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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第九十四話 俺は長い歳月を経て、生まれ故郷の村へ帰った

シリウスは護衛を最小限にして生まれ故郷の坂道を歩いた。

故郷の村の楡は、記憶より小さかった。

村長が用意した歓迎の旗には『無敗の大将軍』とある。

シリウスはそれを見上げ、まず墓地へ案内してほしいと頼んだ。

墓標には戦争で死んだ者だけでなく、冬の飢えで亡くなった子の名もあった。

勝敗を記した軍報に、その子の名前は載っていない。

彼は花を供え、長いあいだ立ち尽くした。

墓地で彼は肩書を名乗らなかった。

名簿の隅に残る友人の兄の名前を指でなぞった。

戦争は地図の赤い印ではなく、一つずつの暮らしを奪った。

崩れた橋と修理された井戸が、国境の戦争が村に残した歳月を示していた。

橋の修理を任された大工は寄付金の額に驚いた。

シリウスは「私の名前は書かなくていい。完成の日付を書いてくれ」と頼んだ。

幼なじみのトーマは片足を失い、靴職人になっていた。

『お前の軍は強かったらしいな』

冗談めいた声にシリウスは返す言葉を失う。

トーマは作業台から小さな靴を取り上げた。

『この村じゃ、冬に足を濡らさない靴の方がありがたい』

シリウスは寄付を申し出たが、トーマは首を振った。

『仕事をくれ。

慈善なら長続きしない』

シリウスは学校の児童用の靴を、村の職人から買う仕組みを提案した。

シリウスは慰霊碑の費用を寄付するより、橋の修繕と学校の教員給与を確保した。

幼い頃に一緒に木剣を振った友人が、今は片足を失い靴職人になっていた。

自分の名を刻んだ記念碑は断り、村の子が使う図書室に資金を回した。

村外れの小さな家の窓に灯りがともっていた。

村へ続く坂道は、記憶より狭かった。

昔は大人二人が並んで歩けると思っていたが、今は荷車一台が通るのも難しい。

道端の石には、少年だったシリウスがつけた傷が残っていた。

背丈を比べるために刻んだ印だ。

彼は思わず足を止め、指でその浅い線をなぞった。

村長は広場に旗を立てようとした。

シリウスは頼んで下ろしてもらった。

「私は戦勝の報告に来たのではありません。村の井戸を見たい」

井戸の縁は欠け、滑車の縄はほつれていた。

村長は恥ずかしそうに説明した。

「若い者が戦争に取られ、直す手がなくて」

シリウスは同行の工兵に修理を頼もうとしたが、村の大工が首を振った。

「直すのは俺たちです。道具と、やり方を教えてください」

その言葉に、シリウスは頷いた。


翌朝、村の若者と工兵が井戸の滑車を取り替えた。

シリウスも縄を引いたが、慣れない手つきで掌に豆を作った。

子供たちが笑い、大工が呆れた。

「大将軍でも縄の扱いは下手だな」

シリウスは苦笑した。

「昔から下手だった」

その場にいた老人が、「お前は畑仕事をさぼって地図ばかり描いていた」と言い、広場が笑いに包まれた。

しかし、夕方の墓地には笑い声がなかった。

村から出征したまま帰らなかった者の名が、小さな木札に刻まれていた。

シリウスの同級生もいた。

彼は一つずつ名を読み、花を供えた。

村長は「お前が勝ったから、これ以上は増えずに済んだ」と慰めた。

シリウスは首を横に振った。

「増えた名は消せません」

その言葉を聞いた村長は、黙って隣に立った。

夜、宿に戻ると、机の上に古い地図が置かれていた。

少年のシリウスが村の道と川を描いたもので、端に母の字で『帰り道を忘れないように』と書かれていた。

彼は灯りを落とす前に、何度もその文字を読んだ。

壊れた橋の前で、シリウスは大工と話し合った。

軍用橋なら三日で架けられる。

しかし雪解けの川を渡る子供に必要なのは、急造の橋ではない。

基礎の石材、維持費、次の修理を引き継ぐ者。

村の会計簿に一つずつ費目を書き込み、費用の半分を寄付し、残りは交易収入から積み立てると決めた。

『橋に将軍の名を刻みましょう』と村長が言う。

シリウスは笑った。

『完成した日付だけでいい。

誰でも渡れる橋にしたい』

故郷の橋は、戦争中に焼かれたままだった。

渡し舟を出す老人はシリウスを見ても頭を下げず、「橋を直す金はあるのか」と聞いた。

シリウスが帝国の支援を申し出ると、老人は首を振った。

「金をくれるなら助かる。だが橋の名まで持っていくな」

村の集会では、誰が工事を引き受けるかで揉めた。

王国の石工は仕事を失って久しく、帝国の技師は新しい工法を持っている。

シリウスは双方を同じ卓に着かせた。

石の調達は村、設計の検査は帝国、賃金の支払いは共同基金。

完成後の管理は村に戻す。

「立派な橋にしすぎるな」と老人が言った。

「洪水のとき、直せる橋がいい」

技師は驚いた顔をしたが、やがて図面の飾りを消した。

シリウスも自分の提案した石造の欄干を取り下げた。

夕暮れ、シリウスは焼けた橋脚に触れた。

幼いころ、友人とここから川へ飛び込んだ。

今は川面までの高さが怖く見える。

「帰ってきたのに、昔のままではないんだな」と呟くと、渡し舟の老人が答えた。

「村もお前も変わった。だから橋も新しくする」


翌朝、最初の杭を打つ音が村に響いた。

式典も軍旗もない。

ただ職人たちが、昼の休憩までに三本の杭を立てた。

村を発つ日、トーマは新しい靴を一足差し出した。

『大将軍様への贈り物じゃない。

歩き回る男への仕事だ』

シリウスは代金を払い、靴紐を結び直した。

橋の工事はまだ始まったばかりだった。

完成を見に戻る理由が、一つ増えた。

工事に使う木材が足りないと分かると、村人たちは昔の見張り台を解体する案を出した。

シリウスは反対しかけた。

そこは子供のころ、遠くの軍旗を見て胸を躍らせた場所だった。

だが村の若者は言った。

「見張り台より橋が要る。もう敵を探すために高い場所へ登りたくない」

シリウスは解体に加わった。

最後の柱が倒れると、川の向こうまで見通せた。

思い出を守ることと、未来を妨げることは違う。

橋の工事を任された大工は、寄付金を受け取るのをためらった。

『大将軍の名前を付けろと言われるなら、村の橋ではなくなります』

シリウスは笑った。

『名前は村で決めてください。

橋が渡れるようになれば、それで十分です』

大工は頷き、子供たちが使う幅をもう一度測った。

戦場で通行幅を測った日々が、ようやく別の役に立った。

橋の基礎を掘り始めた午後、古い見張り台の下から錆びた鉄箱が見つかった。

中には村の少年たちが昔描いた地図と、川向こうへ渡る近道の印が残っていた。

シリウスの筆跡もある。

「これ、お前が描いたのか」

大工が尋ねる。

シリウスは頷いた。

「軍師になる前の、最初の地図だ」

少年時代の彼は橋の向こうに広がる世界を見たかった。

だが今、その場所には渡ることのできない人々がいる。

「この道は使えない。増水すると岸が崩れる」

大工は昔の地図を脇へ置き、現在の川幅を測り直した。

シリウスも黙って杭を運んだ。

夕方、村の子供が鉄箱を覗き込んだ。

「大将軍でも、間違った地図を描くんだね」

「ああ。だから測り直すんだ」

少年は少し考えてから、測量の縄を持つ役を申し出た。

シリウスは縄の端を渡した。

昔の自分が欲しかったのは、誰かが完成させた地図ではなく、自分の足で確かめる機会だったのかもしれない。

橋の完成予定日はまだ遠い。

それでも、その日初めて、彼は故郷に戻った意味を戦争以外の言葉で説明できた。

工事の最終日に、川は前夜の雨で増水した。

少年時代の地図にあった浅瀬は、濁流の下に消えていた。

村長は工事を急ぐよう求めた。

隣村から冬の食料を運ぶ予定が迫っていたからだ。

シリウスは橋を渡す判断を保留した。

「今なら通れるかもしれません。でも、子供が明日も通れるかは別です」

工事を請け負う大工は、追加の支柱が必要だと認めた。

費用も工期も増える。

シリウスは寄付金の上積みを申し出たが、大工は首を振った。

「金はありがたい。でも、この村が来年も直せる構造にしたい」

村の若者が図面を引き直し、シリウスは横で杭を削った。

かつて地図の上で勝利を決めた軍師は、今、一本の橋を渡す許可を急がなかった。

橋が完成した日、銘板に刻まれたのは将軍の名ではなく、修理を担う村人たちの名前だった。

橋の工事を見届けた夜、シリウスは村の古い地図を広げた。

戦争のころは敵の進路を示すために使った紙だった。

今は子供が学校へ通う近道を書き込む。

彼は軍の記録ではなく、村の役場にその地図を預けた。

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