新たな世界へ。
「輝きすぎだろ……」
カインがそう呟くのも、無理はなかった。
なにぶん、魔界以外の世界へ訪れるのは、
生まれて初めてなものですから。
「リリの生まれたトコだよ!」
悪魔は張り切っている。
ブンブンと、カインの上着の、その切れ端を振り回しながら、
意気揚々と嬉しげでさえある。
「お前はなぜに自分の服を破らんのか……」
なんてブツブツと文句を悪魔にいうのも忘れないカイン、
ビリビリな上着を見下ろしつつも、
また、そのダイヤモンドのごとき光溢れる世界を眺めた。
なんせ、そこは人間界ですから。
「……」
緑溢れる異世界であった。
川が、山が。
空が、太陽が。
雲が流れ、光が差し込む。
木々が生い茂り、風が心地よく吹いている。
決して、毒の山が生えてるわけもないし、
風が生臭くなくて、始終曇っていて、生きた心地のしない
空模様でもない。まるで、魔界とは真逆の人間界。
それが、まさか、ここまでとは。
魔界の魔力、その粒さえも感じさせない、
美しい選り取りみどりの景観に、
カインはそっと、嘆息めいたものを吐いた。
(まるで、夢にまで見た景色と同じ)
図書館での引きこもり作業で、よくよく眺めた、
絵図面付きのふっといページでは、色彩豊かなものが
描かれていたが、まさか、生がここまで素晴らしいものだとは、
さすがのカインも、驚きを隠せないでいた。
「ねぇー、カインー、びっくりしすぎてるよ」
「そりゃあな、ただの魔族が……、
あの魑魅魍魎の、冥土の森を抜けて、なんの制裁も受けずに、人間界へ来ることができるなんて。
聞いたことがないからな」
真っ直ぐに生えていた雑草を手で触れながら、答える魔族。
頷くピンクの娘、しかし、懐疑的な声を出す。
「でも、人間界でも魔族はボチボチいたよ?」
そりゃあな。
魔界にも、物好きはいる。
とはいえ、それは。
「そんなの、魔族の中でも強い奴だろ。
冥土の森をすり抜けることが出来る奴は、ひと握りだ」
「言われてみれば!
え、カインって予知能力者?」
「それぐらいは予測できるだろ、あんなキルベア倒せるような奴、
そんじゃそこらの強さじゃ無理」
逆に言えば、運良くたどり着いた弱い魔族は……、
どうなるのか。
脳裏に、儚い美少年ヅラをして鬼畜な自称王様が浮かんだ。
すぐに、気持ち悪くなった。
「……やめよう」
「ん?」
「ときに、考えないようにすることが、
心の平定に繋がる、ということだ」
「ふぅーん」
微風に、ボロボロの上着をたなびかせるカイン。
ピンクの悪魔も、その金目をカインにひとつ、投げかけただけで、
その場から離れずに、近くにいたままでいる。
(魔力を感じない世界……、か)
それでいて、すべてが祝福された気配を感じる。
(嫌なもんだ)
カインは、苦虫噛むような顔をしている自覚をしつつも、
(……で、あの王様はどこいった?)
毒舌サドの気配を探る。
細く長い糸であった、彼の魔力は、すでに事切れていたのだ。
どこにも、その存在が感知できずにいた。
それは、カインがしょぼい、ということもあるかもしれぬが、
単に、忘れ去られているか、自力で来い、ということなのか、
捨てられてることなのか。よくわからないが、
これをチャンスと考えるのも、ひとつの選択なのではと
思い始める。いずれにせよ、
「……進むしかない」
ナシのつぶてであるのだ、渋々ながら、
まったく右も左もわからない魔族であるというのに、
歩くことにした。初めての、人間界を。
魔界には、食べ物はないし、首都に戻れない。
魔物もうようよしてるし、魔界よりはそれこそ魔獣の気配が
薄そうな人間界のほうが、カインにとっては生き残れそうである。
「リリ」
「んあ?」
素早い動きで、カインの前にやってくるピンクの娘。
「わあ、カイン、やっと名前覚えたの?」
「たった二文字とはいえ、覚えるのは苦労したよ」
「へぇー大変だねーすごい!」
「で、お前、ここら辺に土地勘あるか?」
「まったくないよー」
「やっぱりなあ」
まあ、まったく期待はしていなかったし。
やはり、手探りで進むしかないようだ。
とにかく、トンネルの向こう側である人間界。
ここを、彷徨う羽目になりそうだと、
カインは早速、付き纏う嫌な予感を払拭するためにも、
さっささっさと、前に前に前進することにする。
日の光は、得意だ。
伊達に日向ぼっこが得意ではない。
「悪魔族は、朝日は苦手じゃあないのか」
「ううん。別にー」
「そうか」
「むしろ、夜が大変だよー」
「なんでだ?」
「同族がうようよしちゃうからだよー」
「ああ、あんまり会いたくないのか」
「うん、縄張り争いしちゃうだろうし。
死闘になっちゃうしー」
「悪魔の世界も大変だな」
「ここは人間界だけどねぇ」
草をかき分ける。
進めば進むほどに、空の色が薄くなっていくのがわかる。
あの恒星が、頭上に上昇しているらしい。
「川があるな」
「水を飲もう!」
「……飲めるのか?」
「大丈夫! 丈夫!」
「スライム食べても平気なお前が言うならそうなんだろうがなあ」
お腹はすいている。
げっそり、すいている。
だが、魔族である以上、それなりにそこそこ、なんとかまだ、
動けてはいた。といっても、やはり、水は必要だった。
さすがに、歩き続け過ぎた。
キラキラとした水面を見定め、恐る恐る、素手を入れる。
綺麗な水の中には、小魚がいて、小さな石の周りに集まり、
光にウロコが煌いていた。
「おお、冷たいな」
「川は美味しい」
「そうか……、美味しいか」
悪魔である娘が平気でがぶ飲みしているのだから、
悪いものではないのだろう。
彼女はずいぶんと腹が減っていたのか、
頭から水の中へ、突っ込んでいる。
「……ちゃんと息継ぎしろよ」
「ぶぼふううう」
「……」
顔を上げると、せっかくの可愛らしいはずの顔立ちが、
水だらけでびしょびしょ、鼻水も出ていた。
カインは見なかったことにして、
上流へと向かい、そこから水を確保することにした。
そうして、夕刻。
すっかり、日の光が、オレンジ色に染まりかけていた。




