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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第五十五話 王国の精鋭騎兵三万人が、罠にはまった

騎兵の先頭では、ヴァロスの副官が水路の土手を見つけていた。

「馬を止めるべきです」

しかし後続の蹄の音が大きすぎて、進軍停止の合図は伝わらなかった。

王国の精鋭騎兵三万人は、勝利を確信していた。

帝国軍の右翼が大きく空いていたからだ。

「敵将シリウスも老いたな」

騎兵長ヴァロスは笑い、先頭の馬に鞭を入れた。

「右翼を突き抜ければ、帝国軍の本陣が見える!」

三万人の蹄が大地を叩いた。

その進路の先には、幅の広い草原があった。

ただし草原の奥には、古い灌漑用水路が幾筋も走っていた。

「敵騎兵、予定の地点へ進入」

斥候の報告に、ガイルが目を細める。

「ここで矢を浴びせれば大損害を与えられるぞ」

「まだです」

シリウスは手を上げた。

「馬が止まる場所まで待つ。人を狙うな。進路を塞ぐ」

工兵は前夜、用水路の橋板を外し、ぬかるんだ畑へ続く道だけを残していた。

深い落とし穴は掘らなかった。

馬の脚を折れば、乗り手が逃げられなくなるからだ。

先頭の騎兵が水路を見つけ、急停止した。

後続が詰まり、隊列が横へ膨らむ。

そのとき、帝国の角笛が鳴った。

草原の両側に伏せていた弓兵が立ち上がり、矢を人のいない地面へ射込んだ。

馬が驚いて横を向く。

騎兵長の号令は、後方まで届かなかった。

「卑怯な!」

ヴァロスは叫んだが、敵の本隊は見えない。

目の前にいるのは、橋板を抱えた工兵と、退路を示す白い旗だけだった。

旗には王国語で書かれていた。

『武器を下ろせば、馬とともに帰還を許す』

部下が尋ねた。

「どうします、隊長」

ヴァロスは剣を抜いた。

「突撃だ!」

だが隣の騎兵は動かなかった。

「後ろには新兵がいます。押せば水路へ落ちます」

ヴァロスが振り返ると、三万人の隊列はもはや一つの軍ではなく、身動きの取れない群れになっていた。

捕虜の馬には水と飼葉が与えられた。

軍馬を失えば帰郷できない兵も多い。

リュカは帝国の馬丁を総動員し、負傷した馬を一頭ずつ調べさせた。

戦場の片隅で、敵味方の馬丁が同じ薬草の名前を口にした。

リュカは馬を進め、王国語で呼びかけた。

「我々は降伏を受け入れる! 負傷者から先に道を開け!」

敵騎兵の一人が槍を投げ捨てた。

続いて二人、十人、百人。

ヴァロスは最後まで剣を握っていたが、後ろから上がる負傷馬の悲鳴を聞き、ようやく刃を下げた。

「俺の敗北だ。兵には手を出すな」

「兵を帰すために、あなたにも生きていてもらう」

リュカはそう答えた。

捕虜の処遇をめぐって、帝国軍の若い士官が異議を唱えた。

「三万人をそのまま帰せば、また攻めてきます」

シリウスは頷いた。

「可能性はある。だから武器は一時預かりとし、名簿を作り、負傷者の帰還経路を決める」

「それで十分ですか」

「十分だと断言できない。だが皆殺しにすれば、次に来る敵は絶対に降伏しなくなる」

リュカが補足した。

「戦うより降りた方が生き残れると知れば、次の部隊も剣を下ろす」

捕虜の中に、かつてシリウスの指揮下にいた老騎兵がいた。

男は名簿に署名すると、小声で言った。

「昔も、あなたは馬の水を先に心配していた」

「覚えていてくれたのか」

「将軍は忘れるでしょうが、兵は忘れません」

シリウスは返事をせず、名簿の次の行を開いた。

騎兵三万が草原へ入った朝、空には雲が低く垂れ込めていた。

王国軍の先頭を率いる騎士団長は、進路の先に帝国の旗を見つけた。

「敵は退く。追えば潰せる!」

部下が歓声を上げた。

しかし旗の数が少なすぎる。

団長は一度、馬を止めさせた。

「先行する百騎だけ進め。後続は丘の手前で待て」

その判断は正しかった。

百騎が通った地面は柔らかく、馬の脚が深く沈んだ。

「湿地です!」

伝令が戻る。

団長は退却を命じた。

だが後ろから来た部隊には、先頭が止まった理由が届いていない。

旗は見えても声は届かなかった。

帝国側ではリュカが丘の向こうから様子を見ていた。

「今なら側面を叩けます」

「叩かない」

シリウスは首を振った。

「退く道を残す。敵の馬が止まれば、騎兵は騎兵でなくなる」

「敵が立て直したら?」

「立て直せる場所まで戻してやる。その間にこちらは別の道へ移る」

リュカは不満げだったが、命令を守った。

湿地の入口で王国兵の一人が落馬した。

仲間は馬を引き返そうとしたが、泥に沈みかける。

帝国の弓兵は矢をつがえたまま動かなかった。

「撃つな。救助が先だ」

リュカが命じた。

縄を持った帝国兵が泥の縁まで進み、落馬した兵に投げた。

土手の手前で停止の角笛が鳴ったが、後続の騎兵には届かなかった。

先頭の副官は旗を振り、馬を横へ向けて進路をふさごうとした。

それでも隊列の勢いはすぐには止まらない。

帝国軍の工兵は水路の水門を操作し、追撃路だけをぬかるませていた。

シリウスは騎兵を包囲するより先に、落馬した者を救出できる通路を確保させた。

王国の騎兵隊長は、前方の土手が不自然に乾いていることに気づいた。

雨のあとなら泥が残るはずだ。

「止まれ!」

しかし後続三万騎の蹄の音が合図を飲み込んだ。

先頭が速度を落とすと、後ろの馬が押し寄せ、隊列は自ら崩れた。

帝国側の弓兵は射撃許可を求めたが、シリウスは首を振る。

「逃げ道を示せ。馬が落ち着くまで待つ」

勝負を決めたのは矢の雨ではなく、相手の速度と地形を読んだ配置だった。

騎兵隊長は捕らえられた後、部下の名簿を最初に求めた。

シリウスはそれを渡し、負傷者の搬送先も記した。

敵将はようやく、罠の目的が全滅ではなかったと知った。

王国兵は敵の縄をつかむことをためらった。

「生きたいならつかめ!」

その声で、ようやく手が伸びた。

王国騎士団長は遠くから救助を見ていた。

彼は剣を抜かず、後続に停止を命じ直した。

「敵は我々を殺しに来ていない」

副官が言う。

「ならば、何を奪いに来た?」

団長は答えを見つけられなかった。

奪われたのは馬でも命でもない。

三万騎が一斉に進むという、彼らの最大の武器だった。

戦闘後、シリウスは捕らえた騎兵の名簿を確認した。

三万人すべてが無傷ではなかった。

転倒した者も、圧迫されて骨を折った者もいた。

衛生隊長が報告する。

「重傷者は百を超えます。命は助かっても、馬に戻れない人もいる」

シリウスは勝利の報告書に、その数字を先に書かせた。

「敵の損害ではありません。私たちが防げなかった損害です」

ガイルは苦笑した。

「お前の勝利報告は、いつも読む者を喜ばせないな」

「喜ばせるための報告なら、次の戦争を止められません」

草原には折れた槍よりも、置き去りにされた軍旗が多く残った。

罠に落ちた騎兵の中に、馬から落ちて動けない伝令がいた。

帝国兵は槍を向けたが、シリウスは捕虜として運ぶよう命じた。

伝令の鞄には、帰還予定の村の名前が幾つも記されていた。

彼は戦果報告の最初に、捕虜の治療人数を記載した。

騎兵を倒した数だけでは、勝利を測らなかった。

罠から逃れた王国の騎兵が、負傷した馬を置いていけずにいた。

帝国兵が迫ると、彼は剣を構えた。

シリウスは追撃の列を止め、「馬を動かせるか」とだけ尋ねた。

騎兵は首を振った。

帝国の獣医が呼ばれ、兵と馬は別々の担架で運ばれた。

その間に逃げた敵もいた。

副官が損失を問うと、シリウスは「追撃を止めた時間と救った命を、両方記録しろ」と命じた。

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