第四十七話 俺は暗殺者を処刑せず、国王への手紙を持たせた
解放する暗殺者の中には、再び宰相に使われることを恐れる者がいた。
シリウスは手紙を持つ役を強制しなかった。
「行くかどうかは、あなたが決めてください」。
暗殺者を帰すというシリウスの判断に、ガイルは強く反対した。
「今度こそ刺されます」
シリウスも危険を否定しなかった。
「だから三人をそのまま放すわけではありません。傷の手当てをし、武器を返さず、証言の写しを別経路で王都へ届けます」
生かすことと無警戒であることは違う。
シリウスは自分の理想を守るためにも、手続きを疎かにしなかった。
捕虜となった暗殺者たちは、王国の兵でも帝国の民でもなかった。
金で雇われ、失敗すれば口封じされる男たちだった。
ガイルは処刑を進言した。
「当然の罰です」
シリウスは机の上の短剣を見た。
「処罰を免除するとは言っていません。まず、誰が命じたのかを公にする必要があります」
拷問で得た証言では、相手に捏造だと否定される。
彼は取り調べの記録を複数の立会人に確認させた。
暗殺者たちを前に、シリウスは最初に名前を尋ねた。
頭目は黙っていたが、女は弟の名を口にした。
「あの子を助けてくれるなら、何でもします」
シリウスは首を振った。
「何でもする必要はない。弟さんの所在は別に調べる」
交換条件にしなかったことで、女は初めて顔を上げた。
男たちは王国の宰相に雇われたと認めたが、家族の所在を口にするのを恐れた。
「戻れば殺される」
シリウスは帰国を強制しなかった。
証言者として帝国に残る道も示した。
三人のうち一人だけが王都へ行くことを選び、残る二人は保護下に置かれた。
手紙を届けるために命を賭ける者を、英雄として飾る気もなかった。
手紙の冒頭に、シリウスは『陛下』と書いた。
かつて自分を追放した王の名を、恨みのまま呼び捨てることは容易だった。
しかし国境の向こうには、まだその王に従う兵と民がいる。
王を辱める文は、彼らの誇りまで傷つける。
シリウスは一度書いた『裏切り』の二文字を消し、『判断』と書き直した。
国王への手紙には、暗殺者の供述だけでなく、通行証の写しと押収品の目録を添えた。
宰相の関与は疑われたが、まだ断定できない。
シリウスは証拠と推測を分けて記した。
『貴国の印章を持つ者が我が宿営地に侵入した。
事実関係の確認を求める』。
相手を辱める言葉を並べれば、王は内容を読む前に手紙を閉じてしまうだろう。
暗殺者の一人が宰相の名を口にした。
シリウスは驚かなかったが、胸の奥が冷えた。
十年前、自分を追放へ追い込んだ男は、まだ同じ方法で人を消そうとしている。
「国王に届ける手紙を書く」
ガイルが顔を上げた。
「奴らを使者にするのか」
「一人だけです。本人の希望と、安全な通行の保証が得られるなら」
残る者は裁きを待つ。
罪をなかったことにするのではない。
真実を届ける道をつくるのだ。
「なぜ復讐しない」
手紙を託された男が尋ねた。
「復讐しても、死んだ兵は帰らない」
シリウスは言った。
「だが王が次の徴募を止めれば、まだ死なずに済む者がいる」
男は手紙を懐に入れた。
暗殺の報酬より軽い封筒だったが、その重さをどう扱えばよいのか分からなかった。
ガイルは不満そうに言った。
「敵に証拠を渡せば、揉み消される」
シリウスは副本を帝国の記録庫に封じ、皇帝にも報告するよう命じた。
「揉み消されても、何が起きたかは残る」
暗殺者を使者にする案についても、護衛と身の安全を条件にした。
彼らを再び使い捨てにすれば、処刑しないと決めた意味がなくなる。
使者の通行は中立の監視所で記録され、王国側の受領印を得てから王都へ向かった。
ガイルは最後まで不安そうだった。
「手紙が宰相の手に渡れば終わりです」
シリウスはうなずいた。
「だから写しはエドガー参謀にも送った」
一通が燃やされても、言葉まで消されないようにする。
かつて自分の報告書を握りつぶされた経験が、その備えを教えていた。
手紙には脅迫を書かなかった。
『あなたが私を追放した事実は変わりません。
しかし、暗殺で戦争は終わりません。
帰還した兵士と、その家族の声を聞いてください』。
使者に選ばれた男は封筒を受け取ると、震える声で尋ねた。
「俺を信用するのか」
「信用するのは、この手紙が誰の手を経たか記録する仕組みだ」
シリウスは護衛の同行と受領証を条件に、男を送り出した。
出発前、女は弟の名がある帰還者名簿を見せられた。
本人確認はまだ済んでいない。
それでも彼女は何度も文字をなぞった。
「もし生きていたら、私はどう謝ればいいですか」
シリウスは答えた。
「まず、帰ってきたことを伝えてください」
女は深く頭を下げた。
命令されて下げた頭ではなかった。
夕暮れ、シリウスは使者の姿が見えなくなるまで門に立った。
戻ってくる保証はない。
それでも男に与えた選択を取り消すつもりはなかった。
自分を殺そうとした者の命を使い捨てにすれば、命令を出した宰相と同じ場所へ落ちる。
シリウスは冷えた手を握り、明日の負傷者交換の予定表へ目を戻した。
シリウスが解放を決めたとき、最も強く反対したのは警備隊長だった。
「彼らが戻って再び刃を向けたら、部下に説明できません」
シリウスは答えた。
「再び来れば、今度も捕らえる。そのための警備は強化する」
そして一呼吸置いた。
「だが、まだ起きていない罪で処刑はできない」
隊長は納得しなかった。
それでも、命令書に『警備上の危険は継続』と書くことを認められ、ようやく署名した。
異論を消さずに残すことも、指揮官の仕事だった。
使者となる暗殺者には、封をした手紙のほかに通行証が渡された。
王国の関所を越えるまでは帝国軍の護衛が同行し、その先は本人の意思に任せる。
「途中で逃げてもいいのか」と男が問う。
手紙の封には帝国軍の印だけでなく、使者本人の名も記された。
シリウスは彼に言った。
「王に届ける義務はない。帰る場所が危険なら、帝国で保護を求めてもいい」
使者はしばらく封書を見つめた後、自分で受領票に署名した。
命令されたからではなく、自分の意思で運ぶと決めたのだった。
国王宛ての手紙を持つ役が決まらず、捕らえられた密偵たちは互いを見つめた。
戻れば宰相に殺される。
逃げれば家族が疑われる。
シリウスは護衛を付けると申し出たが、王国の領内まで守れるとは言わなかった。
「危険を隠して命令するなら、私も宰相と同じです」。
一人の密偵が手を挙げた。
「俺は弟を捜す女を知っている。あの女に、この手紙の写しを渡せますか」。
シリウスは二通目を書かせ、封を別々にした。
どちらか一通が失われても、命令の出所を示す証拠は残る。
密偵は武器を置き、手紙を胸に入れた。
初めて自分で選んだ任務だった。
シリウスは答えた。
「逃げれば手紙は届かない。それだけだ」
男は封筒を握った。
「なぜ俺を信じる」
シリウスは静かに言った。
「信じているのは、お前の良心だけじゃない。お前が選んだことを、後で自分に説明しなければならないという事実だ」
国境で護衛が引き返すと、男はしばらく動けなかった。
処刑台を覚悟していた朝に、自由な道が目の前にある。
懐には金貨より軽い一通の手紙。
彼は一度だけ振り返った。
帝国兵は追ってこない。
男は封筒を開かず、王都への道を歩き始めた。
使者として送り返される暗殺者は、書状の封蝋を見つめた。
「私が途中で捨てたら」
シリウスは答えた。
「それでも、渡すと決めたのは私だ」
護衛の兵は納得していなかった。
シリウスも成功を確信してはいない。
ただ、処刑台で終わる話を、もう一度人間の言葉に戻そうとしていた。
国境へ向かう荷車を見送りながら、シリウスはかつての追放の日を思い出した。
あのとき、誰も自分の言葉を国王へ届けなかった。
今度は、敵意を持って来た者に自分の言葉を託す。
愚かだと言われるかもしれない。
だが剣で届かない場所へ、紙一枚が届くこともある。
国境の関所で、使者は王国側の番兵に呼び止められた。
「帝国の封蝋だ。中身を見せろ」
「宛名は国王陛下だ。私が開けば使命を果たせない」
番兵は槍を向けた。
使者の手は震えたが、懐の通行証を差し出した。
そこには帝国軍の保護が国境までで終わることが明記されていた。
「向こうの将軍は、お前を見捨てたのか」
「違う。ここから先を、俺に決めさせた」
番兵は封蝋に傷がないことを確認し、槍を下ろした。
使者は初めて、自分が単なる使い捨ての刃ではなく、一通の言葉を届ける人間になったと感じた。
手紙を預かった暗殺者は、封を切らずに運ぶと誓った。
しかし国境の検問で、王国兵は中身を見せろと迫った。
「私が開けば、敵国の将軍の言葉は私の言葉に変わる」と彼は答えた。
番兵は迷った末、封蝋の模様を記録し、別の伝令を同行させた。
二人で運べば、途中で内容をすり替えたと疑われる余地が減る。
使者は自分の命だけでなく、届ける言葉の信用まで預かったと知った。




