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無能と罵られ追放された天才軍師、敵国で英雄になる ~追放した王国が、今さら停戦を求めて土下座してきても遅い~  作者: レモンティー


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第二十九話 祖国の宰相が、謎の将軍の正体を調べ始めた

王国宰相バルザックの机には、グラニス公国軍敗北の報告が積まれていた。

十万の軍が三つに分かれ、橋と補給で足を止められたという。

彼は一枚の図面を見て息を止めた。

線の引き方が、かつて自分の名で国王に提出した軍師シリウスの報告書に似ていた。

「この帝国軍師の素性を調べろ。報告は私だけに届けよ」

密偵長は頷いたが、念を押した。

「国王陛下にも同じ報告を?」

「陛下には、公国の失策による敗北とだけ伝えよ」

バルザックは言葉を選んだ。

追放した男が敵国で成果を上げていると知れれば、誰が過去の判断を問われるか分かっていた。

バルザックは使者の前で冷静さを装った。

「敵国の軍師の名は」

「記録にはシリウスとだけ」

その名前を聞いても、宰相は表情を変えなかった。

だが使者が去ると、机の引き出しから古い報告書を取り出した。

橋の危険を指摘した、あの軍師の筆跡があった。

王国の軍議で、彼はシリウスの進言を自分の功績として提出してきた。

国王が追放を命じた日も、訂正しなかった。

今になってシリウスが帝国で勝利を重ねれば、過去の虚偽が明らかになる。

「偶然だ」

と口にしてみたが、言葉は空しく響いた。

バルザックは密偵を呼んだ。

「帝国軍の将軍を調べろ。

ただし名前を出すな。

似顔絵と行軍記録を集めろ」

密偵が去ったあと、彼は古い文書を火に近づけた。

炎が紙の端を舐めたところで手を止める。

消してしまえば証拠はなくなる。

だが証拠がなくなれば、かえって疑われるかもしれない。

宰相は焦げた紙を引き出しへ戻した。

敵国にいるのがシリウスなら、恐ろしいのは戦場の敗北だけではない。

自分の名前で飾った勝利が、ひとつずつ他人のものへ戻っていくことだった。

宰相バルザックは密偵の報告を二度読んだ。

帝国の新軍師はシリウス。

だが同じ名の人間は珍しくない。

証拠が必要だった。

「年齢は」

「追放された軍師とほぼ同じです」

「出身は」

「公表されていません」

バルザックはそこで報告書を閉じた。

相手が本人だと決めつければ、国王への説明を誤る。

本人でないと決めつければ、もっと危険だ。

彼は古い書記官を呼び出した。

「橋の崩落を警告した文書の原本はどこだ」

書記官は慎重に答えた。

「控えは複数ございます。

軍務局と補給局にも送られました」

「一つにまとめろ」

「規則上、各局の控えは消せません」

宰相は机を叩きかけて止めた。

追放の日、シリウスの警告を軽んじたのは国王だけではない。

自分も署名している。

証拠を集めれば、最初に傷つくのは自分だ。


その夜、密偵に追加の指示を書いた。

帝国軍師の顔と筆跡を調べること。

軍の秘密を盗むな、公開の戦勝報告と式典の記録だけを集めろ。

露骨な工作は、かえって帝国に警戒される。

使者が出て行くと、バルザックは燭台を遠ざけた。

焼けば過去が消えると思ったのは一瞬だった。

書類の写しはもう自分の手を離れている。

「シリウス……」

その名を呼ぶ声には怒りより恐怖があった。

失ったのは一人の軍師ではない。

自分の嘘を知り、しかも敵国で成果を出せる人物だった。

王都の書庫は昼でも薄暗かった。

バルザックが探させたのは、追放された軍師の戦果ではない。

王国が敗れた渡河作戦の前に提出された、古い警告書だった。

「その文書は処分されたはずです」と書記官。

「処分されたなら、処分した記録を持ってこい」

書記官は戸惑った。

記録がなければ、命令が存在したことさえ証明できない。

バルザックはそれを知っていたからこそ、命令を口頭で済ませてきた。

だが今回は違った。

若い記録官が控えを残していたのだ。

そこには増水時の橋の危険と、補給車を先に渡してはならない理由が書かれている。

「陛下には見せるな」

そう言いかけた瞬間、バルザックは口をつぐんだ。

書記官の目が自分の手元を見ている。

恐怖を見せれば、相手は秘密の重さに気づく。


その夜、密偵から帝国軍の軍師について新しい報告が届いた。

軍議で王国の機密を口にせず、兵の帰還人数を気にかけ、戦場では橋を破壊するより避難路を確保するという。

「似ているだけだ」

バルザックはそう言った。

だが最後の一行を読んで指が止まった。

軍師は戦闘後、作戦の成功を自分の手柄として記録させなかったという。

それはかつて彼が最も利用した性質だった。

シリウスは名誉より兵の命を優先し、バルザックはその隙に成果を横取りした。

書記官が恐る恐る尋ねた。

「もしその人物が本当にシリウス殿なら、陛下へは何と」

「生きていることと、脅威であることは別だ。

確認するまでは報告するな」

バルザックは答えたが、声は乾いていた。


翌朝、王国の商人たちが宮廷に嘆願書を出した。

帝国との国境が緊張し、交易の荷車が止まっている。

戦争が始まれば、最初に困るのは兵士ではなく町の人々だ。

バルザックは嘆願書を机の隅に押しやった。

かつてシリウスが何度も指摘した問題だった。

彼が追放したのは一人の軍師ではない。

耳障りな現実を伝える声そのものだった。

密偵への返書には、たった一つの命令を書いた。

『軍師の顔を確認せよ。

接触はするな』

真実を知りたいのか、知るのが怖いのか、本人にも分からなくなっていた。

古い文書庫から、シリウスの署名が残る草稿が見つかった。

宰相の名前に書き換えられた正式文書と、同じ誤記があった。

書記官はその差を見て顔色を変えた。

「原本を焼け」

とバルザックは命じかけ、思いとどまった。

消せば消したことが証拠になる。

密偵が出立した夜、バルザックは国王への報告書を仕上げた。

帝国の勝利は偶然、公国の指揮官は無能。

そう書けば当座は収まる。

だが机の引き出しには、シリウスの筆跡の写しが残った。

「生きていたのか」

誰もいない部屋で漏れた声には、怒りより恐れが混じっていた。

書記官は原本の写しを封筒に入れ、日付と保管場所を書き添えた。

誰か一人が消えれば証拠も消える仕組みにしてはならない。

彼の小さな抵抗は、まだ誰にも知られていなかった。

バルザックは報告書にある戦法の記述を読み返した。

補給路を守り、住民の避難を先に済ませる。

奇抜な策ではない。

だがかつて彼が「臆病者の理屈」

と切り捨てた言葉と、あまりに似ていた。

「名を確かめろ。

ただし王にはまだ知らせるな」

密偵はうなずいたが、退出する前に尋ねた。

「もし同一人物なら、どうなさいますか」

宰相は答えられなかった。

生きているだけなら追放の失敗で済む。

敵国で勝ち続けているなら、王国が何を捨てたのか国中が知る。

廊下の先で、書記官が古い文書箱を運んでいた。

バルザックはその箱に目を留めた。

自分が消したと思っていた警告の写しが、まだどこかにあるのかもしれない。

バルザックは報告書にある「住民の避難を優先した」

という一節で手を止めた。

勝利の数字より先にその言葉を置く軍師を、彼は一人しか知らない。

だがシリウスが生きていると認めれば、かつての追放判断も問い直される。

宰相は紙を伏せ、部屋の外に人がいないか確かめた。

王宮の廊下で、若い書記官はかつてシリウスが残した地図の複写を見つけた。

橋の水位と荷車の通行量が細かく記され、余白には『撤退路を先に確保すること』とあった。

筆跡を見れば、帝国の謎の将軍が誰なのか、彼にも分かった。

だが彼はすぐに告発しなかった。

証拠を宰相へ渡せば握り潰される。

国王へ直接届ければ、自分が先に捕らえられるかもしれない。

彼は封を二つ作った。

一つは王国の監察官へ、もう一つは国境の商会へ。

真実が届く道を一本にしないためだった。

書記官は二通の封書に同じ番号を振り、送付台帳には宛先を書かなかった。

王宮の検閲を避けるため、監察官には公式の訴状として、商会には運送記録の照会として送る。

いずれも一通だけでは警告書の存在を証明できない。

だが二つの経路が生きていれば、バルザックが一方を握り潰しても疑問は残る。

書記官は封蝋が固まるまで、震える指を机の下に隠していた。

バルザックは密偵の報告を暖炉へ投げ込もうとして手を止めた。

焼けば疑惑は消える。

だが、帝国にいる将軍が本当にシリウスなら、失われた警告書の写しもどこかに残っているかもしれない。

彼は報告を引き出しに隠し、国王への上奏文には「敵将の身元は調査中」

とだけ記した。

その曖昧な一行が、彼自身の恐怖を示していた。

密偵長が差し出した報告書には、帝国軍師の戦術が古い王国の教本に似ているとあった。

バルザックは紙を伏せた。

「偶然だろう」

「ならば、その教本の執筆者を調べましょう」

「焼却した資料まで探す必要はない」

言ってから、宰相は自分の失言に気づいた。

密偵長は焼却の話などしていない。

「焼却した資料があるのですか」

バルザックは机の引き出しを閉めた。

「昔の整理だ」

密偵長はそれ以上追及しなかった。

しかし退出すると、部下に命じた。

「古い文書の保管簿を調べろ。

なくなった紙の名前から始める」

密偵長は保管簿から、十年前の作戦書の閲覧記録が一頁だけ抜き取られていると知った。

焼却したと語った宰相の言葉と一致しない。

彼は報告を王へ直接出すべきか迷った。

だが、王宮の書記官にも写しを預けることにした。

宰相が一冊の本を隠しても、記録の空白までは隠せない。

バルザックは、その空白が自分へ迫っていることをまだ知らなかった。


挿絵(By みてみん)

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