魔界の首都到来、でもさようなら。
魔界の首都は、ぐるりと回りを、塀に囲われており、
出入り口は一か所しかない。
そこには、一匹の猛獣。
三つの頭を持ち、三つの人格を持つ、魔王の忠実なしもべである、
漆黒のケルベロス、
巨大な化け物が、開け放たれた門扉から三つ頭を突き出して、
堂々と眼を瞑っている。真っ赤な舌をチロチロと出しながら。
「……あれがそうか」
「ああ」
顎を引いて、肯定する魔族。
二人は、深い冥土の森の中に身を潜めている。
……、その、ここまで聞こえる、ケルベロスの唸り。
三重奏である。高音と低音、その間を彷徨う普通の音韻が木霊する。
「お昼寝タイムなんだ」
下っ端兵の魔族は、そんなことを真顔でいう。
リーズは、そんな魔族の言い方に、なんとはなしに、
魔界って結構ルーズなんじゃないかと思い始めている。
「……しかし、これ以上は近づけんな」
「ん? 犬だから?」
「そうだ、犬だからだ」
「……犬なら鼻が利く。犬は犬か」
「ああ」
リーズは、ちら、と、巨大な塀の壁を、じっと見定める。
ぐるり、と巡らされている、とは聞いてはいたが……、
ところどころ、穴がある。あそこからは、人の顔は覗かれていないが、
戦時になったら、使われるのだろう。汚れはない。
しかし、すすけてはいる。
平面にはつる草が生え、地味に平和な印象が刻まれる。
街の匂いはしないが、風に乗って音はした。
生活音。紫の空へと愚直に吸い込まれゆく煙の本数が、
如実に人口の多さを語る。
それに、地平線の彼方まで続く、鉄壁の塀の長さ。
どこまでも眼で追いかけても、その果ては分からない。
想像していた以上の光景に、リーズは、ただ、
「まさか、ここまで大きな街だったとは……」
感嘆とした。
棚引く煙、煌びやかな光がときたま、空を漂う。
魔力の迸りだろう。あの光の下では、魔族たちが、遊びに講じて
魔法合戦をしていたり、買い物しに魔界商店街に安売りセールに
出かけてたり、学び舎に嫌々ながら向っている魔族もいるだろうし、
魔界工場で日用品をせっせと作っているムキムキ魔族もいたり、
高位の魔族が眠りについていたりする。日が早いから。
そうして、お高く留まっている執事やメイドたちが、
主人の眠りを妨げる魔族を退けたり、刈り取ったり……、
一部殺伐としている風景もあるが、おおむね、平和な首都である。
リーズの興味津々な眼差しをみてとり、
慣れた首都の街並みを思い浮かべていた魔族、疑問を持つ。
「あ? なんだ、知らなかったのか」
「いや、まあ、そりゃあな。
魔界と人間界は、交流がないから」
「……ああ、まぁ、そりゃそうか」
魔界にやってくるのは、魔王を暗殺しに、はるばるやってくる、
人間界の使者、勇者ぐらいである。対し、
人間界へ行く魔族の数は多い。だから書物の類がある。戻ってくるのだ。
やはり故郷の水が恋しいらしい。しかし、人間はそうではないようで。
稀に、修業目的の人間もいるにはいるらしい、が、彼らは皆、
それぞれ、魔界の掟である力、を持ち合わせていた。
だから、殺されることもなく、魔王に謁見したり、好きなように、
首都の中を徘徊したり、住み始めたり、魔族の貴族たちに
見初められて妾になったり、配偶者になったりで、
各々が満喫した人生を送っている。
そもそも、魔界へやってくる人間たちは、ぼっちでも
食べていける器量があった。
氷河だろうと、砂漠の裏側でも生きていけるように思うが、
何故に、人間というだけで白眼視されるとこにわざわざやって来るのか。
いまいち、人というサガがよくわからない、魔族。
ぼんやりと、人間の深々な態度をみていたが、耳を澄ます。どこからか、
……びゅぅ、と。
一陣の風が吹いた。
「ん、まずい。
リーズ」
魔族、珍しく鼻を利かす。
「ん?」
「風の方向が、風上から吹き付けている。
風下にいる、ケルベロスに、私たちの匂いを嗅がれてしまう。
気取られるのは非常に気まずい」
「気まずい……?」
リーズが疑問符を突きつけたい目を訴えてくるが、
私はそれらを無視して、冥土の森の、奥へと走る。
人間の足跡が、後ろからついてくる。
そうして、しばらく走った。
さすがに、あのケルベロス相手は、したくはなかったのだ。
「なんせ、最強の番犬だからな」
「最強?」
「ああ、魔王陛下の愛犬だ」
「え、ペットなの?」
「まぁな、たまに寝ぼけて火を噴いて、哀れな魔族が
焼失した」
「それは……、不憫だな」
足元に注意しながら、駆ける、駆ける。
「おまけに頭がいい。
三つもあるからな」
「通常は一つしかないからな、俺たちみたいに」
「そうだ、私たちは一つしかないから、
悩むしかないが……、ケルベロスは、ただの魔獣ではない。
しっかり者のケロちゃんと言われ、受験では有難がられる。
時期が来ると、受験生のための出店が現れる。
それもまた、魔界の首都の風物詩のひとつだ」
「……なんか、俺の想像していた魔界と違うな……」
口角を引きつらせている人間を捨て置き、
とりあえずひと段落できそうな位置にまで戻ってきた、魔族。
……戻りすぎた、のかもしれない。
ひょいと、顔を覗き込んでくる人間に、
眉間の皺を深くした。
「おい、リーズ」
「なんだ」
「な、んで……お前は、疲れてないんだ」
「ん?」
「ん、じゃねぇし……、体力の差か」
「ああ、それもあるかもなあ」
涼しい顔をしている人間のタフネスさの一方、
魔族は滝のごとき汗をかいている。倒れ込むようにして、
地べたに座り込んだ。
「暑い……」
「お茶でも飲むか?」
「……熱い茶はいらん、いらんって言ってる、おい、」
さすがにしないだろう、と思っていたが、
いつの間にか正座しながらの用意周到で。お茶がうまいなんて、
褒めたことがいけなかったのだろうか。ずいぶんと得意げに、
リーズはお茶を注いでいる。やめろ。
というか、どこから出した。湯気が出過ぎぃ!
「お前な、私は熱湯チャレンジャーじゃないんだぞ」
「ん、なんだそれは」
「我慢比べ大会だ。夏の風物詩だが、って、おい。
この展開はやめろ、おい」
言うや、ひどく残念そうな顔をするリーズ。
端正な顔がしょぼくれていると、世の終わりを連想するが、
魔族はやっぱり魔族なので、ぴしゃりと言い放つ。
「お前は私を殺す気か」
しかし、と。
魔族、ふと、我に返る。
魔界の掟、絶対の掟。
実力社会、力がある者こそが全て、力のないものは死ぬ。
それが崩れ落ち、逆転していることに、なんとはなしに、
薄気味悪い思いをしたのだ。




