第七十六話 逃亡した宰相が捕まり、俺の追放の真相が明らかになった
押収品を確認した書記官が、帳簿の一枚だけ紙質が違うと気づいた。
「あとから差し込まれた可能性があります」
シリウスはその頁を証拠として断定せず、別の倉庫の受領番号との照合を命じた。
真相が自分に有利だからこそ、確かめる手順を省いてはならなかった。
逃亡した宰相バルザックが捕らえられたのは、北門から二日の街道だった。
農民の荷車に紛れ、金貨を詰めた箱を三つ運んでいた。
護送してきた兵は勝ち誇った顔で報告したが、シリウスはまず箱の封印を確かめた。
王宮の公印が押されている。
王都の備蓄を持ち出した証拠だった。
「金貨は飢えた町へ返す。本人には食事と医師を」
「こんな男にですか」
「裁くために生かす。ここで私刑にすれば、奪われたものの行方が分からなくなる」
尋問の場には、帝国の書記官だけでなく王国の監察官も立ち会わせた。
バルザックは最初、何も知らないと繰り返した。
だが押収した帳簿には、十年前にシリウスが提出した戦況報告を改ざんするための支出が残っていた。
「シリウスの進言を、なぜ国王に届けなかった」
セリーナが問うと、宰相は笑った。
「勝利の理由が軍師一人にあると知れれば、王は不安になる。王が不安になれば、私の言葉を必要とする」
「それだけで、彼を追放したのか」
「それだけ、とは言わん。私の地位が懸かっていた」
シリウスは拳を握りかけ、机の下で開いた。
怒りで証言を潰してはならない。
さらに帳簿には、王国の将軍たちの敗北を隠すために使った金の記録もあった。
食料不足が偶然ではなく、都合の悪い報告を封じた結果であることが浮かび上がる。
書記官は証言を三通に写し、帝国、王国、施療院の代表が封をした。
誰か一人が破っても、事実は残るように。
バルザックはその様子を見て初めて顔色を失った。
宰相バルザックの馬車から、十年前の軍議録の原本が見つかった。
軍議録にはシリウスの作戦が宰相の名で提出された痕跡が残っていた。
捕らえられたバルザックは、護送の途中でも自分が宰相であると主張した。
縄を緩めろ、馬車を替えろ、食事を温めろ。
護衛兵は怒りをこらえていた。
シリウスは尋問の席に、王国の書記官と帝国の法務官を同席させた。
敵国の将軍が一人で裁けば、どんな真実も復讐と疑われる。
「十年前、私を追放する理由として提出された報告書。原本はどこだ」
バルザックは笑った。
「そんな昔の紙切れを覚えているものか」
シリウスは追及せず、封印された帳簿を開いた。
そこには北方遠征の補給費と、王宮へ納めた戦功報告の受領番号が並んでいた。
「報告書の番号だけが欠けている。しかも欠番の日に、あなたの私設書記が王宮に入っている」
「偶然だ」
「ならば書記本人に確かめよう」
扉が開き、白髪の老人が入ってきた。
かつてバルザックの命令で、シリウスの名を報告書から消した書記だった。
「私は偽りを書きました」
老人は言った。
「勝利の手順はシリウス殿が立てたものです。宰相閣下は、自分の名に書き換えるよう命じました」
バルザックの頬が引きつった。
「証拠はあるのか」
老人は震える手で、削除前の控えを差し出した。
紙の端には古い水染みがあり、受領印の日付は帳簿と一致していた。
護衛兵が剣を抜きかけた。
シリウスは片手を上げた。
「証言者を脅してはいけない。宰相にも反論する機会を与える」
「私を許すというのか」
「許すかどうかは、私一人が決めることではない。奪われた戦功よりも、誤った命令で死んだ人々のことを調べる」
宰相の身柄を確保したあと、シリウスは尋問を一時止めた。
王宮から持ち出された箱には戦功記録だけでなく、地方の徴税台帳と戦死者への補償名簿が入っていた。
どれも欠けた頁がある。
「これを公表すれば、追放の真相は明らかになります」
副官は急いだ。
だがシリウスは箱に封をした。
「私の名誉のために、死者の名前を勝手に使うわけにはいかない」
彼は王国側の書記官二人と帝国の監査官一人を呼び、頁ごとに写しを取らせた。
原本には触れた者の名前と時刻を記録する。
バルザックの罪を証明するためには、証拠が後から書き換えられていないと示す必要があった。
夜、書記官の一人が作業を止めた。
戦死者名簿に、十年前に行方不明になった兄の名前があった。
補償金の受領欄には、見知らぬ役人の印が押されている。
「家には、一枚の銅貨も届いていません」
書記官は声を震わせた。
シリウスは名簿を閉じず、その頁に薄い紙を挟んだ。
「あなたが調べるかどうかは選べる。証言したくなければ、それでもいい」
「調べます。兄がどうして死んだのか、母に説明したい」
翌朝、バルザックは弁明を求めた。
「私は国家のために必要な処置をした。戦功を一人に集めれば軍は割れる」
「ならば、なぜ補償金まで消えた」
シリウスの問いに宰相は口を閉じた。
追放の真相は、軍師一人の功績を奪ったという話では終わらない。
功績を奪うために記録を改竄した結果、兵の死と遺族の暮らしまで数字から消えていた。
シリウスは判決を急がなかった。
王国の法官と民の代表を交えた公開審理を提案し、証人の保護を条件にした。
怒りで裁けば、次の権力者も同じことを繰り返す。
箱の底から、若い頃の自分が書いた作戦書が出てきた。
余白には『兵を帰すための道を先に作る』とある。
十年経っても、その一行だけは訂正する必要がなかった。
尋問後、シリウスは金貨の返還先を確認した。
飢えた王都へ運ばれる荷車を見送り、初めて十年前の自分の名が記された原本を手に取った。
喜びより先に浮かんだのは、当時の部下たちの顔だった。
書記官はその日の作業を終えると、写しを二部に分けて封印した。
一部は王国の法官へ、もう一部は施療院長の預かりとする。
権力者が再び一つの箱を奪っても、真実を消せないようにするためだった。
証人の老人は、審理が終わったら故郷へ帰りたいと言った。
シリウスは護衛を付けようとしたが、老人は首を振った。
『兵がついてきたら、村の者が怖がる』
そこで王国側の商人に同行を頼み、途中の宿に連絡を入れた。
真実を語った者が、そのために日常を失ってはならない。
シリウスは証拠の保全と同じくらい、証人の帰り道を大切にした。
押収した書簡の中に、シリウス追放を決めた会議の出席者名簿があった。
マックの名前も記されている。
シリウスは一瞬、紙を握り潰しかけた。
しかし名簿の余白には、マックが追放に反対したという記録が細い字で残されていた。
「あの人まで疑っていた」とシリウスは呟いた。
セリーナは慰めなかった。
「確かめられるものが残っていてよかった」
シリウスは紙を平らに戻し、証拠袋に入れた。
怒りよりも事実を先に置くのは、戦場で覚えた習慣だった。
追放に関する文書は、宰相の私的な帳簿だけでは証拠にならない。
王宮の裁可簿と当時の軍議録を照合し、誰が何を削ったのかを時系列に並べた。
シリウスは自分に有利な記述にも裏付けを求めた。




