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水場にて。

ときたま、輪を描く表面には、濁りもなく、

虫の死骸さえも浮いてなどいなかった。

匂いはひどくないし、普通の水色で、

水底にそよそよと気持ち良さげにも水草が、

その葉先を泳がせている。


「どうだ? 大丈夫だろ」


肩越しからの、男のにかっ、とした笑みが、

水面にうつっていた。

黒髪が強く投射された真水には、

男の特徴である青の眼が同化しており、

黒い睫の大きな縁取り具合だけが濃く浮遊。

その水辺に漂う、はっきりとした甘い顔立ちは、

母か父のどちらかがどんぐり眼をしていたのだろうと、

推測する。そのくせ、笑うと細く引き締まるのだ。


「まぁ、魚は全部俺が食べたけどな」


道理で生き物の気配が、この水場から感じられないわけだ。


「……魔界の生き物全部食べるなよ?」

「はは、善処するよ」


若干ドン引きしたが、

あまり考えないようにした。この水のコンコンと湧き出る泉。

魔界の一般家庭のお風呂と同等の規模で、

温度はそこそこのひんやり、溢れないのは、

脇にある細道を通って川に合流するものらしい。

つまりは、流れ出ていくので、

水の汚れを気にしなくていいのは結構なのだが、

所詮素人目線であるし、この人間は寄生虫がいるかもしれぬ魚を、

どう捌いたのかわからぬが、一応、腹も痛まず吐かずにいる、

そのあたり、自然のものを、素手で私のように触れたり、

その生態系を、むやみに口にすると病原の恐れがあるのではと不安視したが、

この人間の超人具合に私は、ああ、どうでもいいか、と

諦めの境地に陥る。そもそも、何故に魔族が人間の

心配をせねばならぬのか。おかしいことだ。


「それより、魔族のお前さんのほうが、

 どうだ?」

「……ふん、非力な人間のような体の構造はなしていない」

「だよなあ」


そう、魔族は人間よりはいくらか丈夫にできている。

……はずなのだが、この男は、自分がその人間だというのに、

あまり気にもかけぬ様子だ。突っ込まんぞ。

ぱしゃりと心地の良い水に顔を清めて幾分、

すっきりとしたが、背後にいる存在が邪魔なので、

どうも気分がどんよりとする。空模様も濃厚すぎる紫が、

真っ黒になりかかっているし、

空気だってなんだか、気色悪い、というか、なんというか。


「お、あれは」


人間の男が、すっと視線を遠くにやる。

私も同様に見るも、

ただの大木の羅列でしかない景色が広がっている。

人間の、傷ひとつない端正な頬を見返す。


「ふむ……」

「どうした?」

「ああ、なんだかオカシイ感じがするな」

「オカシイ?」


頷く男は、そうしてじーっと穴が開くかとばかりに、

その点を注目していたが、腰にまで伸びて邪魔としか

思えない長さの黒髪、その首の音のあたりをがりがりと

かいて、さっと、宙にひと房、ふわりと浮かした。

切ればいいのに、面倒くさがりなのか、

ゆるい紐で結んでいる。

まばらに広がるその毛並が、

なんだか妙に、不吉さを感じる。人間だからか。


「……いや、魔王みたいだ」

「ん? 俺は人間だぞ」

「そんなの見ていりゃわかる」


そのカラスの濡れ羽のごとき色は、

闇夜、暗黒に属する色だ。

人間は、魔を持たない。

魔法やら魔力を行使することはあるが、

魔族のように、頭の先からケツ、ひいては

足の爪先に至るまで、魔を放つほどのことはできない。

そもそもが、神に愛される存在であるからだ。

神に愛され過ぎると、聖なる力が、

魔族が近づけないほどに、眩く輝く。

特に、勇者誕生の地は、何物をも汚せず、

魔に属する者は、必ずと言っていいほど、

絶対に入り込むことは不可能である。

腹立つことに、人間はそのことに逆手をとり、

人間のとある国では、首都のど真ん中に、

その聖地を抱き、繁栄を続けているという。

おかげで、魔族はその地に入り込むことはできず、

袖を濡らして、虎視眈々と、その栄光を奪おうと

狙っている、らしい。うちの魔界の王が代々

そういってたらしいから、そうなんだろう。

もちろん、噂として小耳にはさんだ情報だが。

下っ端の私に、そういった、情報網があるはずがない。

世間話で出たのだ。

どうせ女中さんか誰かが、騎士との逢瀬で聞いて、

酒場や商店街で宣伝していったに違いない。

尾ひれ、背びれ、ついでにしっぽまでついて、

魔界の首都の酒話の定番、つまみになっている。

まさか、魔王陛下も、

下々の下世話な口端にのぼるとは、

夢にも思わぬことだろう。まあ、戻れぬ

首都のことを邂逅しても、無益なことか。

……さて、洗顔も終了したし、

水場もそれなりに汚くはないし、

煮沸すればなんとか食べていけるだろう。

ウイルスなんて気にするな、

魔族も、水がなければ生きていけないのである。

まあ、それでも人間ほどに水分が必要、

というわけではないが、

魔族は人間と違い、魔力を行使することに長けているから、

空中に漂う水分を口腔内に吸い込むことだって造作もないことであるのだ。

ただ、かっこ悪いだけで。

ぽかーんとながーくおっぴろげで大口開けねばならぬので、

あんまりやる魔族がいないだけなのだ。

一応、見栄らしきプライドだけは高い魔族、

それなりのことは考え、そこそこに生きている。

かといって、何も気にしない、ただの自己中という

訳ではないのだ。単にその行為は、背中がら空きで、

理性のない魔物にタックルされて無残な死を招きかねないから、

しないだけである。水場でとりあえず消毒された真水を

飲み干した方が、いくぶん生存率は上がるだろう。

眠い。

さて、野宿の時間だ。

いそいそと寝る支度をしていたら、

この人間も真横に、私よりも豪華な寝床を作っている。


「……おい」

「ん?」

「寝るのか」

「ああ」

「ここで?」

「そうだけど?」


……私は魔族なんだが。

そうして、お前は人間。

敵対してるだろう、

という言葉を呑み込んだ。

…………じとーっとした目で見てやっても、

あまり気にしないこの図太い人間、

どうしてくれようか、と片頭痛をきたした私は、

まぁ、理性のない魔獣や魔物の餌として隣に

置いておくか、などと考える。

どうせ私は、いつ死んでもおかしくない環境にいるし、

こいつは今のところ、私を殺す気はないようだし、

盾にでもして逃げきってやるわコンチキショー。

などと、不安を胸中に抑圧しつつも、

道具袋に押し込められていた毛布を取り出し、

地面をならして小奇麗な葉っぱを敷き詰める。

……それでも、小石の粒粒は取り除けず、

背中に痛みを生じたが。もそもそと夕食とばかりに干し肉一枚

咀嚼し、人間のことなぞどうでもいいとばかりに、

眠りについた。

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