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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第三十話 帝国軍の旗の下に、かつて俺を追放した王国の紋章が見えた

帝国の国境監視隊が、王国軍の旗を確認した。

青地に金の獅子。

シリウスが何年もその下で戦った紋章だった。

「敵の先鋒、街道沿いに進軍中」

報告を聞いても、彼はすぐには答えられなかった。

旗の向こうには、かつて同じ鍋の粥を食べた兵がいる。

皇帝アレクシスは迎撃を命じる前に、シリウスを呼んだ。

「お前に祖国と戦わせることになる」

「承知しています。

ただし、民間人の退避を優先させてください。

降伏した兵は保護し、村を焼く命令には従いません」

皇帝はしばらく考え、条件を認めた。

青地に金の獅子。

国境の丘に上がった王国軍の旗を見て、シリウスは言葉を失った。

昔、その旗を泥の中から拾った兵がいた。

傷ついた仲間を担ぎ、最後まで退かなかった若者だった。

あの兵は今も王国軍にいるだろうか。

ガイルが隣に立った。

「指揮を代わるか」

「いいえ。

ただ、私が知っているのは数年前の編制です。

今の王国軍を知っていると思い込めば、兵を危険にさらす」

シリウスは斥候の報告を一から読み直した。

旗だけで所属を決めず、補給車の印と将校の腕章を確かめるよう命じた。

夕方、王国軍から使者が来た。

若い士官はシリウスを見て息を呑んだ。

「あなたは……」

シリウスは先に名乗らなかった。

「こちらは帝国の国境守備軍です。用件を」

士官は唇を噛み、通行を要求する命令書を差し出した。

そこには国王の署名があった。

シリウスは命令書を返した。

「この街道は帝国領です。

武装したまま通すことはできません。

負傷者の救護なら受け入れます」

使者はしばらく動かなかった。


やがて小さく敬礼し、馬を返した。

夜、シリウスは地図の上の獅子の印を見つめた。

国王に捨てられた日、もう二度とこの旗を見ることはないと思った。

だが今は違う。

守るべき国境の向こうに、かつての祖国がいる。

王国軍の使者が去ったあと、シリウスは古い紋章を紙に描いた。

獅子の爪の向き、旗の縁の刺繍。

見間違いではない。

だが旗が同じでも、兵士まで同じとは限らない。

「知り合いがいるのか」

とガイルが尋ねた。

「いました。

橋が落ちたとき、仲間を助けに戻った兵も」

「なら、お前は戦えないかもしれん」

シリウスは否定しなかった。

王国の旗を見るだけで、追放された日の声が蘇る。

怒りもあった。

だが、その怒りを部下の命令書へ書き込むことだけはしたくなかった。

彼は参謀を集めた。

「私が王国軍を知っているという前提を、今日から捨ててください。

兵数も将校も配置も変わっている。

敵の意図は斥候の報告で確認する」

若い士官が問う。

「相手があなたの名を呼んだら?」

「交渉に必要なら名乗る。

挑発なら応じない」

使者が持参した通行要求は、帝国領内での武装行軍を認めよという内容だった。

シリウスは拒否の返書に、負傷者の受け入れ場所と、武器を預ける条件を添えた。

「戦わずに済むと思うか」とガイル。

「分かりません。

だからこそ、戦わない道を文書に残します」

夜更け、シリウスは王国の旗を見ていた若い歩哨と交代した。

「将軍、怖くないんですか」

「怖い。

だから見張りを二人にしている」

歩哨は少し笑った。

シリウスはその笑いを聞いて、明日の命令を決めた。

戦うとしても、兵たちが何のために立つのかを見失わせない。

王国の紋章を見たとき、シリウスが最初に思い出したのは国王の顔ではなかった。

橋の上で帰りを待っていた兵士たちと、記録を残そうとした若い書記官の手だった。

「王国兵の中にも、戦いたくない者がいるはずです」

シリウスの言葉にガイルは腕を組んだ。

「だが旗がこちらへ進むなら、敵として扱わねばならん」

「分かっています。

だからこそ、彼らの目的を確かめたい」

偵察隊が戻り、王国軍の一部が農民の荷車を徴発していると報告した。

まだ武力衝突は起きていない。

だが徴発された馬が疲弊し、荷車の中には冬越しの種麦も積まれているという。

シリウスは軍議を開き、住民保護を優先する方針を示した。

リュカには王国軍の進路を追わせ、エリシアの使者には国境の村へ避難の通知を届けてもらう。

ガイルは予備隊を動かさず、交渉が破れた場合にだけ出せる位置へ置いた。

若い参謀が尋ねた。

「王国軍の指揮官は、あなたの昔の部下かもしれません。

その場合は?」

「昔の縁で見逃すことはできない。

だが昔の縁があるからこそ、話せることがあるかもしれない」

シリウスは封書を二通作った。

一通は王国軍の指揮官宛て。

民間人の徴発を止め、武装部隊の進入を控えるよう求める正式な通告だ。

もう一通は避難する村の代表へ。

安全な道と、帝国軍が食料を買い上げる条件を書いた。


夕刻、前線から返事が届いた。

王国軍の指揮官は会談を拒まなかったが、徴発を止める命令を出す権限はないという。

「命令が上から来ているのか」とガイル。

「あるいは、責任を取りたくないのかもしれません」

シリウスは使者を責めなかった。

王国で命令に逆らう怖さを、彼はよく知っていた。

夜、見張り台に登ると、王国の陣に小さな灯が並んでいた。

あの灯の下にも、家族へ帰りたい兵がいる。

シリウスはそのことを忘れまいとした。

「明日の朝、もう一度交渉を申し入れる」

と彼は言った。

「拒まれたら?」

とリュカ。

「守るべき道を守る。

そのための準備はもうできている」

剣を抜くかどうかは、相手の次の行動で決まる。

だが剣を抜かずに済む可能性を、先に捨てる理由はなかった。

ガイルはシリウスの横に立った。

「ためらうなら俺が先頭に出る」

「ためらいます。

だからこそ、命令を一人で決めないようにしたい」

シリウスは偵察報告を参謀全員に開示し、避難路と防衛線を別の色で地図に描いた。

夕暮れ、見張り台から王国軍の紋章がもう一度見えた。

シリウスは旗に向かって剣を抜かなかった。

代わりに伝令へ封書を渡した。

住民を戦場から離すための通告と、交渉の窓口を記した文書だ。

「相手が拒んだら?」

「そのときは戦う。

だが拒まれる前から、殺すことだけを考えるな」

遠くで軍鼓が鳴った。

かつて祖国だった国との戦いが、始まろうとしていた。

リュカは交渉の使者に、自分の予備の水筒を渡した。

「敵の陣まで往復するんだ。

空で帰ってくるなよ」

使者は緊張した顔で笑った。

剣より先に言葉を届ける役目も、命がけだった。

王国の軍旗を見た瞬間、シリウスの胸に浮かんだのは国王の顔ではなかった。

訓練場で転んだ新兵を起こした日のことだった。

今あの旗の下にいるのは、命令に逆らえない兵士たちかもしれない。

リュカが敵陣を指した。

「使者を出すなら、相手に準備する時間を与えます」

「だから期限を切る。

返答がなくても、こちらの陣形は崩さない」

シリウスは王国の言葉で停戦の提案を書いた。

捕虜の扱い、負傷者の引き渡し、民間人の通行を先に記した。

最後に署名しようとして、筆が止まった。

かつて王国に忠誠を誓った名だ。

だが彼はその名を隠さず書いた。

相手に自分が誰かを知らせる危険より、無名の使者として兵を欺くことを選べなかった。

王国の紋章を見た瞬間、シリウスは追放の日の広間を思い出した。

国王の言葉よりも、目を伏せた旧友たちの顔が胸に残っていた。

今、向こうの陣にいる兵士の中には、彼が訓練を指導した者もいるかもしれない。

シリウスは望遠鏡を下ろし、まず避難民の移動状況を尋ねた。

シリウスの前に、かつて同じ軍学校で学んだ将校の名が記された報告書が届いた。

王国軍の先遣隊長、ハインツ。

机を並べ、撤退の演習でいつも言い争った男だ。

「顔を知る相手なら、交渉がしやすいのでは」

と若い参謀が言った。

「逆だ。

知っているからこそ、こちらの言葉を裏切りと受け取るかもしれない」

シリウスは私信を書きかけ、破り捨てた。

公の停戦条件と私情を混ぜてはならない。

「まずは民を逃がす。

それから相手が誰であろうと、同じ条件を示す」

王国の旗は夕日に赤く染まっていた。

使者に渡す文書には、交渉の期限と安全な帰還路を明記した。

相手が返事をしない可能性も考え、部隊には防御位置を維持するよう命じる。

リュカは「情けをかけて隙を見せるのか」と尋ねた。

シリウスは首を振った。

「戦う準備をしたうえで、戦わずに済む道を残す。

それは隙ではない」


夕刻、国境から新たな報告が届いた。

王国軍は先遣隊だけでなく、後続の大部隊も街道へ進めている。

総数はまだ確定していない。

シリウスは交渉文書を使者に託す一方、村の井戸と穀物庫の位置を地図に記した。

「交渉が失敗したら、最初に奪われるのは城壁ではなく水だ」

その夜、避難路には目印の灯りがともされた。

翌朝、王国軍の本隊が国境を越える前に、住民を動かすためだった。

王国の紋章を見たリュカは、突撃の号令を待った。

だがシリウスは双眼鏡を下ろした。

「向こうの旗の下にいるのは、かつて俺と同じ食堂で飯を食べた兵かもしれない」

「なら、戦えませんか」

「戦う。

だが、殺す以外の道を先に探す」

彼は旗の位置ではなく、後方の荷車と退路を地図に写した。

リュカは言葉を飲み込んだ。

祖国を憎む気持ちだけで作戦を立てれば、兵の命を私怨に変えてしまう。

シリウスは最後に一本の道を指した。

「ここだけは塞ぐな。

逃げる者の道だ」

交渉の使者が戻り、王国軍は避難のための半日停戦すら拒んだと告げた。

リュカが怒りに顔を赤くする。

シリウスは退路を示す白い杭を地図に増やした。

「相手が拒んでも、こちらまで命を捨てる理由にはならない」


その夜、国境の農家から灯りが消えた。

村人が避難を終えた合図だった。

シリウスは初めて王国の旗を正面から見据えた。


挿絵(By みてみん)

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