恐ろしいものとは。
段々と会話するほどの話題も薄れ、
緩やかな丘をゆるゆると歩いていくと、
視界いっぱいに唐突に現れたのは、レンガで造られた壁であった。
結構な高さと、すんごい長さのある塀である。
少なくとも、カインは飛び上がっては入れない強固さ。
それは、遠目からでもよくわかった。
「これは……」
「ああ、やっと見えてきましたね」
丁寧な口調の男が、頭上を仰ぐのに釣られ、カインもまた
空を見上げると、星の光がやや薄まっている。
刺すような光が、真横から入り込む。
片手を上げて光線を遮り、見やると、そこには太陽がお目見えしていた。
朝が、やってきたのである。
高台に造られたという、駐屯地へとやってきたカインら一行。
丘を道なりに登りきったときに気付いたが、
どうやら門というものはなく、どこから入るべきなんだろうと疑問に思い、
どうするのかと先導者たちを見やると、
レンガ塀手前にまでやってきた丁寧な男のほうが、
何もないところで、ぴたりとその場で歩みを止め、
「あ、カインさん、そこ入口です」
などと言う。
実際、主人公っぽいカインが居る所は、ぴょんぴょん草が申し訳程度に
生えてる。当然、足の裏は硬そうな地面で、調べたら階段が出てきそうな気配はない。
(何を言ってるんだコイツ……)
とはいえ、退けるよう促されたため、別に反抗する益もないので、
素直に草から足を離し、その場から少し距離を置くと、
丁寧な口調の男が、つかつかと、カインが居た場所にやってきて、
何をするのかと思いきや、むん、と急に気合を入れだし、
己の十指、パンっ、と平手で叩く直前、を再現し、
それをそのまま、反対に翻す。地面に向けるために。
(なんだ?)
カインが見守る中、
その指すべてを、どういう訳か、平凡な魔族にはさっぱりわからないが、
「せいやっさあ!」
垂直に突き刺した。
(ゆ、指が……)
一体、どんな意味があるというのだろう。
茶色く、いかにも硬そうな茶色の土に、深々と両手の指すべてが
差し込まれている、というシュールな映像になってしまったが、
無言でいるしかないカインは、その様子をただ眺めていると、
ゴッ、と。
何故か、あのレンガ塀の向こう側から、音がした。
なんというか、重たい物と物がぶつかるような、物騒な物音である。
叫び声も聞こえた。
ぎゃー、とか、うわー、とか……空耳だろうか。いや、違った。
数え切れぬ大勢の叫びが束になって響いていた。
カインは、正直いって、たじろいだ。
野太い声の男が、ぼそっ、と喋る。
「……当たったな」
「ああ」
それに、丁寧な男が同調する。
カインは、その意味深な頷きが分からず、
(何がなんだか……)
わけが分からず、念のため、尋ねてみた。
「あのー、どういうことですかね……」
すると、丁寧な人が、すっと大地から両腕を抜き取り、
「ああ、すみません。
ご説明が、まだでしたね」
などと、はにかんだような声をフルアーマーから出してみせた。
やっぱり、その鎧でいるから、声も篭もり気味である。
「うちのとこ、なんといいましょうか。
厄介な人員ばかりが配置される、駐屯地でして」
「え?」
「将来性のある人や、強い人ばかりが集まるような所なんですが、
いかんせん、遊び場も何もない、無骨なところでして……」
リリ袋を担いでいるもうひとりのフルアーマーが、
言葉を引き継いだ。
「だから、罠を仕掛けている」
「え? 罠?」
「そうだ。
我らは、精鋭部隊でもあるからな……。
部下をねぎらうために、必要な措置だ」
「ははは、ねぎらう、といっても、可愛がる、といったほうがいいんじゃない?」
「む……」
カインは、二人の妙な同調具合に、
ぞっと背筋に何かが這い上がるのを感じた。
なんだろう、この悪寒は。
いや、オカン、は実家できっと、趣味の買い物三昧をしているのだろうが。
「……さぁて」
「あと何秒、かかるかな、と」
ふたりは、カインにとって覚えのある笑い方をして、
レンガの向こう側を見守っていた。いうなれば、ニタニタとした感じがする。
(こいつら……)
悪魔、という別称は、何も悪魔だけの専売特許ではないのだ、
そんな予感もする。
第一、
「あのー……」
「なんですか?」
「おたくら、その。
新兵、ですよね?」
これである。
最初、かなりいてこまされた悪魔、というよりも、一方的にまくし立てる
チビ悪魔は、すぐさまぽいっ、とズタ袋に入れられて、
きゅっ、と袋の入口を縛られただけなのだが、
そういえば、いやに手馴れているようにも思える。
カインは、このふたり組が、もはや、
ただの人間っぽくは感じられなくなっていた。
「え、ああ、」
丁寧な口調のフルアーマーが、その面を晒す。
「申し遅れましたね。
私は、」
つるりとした頬、それに、金色の瞳が印象深い。優男だ。
「悪魔と間の子の、人間寄りの人間、といいましょうか。
気持ちはいつまでも、新兵のつもり、ですよ?
いつまでも若々しく、希望を抱いております」
ちら、と。
彼は、もうひとりのフルアーマーに目を向ける。
すると、もうひとりの野太い男も頷き、フルアーマーの面を
片手でがしゃりと上げる。もう片方の手は、悪魔袋なので、
手空きではない。
「俺は、人間だがな。
しかし、神官の地位を合わせ持つ。
だから、お前たちがどんな奴らか、なんてことは
よくわかっている」
野太い声で、そう、告げる。
カインは、全力で、体を、反転し、
どこかへ逃げようと、回れ右をした。
これは、人間が敵であるということもあるが、
本能的に、やばい、と感じ取ったからである。
つまり、生死に関わることになるかもしれぬ、ということ。
だがしかし、足に力を入れる寸前、カインの両肩はがっちりと掴まれる。
「はい、ストップ。
駄目ですよー、取り調べを受けないと。
じゃないと、人間界へは不法侵入として、
強烈な処罰がお待ちかねですよー」
「あるいは、強制送還かもしれんが」
「そうそう、それと、
このピンクの髪の娘もね」
刹那、
ドン、と。
派手な音がした途端、カインの目と鼻の先スレスレに、
何かが飛んでいく。
それは、カインを通り過ぎ、何メートルか先の地面にぶつかり、
粉々になった。丘の、斜面側で、何やら土煙を上げている。
「え?」
注視すると、何かが落ちていた。それは、壊れたレンガの一片であった。
カインは、飛んできた現況を確かめようと、
元凶をぐるりと首を回して見ると。
そこには、次々に粉々になっていく、レンガ塀があった。
「え?」
どうやら、手やら、剣や、斧。それに、なかには
バールのようなもので、レンガ塀が、次々に破壊され尽くしていた。
「え?」
複数の手足が、穴ボコだらけのレンガの隙間から、見え隠れすることから
察するに、どうやら数え切れぬほどのたくさんの人間……、
なのだろうか、後ろにいるはずの金目の優男を横目で流しつつも、
レンガの塀を、壊しているようだった。
カインの喉が、ごくり、と鳴る。
(まさか……これが、人間流の、可愛がり、というやつか?)
数分の出来事であった。
あっという間に、レンガの壁は破壊し尽くされ、
その場には粉々になったレンガの残骸が、あちこちに散らばっていた。
(……)
カインは、何も考えず、その様子を見つめていた。
今、カインの前に、たくさんの人間……、だと思うのだが、カインらの前に、
肉体の引き締まった男たちが、ずらっ、と整列して並んでいた。
というのも、彼ら、それぞれ、思い思いの格好をしているからである。
(ひとりは、明らかに寝巻き、
もうひとりは、軍服を着崩したかのような感じ、
そしてもうひとりは、思いっきりパンイチ……)
すっぽんぽんよりはマシだろう、
というレベルのやつもいた。さすがにパンツ一枚は寒いらしく、
両腕がプルプルと小刻みに震えているのには、同情を禁じ得なかった。
しかし、いずれにせよ、全員が全員、
肉体ははっきりともりもりに盛り上がった、鍛え上げたものである
ことはわかる。薄着だから、余計に目を見張るものだとよくわかった。
精鋭、って言ってたな。確かに、精鋭なんだろう。
レンガの破壊スピードは、尋常ではなかった。
(これは一体……)
カインは、頭の中がこんがらがっていた。
なんせ、あの金目の優男が、さくっ、と大地に両手を差し込んで、
この事態である。どういうことなのか、さっぱり分からない。
(それとも、これこそが、人間の生活なのか……?)
文化?
カインは首をかしげるばかりである。
と、そこで、ようやく、カインの両肩から、ようやく両手が離れた。
結構力が入れられていたため、
カインはほっとしたのだが、耳元で囁かれる。
「また逃げようとしたら、独房行き、
一ヶ月ご飯抜きです」
などと、ただでさえ空腹に苛まれているというのに、
余計なことを付け足した悪魔みたいな目をした、
いや、悪魔の血が入っている人間が、
丁寧にカインを諭した後、
颯爽と、整列している集団の前に出た優男。
何をするのかと思いきや、ぎょっとした。
奴は、般若みたいな顔になったのだ。
「遅いぞ!」
「はっ!」
「貴様ら、不抜けてるな!」
「はっ!」
「声が小さい!」
「はっ!」
「朝だからと油断したな? 残念だったな!」
「はっ!」
「貴様らっ! 馬鹿にしてんのか!」
「はっ!」
「いい度胸だ、入口を早く壊せないなんて、
貴様らイモムシにも劣る、虫以下だっ! 糞だ! 糞虫以下だっ!」
「はっ!」
カインは瞠目する。
(こ、これは……)
色んな意味で、カインには、衝撃的なものであった。
(レンガを壊すとか、塀を壊す……入口?
よくわからんが……人間は、そんなことをするのか?)
あの優男は、フルアーマーという己の格好を気にもせず、
さくりさくりと、部下を可愛がっていく。
部下の間を、縫うようにして歩いているのだ。
そうして、たまにバチン、と。
肩を叩いたり、背中に気合を入れていた。手甲を嵌めたままの手で。
正直に言おう。部下の背中が可哀想です。
「では、貴様らに、朝っぱらから哀れに破壊されたレンガ塀の、
再度、作り直しを命じるっ!」
「はっ!」
「今日中に作り終えねば、飯は無しだっ!」
「はっ!」
一部、反応に遅れが出た食いしん坊がいたみたいだが、
とにかく、彼らは集団で走り出した。本当に飯抜きになるらしく、
どうやら、準備に駆け出していったらしい……レンガ塀の。
(この隙に……)
と思わなくもないカインであったが、
にこり、と。
微笑んでくる男が、こちらにやってきたのに気付き、
(ああ、リリみたいに眠っていたい……)
と、切実に悪魔が羨ましくなった。
いや、カインは魔族であるが。




