第四十六話 暗殺者は俺の部屋に入る前に全員捕らえられた
検問所の責任者は、怪しい荷車を止めるか迷った。
間違いなら、町の食料を待つ人々が困る。
そこで全荷車を止めず、警備兵二人に立ち会わせて封印の異なる荷だけを検査した。
荷車の底板を外すと、短剣が三本出てきた。
門番は叫ばず、事前に決めた鐘を二度鳴らした。
食料搬入の合図とは違う音だった。
警備兵は市場側の道を塞がず、幕舎へ向かう小道だけを閉じる。
暗殺者が逃げる方向まで想定した配置で、周囲の炊事兵は混乱しなかった。
検査所の外でパルラは、普段の商人なら必ず言う「明日の朝も来る」という挨拶がなかったことを思い出した。
小さな違和感を報告した自分が大げさだったのでは、と胸がざわつく。
しかし警備隊長は「見逃すより、確かめるほうがいい」と答えた。
荷車の底板を外す前、警備隊長は周囲の料理人を退避させた。
疑いが外れれば謝ればいい。
刃物が出れば、退避させた数だけ命を守れる。
二人の兵が荷を持ち上げると、偽造通行札と細身の短剣が現れた。
御者の視線が逃げ道を探したとき、そこには盾兵が立っていた。
一人目は荷車から飛び降り、二人目は料理人の服を奪おうとした。
三人目は逃げずに、幕舎へ向かって走った。
だが通路の曲がり角には盾兵が待っていた。
「武器を捨てろ」
短剣が地面に落ちる音がした。
弓兵は引き絞った弦を離さなかった。
生け捕りにする命令が、事前に全員へ伝わっていたからだ。
ガイルは捕縛の報告を聞いてシリウスのもとへ駆け込んだ。
「部屋を移してください」
シリウスは従ったが、兵に犠牲がなかったことをまず確かめた。
警備の成功を自分の用心深さの手柄にはしない。
「パルラと門番と補給係を呼んでくれ。どの段階で気づいたのか、順に聞きたい」
それは次の襲撃を防ぐための調査だった。
同時刻、北側の柵を越えようとした二人も拘束された。
警備隊長は得意げに報告したが、シリウスは頷かなかった。
「捕まえた人数と、侵入した人数は同じか」
頭目の供述には六人とあったのに、拘束者は五人しかいない。
巡回隊が再び倉庫を調べると、空の樽の陰に一人が隠れていた。
捕縛の成功を早く宣言していれば、その一人が被害を出していた。
侵入者たちはシリウスの部屋へ到達できなかった。
誰かが超人的な勘で見破ったのではない。
補給長が荷車の重量を記録し、料理人パルラが薪の種類を覚え、門番が印章の更新日を確認していたからだ。
三つの小さな違和感が、ひとつの警報になった。
シリウスは報告を聞き、彼ら全員の名前を記録するよう命じた。
「仕組みで防げたのなら、次も防げる」
捕まった男の一人が短剣を自分の喉へ向けた。
「失敗すれば殺される」
男はそう教えられていた。
シリウスは兵に腕を押さえさせ、低い声で言った。
「ここでは、命令した者の代わりに死ぬ必要はない」
男は笑った。
「お前に何が分かる」
シリウスは答えた。
「命令に従った兵が、命令した者より先に罰を受けることなら知っている」
暗殺者の女は拘束されたあとも弟の行方を尋ね続けた。
取り調べ役は彼女を黙らせようとしたが、シリウスは名簿を取り寄せた。
王国軍から解放された捕虜の一覧に、弟と同じ名前があった。
年齢と出身地を照合するまで、本人だとは告げない。
希望を与えることと、確かでない約束をすることは違う。
取り調べは拷問なしで行われた。
荷札、支払われた銀貨、偽造された通行証を別々に記録する。
供述だけでは宰相を断罪できない。
だが三人の証言が同じ伝令符を指し、物証と一致した。
シリウスは報告書の最後に書いた。
「推測と証明を混同しないこと」
それは自分を追放した王国の裁きへの、静かな反論でもあった。
捕らえられた男の一人は、帝国兵に囲まれると短剣を自分の喉へ向けた。
ガイルが腕を押さえ、シリウスが言った。
「死ぬな。命じた者のために死ぬ必要はない」
男は笑った。
「生きて帰っても殺される」
シリウスは答えた。
「だから帰すかどうかは、お前の話を聞いてから決める」
暗殺者を止めた夜、最も難しい仕事はその後に始まった。
ガイルは処刑を求めた。
「将軍の寝所を狙った者だ。見せしめが必要だ」
シリウスは警備隊長に視線を向けた。
捕縛された者の荷物には、異なる役所が発行した三枚の通行証があった。
それぞれ単独では不審でなくても、同じ人物が同じ日に使えば経路に矛盾が生じる。
シリウスは警備隊長に命じた。
「次からは印章の真偽だけでなく、通行した時刻と行き先を照合しろ。無関係の商人を一斉に拘束する必要はない」
「誰か負傷したか」
「いません」
シリウスは短く息を吐いた。
「ならば、急いで殺す理由もない」
裁判もなく命を奪えば、宰相が望んだ憎しみの連鎖をこちらが完成させることになる。
夜明け、パルラが湯気の立つ椀を持ってきた。
「将軍が寝ていないと、見張りも眠れません」
シリウスは思わず笑った。
命を狙われた夜に、自分の睡眠を叱られるとは思わなかった。
だが椀を受け取り、警備兵の交代表を確認してから横になった。
無事に終わった一夜を、次の無理の言い訳にしてはならなかった。
捕縛の知らせを受け、ガイルは兵を増やそうとした。
しかしシリウスは首を振った。
「人数を増やすより、通行証を二人で確認する仕組みに変えよう」
一人の見張りが眠れば通れる門は、百人並べてもいずれ破られる。
警備隊長は悔しそうに頷いた。
「今夜の功績を、失敗の隠れ蓑にしません」
シリウスはその言葉を報告書に書き添えさせた。
尋問室では、捕らえられた若い暗殺者が水を拒んでいた。
「飲めば口を割らされる」
シリウスは水差しを机の端に置き、兵を一歩下がらせた。
「飲まなくても、話さなくても構わない。ただ、傷は治療する」
若者は顔をしかめた。
「なぜ」
シリウスは短く答えた。
「捕らえた以上、こちらに責任がある」
若者の袖には、古い子供用の紐飾りが結ばれていた。
家族の形見かもしれない。
シリウスは尋ねなかった。
聞き出せることをすべて聞くのが、正しい尋問とは限らない。
その夜、パルラは炊事場へ戻り、検査を知らせた桶を洗った。
門番が不審な荷車を止めたとき、積み荷には診療所の印が押されていた。
「薬を遅らせれば患者が死ぬ」と御者は叫ぶ。
警備隊長は荷を全部押収する代わりに、医師を呼んで必要な薬箱だけを先に通した。
残った箱の底から、刃を隠した仕掛けが見つかった。
捕縛の知らせに兵たちは歓声を上げたが、隊長は御者の手を見た。
縄で擦れた皮膚に血がにじんでいる。
「手当てをしてから尋問する」。
その命令を聞いた密偵が、初めて宰相の名前を口にした。
強引な拷問ではなく、証言が残る手順を守ったことが、暗殺の背後にいる人物へとつながった。
見張りの兵が「あなたが気づかなければ大変だった」と礼を言う。
パルラは首を振った。
「荷車を止めたのはあなたたちでしょう」
兵は少し笑った。
「なら、みんなの手柄ですね」
夜明けの薄明かりの下、厨房から湯気が上がった。
英雄の名がなくても、守られた朝は確かにそこにあった。
取り押さえられた女は、懐の布切れだけは取り上げないでほしいと訴えた。
警備兵が見れば、そこには一人の王国兵の名が縫い付けられていた。
シリウスはそれを見て、尋問の前に捕虜の帰還名簿を調べるよう命じた。
敵の刃を止めることと、敵が刃を持った理由を知ることは、別の仕事だった。
夜が明けるころ、シリウスは捕縛記録を自ら読み返した。
見張りの配置、荷車の検査手順、逃走者を追った兵の行動。
どれか一つ欠ければ、犠牲者が出ていたかもしれない。
彼は功績を警備兵の名で記録させた。
無傷で夜を越えられたのは、将軍の勘ではなく、名もない兵たちが手順を守ったからだった。
警備隊長は捕縛した者たちの人数を報告したが、シリウスは人数より先に負傷の有無を尋ねた。
「こちらの兵が一人、手を切りました。暗殺者側は二人が足を負傷しています」
「同じ医師に診せてください。尋問の前に」
「敵にまで、ですか」
「治療を餌に証言を取れば、証言そのものが疑われる」
翌朝、警備隊長は捕縛の経緯を読み上げた。
炊事場のパルラが荷車の封印の違いに気づき、門番が通行記録を照合し、見張りが逃走路を塞いだ。
「将軍が最初から見抜いていたわけではないのですね」と若い兵が言った。
「そうだ。だから明日も同じ手順で防げるようにする」
その兵は自分の持ち場に戻ると、封印の形を覚えるため、使い古した荷札を机に並べた。
捕らえた者の荷物から、異なる封印の通行証が三枚見つかった。
若い衛兵は一枚を偽物と断定したが、シリウスは首を振った。
「偽物だと決める前に、発行記録と照らし合わせろ」。
調べると三枚とも本物で、発行した役所が違っていた。
敵は門を破ったのではなく、正規の手続きを継ぎ合わせて侵入したのだ。
シリウスは捕縛の功績を褒めるより先に、各役所の記録をつなぐ担当者を置いた。




