第六十六話 俺に降伏した王国軍の将軍が、国王の暴政を証言した
ハロルドは証言書の末尾に、自分の処罰についても調査を求める一文を書き足した。
「王に命じられた。だが、私にも拒む機会はあった」
シリウスはそれを削らせなかった。
「命令を出した者の責任と、従った者の責任は別々に確かめましょう」
幕舎の前で、王国の将軍ハロルドは自分の軍旗を地面へ下ろした。
降伏の証として剣を差し出す手は震えていない。
だが、革鞄から命令書を取り出すときだけ、指が止まった。
降伏した地方将軍は、帝国軍の幕舎に入ると剣帯を外した。
名はハロルド。
十年前、シリウスの報告書を読みながら、宰相の署名を疑わなかった男だった。
「謝罪に来たのではない」と将軍は言った。
「証拠を持ってきた」
机に置かれた命令書には、徴発量を増やす赤い印と王宮の封蝋が残っていた。
命令書には兵糧確保の名目で種麦を取り上げること、抵抗した村を反逆者として扱うことが記されていた。
だが署名だけでは偽造の可能性がある。
シリウスは日付、使者の名前、受領記録を一つずつ確認した。
ハロルドは苛立った。
「まだ私を疑うのか」
「あなたを信じるために確かめている。証言は後で人の命を左右します」
将軍はついに顔を伏せた。
「あの村で、兵が子供の麦を奪った。私は止めなかった」
幕舎の外で聞いていた若い兵が拳を握る。
シリウスは処罰を免除しなかった。
「命令を出した者も、実行した者も、何をしたかを記録する。ただし裁きは証拠に基づいて行う」
ハロルドは黙って頷いた。
夜、ハロルドはシリウスに古い戦術書を返した。
かつて王国の軍学校で借りたままになっていたものだ。
余白には若いシリウスの字で「勝利とは帰還者を増やすこと」と書かれていた。
「私はこの一文を笑った」
ハロルドは本を閉じた。
「今なら分かる。笑っていたのは、兵の命の方だった」
降伏した将軍は証言を始める前に、軍服の内側から折れた木札を出した。
処刑された部下の識別札だった。
「私が止められたはずだ」と彼は言う。
シリウスは質問を急がなかった。
処刑命令の原本があるか、誰が署名したか、いつ兵に伝えられたか。
将軍は記憶をたどりながら答え、曖昧な箇所には自ら印を付けた。
「私の言葉だけで王を裁くのか」
「いいえ。だから裏付けを探します」
将軍は顔を上げた。
自分の証言が都合よく利用されると覚悟していたのだろう。
シリウスは二人の書記に同じ証言を別々に写させ、将軍本人に読み上げて確認させた。
やがて将軍は、飢えた兵へ支給するはずの麦が王都の貴族倉庫へ回された日付を口にした。
書記の一人が筆を止める。
彼の弟は、その頃に飢えで死んでいた。
シリウスは書記を交代させようとしたが、男は首を振った。
「最後まで書かせてください。私の怒りで一文字でも変われば、弟の死がまた利用される」
将軍は木札を机に置いた。
証言は復讐のためではなく、同じ命令を二度と出させないためのものになった。
その後、将軍は徴兵と食料徴発の密命を証拠の印章とともに示したという動きが生まれた。
彼はその違いを部下に何度も教えた。
降伏した将軍の鎧には、磨かれた勲章がいくつも付いていた。
だが手袋の内側は血で濡れていた。
「部下を守るために、命令に従ってきた」
将軍はそう言い、ようやく視線を上げた。
「従うほど、部下を失った」
シリウスは筆記官を呼んだが、すぐには証言を取らなかった。
水と医師を先に用意させる。
傷ついた人間から言葉を引き出すことと、真実を残すことは違う。
証言には、徴発の命令書、処刑された士官の名、配給を止めた日付が記された。
将軍は一箇所で筆を止めた。
「ここに私の署名もある」
シリウスは消させなかった。
「残してください。責任を誰か一人に押しつければ、また同じことが起きます」
将軍は長く紙を見つめ、自分の名を書き加えた。
王国の罪を証言するということは、自分だけを無罪にすることではなかった。
証言の途中、ハロルドは自分が署名した徴発許可証を一枚差し出した。
「この村の麦を奪ったのは私だ。宰相だけを裁けば、同じことが起こる」
記録係の筆が止まった。
シリウスは書き直しを命じなかった。
「あなたの罪も残す。それでも証言するか」
ハロルドは頷き、震える手で日付を記した。
シリウスはその紙を、他の命令書と同じ封筒へ入れた。
証言を保管する場所も問題になった。
王国側へ渡せば焼かれる恐れがあり、帝国だけが持てば捏造を疑われる。
シリウスは写しを三通作り、帝国の軍法官、王国から来た中立の聖職者、降伏将軍本人に預けた。
将軍は「私に持たせるのか」と驚く。
「あなたにも訂正を求める権利があります」
ハロルドの証言はそのまま公表せず、徴発命令の写しと倉庫の受領記録を別々の係が照合した。
シリウスは「将軍が言ったから正しい、では裁きにならない」と記録官に告げた。
翌日、将軍は一つの日時を修正した。
記憶違いだった。
帝国の若い士官は証言の価値が下がると心配したが、シリウスは首を振った。
「間違いを直せる証言の方が信用できる」
将軍は折れた木札を胸へ戻し、初めて自分の足で証言台を離れた。
聖職者は証言の写しを受け取ると、「王国の民にも読む権利がある」と言った。
シリウスは公開の時期だけは慎重に決めた。
証人の家族が王都に残っている。
真実を急いで広めることが、かえって命を危険にさらす場合もある。
彼は家族の避難を先に手配した。
記録係がハロルドの証言を読み返すと、徴発された麦の量と軍への納入量が一致しなかった。
途中で消えた分がある。
ハロルドは顔を上げた。
「私の部隊には届いていない」
シリウスは即座に横領と断じず、運送状と倉庫の受領印を照合させた。
宰相の罪を証明したいからといって、証拠を飛び越えてはならない。
ハロルドは長い沈黙の後、「敵だったあなたに、取り調べのやり方を教わるとは」と苦笑した。
シリウスは笑わなかった。
これまで真実を調べずに人を裁いた結果が、今の戦争だった。
ハロルドが幕舎を出るとき、シリウスは彼に護衛を付けた。
逃亡を防ぐためだけではない。
証言を恨む者から守るためでもある。
ハロルドは「罪人に護衛か」と自嘲した。
シリウスは答えた。
「証言する人間が消えれば、村人が再び嘘を押し付けられる」
ハロルドは初めて深く頭を下げた。
ハロルドの証言を聞いた書記官が、最後の一行を前に筆を止めた。
「将軍ご自身が命令を承認した、と記すのですか」
ハロルドは頷いた。
「陛下の印だけを残せば、死んだ兵に責任を押しつけることになる」
シリウスは訂正を促さなかった。
自白は誰かの復讐を満たすためではなく、同じ命令を二度と出させないために必要だった。
証言書には、徴発を命じた日付と、実際に穀物が運ばれた倉庫の名前が記された。
感情だけでは王都の扉は開かない。
検証できる事実が必要だった。




