リーズという人間は。
導入初めの、上官の怒り、あたりで、案の定、人間は憤った。
まさに狙い通りの動きに、
私としては、にんまりとしたものだが、
「でも、お前も悪い」
なんて決めつけられる。
私は、こんな切り返しがあるなんて思わなかったから、
大層驚いた。人間には、理解できぬ話であったか。
「だって、お前、古い井戸に向って、
悪口言ったんだろ」
「ああ」
「井戸が可哀そうだろ」
確かに毎日、陰口を井戸の中にだけしていたが、
まあ、確かに反響するし、近隣住民に迷惑がかかるかもしれない。
といっても、兵舎の裏だったけどな、あの井戸は。
走り込みをするような、そんな兵士はいないし、
あるわけもないが……、やはり、人間との相互協力には、
ある程度の妥協が必要か、と、リーズの頓珍漢な物言いに、
はいはい、と腕を組みながらも、話半分で聞き流す。
「井戸の中にも人がいるんだぞ、いくら上官が腹立つからって」
「……」
「絶対、耳がキーン、ってなってるよな、可哀想すぎる、本当」
「……」
「井戸の中にいるってのはな、結構、辛いんだぞ」
「……」
「上から桶が落ちてきて、頭ぶつけられるし、
水の中にいるのも、やっぱ寒いし……」
「……」
「次の日は風邪ひいて、散々怒られたんだよ、俺……。
あのときのばーちゃん、すんげぇ怖かった……」
だんだんと、リーズの苦労話に移行していった。
こいつのとりとめのない話をかいつまんでまとめると、
どうも、この男、勉強が嫌になったから隠し通路のある
井戸の中に飛び込んだものらしい。
そうして、一息ついた奴の満足げな顔を頷きながら、
私は言ってやった。
「……なあ、自業自得、って言葉、知ってるか?」
当面の間、この人間の男、リーズと共に、居ることになった。
実際、離れたら死ぬしかない。どこもかしこも、
遠くから魔物の遠吠えがするのだ。餌にはなりたくないし。
「なんたって、お前、魔界の首都に戻れないんだもんな」
「ああ」
改めて突きつけられると、やはり心細いものがある。
実家からも見捨てられてるうえに、もはや、
退路は塞がれている。
だのに、私たちは、はた目からは仲良く二人、並び歩きながらも、
魔界の首都方面へ、えんやこらと向っている。それは何故か。
「勇者の潜伏先か」
リーズに聞いたところ、勇者は、魔界に居る、らしいのだ。
まさかの目と鼻の先に、私は思う存分ギョッとした。
「えっ、ウソだろ」
「いや、本当だよ」
やはり、人間の情報だもの、人間に訊ねたほうが得やすかった。
こんな冥土の森のどこかに、勇者がいるとは……。
ぐるりと周囲を見回すも、鬱蒼とした森で、どこから勇者が
出てきてもおかしくない、不気味さがあった。
そんな私の挙動に気づかない人間らしいリーズは、
能天気な声を森閑な冥土に籠らせる。
「勇者は、魔界の首都に向っている」
「ほう」
「うん、間違いない」
「……ずいぶんと、自信ありげな……」
少々、リーズの人となりを知っている私は、
微妙に不安な心持ちとなった。
そんな私の心の機微を知ってか知らずか。
「え、なんでそんな不信感もたれてるの、俺」
青い目を、さらに大きくさせている。
私は、そんな奴の動きに、私もその目を、
これでも、かっ、ってぐらいに見開いた。
「なんで、って。
お前、自分が変な人間だって気づいてないのか」
「えっ、マジか……、
いや、まあ、そう、だな」
「自称変な人間の誕生だな」
リーズは、己がそこそこ、人間の一部としては、
妙なところがある、というのは自覚しているらしかった。
頭を傾け、滑らかな真黒い髪を肩に垂らしている。
「うーん、だってさ、俺、
生まれからして一般的じゃないからなあ」
「そうなのか」
「ああ、だってさあ、気づいたら戦場だったからね」
「……はあ?」
なんでも、火の粉舞い散る、廃墟で、
彼は剣を持って戦っていたらしい。
武器を持っていたのは、振らないと、自分が殺されてしまうから、
だそうな。魔物に囲まれながらも、九死に一生を得る子供。
そんなエピソードの、それも伝説として語り継がれるのでは
なかろうか、といわんばかりのてんこ盛り話に、
私の間引きの書話が霞んでいく。実際、霞んだ。
すっかり間引きの書の、その勇者討伐、の内容までは
伝えきれずになってしまったが、しかし、
こいつ、人間の世界の住まう人間のはずなのだが、いちいち、
エピソードが高位の魔族っぽい。実は魔王じゃないのか。髪真っ黒だし。
「いや、なんかさ、親がその、そういうスパルタ教育をするような、
なんていうか変な親だし、物心ついたころから、
師匠が側にいたからさ……、師匠が親だとばかり思っていたんだ。
でも、違った」
髪や目の色も異なるし、顔だって全然似通ってなかった。
それでも、リーズは親だと思い、ひよこのごとく、
師匠の後ろをついて回っていたそうだ。
野を超え山超え、山河超え、って。
岩の二つや三つは朝飯前、昼飯前には滝に打たれて修業する。
「……どんな人間だよ……」
「俺俺、俺だって」
「近頃、魔界の首都でも、俺俺詐欺が流行ってたんだよな」
はあ、とため息をつく。
しっかし、この隣で愉快に、そうして、
今までの楽しかった思いをした半生を語るリーズの笑い声に、
私もまた、つられてしかめっ面をほぐしてしまう。
どうも、この人間。
辛いことがあっても、明るく、前向きに対処しようとする性質を持ち合わせ、
いや、そうすることで、苦しい現実をどうにかして生きようと、
そういった技術を身に着けた、と私は看た。
それが正しい、かどうかはわからない、が。
こいつの師匠もどうやら人間離れした感性を持ってるらしいし、
リーズの場合、環境が悪すぎたのだろう。
もし、私の住む魔界、それも首都生まれならば、
彼もまた、立派な魔族らしく、そこそこ好きなように生きて、
勝手に動き回り、己より弱い魔族を虐げて生きていくはずである。
あ、そう考えると、こいつ、人間でよかったが、
たいして魔族と変わらない気がしてきた。
いきなり人の道具袋の中身、空けるし。それも地べたに。
「……まあ、魔界を調べたい、ってことだろうからな」
「ん?」
「なんでもない」
やり方は突飛だが、人間なのに人間らしくない感性を持っているから、
そうなってしまうのだろう。まあ、私が知りうる人間、
というものも、教科書や、引きこもるために通った図書館など、
その程度の知識でしかないが、な。
ふいに、名前を呼びたくなった。
「リーズ」
「ん?」
顔をこちらに向け、応えてくる人間。
鎧も、その無駄に豪奢な拵えのしてある剣の柄も、
流麗な頬とラインの鼻梁を持ち、青く澄んだ眼差しで、
私を見返してくるリーズ。黒い髪は、相も変わらず
長く、ゆるく紐で結わえているが、健康的な肌色に、
よくよく、その漆黒の髪が馴染んで似合う。
唇は艶々で荒れていないから胃も丈夫のようだし、体格もいい。
「何?」
「いや……」
――――人間は、魔界へはやってくるなんて、
そう滅多にあるはずもない。
――――勇者が、その魔界に居る。
――――魔界の首都に、向っている。
――――場違いなほど、眩い存在の、リーズ。
人間、されど人間なれど、その輝かしさは、
異彩を放つ。下っ端魔族ですら、惹きつけてしまうほどに。
無視するには、あまりに異形な人間。
――――勇者は一行、パーティがいるはずだ。
――――いや、リーズはひとりだ。
ひとりで、この魔界にやってきた。
――――リーズの目的は、魔界を知ること。面白い、と言う。
――――私たちは、魔界の首都に向っている。
――――状況は、明らかに可能性を秘めている。
もし、このまま魔界の首都に、私が道案内をして……、
リーズがあるいは、もし、
つらつらと、考えを連ねていく。
それは、あまりにもとりとめのないようなものあったが、
可能性というパーセンテージはあからさまに積み上がっていく。
魔族は、つぅ、と。
彼ら二人が歩いている道の先にあるはずの、
魔界の首都を、想像に、描く。
――――もし、リーズが勇者であれば。
故郷を、どう思うだろうか、と。
どうするのだろう。
勇者、には長い間、
魔界は煮え湯を飲まされ続けた歴史がある。
逆も然り。
人間界も、魔王の存在に苛立つはずである。
なんせ、間引きの書で、解放された魔族どもが、
人間界に向けて時折現れるはずだからだ。
それも、力のある魔の者ばかり。
……そう簡単に、魔界の、
冥土の森は、抜けられる場ではない。
ある程度の力量が必要であった。
ただ、私には、その力がなかった。
だから、この人間、リーズの腕を見込んでいる。
あとしばらく歩けば、魔界の首都の一端が、
視界に飛び込んでくるはずであった。
私には、それが、どういう結末を招くか。
ふいに、目線を、近場の木々にうつしてやると。
「えっ」
「おっ」
リーズも気づいたようだ。
そこに、女が。
金髪の、女。
「誰か、倒れてるな」
行き倒れ、か。
いや、どうだろう。
私は、リーズが、その黒髪を宙にくねらせながら、
駆け寄っていくのを、茫然として見ていた。




