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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第三十八話 帰還した兵士たちは、敵将の慈悲を国王に報告した

帰還兵の一人は、王宮で証言する直前に口を閉ざした。

故郷の家族が罰せられるかもしれない。

セリーナはその沈黙を臆病と呼ばず、名前を伏せた証言として残す方法を考えた。

帰還兵の列が王都へ着いたとき、城門の衛兵は歓声を上げなかった。

一万人もの捕虜が生きて戻った事実は、勝利の報せではなかったからだ。

兵士たちは武器を持たず、帝国軍が発行した通行証と帰還者名簿を携えていた。

王宮の役人は「敵に命を助けられた」

という証言を削ろうとしたが、同じ内容を語る者が多すぎた。

王宮の広間に集められた帰還兵は、きれいな鎧を着せられていた。

宮廷の書記官は「帝国軍の卑劣な策略により一時拘束されたが、王国兵の勇気によって帰還した」

と読み上げる。

列の端にいた若者が、たまらず声を上げた。

「違います。

私たちは負けました。

あの将軍が帰してくれたんです」

書記官の筆が止まった。

広間にいる誰も、真実をどの言葉で記録すべきか分からなかった。

王宮の書記官は帰還兵の証言を一つにまとめようとした。

しかし、どの兵も同じ細部を語った。

敵将は武器を返さなかったこと。

病人を先に診たこと。

故郷までの道順を記した紙を渡したこと。

作り話ならば、もっと華々しい美談になっただろう。

帰還兵の中には、王に直接訴えることを恐れる者もいた。

バルザックの役人が証言を書き取るたび、兵たちは互いの顔を見た。

最初に立ったのは、片腕を吊った農夫だった。

「帝国兵が水をくれました」

たった一言だったが、続く者たちが同じことを話し始めた。

国王ヴァルバディス三世は玉座の肘掛けを叩いた。

「敵将の宣伝だ。

捕虜を使って我が国を侮辱している!」

だが、帰還兵の一人は震えながら答えた。

「あの将軍は、私たちに帝国を褒めろとは一度も言いませんでした」

彼は戦友の遺品を差し出した。

丁寧に包まれ、名前を書いた札が結ばれている。

王の側近たちは誰も目を合わせなかった。

王は「恥をさらした者を処罰せよ」と叫んだ。

だが一万人を処罰すれば、王都の家々から反発が起きる。

バルザックは処罰案を引っ込め、代わりに証言の記録を封印するよう命じた。

言葉を消せば出来事まで消えると信じたかった。

王都に戻った兵士たちは、武器を持たないまま王宮の門に並んだ。

国王は帝国の宣伝だと決めつけたが、帰還兵の証言は食い違わなかった。

負傷者が先に手当てを受け、身代金を求められず、戦死者の遺品が名札とともに返された。

兵の一人は言った。

「敵将は勝ったことを誇らなかった。

私たちの名前を確かめていました」

城門の外で、帰還兵の母親が息子の顔を両手で挟んだ。

「傷は?」

息子は首を振り、代わりに懐から小さな木札を出した。

戦死した友人の名が刻まれている。

「あの将軍が、家族へ渡せと言った」

母親は木札を胸に抱いた。

王宮の報告書では、帰還者は一万人という数字に過ぎない。

だが城下の路地では、その一人一人に名前があった。

帰還兵の証言を記録する書記官は、何度も筆を止めた。

「敵将は捕虜に水を配った」

という一節を消せと命じられたからだ。

だが廊下には、同じ話をする兵の家族が集まっていた。

書記官は公文書には王命どおりの文言を書き、手元の控えには聞いた言葉をそのまま残した。

いつか真実を示すための、小さな抵抗だった。

国王の怒声が響いた後、宰相バルザックは帰還兵の証言を二種類に分けさせた。

公表する文書には「敵軍の計略によって帰還」

と書き、王宮に残す原本には一言一句を記録する。

書記官は手を止めた。

「原本と発表が違います」

バルザックは冷たく言った。

「国を守るためだ」

書記官は返事をせず、原本の日付と署名を丁寧に書き残した。

宰相バルザックは報告書の末尾にある署名を見て顔色を変えた。

「シリウス」

よくある名だと自分に言い聞かせたが、添えられた一文が心を刺した。

「戦死者の名は、勝敗によって消してはならない」

かつて自分が王宮で握りつぶした報告書にも、同じ言葉があった。

彼は署名の上に紙を重ねた。

それでも文字は、頭から消えなかった。

バルザックは書類を握り潰そうとして手を止めた。

「シリウス」

という署名を消せば、報告書の原本が残る。

証言者を脅せば、一万人の口を塞がねばならない。

かつて一人の軍師を追放するのは簡単だった。

だがその男が救った一万人の存在は、王宮の扉を閉めても消せなかった。

城下では別の報告が広まっていた。

帰還兵が母親に渡した乾パン、包帯に書かれた帝国の救護所の印、遺品と一緒に返された名札。

王宮が文書を改めても、家族が触れた品まで消すことはできない。

バルザックは城門を閉じて噂を止めようとしたが、商人たちはすでに各地へ出発していた。

敗北の知らせより速く、人を生かした敵将の話が王国中へ走り始めた。

バルザックは証言を削った報告書を国王へ差し出そうとして、手を止めた。

別の役人が持つ名簿には、削ったはずの一文が残っている。

「帝国の将軍は捕虜を辱めなかった」

記録を消すには目撃者が多すぎた。

彼は報告書を机に戻し、代わりに敵将の筆跡を調べるよう密かに命じた。

国王は彼らの帰還を敵の策略だと決めつけた。

しかし王都の広場では、家族が生きて戻った兵を抱きしめていた。

勝利を宣言する布告より、広場に響く泣き声のほうが人々の記憶に残った。

王宮から退出した帰還兵たちは、広場で待つ家族に囲まれた。

ひとりの父親は娘を抱き上げたが、戦死した友の母親を見つけると足を止めた。

帝国軍が返した遺品を、両手で差し出す。

母親は包みを開けず、ただ胸に抱いた。

その光景を城の窓から見た書記官は、報告書の「敵の宣伝」という語を消し、「遺品の返還を確認」

と書き直した。

小さな訂正だったが、王宮では勇気の要ることだった。

帰還した兵士の母親が、息子の肩に残る包帯を見つけて泣き出した。

息子は帝国軍の救護所で手当てされたと話したが、母親は敵国への感謝を口にしてよいのか迷った。


やがて彼女はただ「帰ってきてくれてありがとう」と言った。

帰還兵の母親は、息子の顔を見るなり頬を打った。

「生きていたなら、どうして便りをよこさなかったの」

息子は泣きながら謝った。

周囲には帰ってこなかった兵の家族もいた。

彼らは喜ぶ人々の輪から少し離れて、名簿に指を滑らせている。

帝国軍が返したのは生きた兵だけではない。

戦死者の名と、遺品の包みも一緒だった。

王宮が報告を隠しても、家族の記憶までは消せなかった。

母親は遺品の包みを抱き、息子の名を何度も呼んだ。

喜びと悲しみが同じ広場にあった。

帰還兵の証言を記録していた若い書記は、命じられた通りに「敵将の慈悲」

という言葉を消しかけた。

しかし向かいの兵が袖をまくり、帝国の軍医が縫った傷を見せた。

「俺が生きている理由まで消すのか」

書記は筆を止めた。

正式な報告書には書けなくても、証言の原本を封筒に収め、日付と自分の署名を残した。

後に誰かが嘘を暴こうとしたとき、たった一枚の紙が役に立つかもしれない。

包まれた遺品を受け取った母親は、帝国の将軍の名を知らなかった。

名札の文字を指でなぞり、「息子の字ではない」と言った。

帰還兵は頷いた。

「敵の兵が書いてくれました。

間違えないように、と」

母親は声を上げて泣いた。

その話は王宮の報告書から削られても、夕餉の席から席へ伝わっていった。

バルザックが封じたかったのは敵将の名前だけではない。

国王以外にも、人を守る者がいるという事実だった。

帰還兵の一人が、帝国軍の医療札を袖の中に隠していた。

「敵に助けられた証拠を持ち帰れば、反逆者と呼ばれる」

その声を聞いたエドガーは、札の裏に書かれた治療日と担当者の名を記録した。

帰還兵が王の前で語り終えると、廷臣の一人が口を挟んだ。

「敵の宣伝を信じたのではないか」

兵は弟の包帯を差し出した。

「この結び方は、帝国の衛生兵が教えてくれました。

弟は今も生きています」

王は包帯を見ようとしなかった。

バルザックは兵を下がらせようとしたが、控えていた書記官が証言を記録し続けていた。

兵は最後に言った。

「私は王国の兵です。

それでも、助けられた事実は消せません」

書記官はその一文を削らなかった。

宮廷の報告書から削られても、負傷者名簿と治療札は消えない。

彼は原本を兵士の家族に返した。

帰還兵の証言が終わると、国王は「敵に買収されたのだろう」

と吐き捨てた。

書記官はその言葉も記録した。

兵の弟が生きている事実と、王がその報告を拒んだ事実を、同じ紙に残すためだ。

バルザックは記録の削除を命じたが、謄本はすでに軍の記録係へ送られていた。

兵は宮廷を出ると、弟の包帯を握り直した。

救われた命まで嘘にはできなかった。


挿絵(By みてみん)

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