奴はどんなに物理攻撃に耐性を持ってても、ちょっとした衝撃で壊れちゃうのよ?」
パキパキと上から静かな割れるような音が聞こえた。
つられて俺は見る。
何を唱えた訳でもないのに、化け物の丁度真上に氷塊が作られていた。
スフィーが作った氷の塊・・・それを大幅に超えた体積を誇っている。
相手の方はこれを見ても、動かない。
・・・動けない。
俺が今、足を凍らされているように。
「さようなら~」
「ヴァアアアアァァ!!!!」
手をバイバイと振る。
にっこり笑顔で。
対して化け物は精一杯暴れている。
氷越しでも分かるぐらいに氷の筋肉が躍動して、邪魔な障害物を排除しようと。
なのに、一向に砕けてくれない。
「ヴァアアッ」
次の瞬間、ズドンッと容赦なく氷塊が化け物を潰した。
軽く蟻を足で踏みつぶす要領で。
何のためらいもなく。
「うっ!!」
化け物の断末魔すらかき消す音の中で、ガギンと衝撃が走り、洞窟全体が揺れる。
俺がクレバスへ落下した時の地震ほどじゃないが、それでも十分すぎる揺れ。
氷の細かい破片が辺りに飛び散り、白い煙みたいに周りを舞った。
・・・一瞬で化け物が殺られた。
強い。
・・・強すぎる。
ただの魔物に俺とスフィー達は苦戦した。
それを凌ぐ程の実力を有した凍てつく器の捕食者。
その魔物がさらなる高みに上った、あの怪物・・・邪悪種。
もうどうしようもないと思ってた遥か格上の相手。
そんな化け物を、石ころを蹴り飛ばすように簡単に殺してしまった。
「よし、終了~」
手をパンパンと叩きながら、こっちへ歩み寄ってくる。
能力を使って疲れているどころか、逆に意気揚々としていた。
俺を見てニッコリ。
その冷たい目とのギャップがありすぎて、違和感を覚える。
手を叩いた途端に、そこら中に生えていた氷の牙や蛇がボロボロと崩れていく。
俺を庇っていた姉妹や足の動きを止めていた氷もだ。
全部、溶けるのではなく砂のように崩れ去った。
雪・・・だったのか?
氷の筈なのに、形状変化していたのは雪だったから?
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は目の前だ。
疑問にとらわれる前に、聞くことを聞くべきだ。
「・・・お前、誰だ?」
俺が1番に聞きたかったことはそれだった。
どこの誰で、なんで俺を助けて、そして最終的に俺をどうするつもりなのか?
今すぐ殺される訳じゃないみたいだが・・・
「取って食う訳じゃないから安心しなさいな」
「・・・質問に答えろよ」
「ん、余裕がないと嫌われるわよ?」
余計なお世話だ。
余裕がないのは俺自身がよく分かってる。
弱者は弱者なりに、強者を警戒するさ。
「殺すならとっくに殺してるわよ。それとも、問答をしてから人間を殺生するような生易しい悪魔に慣れちゃった?」
「・・・まあ」
言ってることは間違っていない。
殺すなら殺す。
単純な話だ。
だから素直に納得出来る。
「じゃあなんだ?俺を利用したいのか?召喚王みたいに」
「あんなチキン野郎なんて興味ないわよ」
うむむ。
72柱をチキン野郎ってか。
そういう言い方をするってことは、やっぱり・・・
「お前も72柱か」
「ご明察」
感心するような顔で、雪女を連想させる冷たい女はそう言った。
「最近の悪魔は自分で考える力が足りてないから、こういうの見るとやっぱり嬉しいわ」
悪魔には心を読む力があるからな。
心が読めば、相手が何を考えているのかいちいち考えなくてもいい。
思考力低下の一端を担っていても何もおかしくない。
いわゆる悪魔事情ってやつだな。
「とりあえず自己紹介。私、ソロモン72柱第11位、サフィー・レイジア・ウルファンスと申します」
「ウルファンス・・・お前がか」
「そうよ」
ダゴラスさんとこんな雪山へ来た目的。
それがウルファンスに会いに行くこと。
大魔石を手に入れるための戦力探し。
なんでここに・・・
「アハハ、なんでここにって思ってるでしょ?」
「・・・」
合ってる。
俺の考えを読み取っているのか、そうじゃないのか・・・
さっきの発言から考えるなら、コイツは他の悪魔がしているような、心を読む行為を嫌っている節がある。
・・・多分俺の表情だな。
「自分で言っておいてなんだけど、その話をすると色々めんどくさいのよね。こんなところでする話じゃないし」
めんどくさい、か。
確かにめんどくさそうだな。
にしても、強大な力を持っている悪魔である筈なのに、俺に対する態度は割かしフランクだ。
敵意はない・・・ように思える。
だからと言って、味方とは断定出来ないが。
「ねえ!そろそろ出てきたら!」
女悪魔の視線は俺を通り過ぎて、後ろの方に向いている。
俺もその目の先を追ってみる。
「あっ・・・ああ!!」
見てビックリ。
なんとそこには・・・
「うん、頑張ったわね!」
ベースキャンプで、ララに付き添っているはずの悪魔。
マリアさんがいた。




