第九十三話 俺を追放した国王が、最後に一通の手紙を送ってきた
退位したヴァルバディス三世から、一通の手紙が届いた。
封蝋はなく、使者は「返事を強いるものではありません」とだけ告げた。
シリウスはすぐには開かなかった。
十年前、王の署名がある一枚の紙で、自分は軍師の職を追われた。
今度は同じ筆跡が、謝罪を運んでくる。
「読まなくてもいいのです」
セリーナが言った。
「いや。読むかどうかを、今度は私が決める」
便箋には、処刑された将軍、徴発で飢えた村、帰らなかった伝令の名が並んでいた。
『私は彼らの名を知らなかった。
知らずに済ませてきた。
その責任から逃げない』
王は追放の裁定に自分が署名したことを認め、宰相に責任を押しつける言葉を書かなかった。
しかし、同封された名簿を確認すると、戦死者の名前に誤字があった。
シリウスは記録官を呼んだ。
「この名簿をそのまま公表してはいけない。元の戦報と照合し、遺族が訂正を申し立てられるようにしよう」
「元国王の証言は信用できるのでしょうか」
「証言は証拠の一つだ。判決ではない。異なる記録があれば並べて残す」
使者は、王が北の離宮で暮らしていると伝えた。
護衛は四人。
王位を失った男の寂しさを聞いても、シリウスの胸は晴れなかった。
「私は王を許すべきなのでしょうか」
セリーナの問いに、シリウスは首を振った。
「私一人が許したところで、帰らなかった兵は戻らない」
彼は元国王への返書を書いた。
『謝罪は受け取りました。
ただし、これをもって被害者の苦しみが終わったとは記しません。
手紙と名簿を遺族に示し、記録の訂正を求めることを認めてください』
数日後、短い返事が届いた。
『隠さないでほしい』
閲覧会に集まったのは十数人だった。
処刑された兵の母親が、名簿の一行を指した。
「ここには逃亡とある。でも息子は、負傷した仲間を運んでいたんです」
シリウスはその場で記録を塗り替えなかった。
「証言を正式に受け付けます。野戦病院と伝令の帳簿も調べます」
「謝ってほしいんじゃない。あの子が何をしたか、残してほしいんです」
「はい」
調査の間、元国王から追加の書簡が届くことはなかった。
シリウスは沈黙を赦しの要求と解釈せず、記録官たちに調査を委ねた。
調査には数週間を要した。
古い搬送記録が見つかり、兵が仲間を救助中に命を落としたことが確認された。
訂正通知を受け取った母親は、息子の名を指で一度なぞった。
拍手も、赦しの言葉もなかった。
その夜、シリウスは元国王へ訂正後の名簿の写しを送った。
手紙には一行だけ添えた。
『真実を残すことと、あなたを許すことは別の問題です』
窓の外では、市場へ向かう荷車がいつものように通っていた。
かつて王に捨てられた軍師が守ろうとしたのは、今では王への復讐ではない。
名前を奪われた人々が、自分の人生を取り戻すための記録だった。




