90話 恐怖接近
・・・魔物とは、能力を扱える野生生物の総称だ。
地獄の生物特有の特殊な体質と組み合わせて狩りを行う。
特に魔物を喰らうことを主目的としており、捕食することによって力の増大を図る。
それは捕食対象が異世界の存在でも同じことであり・・・と言うか、こっちの方が魔物にとって重要らしく、地の果てまで付けねらわれる。
それが、俺の現在知っている魔物の大まかな特徴だ。
もう今更教えられなくても、理解したことの筈だった。
・・・理解していなかったから、こんな事態にあってるんだが。
本当に今更すぎる。
ここに来てから、覚えるべきことが沢山あることを俺は知った。
忘れても仕方ないくらいに。
そんな言い訳のようなことを、俺は頭の中でグルグルとリピートさせていた。
「なんだよ、あれ」
「ヴヴッヴ・・ヴ・・・」
1頭の魔物が、俺達の目の前で唸っている。
凍りつく器の捕食者だ。
そして、もっと厳密に言うなら、アイスイーターだった何かだ。
過去形。
その冷気を纏った球体状の魔物は、今現在ブクブクと音を立てて体を変化させていた。
今まで戦ったイーター種は、体を自在に変形させて襲ってきていた。
でも、今回は様子が違う。
痛覚が薄い魔物なのに、苦しんでいるように見える。
体は際限なく粘土みたいにグニャグニャして、中から気泡が浮いている。
空中に溶岩が浮いているみたいな感じだ。
明らかに異常事態だった。
「ああ・・・何でこんな・・・」
スフィーが本気で何かを諦めたような顔をする。
「何が起こってるんだよ」
「魂の・・・穢れ・・・」
一言、そう返された。
余裕のなさそうな返事をどうもありがとう。
そんな説明じゃあ全然分からないぞ。
「何で私、会ったこともない種族の言うことを信じたんだろう・・・」
「おまっ・・・」
失礼なことを言い出しやがったし。
聞いて聞かれてすごく残念な言葉だ。
両者に何のメリットも残さない言い方。
多分、スフィーの中で敗北判定が出てるんだろう。
何故かって言ったら、目の前の魔物以外に理由なんてない。
「勝手に諦めてないで、現状を教えろ。せめて戦うか逃げるかぐらいは指示してくれ」
「・・・」
だんまりだ。
相当慌ててんな、こりゃあ。
俺が冷静でいられるのは、もしかしたらことの事態をよく分かっていないからかもしれない。
いや、きっとそうだろう。
それでも、放心は絶対に良くない。
今、冷静な俺が何とかしないと・・・
そう思っている間にも、アイスイーター?はどんどん不気味な形状に変化していく。
俺が見た時は槍とか手とか、決まって分かりやすい何かだった。
なのに、今はもう何が何だか分からない形だ。
俺の直感が告げていた。
逃げなきゃみんな死ぬと。
「ソフィー、逃げるぞ!」
放心するスフィーの手を握って吠える。
片手には短剣型の魔剣を持って。
こんなの気休めだ。
だけどそれでもいい。
走る活力を少しでも与えてくれるなら。
ソフィーが走ってくる。
歩幅が小さいのに、結構素早い。
それでも俺が走る速度には今一歩及ばない。
「俺の背中に飛びつけ!」
「うん!」
ダゴラスさんやララと同じ判断を俺は下す。
こっちが走った方が速いからだ。
「スフィーを頼む!俺じゃあ無理だ!」
「分かった!」
ソフィーが取り乱していなくてよかった。
この子までそのまま突っ立っていたら、もういよいよ見捨てるしかなくなる。
生きることを諦めたら死ぬだけだ。
出来るだけ早く、魔剣と同調する。
体の強化を前提で走る必要がある。
これから起こる不吉な事態には、もっと対抗策が欲しいくらいだ。
俺は彼女の手を引いて走りだす。
劇的な変貌を遂げている魔物の側を通り抜けて、ひたすら前へ。
やっぱり化物は攻撃を仕掛けてこなかった。
今はまだ、大丈夫だ。
しかし何とか走ってはいるものの、速度は芳しくない。
ああ、もう!
頼むからボーッとするのは止めてくれ!
「お姉ちゃん!しっかりして!」
「・・・」
妹の声でも精気を取り戻さない。
どんだけこの魔物に恐怖を抱いてるんだよ。
「どうすりゃいいんだ!?」
「ちょっと待ってて」
そう言ってソフィーは目を閉じる。
あれだ・・・テレパシーだ。
外がダメなら内側か?
有効かどうか分からないが、任せるしかない。
俺は俺に出来ることをやろう。
巨大な空洞の1番奥へ到達する。
そこは1本道で、氷の地面には薄く雪が積もっており、油断していると足を取られるかもしれない場所だった。
1本道。
もう真っ直ぐ走るしかない。
選択肢がそれしかない。
・・・いいじゃないか。
上等だ。
走ってやるよ。
「「お兄ちゃん、いいよ」」
頭に響く声。
背中に乗るソフィーから合図があった。
「・・・すいません」
「大丈夫だ」
どう呼びかけたかは知らないが、スフィーは平常心を幾分かは取り戻したようだった。
まだ緊張している様子ではあるが、仕方ない。
これでもいい方だと思うことが大事なんだ。
「もっと走れるか?」
「はい」
時折後ろを見ながら返事をする。
その視線の先には、もう破裂寸前にまで膨らんでいたアイスイーターだったナニカがいた。
「一体何が起こったんだよ」
「・・・邪悪種への覚醒」
「邪悪種・・・」
マリアさんの認定書で確か見た筈だ。
魔物が行き着く1種の方向性。
邪悪種と神聖種。
相反する2つの道。
「前に1度、見たことがあります。その時も苦しむ筈がない魔物が苦しんでいました」
「その時と同じ・・・なのか?」
「もう、変化し始めてます。私達じゃあ逃げきれない・・・」
また彼女の表情が暗くなる。
これはイカン。
「ネガティブやめろ!まじで死ぬぞ!」
「・・・すいません」
謝られても正直困る。
だが、そんなことを気にしている場合じゃないことくらいは俺だって分かる。
今聞きたいことは、謝罪じゃなくこの場をどうすべきかの判断だ。
「どうすればいい!」
「・・・分かりません」
・・・スフィーに分からなければ、俺にだって分からない。
とにかく、後ろの訳分からん奴から出来るだけ距離をとらなくちゃいけない。
うまい対処法を知らないなら、逃げた方が賢明だ。
「うおっ!」
ズンッと洞窟全体が揺れる。
それは後ろの方から来たような気がした。
震源地がもし、巨大な空洞からだとしたら・・・
「地震、じゃないよなぁ」
「・・・」
地震だったらまだよかった。
・・・いや、天井が崩れて脱出不可能とかも嫌なんだが、俺が予想している方は明確な脅威と殺気を含んでいる。
魔物の出す殺気はもう知っている。
本能的で、野生的で、まさに強者といった表現がぴったり当てはまる気配だ。
今、現在進行形で感じ取っている殺気は、上記の要素に悪意も混ざっていた。
人間の醸し出す種類の悪意に似たもの。
自然界には本来存在し得ない悪という概念。
良いことと悪いことは、元々世界にあった概念ではなく、知的生物が後付けで付け足した考え方だ。
本質的にエゴイストで、アルトルイストな種族でなければ獲得し得ない、異質なものなのだ。
そんなものが野生の権化である魔物から発せられているなんて、違和感を感じざるおえない。
「お兄ちゃん下!!」
と、そんな叫び声が背中から聞こえた。
距離を離すのに夢中で、あまり意識していなかった方向・・・真下。
気配に敏感な奴でなければ、こんな所に脅威が潜んでいるだなんて思いもしないだろう。
俺のすぐ真下。
そこには、大きな顔があった。
「は?」
雪で形作られた顔面。
地面に顔がある?
んな馬鹿な。
予想外のことに、一瞬たじろぐ。
そんなちょっとした隙を作ったのがいけなかった。
「キシシシシ」
顔がイタズラをする子供のように笑う。
笑いながら、突如として薄く積もっていた雪から細い腕を生やす。
その細腕で俺の足を思いっきり掴んできた。
足のバランスを急に失ってしまう。
そうしたら、どうなるか?
・・・転ぶに決まってる。
「いっ!?」
「きゃ!!」
手を繋いでいたスフィーも一緒に倒れる。
バランスを失った体制を整えたいがために、ついつい手を強く引っ張ってしまったのだ。
いわゆる反射みたいなものだった。
すまん、スフィー・・・
2人同時に前のめりにこけて、スフィーとソフィーは前へゴロゴロと。
俺は雪で出来た細腕に固定されて、そのまま顔面から叩きつけられる。
おかげで一気に鼻血が垂れてしまった。
・・・この分じゃあ鼻の骨も砕けただろう。
ただ、鼻から出血した割には顔面の痛みは少ない。
細かい雪が辺りに積もっているからだ。
直前にある洞窟のルートには一切積もっていなかった雪。
こんな閉鎖的な洞窟に雪が侵入するなんてことは考えにくい。
「雪が魔物か」
恐らく、アイスイーターと似た魔物。
周囲の環境を操ったり同化するタイプだ。
「この野郎!」
俺の足を掴んでいた細腕を魔剣で両断する。
腕は砂が拡散するかのように、パサァと構成を失った。
「キシシシシ」
「クソ!」
ダメージは与えられていないようで、積雪全体から笑い声が聞こえる。
ダメだ。
コイツも属性付きの能力じゃないと殺せない。
この雪全部が魔物の肉体なんだ。
「助けて!」
スフィーの声がする。
彼女を見ると、無数の腕に掴まれて積もった雪に取り込まれようとしていた。
ソフィーが近くで氷の攻撃を腕に仕掛けていたが、小さな氷の弾は虚しく雪の中へ吸収されている。
攻撃の相性が悪すぎるのだ。
「待ってろ!」
物理攻撃はコイツも効かないだろう。
でも、さっきみたいに一時的に分散させるくらいなら可能なはずだ。
足を掴んで邪魔しようと雪から生えてくる細腕を、強化された感覚でかわしながら、スフィーへと駆け寄る。
ナイフで腕を斬りつけると、呆気なく消えていった。
「大丈夫か!?」
「・・・エネルギーが、少ない・・・」
よくよく観察してみると、スフィーは少々憔悴していたみたいだった。
・・・無理もない。
さっきの戦いでずっと氷を生成し続けていたのだから。
主だった外傷はない。
なのに少し前よりも苦しそうな様子に、不安をとても感じる。
前のララみたいなことにならなければいいが・・・
「あっ・・・」
唐突に。
ふと後ろに視線がいく2人の姉妹。
惚けているようにも見える表情で、俺の先の光景を見ていた。
嫌な予感。
それしかない。
・・・ちくしょう。
後ろなんか見たくもない。
けど、見なくてはいけない。
そうして俺は振り返る。
ああ・・・マジかよ。
恐怖がすぐそこにあった。
ソイツは音もなく近付いていた。
当たり前だ。
空中に常時浮いているのだから。
音の出しようもない。
ソイツが進むにつれて、通路全体に積もっていた雪が一斉に後退していく。
・・・魔物でも逃げることはあるんだな。
それだけ目の前の魔物が危険ってことだ。
元々球体状の体をしていたが、その形状とは違って人間のような形に変化している。
足があり、腕があり、頭があり、胴体がある。
男性のような体つきで、冷気のような靄がかかっているのは全然変わらず。
顔はのっぺらぼうみたいに各パーツがなく、大きな大きな口がニタニタと笑っている。
・・・人間らしい体に変化したと言っても、それは形だけであって、例えるなら氷の彫像を思い起こさせるような、無機的な何かを感じさせた。
つまり、全然生き物っぽくないってことだ。
既存の生物よかは、空想に生きる幻想的な生物の方がしっくりくる。
現世における、地獄のイメージそのまま。
絶対的な恐怖をミックスさせたような・・・言葉にし難い畏怖をソイツから感じた。
とにかく怖い。
怖い怖い怖い。
それなりに悪魔と戦った。
魔物とも戦った経験がある。
なのに、そんな経験すら凌駕する強大な闇と呼べるものが、視界いっぱいに捉えられる。
さあ、選択の時だ。
人間という種は、恐怖を感じた時どう行動する?
逃げる?
戦う?
・・・俺は後者だった。
セスタの時だってそうだ。
あの忍者悪魔を殺したのはこの俺。
追い詰められた時はいつもそうだ。
窮鼠猫を噛む。
まさに言葉通りの行動を俺は起こした。
「おおおあああァァ!!」
大きな声を出しながら、魔剣を構える。
せめて足止めだけでもいい。
コイツの気を引かなければ。
汗がブワッと全身から出てくる。
緊張と恐怖で頭が芯から熱くなる。
四肢はジンジンと痺れて、感覚が鈍い。
それでも戦おう。
生きたいから。
諦めたくはない。
希望が欲しい。
戦う為の1歩。
それが可能性を模索する始まり。
・・・行こう。
「ああアァ・・・あ?」
その為の1歩を俺は踏み出す・・・筈だった。
行けなかった。
なんで?
足が凍らされていたから。
地面と固定されて動かない。
いくら引っ張っても、動いてくれない。
「え?」
呆然とする。
いつの間に?
痛みはなかった。
気付けなかった。
これは・・・攻撃か?
思考が遅れる。
想定外の事態に。
これじゃあ戦えないじゃないか。
死ぬのを待つだけじゃないか。
そんなの嫌だぞ、俺は。
そうだ、スフィーは?
ソフィーは助けてくれないのか?
思って顔だけ後ろを振り返る。
「嘘だ・・・」
姉妹は大きな氷の像と化していた。
・・・凍らされている。
そんな・・・
もう殺していた?
死んだのか?
あの2人が?
凍死の2文字。
文字と共に来る軽い絶望。
そんなものが頭をよぎる。
圧倒的強者。
野生の掟というのは、単純明快だ。
食うか食われるか。
食うのは強者。
食われるのは弱者。
それは地獄でも変わらない。
大物食いなんてものは所詮、人間の社会でしか見られない比喩表現に過ぎないのだ。
俺がこんな奴に勝てる訳がない。
道理もない。
ルールはルールだ。
俺は弱者。
姉妹を守ろうとした瞬間にこれだ。
命の恩人を死なせてしまった。
・・・どうしてなんだろうな?
本当に俺は何も悪いことをしていないのに。
まあ、自然界に良いも悪いも存在しないんだが。
人間の形をしたナニカは、浮遊しながらこっちへゆっくりと接近する。
ニタニタニタニタ。
表情は変えない。
笑っているくせに、本当は無表情なのが見て取れた。
狙いは・・・当然俺か。
その場で食う為に、半身氷漬けにされたんだろう。
脱出の手段は・・・なさそうだ。
動けない。
せめて、腕で抵抗を・・・
そう思って魔剣を突きつける。
しかし・・・
「冗談よしてくれよ・・・」
不気味なナニカは、手を魔剣に差し伸べる。
たったそれだけの動作で、俺の腕ごと魔剣は凍った。
痛みはない。
神経もマヒしているに違いなかった。
「抵抗できね」
軽い口調で呟く。
もうどうしようもない。
「アぁーん」
赤ちゃんみたいな声を出して、不気味なナニカは口をあんぐりと開ける。
至近距離で。
しかも、顔面と顔面がくっつきそうな程くっつけさせて。
気持ち悪い程綺麗な歯が、ズラリと並んでいるのが見える。
人間みたいな歯。
普通、野生の生物は肉を食いちぎるために歯は鋭利なものだ。
平らな歯なんてものは、草なんかをすり潰す草食系の生物なんかにしか見られない。
じゃあこのナニカは草食系か?
・・・絶対に違う。
だからこそ、もう本当に不気味で気持ち悪くて怖かった。
もう見ているのも嫌なくらい。
まるで、ディナーの食事を無邪気に食べるかのように。
ある種丁寧に、そして乱暴に俺を食おうと迫ってくる。
あ・・・
ああ!
あああああ!!!
「止めろお!」
止めてはくれまい。
それは知っている。
でも理解はしていなかった。
「クッソオオオオ!!スフィー!!ソフィー!!!」
2人は返事をしない。
それは知っている。
でも、やっぱり理解はしていなかった。
「うおおおおお!!」
力の限り、体を暴れさせる。
無抵抗のままで死ぬのは嫌だった。
そんな思いとは全く別に、俺を食べようとする歯が頬に当たる。
ちょっと当たっただけで、その部分に薄く氷が張る。
思考が単純化していく。
周りがスローモーションになっていく。
口が・・・
口が眼前に・・・
暴れる。
最後の瞬間まで。
抵抗。
死ぬまで。
口がそうして俺の頭をスッポリと覆う直前。
「良し!アンタを認めるわ」
とんでもなく冷えた声が聞こえた。




