第七十四話 国王は俺を裏切り者と呼び、処刑を命じた
「シリウスを捕らえよ。抵抗するならば討て」
国王ヴァルバディス三世の命令を、書記官は二度読み返した。
帝国軍の総司令官であり、かつて王国から追放した軍師。
今は王都の外で民に食料を配っている人物だった。
「陛下。停戦交渉の可能性が残る今、処刑を命じれば――」
「裏切り者と交渉するつもりはない!」
王は杯を投げた。
書記官は言葉を飲み込み、王印のある命令書を三通作った。
一通は城門守備隊へ。
一通は近衛騎士団長オルフェンへ。
最後の一通は王宮直属の密偵へ。
命令は同じでも、受け取る者が同じように従うとは限らない。
オルフェンのもとに届いた命令書には、施療院の医師を人質にしてシリウスを誘い出す案が添えられていた。
「医師を人質に?」
オルフェンは紙を持つ手を止めた。
先日、その医師に助けられた部下がいる。
セリーナが問いかける。
「病人を治す者を差し出して、私たちは何を守る騎士なのでしょう」
「王を守るのが近衛の誓いだ」
「王が守るべき民を、私たちが害してよい理由にはなりません」
オルフェンは命令書を机に置いた。
「今夜は動かん。明朝、正式に拒否の回答を出す」
彼は返答の期限を文書に残した。
命令を黙殺するのではない。
実行できない理由を、自分の署名で示すためだった。
一方、帝国陣営には書記官が密かに保管した写しが届いていた。
使者は城門の医師に紛れて来たのではない。
正式な交換窓口で、王国側の署名と時刻を記録してから封書を渡した。
密告者の名を守りつつ、命令書そのものの真偽を確認できるようにしたのである。
ガイルが机を叩く。
「食料を送り、医師を通している間に、こちらの将軍を殺す算段ですか!」
シリウスは写しの王印を確かめた。
「施療院の警備を増やす。ただし診療は止めない。医師と患者の避難路を先に確保してくれ」
「王宮の将校を拘束して対抗すべきでは?」
「関係のない者を捕らえれば、王と同じ間違いをする」
彼は近衛騎士団へ抗議書を送った。
王国の兵が命令を拒んでも処罰のために引き渡すことはしない、と明記した。
翌朝、帝国の前哨地へ矢が飛んだ。
鏃には王国近衛の刻印があったが、発射位置は城壁の正規守備隊から外れていた。
「撃ち返します!」
若い兵を、騎兵隊長リュカが止めた。
「お前の矢は、命令を出した王だけを選んで刺すわけじゃない」
斥候が調べると、王宮直属の少人数が城外の廃屋に潜んでいることが分かった。
反撃を誘い、帝国軍が王都の民を攻撃したと宣伝する狙いらしい。
シリウスは盾を増やし、射手の位置と発射時刻を記録させた。
「撃たれるままでは士気が下がります」とガイル。
「反撃しない理由を兵に隠さない。射手は包囲する。ただし投降路を残す」
彼は自ら前哨地に立ち、負傷した兵の話を聞いた。
「我慢するだけなのですか」
「違う。君を守るために射手を止める。だが、城壁の上の少年兵まで殺す必要はない」
昼過ぎ、包囲された射手たちは武器を置いた。
取り調べで分かったのは、王宮直属の命令が近衛騎士団の正式な指揮系統を通っていなかったことだった。
「誰が発砲を命じたか、証言を分けて記録しろ」とシリウス。
負傷兵を前にしたリュカは唇を噛んだが、捕虜への暴行を許さなかった。
「報復しないのは、許したからじゃない。裁くために生かすんだ」
夕刻、セリーナは王国側へ戻る支度をした。
「オルフェン様に、拒否する者を一人にしないと伝えます」
シリウスは帰路の安全を確認し、彼女に返書を託した。
「あなたを危険にさらす命令は出せません」
「これは私の判断です」
セリーナは封書を胸にしまった。
かつてシリウスの追放を疑わずに見送った自分が、今度は命令を疑う側に立つ。
王の命令は、まだ取り消されていない。
それでも、命令に従わない理由を言葉にする者は、確かに増え始めていた。




