エル・アラメイン地上戦
海戦の翌日、新鋭戦車パンターを擁するアフリカ軍団はエル・アラメインに突撃を開始した。
パンターの7.5cm砲は前面に展開していたチャーチル歩兵戦車などの歩兵戦車を蹂躙したが、側面から仕掛けて来た巡航戦車に何両かが破壊された。
しかし、返り討ちにしたことで、この日の戦闘は終わった。
翌日には応急修理と補給を終えた日伊連合艦隊はエル・アラメイン市街地に艦砲射撃を実施した。
ローマが432発、ヴェネトが440発、チェザーレが420発、比叡が414発、霧島が448発の砲弾を射撃した。
それに合わせて空襲も開始され、空母グラーフ・ツェッペリンから発進した37mm砲搭載型のスツーカや艦載型Me262による地上掃射が行われた。
さらに三式襲撃機は一度の空爆で24発の60kg爆弾を投下し、さらに機関砲で連合国装甲車を食い荒らした。
同時刻にはアフリカ軍団の攻撃も再開したものの、艦砲射撃や空爆を免れた少数の戦力しか残っていなかったため、そのまま市街地に向けて進軍していった。
市街地では建物の影からの攻撃が心配されたが、艦砲射撃により大型の建物はすべて焼き払われていたため、そのようなことはあまり起きなかった。
逆に戦車がビルの崩壊に巻き込まれ破壊されていることさえあった。
このように枢軸国軍は終始優勢に立ち回り、連合国軍を圧倒したため、
ロンメルは1944年3月後半にエル・アラメインの完全占領に成功した。
到着したドイツ軍の武官は
与えた被害状況や捕虜への尋問を行い、今回の艦砲射撃の効果を調査した。
エル・アラメインの鉄道は無事だったが、道路はかなり破壊されており、すぐに整備が開始された。
また、瓦礫の撤去や本格的な野営地の設立、イギリスが残した施設の押収、再利用なども進められ、1944年4月にはアフリカ軍団の一大拠点となった。
また、エル・アラメイン陥落の報を聞いたヒトラーは舞い踊って喜び、毎日がお祭り状態だったようだ。




