34話 王の刺客
赤い光から再構築されたその体は、とても大きかった。
一般の大型車ぐらいはあるんじゃないだろうか。
赤い光が出た途端に俺は、陣の外に向かって走ったのだが、外に出た瞬間に後ろを振り返ったら奴がいた。
魔物だ。
闇の器の捕食者と雰囲気が似ている。
普通の生き物には出せない空気を纏っているのだ。
それも、すごく凶悪な面構えだ。
大型トラックくらいの体格をしていて、黒い毛が全身に生えている牛。
2本の巨大な角を有していて、闘牛に似ている。
それが1頭、陣の転移を使って現れてきたのだった。
現世の闘牛のサイズでは無い。
でかすぎる。
体もでかいが、角もでかい。
2本の角の体積を合わせたら、牛の体の4割ぐらいにはなるんじゃないだろうか。
そんな重量がいくらかも分からないような巨大な角を、しっかりと首で支えながら闘牛は俺を見下ろしていた。
「突貫者ですか。魔物が出てくる可能性は聞いていましたが、こうも急に出てくるのですか。しかも街中なのに・・・」
黒い巨大な闘牛を見て、騎士の格好をしたララはそう言った。
やっぱり魔物か。
こんな巨大な体格をした生き物が、魔物じゃないって言う方が驚きだけどな。
「フシュー・・・フシュー・・・」
大きい息使いをして、構えの体制に闘牛は入る。
前傾姿勢になって、前足をかいている。
・・・やばい。
攻撃する気満々だ。
しかも、対象が俺と来たもんだ。
これは避けられそうにも無い。
そう思った瞬間、闘牛は走り出した。
巨大な角を俺に向けて、真っ直ぐに。
闘牛と俺との距離は、30メートル程開いている。
その距離を、闘牛は1秒で詰めて来た。
1歩走るたびに石床にヒビが入っている。
速い!
巨大な体格なのに、それに似合わない瞬発力だ。
「嘘だろ!!」
予想以上に速い闘牛に対して、俺はそんなことを叫ぶ。
巨大な角が、眼前まで迫っている。
交通事故で、車と接触する直前にスローモーションになる時があると言う。
まさに今が、そんな感じだった。
闘牛の動きが遅く見えるが、俺の動きはもっと遅い。
そして死ぬな・・・これ、と俺が思った次の瞬間!
ガァンと硬質な音を反響させて、闘牛は弾き飛ばされた。
ララが闘牛と俺の間に一瞬で駆け寄り、剣で角目掛けてフルスイングしたのだ。
闘牛を吹っ飛ばした際、ララの足元の地面がめくりあがっていた。
明らかに尋常じゃない力が働いたことは俺にも分かる。
小さな体に似つかわしくない、大きな力。
闘牛が素早く立ち上がり、ララを目で捉える。
どうやら標的が、俺からララへ変わってしまったようだ。
今度は前足をかくことも無く、初速から全力でララに襲い掛かる。
対してララは、室内の1番端の方まで走り、そこで止まって闘牛に体を向ける。
ルーンを唱えた訳でも無いのに、俊敏性を能力で上げたダゴラスさんと同等の速さだ。
だから、ララに向かってくる闘牛との距離はだいぶ余裕があった。
だが、そんな距離をも一瞬で闘牛は詰めてくる。
一体何をする気だ?
接触まで数秒。
そんな短い時間の中で、ララはルーンを唱えた。
「大いなる守りの壁よ!」
ララの背後の壁に、透明なガラスのような壁が作り出される。
窓ガラスのように、薄くて貧弱そうな壁だ。
それが、闘牛の2倍程の大きさで生成された。
その時点で、巨大な角は直ぐ傍まで迫っていた。
ララと闘牛の角がぶつかる一歩手前。
そこで、ララは飛んだ。
真上だ。
10メートルぐらいは跳躍している。
小さな女悪魔は、自身の数倍はある巨大な牛の体をいともたやすく飛び越した。
教会で鳴らす鐘のような音を室内中に反響させて、闘牛は壁に激突した。
あの速度じゃあ急には止まれないだろう。
空気の振動が、こちらにも伝わってくる。
おかげで耳がピリピリする・・・
闘牛がぶつかった壁を俺は見てみる。
大きな音はしたが、壁は壊れていないようだ。
どうやら、薄いガラスのような壁が、背後にある室内の壁を守ったらしい。
あれだけの巨体を受け止めるのか・・・
とりあえず、半端ではない強度の壁をララは一瞬で作ったようだった。
だが、ぶつかった闘牛の方はと言うと、無傷だった。
あれだけの衝撃を角に受けながら、ヒビ1つ入っていない。
幾ら何でも角が堅すぎる。
あれは絶対に剣では破壊出来ないだろう。
そんな闘牛の状態を知ってか知らずか、薄く笑いながら地面に落ちようとする者が1人。
上空にジャンプしたララは、引力の力によって地面に吸い寄せられるかのように落ちていく間、闘牛に向かって剣を構える。
そして、地面に対して体を平行にしながら体をクルクルと回転させる。
「大いなる風よ!」
ララの持つ剣に、風のようなものが纏う。
森で見たダゴラスさんの風の能力よりも、段違いの規模だ。
刀身の数倍の長さに渡って風が纏っている。
これで剣のリーチを一気に伸ばしたようだった。
「やああァァァ!!!」
高らかに叫んでララは落ちる。
その剣の先には、闘牛の首があった。
叫び声に反応して、闘牛はララの方向に顔を向ける。
そして。
ザァン!!という、やけに綺麗な切断の音が聞こえた。
その後、ララが綺麗に地面へ着地する。
10メートルの高さから落下しても、ララはビクともしていないようだった。
回転しながら勢いをつけた剣は、途中で止まること無く闘牛の首を切断したようだ。
足りない刀身の長さは風の能力で補って。
切断の音が聞こえた数秒の後、闘牛の首が胴体とずれ始める。
そして、血を雨のようにバシャバシャ撒き散らしながら、巨大な角が生えている頭部が落下した。
それに合わせるかのように、胴体も横に倒れる。
倒れた時の地面の振動が、この巨体がどれだけの体重を誇っていたかを表していた。
まるで地震が起きたかのようだ。
そんな巨大な魔物を、特に苦戦もせず少女のような体格をしたララは切り殺してしまった。
死体から、血が尋常じゃないくらいに地面に広がる。
何て種族なんだ、悪魔って・・・
普通、こんな巨大な生き物を殺せるとは誰も思わないだろ。
それを余裕を持って倒すとは・・・
改めて、悪魔と人間の差を感じ取ってしまう。
実は、ララと闘牛の魔物が戦闘している間にでも逃走してしまおうか、という考えが俺の中にあったのだが、逃げなくて正解だったな。
多分、簡単に追いつかれていただろう。
「無駄なことをしない者は好ましいですね」
「・・・」
無抵抗な態度を示した俺に対して、ララはそんなことを言った。
あんな魔物を倒した直後でこの余裕。
逃げるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。
だが、コイツとはあんまり話したくは無い。
これから俺を命令で拘束するような奴だ。
せめて、何を言われても黙ったままにしようと思う。
それが賢明だろうからな。
途端に、ララはしかめっ面を表情に表した。
彼女の視線を追ってみる。
そこには、大量の赤い液体が足に付着しているのが見えた。
闘牛の魔物の血だ。
彼女は、それをうっとおしく思ったらしい。
ハァッと短い溜息を漏らした後、目を閉じて動かなくなった。
それが数秒間続き、再びララは目を開ける。
「今からこの突貫者を転移させます。人間は私とこちらへ」
どうやら、テレパシーを誰かとしていたようだ。
そう言ってララは、数十メートルは離れていたであろう俺の元へ2、3秒でたどり着く。
これはもう逃げられない。
逃げられると思えない。
速すぎる。
闇の器の捕食者と戦った時の俺でも、逃げ切れないだろうと思われる程の速さ。
生物の再現出来る限界速度を、超えているのだ。
人間である限りは、彼女に抵抗など出来はしないだろう。
「このまま部屋の隅にいてください。陣の転移に巻き込まれると面倒です」
「・・・」
「だんまりですか・・・まあ、それでもいいですが。でも、逃げようとしても無駄ですから。そのことだけは覚えておいてください」
そう言ってララは、死体の方へ歩いていく。
そしてそのまま部屋の隅にある闘牛の魔物の位置までつくと、ララはその死体をズルズルと引きずっていく。
胴体は毛を掴んで。
頭部は角を持って。
相変わらずの凄い怪力。
ララは何のルーンも唱えていないから、これは本人の元々持っている筋力なのか?
いやいや・・・そんなバカな。
こんな中学生みたいな女がこんな力を?
訳が分からない。
謎だ・・・
そんなことを考えているうちに、ララは転移の陣へ魔物の死体を運び終わり、再び目を閉じた。
すると、直後に陣が赤く光りだす。
簡単な合図でテレパシーを送ったんだろう。
それに比例して、テレパシーの時間も短くなっている。
そう言えば、マリアさんはどこにいるんだろうか。
魔物の方に気を取られていて忘れていたが・・・
俺は部屋の周りを見渡してみる。
だが、マリアさんを見つけることは出来なかった。
陣の赤い光が眩しく輝く。
今度は室内だからか、それとも転移する対象が巨大だからか、かなり光が強かった。
巨大な体と頭部が光となって消えていく。
そして、殆どの体が消えてしまったその時に、赤い光は一瞬視界を覆い尽くす程強く輝きだし、それが静まる頃には死体は完全に消えていた。
今回はサルの転移とは違い、血も何もかも全て消え去っていた。
転移を実行した本人は、スッキリした表情で俺に向き直る。
「これで死体も片付けましたし・・・トラブルはもう無いでしょう」
「・・・」
そうだろうな。
そうであって欲しいよな。
だが、ここだけは沈黙を破ってでも言わせてもらおう。
「・・・マリアさんがいないぞ」
警戒すべき悪魔に対して、タメ口でマリアさんがいないことを伝える。
お前の尊敬していた先輩が何も言わずにどこかに行ってるんだ。
スッキリした顔をしている場合じゃないと、俺は思うんだけどな。
これでちょっとはララが青ざめた顔をするのを期待したのだが、本人は俺の想像していたのとは違う反応を見せた。
「何を言っているのですか?さっき、あなたと私に別れを告げて転移で戻ったではないですか」
・・・は?
こっちこそ何を言っているんだと言いたい。
別れを告げて?
俺は何も言われていないし、転移する暇なんて無かったじゃないか。
それに、転移をしたなら室内中に赤い光が届くから、気付かない訳がない。
「・・・本当にそう思っているのか?」
「ええ、あなたもその目でしっかりと見ていたじゃないですか」
何だ?
明らかに記憶が食い違っている。
しかも、ここに来てからまだ1時間ぐらいしか経っていないんだぞ?
この女悪魔の頭がおかしいか、俺の頭がおかしいのか・・・
「何を考えているかは分かりませんが・・・時間を稼いでいるつもりですか?」
「・・・」
「まただんまりですか。」
「・・・」
「とりあえず、先に進みましょう。転移回廊での流通は長く止めていたくはない」
ララは俺の言ったことについて、信じてはいないようだった。
悪魔は心が読めるとマリアさん達は言っていたが、ララは心が読めないのだろうか?
読んでしまえば、この状況を直ぐにでも理解出来るだろうに。
だが、そんな俺の思考もララには伝わらなかったのか、俺を複数ある通路の入り口の内の1つに進ませようとしている。
・・・俺の直感はこう言っている。
これは黙ったままの方がいいな、と。
俺が知っていて、ララが知らない。
ララは俺の心が読めていない。
そして、マリアさんはどこかに消えてしまった。
・・・これは何かが無い方がおかしい。
多分、俺の知らないところで何かが何かの意図で動いたんだろう。
能力かそれ以外の方法で、この奇妙な状況を作ったのかもしれない。
それが何かは分からないが、今の俺が分かること。
今のララが作った状況は、俺に対して味方をしているとは思えない。
そんな中での不可解な出来事。
多分、それは妨げない方がいいんじゃないだろうか。
根拠は無いが、こういう勘は信じた方がいい。
何より、自分の勘で純粋に動けたのなら後悔も少ないだろう。
「さあ、行きましょう」
ララが通路の入り口まで先に歩いていく。
俺の方は見もしない。
俺なんて、いつでも捕まえることが出来るという自信の表れだろう。
実際その通りだ。
この女悪魔に対して俺は、抵抗する術を何1つ持っていない。
ノコノコ火に釣られて虫かごに入って来た哀れな虫と一緒なのだ。
だから、ここでは何のアクションも起こさない。
起こさない方がいいだろう。
もちろん色々な意味で。
俺はそう判断して、転移回廊をララと一緒に出て行くのだった。




