いと高きおわす場所へ。
ぼんやりとした金目が、たちまちに目覚める。
「うわっ」
眼下には、切り立った崖。
上昇する風が、頬をびゅう、と、ひと撫でした。
「落ちるよ」
「わ、わ、わ、ひぇええ……」
リーズが、片腕で私を支える理由が分かった。
ここは、高度のある切り立った地形の先端であった。
寝ぼけて転げ落ちたら、たまったものではない。
慌てて後方へ下ろうと、ケツをずらすも、リーズに当たる。
「おい、も、もう少し後ろ……に……」
不満げに障害物へ振り返ると、そこにいるのは、
ずいぶんと傷のある鎧と、日焼けした頬に複数の傷跡のついた、
ボロボロの人間、リーズが苦笑していた。
傷が沁みるからか、口角を上げようとすると、
苦虫つぶしたかのような顔をしているが。
しばらく見ぬうちに、
男前がずいぶんと手ひどい男前になったものだ。
「おい、どうしたんだ、その傷、酷いじゃないか」
「あ、ああ、まあね……」
リーズは、鈍い笑みを口元に残しながら、目を逸らす。
黒い髪は、艶やかさはすっかり失われ、ところどころ、何やら泥みたいな
ものがこびりついていて、色男が泥の入った水たまりに頭から
つっこんだ風体になっていた。魔界の陽が照っているから、
彼の様相がくっきりと目立つ。朝だから、背景も青空だし余計だ。
あり得ない。
あんなに強かったこいつが、こんな無様な恰好を晒す羽目に陥る、なんて。
目玉をかっぽじて、大きく見開く私に、リーズは、視線を外したまま、
「ちょっと、ね」
「ちょっと……?」
はは、と。
それでも笑う努力を惜しまないリーズ。
「俺の、力が足りなかった、ってことさ。
手こずったんだ」
言いながら、その青い目を細めて、面を伏せる。
やはり本人としても、その、なんだ、
あんまりカッコいい、って思ってないみたいだな。
なんだか、しょぼくれた犬みたいな顔している。
「手こずった……?
お前ほどの、武芸者が負けるなんてことは、無いとは思うが」
「ああ、負けてたら死んでるからなあ」
「生きてるしな」
「うん、生存中」
「つまり?」
「……相打ち、ってこと」
ため息交じりに言う、横顔のリーズ。
なるほど、と納得の私だが、しかし、そんなに強い奴、いたっけ、などと、
魔界の高位をあっさりやっつけてしまう、リーズの人となりを
考えて、妙に腑に落ちぬ心地でいた。
……足とか腕が100本ぐらいある化け物を想像したが、存在するわけがない。
「なあ、誰と戦ったんだ、お前」
「……さあて」
それっきり、口を閉ざすリーズ。
「言わないのか? いや、言うつもりはないのか?」
「うーん」
「どっちだ」
「んー……どっちだと思う?」
「知るか」
逡巡してるのか、はぐらかすつもりなのか。
どちらとも、なのか。
まったくもってお口にチャックの人間を尻目に、私は、なかば匙を投げる。
「……頑固な奴だ」
先ほどから、煽り立ててくる風につられ、前方を注意しながら見上げる。
首をぐるり、と動かすと、視界は良好、素晴らしく青海のごとき魔界の空。
私にとって、この朝が、一番輝かしく、美しく感じられる。
大気を震わす風の音もまた癒しだ。深く吸い込み、新鮮な空気を取り込んだ私は、
つかの間の休息を得られたが、場所が場所なだけに、
いつまでもここにいるのは不測の事態に備えることができぬだろうし、
後ろの人間がしょんぼりしているのだ、当てになるのか、どうなのか、
肝心のこいつが、こんな意気では、ものの役にもたたないだろうし、
忍者働きをしてみせる聖剣は幸いにも無傷で、リーズの隣に
突き刺さっているものの、不安は残る。
しっかし、どれだけ現実逃避の考えに考えていても、
その考えが遮断されてしまうほどに、
「……け、結構高いなここ……」
普段ぼんやりとしている魔族が呟くほど、
ここは幾分、思った以上に高所であった。
靴の先から、がくんと直角に、
そこから飛び降りれる垂直の崖下、下方に広がるは、
生い茂る森林一帯。生い茂る、木々たちの群れ。
ここ2、3日見覚えのある、野宿していた冥土の森であった。
どこからどうやってここに来たのか分からないが、
地平線の彼方まで、続く緑の群生は、圧巻の一言といえよう。
「……すげぇな」
おまけに、太陽が出ているからか、
美しく深い緑が、ところどころその葉っぱを透かし、
薄い緑とのコントラストを演出し、
場所によっては、綺麗な縞模様を描き、粒のごとき葉っぱが、
風に揺れると、より一層、その一部が生き物のように動く。
さながら、疾走する獣の、脈動する背中か。
みんなみんな、生きているんだ、友達なんだ。
……いや、有機物と友人ではないが……。
「って、おい、リーズ、ここ、」
しばし美しい冥土の森の、ひと時を見惚れて、
背後の景色もどうなっているのかと、見回していたら、
失敗ばかりの魔族の背筋に、たらりと冷や汗どころか、
膝が震える驚愕の事態が待ち受けていた。
「ま、マジかよ……」
「マジだよ」
「って、なんで冷静なんだよ、お前はっ」
なんと、リーズ、の後ろから先もまた、急激な崖だった。
片手を地面について、体を捻りつつ、
覗き込もうとしたら、肩と腹、両手で押さえられ、リーズに止められた。
「危ないって言っただろ?」
「っ」
実際、危険だった。
体の方向転換でさえ、冷や汗ものの、狭い土地。
ころ、っと、小石が、落ちていく音がぞっとする。
しかもその小石、どこまでも滑走していく。
落石する音が、終わらない。
未だに終着地点が聞こえない、落下物の行方。
遠のくだけ遠のいただけで、着地しなかった。
結論。
私の不安が、著しく高まる結果となった。
ごくり、と生唾飲んで、息を整える。
「……つか、そもそも何故に、ここに……」
大の男二人が、どうしてこんな狭所に座っているのか。
公衆便所並みの狭さだぞ、ここ。きょろきょろと挙動不審になる。
そもそも、どうやって登ってきたんだ。四方八方崖だ。
そうして、遥か大地は、冥土の森。
ぽつん、と、杖みたいに、一本の細長い岩が、
死にかけの不気味な森に、そそり立っているだけのようだ。
「……だってなあ、まさか、お前が……」
「あ?」
「いやあ、だってね、まあ、うん」
「はっきり言え」
説明を求める、と半眼の心地で睨みつけていたら、
さすがのリーズも、困惑な表情で口開いた。
「カインがさ、その、すっごく、弱かったから……、
その、手を抜いてたんだ、はじめ」
「は?」
「ええとね、君、真っ赤な目でさ、
それで、しばらくいなしてたんだ、でも、
次第に様子がおかしくなっていって……」
「おい、ちょっと待て」
いきなりの名前呼びもそうだが、
唐突な場面転換についていけず、リーズの言葉を遮る。
「あのさぁ、私がなんだって?
赤目だって? 私の眼の色は、金色だぞ」
「そうだよ、でも、あのときは、赤目だった。
いきなり戻ってきて、あ、怒ってないのかな、って思ってたらさ、
急に頭突きし始めるから、何をしてるのかと……」
「……」
なんだか急に、片頭痛がしてきた。
いくら攻撃手段を持たないといって、武器を持つ相手に、
単身での突撃はひどい。
「それで、俺、ずっと頭突きから避けてたんだ、
そうしたら、後ろの茂みからも、なんだろ、痛い、って声がして」
「痛い?」
「うん、なんだか分からないけど、誰かいたみたいだ。
で、カインはばた、って倒れた。頭から」
「また頭から突っ込んで倒れたのか、私は」
そういえば、コメカミのあたりが、妙に痒い気が……。
人差し指と中指でさする。
「もう一人のほうはさ、ものすごく強そうな気配を感じたから、
正直、カインを守って戦うのって骨が折れるから……、」
「悪かったな、操られてて」
「三十六計、逃げるにしかず、って思って、
カインを抱えようとしたら、君はすごい暴れてね……、
しょうがないから、気を失わせようと殴ったら、
なんでか分からないけど、俺もダメージ喰らった」
「は? なんで」
「さあ……、でも、めっちゃ痛かった」
誰が攻撃してきたんだろう、って。
不思議そうにしているが、私には心当たりがあった。
だが、言葉にしたいとは思わなかったし、教えてやりたいとも考えない。
「……いやはや、ご苦労さんだ、リーズ」
「何、知ってるの?」
「人間界に伝わってるかどうか、私には知りようのないことだがな」
「え、そうなの?
そんな、有名な? 著名人?」
「ある意味、世界で一番売れてる本だというが……、
私はこの世界に生まれたから、よく分からないな」
「へぇ、ばーちゃんなら知ってるかも……、
でも、俺は本とか読まないからな、俺だけが知らないだけかもしれない」




