第4話 なぜか魔物に嫌われています
灰色迷宮。
その第三階層。
「……おかしい」
シエラが呟いた。
「何がですか?」
私は振り返る。
「いや……」
シエラは周囲を見回した。
「魔物がいない」
「いないんですか?」
「ああ」
レオンも頷く。
「この辺りなら、ゴブリンやオークが数体いてもおかしくない」
クロエが壁際を覗き込む。
「さっきから一匹も見てないね」
ガルドも腕を組む。
「……静かすぎる」
確かに。
ここまで歩いてきたのに。
魔物を一匹も見ていない。
「じゃあ、安全ですね!」
私は笑った。
「よかったです!」
「……」
四人が黙る。
「どうしました?」
レオンが困ったように笑った。
「いや……まあ、そうだな」
「?」
私は首を傾げた。
◇
さらに進む。
四階層。
「……またいない」
シエラが呟く。
五階層。
「……やっぱりいない」
クロエがため息をつく。
「どうなってんの、このダンジョン」
「楽でいいじゃないですか」
私が言うと、クロエがこちらを見る。
「ミア」
「はい?」
「ちょっと先に歩いてみて」
「分かりました!」
私は先頭に立った。
てくてく。
てくてく。
何も起きない。
すると。
曲がり角の向こうから。
グルル……。
「!」
魔物の声。
レオンが剣に手をかける。
「来た!」
全員が構える。
角から姿を現したのは――
五匹のゴブリンだった。
「ようやくか!」
レオンが前へ出ようとした。
その瞬間。
ゴブリンたちが――
「……?」
こちらを見た。
そして。
ミアと目が合う。
「……」
「……」
「……」
ゴブリンたちは。
全員、一斉に後ずさった。
「え?」
私は驚いた。
ゴブリンたちはさらに下がる。
そして。
「ギャッ!」
逃げた。
「…………」
沈黙。
クロエがゆっくり私を見る。
「ミア」
「はい?」
「何かした?」
「何もしてませんよ?」
「だよね……」
クロエは頭を抱えた。
レオンも呆然としている。
「俺たちを見ても逃げなかったのに……」
シエラが眼鏡を直す。
「ミアを見た瞬間に逃げた」
「怖かったんでしょうか?」
私が聞く。
クロエが答える。
「たぶん」
「私、そんなに怖いですか?」
「そういう意味じゃない」
クロエが苦笑する。
「ミアって……自分のこと、普通だと思ってる?」
「はい!」
即答だった。
「……そうだよね」
◇
その後も。
奇妙なことが続いた。
スライム。
逃げる。
ゴブリン。
逃げる。
オーク。
逃げる。
狼型の魔物。
逃げる。
巨大な毒蛇。
逃げる。
「…………」
ついにレオンが立ち止まった。
「もういい」
「?」
「今日は魔物を追わない」
「でも、討伐依頼がありますよ?」
「……」
レオンが遠い目をする。
「ミアが近づけば勝手に逃げるんだ」
「それなら簡単ですね!」
「簡単すぎるんだよ……」
ガルドがぼそっと言った。
「……これ、冒険なのか?」
クロエが笑う。
「散歩じゃない?」
「散歩……」
私は少し考えた。
「それも楽しそうですね!」
「そういう問題じゃない」
レオンが頭を抱えた。
◇
昼。
五階層の安全地帯で休憩することになった。
私は持ってきたパンを取り出した。
「みんな、食べますか?」
「いいのか?」
ガルドが聞く。
「もちろんです!」
パンを分ける。
シエラも受け取った。
「ありがとう」
「いえいえ!」
クロエもパンを受け取る。
「ミアってさ」
「はい?」
「昨日会ったばっかりなのに、なんか昔から一緒にいるみたいな感じする」
「そうですか?」
「うん」
クロエが笑う。
「だからさ」
「?」
「これからも一緒に冒険しない?」
「……!」
私は目を丸くした。
「いいんですか?」
「もちろん」
レオンが頷く。
「俺もそう思ってる」
シエラも。
「異論はない」
ガルドも。
「……いいぞ」
胸の奥が。
ぽかぽかした。
冒険者になる。
ずっと憧れていた。
でも。
一人で旅をするものだと思っていた。
「ありがとうございます!」
私は笑った。
「私、頑張ります!」
四人も笑う。
その時だった。
――ゴゴゴゴゴゴ。
「……?」
地面が揺れた。
さっきまでとは違う。
明らかに大きな揺れ。
「地震か?」
レオンが立ち上がる。
「違う」
シエラが青ざめる。
「この揺れ……」
「何?」
「下から来てる」
全員が黙った。
そして。
五階層の床に。
一本の亀裂が走った。
パキッ。
パキパキッ。
「離れろ!」
レオンが叫ぶ。
床が崩れる。
「きゃあっ!」
私は落ちた。
「ミア!」
レオンが手を伸ばす。
しかし届かない。
私は暗闇の中へ落ちていく。
「レオンさん!」
「ミア!」
仲間たちの声が遠ざかる。
そして――
ドンッ!
私は何か柔らかいものの上に落ちた。
「痛たた……」
立ち上がる。
「大丈夫……」
顔を上げる。
そこには。
巨大な石の扉があった。
扉の中央には。
私の胸元にある母の古い短剣と、まったく同じ紋章が刻まれている。
「……これ」
私は短剣を取り出した。
すると。
――カチッ。
石の扉が反応した。
ゴゴゴゴゴ……。
巨大な扉が。
ゆっくり開いていく。
「え?」
その奥から。
冷たい風が吹いてきた。
そして。
誰もいないはずの石室から。
声がした。
『……ようやく来たか』
私は固まった。
「……誰ですか?」
返事はない。
代わりに。
石室の奥に置かれていた黒い玉が――
赤く光った。
『我らが待ち続けた者よ』
その声は。
まるで。
私のことを。
ずっと昔から知っているようだった。
『目覚めの時は近い』
「……?」
意味が分からない。
私はただ。
冒険者になりたかっただけなのに。
そして。
その頃、遥か遠く。
魔族領。
漆黒の城の最上階で。
一人の男が目を開けた。
「……今の気配は?」
赤い瞳。
黒い角。
漆黒の翼。
魔王だった。
魔王は。
千年ぶりに感じたその気配に――
初めて。
恐怖を覚えた。
「……まさか」
震える声で呟く。
「……あの方が、目覚めたのか?」
世界はまだ。
何も知らない。
ただ一人。
ミアだけが。
自分のことを何も知らないまま――
扉の前に立っていた。




