第十三話 敵将は俺の砦を見て、三日で落とせると笑った
ローデリック大将軍は馬上から黒岩砦を眺め、笑った。
「低い壁に、古びた見張り塔。五千の守備兵など、三日で片づく」
背後には公国軍五万人の旗が並んでいた。
だが、参謀ミハイルは笑わなかった。
彼の手元には、攻城塔を運ぶ車列と食料車の通過時刻を記した二枚の報告書があった。
「閣下。西街道では攻城塔の車軸が泥に沈み、食料車が追い越せません。前衛の備蓄は三日分ですが、後衛への配給は遅れています」
「三日で砦を落とせば済む」
「砦の倉庫が空だった場合は?」
ローデリックの笑みが消えた。
「負ける前提で話すな」
「勝つための確認です」
ミハイルは答えたが、大将軍はすでに使者を呼んでいた。
「降伏を勧告しろ。拒めば攻城塔を進める」
白旗を掲げた使者が黒岩砦へ向かった。
使者を迎えたシリウスは、豪華な鎧も勲章も身につけていなかった。
「帝国軍の指揮官はどこだ」
「私です」
使者は疑わしそうに目を細めた。
「ローデリック大将軍は三日の猶予を与える。砦を明け渡せば命は助ける」
「降伏には応じません」
シリウスは即答した。
「ただし、負傷者の搬送と使者の安全については、今のうちに取り決めておきたい」
「戦う前から負傷者の心配か」
「戦う前だから、決められることがあります」
使者が持ち帰った返書には、降伏拒否と、双方の衛生兵を攻撃しないための提案が記されていた。
ローデリックは紙を握り潰した。
「臆病者め。こちらの数を見て震えているのだ」
ミハイルは破れた紙片を拾った。
「相手は負傷者が出ることを想定しています。こちらが勝つと決めている三日間を、向こうは準備に使うでしょう」
「準備させたところで、五千は五千だ」
議論は終わった。
そのころ砦の地下では、シリウスが工兵長と古い排水路を調べていた。
水路は砦の西で沢に合流している。
土砂を取り除けば、砦の内側に雨水が溜まるのを防げる。
「敵を水攻めにするのですか」とベルクが尋ねた。
「違います。まず味方の通路を水没させないためです」
シリウスは工事区間を短く区切り、崩落しやすい箇所には人を入れないよう命じた。
続いて石工の親方が、北塔の土台に入った亀裂を報告した。
「補修はできます。ただ、三日では強度を戻せません」
「なら北塔の見張りを減らし、別の位置へ移しましょう」
「弱い場所を敵に悟られます」
「弱い場所に兵を残す方が危険です」
ベルクは作業表を見て首を傾げた。
「敵は三日で落とすと言っています。こちらも三日で修理を終えるのですか」
「全部は終わりません。初日は水と食料、二日目は退路と遮蔽物、三日目は予備の伝令路を確認します」
「勝つための三日ではないのですね」
「戦える状態を失わないための三日です」
敵陣では、攻城塔の修理に駆り出された職人が夜通し働いていた。
車軸を交換したばかりの職人が足を滑らせ、工具を落とす。
足を傷めた彼を運びながら、ミハイルは交代要員を求めた。
「三日で落とすと宣言したのだ。休ませるな」とローデリック。
「職人が倒れれば塔も動きません」
「言い訳は聞かん」
翌朝、攻城塔は進んだ。
しかし雨を吸った街道では車輪が沈み、予定の半分も進めない。
食料車は塔の後ろに詰まったままだった。
黒岩砦の見張り台から、その様子を確かめたガイルが言った。
「敵の塔が止まった。お前の読みどおりだな」
「雨は読みました。でも、止まる場所までは分かりませんでした」
シリウスは地図に時刻と位置を記した。
「斥候を交代で出してください。塔が動かなくても、敵の工兵が道を直すかもしれません」
「敵に道を作らせるのか」
「止められる場所は守ります。ただ、敵にも考える者がいることを忘れたくありません」
日が落ちるころ、ミハイルは補給将校から新しい報告を受け取った。
前衛にはまだ食料がある。
しかし後方の部隊では配給が減り始めていた。
「近くの村から徴発しますか」と補給将校。
「徴発すれば、撤退する日に村人が飢える。まず攻城塔の輸送を一部止め、食料車を通すべきだ」
「大将軍はお認めになりますか」
「進言する。認められなかったことも、記録に残す」
ミハイルは報告書に署名した。
その夜、砦の見張り台で、ベルクは西の暗がりに小さな灯を見つけた。
「敵が荷車を動かしています。攻城塔の修理は終わったのでしょうか」
シリウスは望遠鏡を受け取り、灯の動きを数えた。
列は砦に向かっていない。
川沿いへ折れ、暗闇に消えていた。
「塔ではありません。食料車を迂回させている」
「敵の補給が回復するなら、こちらが不利になります」
「そうです。敵が無策とは限らない」
シリウスは伝令を呼んだ。
西の橋を守る部隊へ、村の通行を妨げずに川沿いの道を偵察するよう命じる。
ベルクは驚いた。
「補給路を断つなら、橋を壊すべきでは」
「橋は村人も使います。敵の荷車だけを止める方法を探す。できなければ、別の作戦に変えます」
彼は地図に三つの印を付けた。
橋、川沿いの迂回路、そして雨が降ればぬかるむ低地。
「敵の食料が尽きるのを待つだけでは、こちらの食料も尽きます。どちらの時間が先に切れるか、毎朝数字で確かめましょう」
ベルクは頷いたが、まだ不安げだった。
「読みが外れたら」
「そのときは撤退路を使います。撤退路を残すことも、勝つための準備です」
城壁の外では、五万人の軍勢が眠り始めていた。
城壁の内側では、五千人を守るための判断が一つずつ積み重なっていた。
三日目の朝まで、あと二晩。
ミハイルは夜の報告書に、攻城塔が一基だけ前進した理由を書き残した。
水路を掘った工兵の手柄だった。
ローデリックはその紙を見て笑いを引っ込める。
「敵が強いのではない。我が軍がまだ勝てるということだ」。
だがミハイルは、勝つために必要な食料の欄が空白のままなのを見逃さなかった。
ローデリックが見つめていたのは砦の城壁だった。
ミハイルが見つめていたのは、そこへ至る一本の街道だった。
三日目の夕刻、ローデリックは約束の期限を前に、攻城塔の車輪が壊れたという報告を受けた。
「修理して押し進めろ!」
参謀ミハイルは、壊れた車輪のそばで倒れた荷馬の数を示した。
「車輪だけ直しても、引く馬が足りません」
ローデリックは報告書を破ろうとしたが、ミハイルが手を伸ばした。
「記録は残してください。兵の前で三日と言ったのは閣下です。期限を守るために彼らを死なせたら、次の戦で誰も命令を信じません」
沈黙のあと、敵将は破りかけた紙を机へ戻した。
砦はまだ落ちない。
初めて、その理由が壁の高さではないと認めざるを得なかった。
ミハイルは攻城塔の車輪が泥に沈んだ報告を二度提出した。
ローデリックは「三日で勝つ」と書き足して返した。
三日目の夕方、砦の壁は残り、前衛の水袋だけが空になっていた。
ミハイルは言い返さず、返却された報告書を折り畳んだ。
命令が現実を変えられないことを、数字は静かに示していた。
その日の午後、敵陣で一人の車大工がミハイルの幕舎を訪れた。
「将軍。攻城塔の車軸は直せます。しかし、街道を乾かすことはできません」
大工の掌には、縄の跡が赤く残っていた。
「ローデリック閣下には伝えたか」
「伝えました。明日の朝までに動かなければ、俺たちを敵の間者として裁くと」
ミハイルは返事をしなかった。
攻城塔を動かすために村から木材を徴発し、その村では冬の屋根を直す材木が足りなくなっている。
勝っても失うものが増える戦いだった。
「車軸の修理に必要な時間を、もう一度書いてくれ。最短ではなく、安全に動かせる時間だ」
「そんな報告を出せば、将軍まで罰せられます」
「報告しなければ、壊れた塔の下で兵が死ぬ」
大工は震える手で数字を書いた。
ミハイルはその紙に自分の名を添えた。
同じころ、黒岩砦では小さな騒ぎが起きていた。
避難を拒んでいた農家の老人が、畑に残した種麦を取りに戻ろうとしたのだ。
「冬を越す麦がなければ、敵が帰っても生きられん!」
門番は規則どおり通行を止めた。
老人は地面に座り込み、動かなくなった。
報告を受けたベルクは困り果てた。
「一人を通せば、他の者も戻りたがります」
「そのとおりです」とシリウスは答えた。
「だから一人だけを特別扱いしません」
彼は避難先の村長に使いを出し、残された農具や種麦の申告を集めるよう頼んだ。
砦の兵が勝手に取りに戻るのではなく、戦況が許す時刻に限って、村人の立ち会いで共同回収する。
回収できなかった分は軍の記録に残し、戦後の補償対象とする。
老人は眉をひそめた。
「紙に書いても、麦は生えん」
「ええ。だから回収できる可能性を残します。でも、今あなたを一人で帰せば、あなた自身が戻れないかもしれません」
「お前はわしの畑を見たことがあるのか」
「ありません」
「なら、簡単に諦めろと言うな」
シリウスは頭を下げた。
「諦めろとは言いません。畑の場所と、種麦を隠した小屋を教えてください。誰が何を守ろうとしているか知らずに作戦を立てたくないんです」
老人はしばらく黙ってから、地図の端を指した。
「橋の手前の白い石。そこから三つ目の畑だ」
ベルクが印を付けると、シリウスは別のことに気づいた。
白い石の脇には、地図にない細道が通っている。
敵の荷車が迂回できる幅ではないが、徒歩の斥候なら通れる。
「この道はいつから?」
「昔からだ。雨の日には牛も通らん」
シリウスは道を消さず、危険箇所として書き加えた。
農民が知る地形は、軍の地図より詳しいことがある。
夜、ベルクが尋ねた。
「畑を守るために、作戦を変えるのですか」
「畑だけではありません。村人を見ずに地図だけで戦えば、守るべき場所を間違えます」
翌朝、敵の攻城塔はなお泥に沈んでいた。
しかしシリウスは勝利を宣言しなかった。
ローデリックが三日と口にした以上、三日目に無理な攻撃を命じる可能性がある。
「敵将の自尊心も、こちらの危険の一つだ」
ガイルはその言葉に笑いかけ、すぐ真顔になった。
「なら、こちらは敵の失敗を待つだけか」
「いいえ。相手が間違えても、こちらまで間違えない準備をします」
シリウスは北塔の兵を安全な位置へ移し、負傷者の搬送路をもう一度確かめた。
三日という期限は、敵のためだけにあるのではなかった。
三日目の夜明け、敵の太鼓が予定より早く鳴った。
北塔の見張りは、攻城塔の背後に梯子を運ぶ小隊を見つけた。
「正面の塔は囮です!」
ベルクが叫ぶと、シリウスは老人の教えた白い石の道を指した。
「敵はあの細道から斥候を入れる。だが雨で牛も通れない道だ。重い鎧を着た兵が列になれば、後戻りできない」
「そこを射れば全滅させられます」
「射るな。道の出口に盾を並べ、降伏を呼びかけろ」
ベルクは一瞬ためらった。
敵兵を逃せば、次は別の門へ来るかもしれない。
「三日で落とすと言ったのは敵将だ。あの兵たちではない」
やがて道の出口から現れた敵兵は、矢ではなく盾の列に行く手を阻まれた。
先頭の若者が武器を落とすと、後続も次々と膝をついた。
白い石の傍らには、老人が守りたがった種麦の小屋があった。
シリウスはその位置を戦闘記録に残し、砦の兵へ近づかないよう命じた。
「あの畑は軍の手柄ではない。戦が終われば持ち主に返す」
ミハイルは糧食車の到着予定を三枚の札に書き、ローデリックの机へ並べた。
初日の札には「到着」、二日目には「遅延」、三日目には「不明」。
大将軍は最後の札を裏返した。
「敵の前で弱気を見せるな」。
ミハイルは札を戻した。
「敵には見せません。兵には配給を知らせねばなりません」。
その晩、攻城隊は食事の列に並びながら、砦の灯りが消えないことを見た。
三日という期限は、敵より先に味方を追い詰めていた。
ベルクは敵将の期限を一日越えた日付を書き、報告書の末尾に付け加えた。
『砦は健在。
村人の種麦も無事』。
三日目の朝、ローデリックは砦の東門へ攻城梯子を集中させた。
西の林を見張る兵を引き抜いたため、補給の荷車が道で詰まった。
「梯子は足りる。食料も後から来る」と敵将は言った。
だが後方のミハイルは、ぬかるんだ轍を見て首を振った。
「後から、では間に合いません。荷車の先頭が動けないのです」
黒岩砦ではシリウスがその滞留を見つけた。
「攻城兵は強い。だが梯子を持つ兵は、水も運べない。敵将は人数を集めるほど、自分の補給路を細くしている」
彼は矢を浴びせる代わりに、東門の外へ障害物を増やした。
梯子隊が迂回するあいだに日が傾く。
期限を宣言した敵将は、兵の疲労を認めれば自らの失敗を認めることになる。
その夜、攻撃中止の報告を受けたローデリックは怒鳴った。
「明日こそ落とせ」。
ミハイルは答えなかった。
明日まで運べる食料の数を、彼はすでに知っていた。




