第20話 湖底に眠る母の記憶
――白い扉が。
ゆっくりと開いていく。
「……母さん?」
私は。
扉の向こうを見つめた。
暗い。
何も見えない。
でも。
確かに聞こえた。
『ミア』
懐かしい声。
何度も聞いた声。
朝。
起こしてくれた声。
夜。
眠るまで話してくれた声。
私が転んだ時。
優しく手を差し伸べてくれた声。
「母さん……」
一歩。
私は扉へ近づいた。
「待て!」
レオンが私の腕を掴む。
「罠かもしれない」
「でも……」
「分かってる」
レオンは。
私の顔を見る。
「母親に会いたいんだろ?」
「……はい」
「だったら俺たちも一緒に行く」
クロエが笑った。
「当然でしょ」
シエラも頷く。
「一人で行かせるわけにはいかないわ」
ガルドは。
無言で盾を構えた。
アリシアさんも剣を抜く。
「全員で行きましょう」
「……ありがとう」
私は。
みんなを見る。
そして。
扉の中へ進んだ。
◇
中は。
階段になっていた。
下へ。
下へ。
どこまでも続いている。
「湖の底なのに……」
クロエが不思議そうに呟く。
「水がない」
「特殊な結界でしょうね」
シエラが壁を調べる。
「この構造……古代文明よりさらに古い」
「そんなに?」
「ええ」
シエラは。
壁に刻まれた文字を読む。
「『始まりより前』……?」
「始まりより前?」
私は首を傾げた。
「世界が始まる前ってこと?」
「そういう意味に読める」
その時。
――ドクン。
私の短剣が光った。
壁に。
一つの文字が浮かび上がる。
『記憶』
そして。
目の前の景色が。
突然。
白く染まった。
「……え?」
私は。
立っている場所が分からなくなった。
レオンの声も。
シエラの声も。
聞こえない。
ただ。
白い世界。
「みんな……?」
返事はない。
その時。
後ろから。
「ミア」
声がした。
振り返る。
「……!」
そこに。
母さんがいた。
銀色の髪。
赤い瞳。
でも。
今の母さんより。
ずっと若い。
「母さん……?」
女性は。
悲しそうに笑った。
「まだ、私を母と呼ぶのね」
「……え?」
「ごめんなさい」
女性が近づいてくる。
「あなたには……何も話せなかった」
「どうして?」
「話せば」
母さんは。
私の頬に手を触れる。
「あなたは普通の女の子ではいられなくなるから」
「……私は」
私は聞いた。
「普通じゃないの?」
母さんは。
答えなかった。
ただ。
私を抱きしめた。
「あなたはあなたよ」
「それだけは忘れないで」
「でも……」
「ミア」
母さんが。
私の目を見る。
「あなたには大きな力がある」
「……力」
「世界を壊せるほどの力」
私は。
息を呑んだ。
「でも」
母さんは続ける。
「世界を救う力でもある」
「じゃあ……私は何をすればいいの?」
「何もしなくていい」
「え?」
「普通に生きて」
母さんが笑う。
「笑って」
「泣いて」
「友達を作って」
「好きな人ができたら、その人を大切にして」
「そして――」
母さんの表情が。
少しだけ悲しくなる。
「自分で選びなさい」
「何を?」
「世界を」
――ドクン。
空間が揺れた。
「母さん!」
私は手を伸ばす。
でも。
母さんの身体が。
少しずつ消えていく。
「待って!」
「ミア」
「どこにいるの!?」
「私は――」
母さんが。
最後に。
微笑んだ。
「ずっとあなたのそばにいるわ」
そして。
消えた。
「母さん!」
私は。
手を伸ばす。
その瞬間。
――バンッ!
現実に戻った。
◇
「ミア!」
目を開ける。
レオンが。
私の肩を掴んでいた。
「大丈夫か!?」
「……母さんが」
私は。
涙を拭う。
「母さんがいました」
「本当に?」
シエラが驚く。
「記憶の再生……?」
「たぶん」
私は。
胸に手を当てた。
まだ。
母さんの温かさが残っている気がした。
「でも……」
シエラが。
何かを見つけた。
「ミア」
「はい?」
「これを見て」
壁に。
新しい文字が浮かんでいる。
『封印記憶・第一層』
「第一層……?」
「つまり」
シエラが。
息を呑む。
「まだ記憶が残っている」
「……!」
私は。
壁に触れた。
すると。
次の文字。
『第二層へ進みますか?』
私は迷わず。
「はい」
と答えた。
――カチッ。
地下深くから。
大きな音がした。
◇
階段を進む。
今度は。
壁に絵が増えていた。
最初の絵。
銀髪の女性。
その隣に。
一人の男。
「……アレン」
シエラが呟く。
次の絵。
二人の間に。
一人の赤ん坊。
「私……」
その次。
赤ん坊を抱いている母さん。
さらに。
その前に立つアレン。
そして。
最後の絵。
アレンが。
赤ん坊を誰かに渡している。
「……誰?」
クロエが目を細める。
絵の人物は。
白いローブを着ていた。
顔は。
黒く塗りつぶされている。
「これ……」
アリシアさんが言う。
「王家の紋章?」
その人物の胸に。
現在の王国と同じ紋章が刻まれていた。
「どうして千年前に……?」
誰も答えられない。
すると。
壁に文字が浮かぶ。
『娘を守るため、アレンは記憶を封じた』
「記憶を?」
私が聞く。
次の文字。
『娘自身の記憶も』
「……私の?」
私は。
自分の頭に触れた。
幼い頃。
私は。
母さんと父さんと暮らしていた。
それより前の記憶は。
ほとんどない。
「じゃあ……」
シエラが。
小さく呟く。
「ミアは、自分で記憶を失ったんじゃない」
「誰かに封印された」
「……」
私は。
拳を握った。
「どうして?」
その時。
――ドンッ!
地下全体が揺れた。
「敵!?」
レオンが剣を構える。
上から。
黒い魔力が流れ込んでくる。
「追ってきたんだ!」
クロエが叫ぶ。
黒ローブの男たち。
その数。
二十人以上。
「ここで終わりだ!」
男が叫ぶ。
「始原の娘!」
私は。
ゆっくり立ち上がった。
「……あなたたちは」
男を見る。
「母さんのことを知ってるんですか?」
「当然だ」
「じゃあ教えてください」
「断る」
「どうして?」
「知れば――」
男が笑う。
「お前は自分が何なのか知ることになる」
私は。
短剣を握った。
「知りたいです」
「……何?」
「私は、自分のことを知りたい」
私は。
みんなを見る。
「母さんのことも」
「父さんのことも」
「そして――」
短剣が。
強く光る。
「私が何者なのかも」
黒ローブたちが。
一斉に魔法を放つ。
「撃て!!」
――ドォォォン!!
巨大な黒い炎が。
私たちへ迫る。
レオンが叫ぶ。
「ミア!」
私は。
手を前に出した。
「……大丈夫」
なぜか。
そう思った。
「怖くない」
――パァァァ……。
短剣が。
白く輝く。
黒い炎が。
私の手前で。
止まった。
「……!」
敵が。
凍りつく。
私は。
ただ。
前を見ていた。
「私の仲間には――」
一歩。
踏み出す。
「触らないでください」
次の瞬間。
黒い炎が。
全部。
消えた。
「ば、馬鹿な……!」
男が後ずさる。
「まだ封印中だぞ……!」
「……封印?」
私が呟く。
その言葉に。
短剣が反応した。
――カチッ。
そして。
表示される。
『第二封印――解除準備完了』
「え……?」
私の前に。
見たことのない文字が浮かんだ。
『記憶封印を解除しますか?』
「……」
私は。
指を伸ばす。
でも。
その瞬間。
誰かが。
私の手を掴んだ。
「――やめろ」
「……!」
振り返る。
そこにいたのは。
レイヴェンだった。
「レイヴェンさん……?」
彼は。
いつもの冷静な顔をしていなかった。
恐怖。
いや。
悲しみ。
そんな表情だった。
「今、それを解除してはいけない」
「どうして?」
「お前は――」
レイヴェンは。
震える声で言った。
「全部思い出したら」
そして。
私を見つめる。
「俺たちが知っているミアではなくなる」
「……」
「そして」
レイヴェンは。
静かに続けた。
「お前の母親も――」
言葉を止める。
「……母さんも?」
レイヴェンは。
目を伏せた。
「まだ生きている」
「……!」
私の心臓が。
大きく跳ねた。
「母さんが……?」
レイヴェンは。
一言だけ。
答えた。
「だが――」
その瞬間。
地下の最奥から。
巨大な扉が開いた。
――ゴゴゴゴゴ……。
扉の向こう。
暗闇の中に。
一人の女性が立っている。
銀色の髪。
赤い瞳。
「……母さん」
私は。
涙を浮かべた。
女性は。
ゆっくりと顔を上げた。
そして。
微笑んだ。
「久しぶりね」
その声は。
確かに。
私が知っている母さんの声だった。
でも。
次の瞬間。
レイヴェンが。
小さく呟いた。
「……違う」
「え?」
「――あれは、ルナだ」
女性の赤い瞳が。
妖しく輝いた。




