30話 悪魔の生活22~思索~
6日目の夜。
読む読む読む・・・
読みまくる。
目の前にある本を。
そして、ただ読むだけではない。
細心の注意を払って丁寧に読むのだ。
正直、同じ文字ばっかり見ているせいで、ゲシュタルト崩壊を起こしたかのように文字の認識が怪しくなっている。
自分の状態がうまく把握出来ていない・・・
最初に認定書の確認作業に入ってから2日間が経過しているのだが、今現在時間に追われていた。
読み終えた本の数が250冊。
よくここまで読んだと、俺自身を褒めてやりたいぐらいには頑張った。
後、50冊・・・
もう少しだ・・・
「はあ・・・」
思わず溜息をついてしまう。
マリアさんはと言うと、家事が終ったとたんどこかに消えてしまうのが最近の常だった。
最初の作業は手伝ってくれたのに・・・
まあ、マリアさんだって他にやることぐらいはあるだろう。
いずれにせよ、俺はこの作業をやり続けることに変わりは無い。
けど、さっきも言ったように、あまり気が乗らない。
体を動かせたら気分転換に何か出来るだろうが・・・
んー、そもそも体を動かせたらこんなことやってないのか?
「・・・」
とにかく頑張るしかないだろう。
1度引き受けてしまったものだ。
断るわけにもいかないだろうし。
孤軍奮闘。
俺は、マリアさんに言われたノルマを達成するために地道に本を読んでいくのだった。
---
同時刻。
夫婦寝室にて。
「考えることはもう纏まったのか?」
こう言ったのは、私の愛しい夫であるダゴラスだ。
足の再生がかなり芳しくないので、内臓の損傷がもう直りかけている彼の治療が終りかけるのと同時に私は、ダゴラスの様子を2日前の夜から見ていた。
体の再生は一部分とはいえ、莫大なエネルギーを消費する。
そのせいで、足を再生させている本人はかなりの苦痛を伴っている。
本来ならもっと見てあげたい・・・
けど・・・
「私が出かけている間のスーの世話は任せたわ」
「ああ、大丈夫さ。今は俺よりも彼のことの方が重要だからな」
「悪いわね」
「いいさ、任せろ」
今は彼の方を優先させるべきだった。
普通なら、ダゴラスの治療が終ってから彼を街まで送っていくところだが、今回は状況があまりに特異だ。
私がそのことに気付いたのは、魔王様の秘書であるルフェシヲラと連絡を取ってからだった。
彼女から、ことの詳細を聞いた時はかなり驚いた。
そんなことがあったのかと。
ルフェシヲラの言うことは、大体において魔王の意思とイコールだから、まず情報に間違いはない。
「そう言えば、彼にはお前の仕事を任せているんだって?」
「ええ、けどあれは私が彼に付いて行く為の口実よ」
「やっぱりか。あの仕事、本当は納期が来年の修練の時期までだったもんな」
「嘘なんてホントに付きたくなかったけど・・・」
これは仕方が無い。
そう口実を作っておかなきゃ、私が街の方まで行く口実が無くなってしまう。
今のところ、私と街との接点はそこしかないのだから。
そして、彼が地獄で生きていくための道標となることを祈って。
私はそのために、彼に出来るだけそれとなく色々なことを教えたのだから。
「魔王にはばれてるだろ、その口実」
「そうね。だから堂々と行くわ」
「お前のことだから大丈夫だとは思うが、あまり無理はするなよ?俺が動ければ話は別なんだが・・・」
「無理なんてしないわよ。それより、あなたはあなたの心配をしてなさい」
そう言って、ベットに横になっているダゴラスの足を、人差し指の腹でグリグリと押す。
もちろん、再生途中の足の方だ。
私のちょっとしたイジワル。
「イタイイタイ!」
「ほら見なさい。こんなことで痛がってるんじゃない」
「あたた・・・参ったな」
「いいからもう寝てなさい。大丈夫だから」
本当に大丈夫だから。
「分かったよ・・・」
渋々納得したようだった。
ダゴラスから覚悟の気がひっそりと伝わってくる。
「明日は彼のこと、頼んだぞ」
本当に心配性ね。
あなたは。
やっぱり人間である彼と、ダゴラスはどことなく似ている。
元は1人の人間だったことがよく分かる。
未来から来た彼もまた、やはり・・・
愛しい夫を寝かしつけるまで、私はすぐそばの窓の先にある、街の方向を見つめるのだった。
---
同時刻。
黒い大理石のような、高級感のある石床。
10メートルはあるであろう高い天井。
室内の両側面は、何本もの太い装飾された柱が均等に並んで建っている。
その室内の中央。
10人は軽く使える大きい机を独占している者が1人。
机の上にはバラバラに紙が散らばっている。
「報告を」
少女のような声が広い室内に響き渡る。
幼い声ではあったが、それとは正反対にその声の持ち主は偉大さにあふれた存在感を放っている。
「はい。本日、クルブラド・オドロリス様よりエンヴィー領地、カムント城への到着報告の確認が終了。レヴィアタン様への謁見準備を開始するとのことです」
そして、その偉大さを真正面から受け止めている女性がまた1人。
全身を黒いスーツでカチッと決めて、片手には紙を挟んだバインダーを、もう一方の片手にはペンを持っていた。
直立不動の姿勢で、少女のような声の持ち主に何かを報告している。
「リタの方はどうなった?」
「リタ・ソコノーム様からの報告は、前日の中間報告よりまだ連絡確認が取れていません。恐らく、ウルファンス山脈で手間取っているのでしょう」
「あそこはどうしても気候の変化が激しいからな。あいつは気候制御が出来ないし、仕方ないだろう。明日には報告があるだろうから、それまで保留だな」
「では、残った他の領地に派遣する悪魔の選出はいかがしましょう」
「それはリタがマモンに会ってからでいい。どうせ使者を送ったところで無視されるのがオチだからな。私とマモン、レヴィアタン以外の領地管理は酷いにも程がある」
「了解しました」
そう言うと、スーツを着た女性は紙にサラサラと何かを書いていく。
その女性は器用にも、ペンを動かしながら話を続ける。
「それから、ララ・シーメール様が中央通りの転移回廊にて待機が完了したとのことです」
「よし。そのままそこにいるように伝えておけ」
「・・・何故、今日なのか教えては頂けませんか。仮に、ララ様が明日に転移回廊へ出向いて待機しても十分間に合ったのでは?」
「魔物のことも考慮してだ。お前は知らないだろうが、お父様の時代に魔物が転移先に寄生して張り付いていたことがあったんだよ。その時にトラブルがあってな」
ここで一瞬スーツを着た女性が会話に間を空けて考えるそぶりをする。
表情を全く変えないで、女性は口を開いた。
「前回の人間・・・前任者が落ちてきた時期ですか」
「当たりだ。前に人間が落ちてきた時はそうだった。今回も同じだろう。用心に越したことは無い」
「なるほど・・・来客に対して礼儀正しく、緊急事態にも臨機応変に素早く対応出来る・・・」
「そう、だからララが適任だろう。私の部下は実力はあるが、粗暴な奴が多いからな」
「そうですね。では、引き続きそのように」
報告と確認をしていく両者は軽く笑いあう。
そこに堅苦しい上司と部下の関係性のような繋がりは皆無だった。
「最後にですが、マリア様から連絡がありました」
「お!マリアからか!」
今まで静かに話していた少女の声の持ち主は、打って変わって本当に子供のようなテンションで話し出した。
そんな相手の態度に、スーツを着た女性はコホンッ、と咳払いして注意を促す。
「ああ、すまんすまん。マリアのこととなるとついな」
「お気持ちは分かりますが、今は立場が立場ですから、急な態度の変化は・・・」
「分かってる。もう大丈夫だ」
少女の声の持ち主は、軽く笑ってから元の表情に切り替えた。
「それで、マリアがどうしたんだ?」
「ララ様の待機している転移回廊なのですが、例の人間と一緒に転移してくるようです」
「そうか・・・」
元の表情に戻ったかと思えば次はうっすら笑う。
まるで、湧き上がってくる喜びの感情を隠し切れないかのように。
「それまたどうして?」
「マリア様が依頼されていた認定書の作成、その認定書の納期を前倒しするそうです」
「・・・それは多分、表の口実だろ?」
「そうですね。この地獄で堂々と嘘を付けるのは彼女くらいのものです。私が確認したところ、人間が心配だったようです」
「人間が、か?」
「そのようです」
「ほう、随分人間のことが気に入ってるようだな・・・珍しい」
「あの方が側近を抜けて以降、他人を心配するということはあまりありませんからね」
「マリアの昔のことを考えると、どうしても、な」
お互いがお互いの言いたいことを分かっているため、若干内容が省略された形で会話をしている。
それだけお互いが知り合ってから長いということが分かる。
「ララ様が待機していることを、マリア様に伝えますか?」
「いや、そのままでいい」
「ですが、マリア様は人間の処置についてはしっかりと理解しているのでしょう?一応人間1人で謁見して、残りの方はララ様の確認の元、転移で戻っていただく形にはなっていますが」
「何にしても、彼女は警戒した方がいい。彼女は、どんな存在でも欺くことが出来る恐ろしい存在だからな」
「・・・了解しました」
「よし、他には?」
「いえ、特には」
「分かった、下がっていいぞ」
「それでは、失礼します」
そして、彼女は言う。
少女の声の持ち主の称号を。
「我等が魔王・・・サタン様」
スーツを着た女性は一礼して退室する。
そんな礼儀正しい彼女が室内から完全に姿を消すまで見つめた後、残った魔王と呼ばれた者は、すぐ横にある窓の景色を見る。
窓の向こうは、現世の中世ヨーロッパのような古風な街並みが見下ろせる。
私が治める街・・・ラース街だ。
「人間か・・・」
魔王は呟く。
景色を見ながら。
懐かしい思い出に浸りながら。
自身の父親のこと。
過去に地獄へ落ちて来た人間のこと。
そして、新たに落ちて来たと言う人間の到来を。
「今度こそ・・・今度こそだ」
様々な思いの中、また魔王は呟く。
感情の高ぶりを感じて。
待ちきれない程の衝動。
だから。
だからこそ。
魔王は奥まった豪華な室内で、静かにその時を待っているのだった。




