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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
14/30

雨と思い出と友だちと。


  唐突に、クエスチョン・タイム。


 どんな人外の者であっても、美少女の姿をしていれば、日本人は大抵の者を理解し、受け入れるんじゃないだろうか?


 逆に言えば、どんな善良な異生物であっても、姿がむさっこい男だと、大抵が理解なんかされずにポイ捨てされる。ゴミ箱に、ダンクシュート。


 たとえば? おれとか、だね。

 たぶん速攻で不燃ごみ扱い。や、むしろ粗大ゴミ。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 夏、パソコンが欲しくなったおれは、シュートと秋葉原まで下見に行った時、見渡す限り、四方、周囲三百六十度を、巨大なアニメ絵の美少女の看板に囲まれて、おれは天の国からの啓示、「萌えが通れば道理が引っ込む」を脳味噌に刻印した。焼きごてで。じゅー。

 こんな国、世界中を探したって日本だけだぜ。ワンダフル。そのまま暑さで錯乱、天の国は既にここ、地上にある、と弟子に説きたくなった。

 弟子なんていませんけどね。


 色んな意味で天才のシュートは、サブカルチャーとメインカルチャーをほとんど同レベルで知識として習得していて、(お前、それでもイケメン高校生か?)あちこち見聞しながら、懇切丁寧に、一から色々と解説してもらった事を覚えている。(もちろん、おれが理解に苦しんだ事は言うまでもない)

 弩級の爽やかイケメンが、18禁ゲームの解説を嬉々としてしているのを、通行人が宇宙人を見る目で見ていたよ。

 アイツの脳内図書館では、ロシア文学と美少女ゲームが同じ本棚に並んでいるのだ。実にクールだぜ。何と言う博愛精神の塊だ。

 ……おれは御免こうむるが。


 なにしろこちとら、弩がつく程の童貞の身分である。

 単行本の表紙から、オメメの大きな美少女が、上目づかいでこちらを見ている絵を凝視することにすら、軽く脅える。

 ましてや自分の周囲三百六十度、すなわち全方位がアニメ絵の美少女に囲まれていたりしたらもう、蛇に睨まれたカエルよろしく、油汗をだくだく流してシドロモドロ、だっつーの。

 ねぇねぇ、日本人のでディフォルメ技術は江戸時代から瑞一だったけどさ、なんで擬人化させたら美少女なの?

 同じ人間って事で、子泣きジジイとかじゃダメなの? 水木しげる先生の。


 ……どーやら、ダメらしい。

 何やら、無性に泣きたくなった。

 なんとロックでパンクで、シド・ヴィシャスなんだ。イッツァクールジャパン。べいべー。

 あぁ、ヨシヤさんのパンク好きの影響、今ここに花開く。全く無駄に。


 萌えが通れば、道理が引っ込む。


 分かりやすく言うなら、おれがオーパーツ的な、何か人知を超えた存在だった場合「超キモい!」の大合唱、「ららら人権なんて♪ ららら滅んでしまえ(ららら死んでしまえ)♪」で、即日どこだかの研究機関やら軍隊やらに引き渡されて、人としての人生にFin. の三文字が打たれることが高確率で決定している。


 しかしながら、ジュンさんやキノ、あるいはヨシカちゃんが世界の命運を握る鍵だったりした場合、世を席巻する一大ムーブメントを巻き起こして、アニメ化ゲーム化コミカライズ化ネット動画全世界同時配信で、メディアミックス百花繚乱レディゴー、になってしまっうだろう事が容易に想像される。


 おれは両者の圧倒的待遇の差に、諸行無常を感じて祇園精舎の鐘がゴング代わりに高らかに鳴り響いて、ヒアウィゴーだ。

 って、どこに? 分からんけど。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 だから、ジュンさんがお茶をすすりながら、自分の過去を訥々と語り始めた時も、ジュンさんの過去にどんな摩訶不思議、アメェイジィングがあっても、どうにか納得できてもおかしくはないよな、と、そんな風に軽く思っていた。


  外は、さっきまでの晴天は何処、見るからに重たそうな雲があっという間に空一面に広がって、今にも一雨来そうな塩梅になっていた。


― 人間ってねぇ、自分で強いって分かってる、自分の部分を褒めてもらえても別に、って気分なんだけど、自分が弱いって思ってたり、弱いけど一生懸命頑張ってるよ、って思ってる部分を人に認めてもらえたりすると、案外コロッといっちゃうもんなのよ。

 ううん、そうねぇ。ホラ、例えばなんだけど、お金持ちがお金持ってて凄いですね、って言われても「あっそう」で終わっちゃうけど、それだけのお金を生み出す仕事力って凄いですね、って言われたら「そうなんだよ、実は」って、なると思うのよ。

 あぁ、美味しい? 良かった。それ、チャイラテよ。そう。煮出しのミルクティー。温まるでしょう? ふふ、ありがとう。



― あ、ごめんなさいね。そう、私が犯罪者だったって話ね。


 そうね……ふふ、いざとなったら、何から話せばいいのか、わからなくなってるわ、私。ごめんなさいね。ええと。

 ……ああ、そう、そう。私、兄がいるって言ったかしら? そう、いるの。二つ上の兄が。男の子なんだけど、ちょっとビックリするくらい奇麗な顔立ちの。端正、て言うのとも違うわね、中性的って言えばいいのかしら。

 かっこいい、んじゃなくって、美しいの。

 小顔で、目鼻立ちの整った。ボーイズラブの受けね、間違いなく。

 あら? 何、苦虫噛み潰したような顔しちゃって。ふふ、可愛い。


 でね、それでいて、すっごく優しかったの。って、やぁね、ごめんなさい、身内自慢するつもりじゃないの、もう。(バツが悪そうな表情を浮かべると、頭のカチューシャの位置を直した。ボーイズラブ云々を、ノンケで未成年のおれにサラリと言った時には、何とも思わなかったようだが)

 ええ、仲は…良かったわ。とっても。そう。私たちは、仲が良かった。

 でもね、お父さんとお母さんはそうじゃなかった。しょっちゅう喧嘩してたわ。分かる? 大人の喧嘩よ。『トムとジェリー』みたいな、賑やかで爽やかな喧嘩じゃないわ。

 ドロドロしてて、収拾がつかなくて、決着も落とし所もないの。

 それが絶えなくて、結局、私が八歳の時、離婚することになったの。


 でもそれは、言ってしまえば、当然に思えたわ。子どもの私、まだ第二次性徴も来てない私、そう、まだ、この自慢のおっぱいも全然……あら、胸元広げた途端に、そんな露骨にヤな顔しないでよ。美人の胸元が見れてラッキー! くらいに思いなさいよ。高校生なんだから。ふふ。

 まぁ、そんな私が見ても、なんでこの二人が一緒に暮らしているんだろう、なんで結婚なんてしたんだろう、って思ってたから。でも、両親の仲が悪かったからこそ、かしらね、私たち兄妹はとても仲が良かった。

 両親が言い争いしている時、お兄ちゃんはいつも、私をしっかりと目をふさぐように抱きしめてくれた。

「大丈夫だよジュン、ぼくはここにいるから、ずっといるから」って、優しく囁いてくれていた。

 私が、家で唯一、心を許せたのは、お兄ちゃんだった。


― で、ええと、そう、離婚ね。お母さんが家を出ていくことになったの。

 で、私とお兄ちゃんはお母さんについて行ったの。裁判だかで、親権をお母さんが取ったのね。まぁ、そうでなくても、私はお父さんであれ、お母さんであれ、お兄ちゃんがついて行く方に、黙ってついて行くつもりだったけれど。

 それで、しばらくの間は平和になったの。親子三人で、狭いながらも楽しい我が家って言うじゃない? そんな感じで、穏やかで楽しい日が続いたの。

 それが……私の思い出の中で、唯一の、楽しい時。


  ポッ。ポツ、ポツ。ポポポポ、ザァァ。

 外は、先ほどの雲がもたらしたのか、一気に雨が降り出し、あっという間に傘が無いと道も歩けないような大ぶりに、様変わりした。


― ところが、ね。二年後にお母さんが再婚したの。

 ある日突然、私が学校から帰ると、家に知らない男の人がいて、私が誰、この人、って思う間もなく、お母さんたら、悪びれもせず言ったわ。

「この人が、あなたたちの新しいお父さんになるのよ」って。

 もう、ヤよねぇ、そんな事言われて、十歳の子どもが「はいママ、分かりました」なんて言って、納得するとでも思っちゃってたのかしら。はぁ。ため息出ちゃうわね。

 ……でも、お母さんはそう思ってたの。

 うん、私のお母さんは、そう言う人だった。見かけとか、その時の自分の心境次第で、コロッと目の前の相手を信頼して、あっという間に自分の心の壁を解いて、相手を受け入れちゃうの。

 そんなの、自分の家のカギを、通りすがりの腹ペコ旅人にポイ、って渡しちゃうようなものよ。

 その事の理由は、そうね、お母さんなら、きっとこういうわね。

「だってその人、傷ついて弱り果てていたのよ」って。

 自分の心の鍵を渡しちゃったら、相手に自分がどんな目に遭わされるか、なんてとこまでは頭が回らないの。お人よしのベイビーちゃんだったのよ、つまりは。


 ……あら、マヒロくん、やぁね、そんな神妙な顔しちゃって。でも、そうね、ふふ、あなたも少し、気をつけた方がいいわね。

 いい? 人を信じるなって話じゃないわ。ただ、あなたが他人に優しくしたのと同じ優しさを、他人にも求めちゃダメよ、って言うお話。


 そう言ってジュンさんがおれのオデコをツン、と突いた時だった。

 カッ、と表で雷が光った。


― 世界中の全ての人が、あなた以外は、あなたじゃないのよ。


 その言葉は、まるで神託じみた威厳を持っておれの心に刻み込まれた。

 おれは喉が変に渇き、慌てて目の前の紅茶を飲み干した。


  あら、お紅茶、お代わり、いる? ええ、大丈夫よ。ちょっと待ってね……はい。どうぞ。


 ザァァ、ザ、ザァァァ。表の雨音が強まったり弱まったりするのを聞く限り、どうやら風も強く吹いているようだ。

 ジュンさんはカウンターから一度出ると、店内のダルマ型のストーブの火力を強めた。


 ゴオロ、ゴロゴロゴロ。遠くに雷が落ちる。


  ええと。何処まで話したかしら……? あ、そうそう、再婚相手。

 そう、新しく私の義父親になった男。

 すらりと痩せていて、縁の尖った眼鏡をかけて、腕がやけに長くて、高級なスーツが良く似合って、一見、誠実そうに見える男だった。

 でも、目の奥に時折見える、鋭くて冷たい、不気味な光に、私は脅えたわ。

 そう、少なくとも私にはそれが見えたの。そう言うのって、小さい子どもは敏感、ある意味じゃ過剰に反応するから……。

 男は、物腰も言葉づかいも柔らかかったけど、私は、あぁ、この人は何か、とてつもなく大きくて、間違った何かを隠し持っているんだ、って、直感? もうね、ピィン、と来てしまった。

 だから、子どもながらに、何かを私たちに隠しているんだ、って、ずっと警戒していた。

 そう。だからね、お兄ちゃんは私を良くなだめたわ。

「大丈夫、お母さんが選んだ人なんだから、きっときっと、大丈夫だよ」って。もちろん、私だってそう思いたかった。でもダメだったの。一度強く感じ取った自分の直感を、曲げる事が出来なかったの。

 たぶん、そう言う事ってマヒロくんにもあるんじゃない?


 皆無です、と即答しそうになって、いや、そう答えたら「それは残念ねぇ」とか満面の笑みで言いながら、背中に熱湯をぶちまけられそうだ、と第六感で察知して、ある、あります、たまにですけど。そう答えた。


 頑張れ、イエスマン。何しろ、今まさに直感に従ったおれがいたわけで。

 でも、おれはどちらかと言うと、自分の直感よりは、それまでの間に積み上げた自分のロジックを信じる方、だと思う。


  そうよねぇ。これは私の経験則だけど、そう言う時の直感って、そんなに間違ってないことが多いわね。これが人間の本能、なのかもしれないわね。

 それでもね、私が十二歳の時までは、何ともなかったの。

 家が若干だけど、居心地が悪くなったのと、私が少し無口になったぐらいで、何も無かった。


 そう言うと、ジュンさんは少しの間、口をつぐんで、冷めた紅茶に口をつけた。

 ……冷えてきたわね。そう言った口元も、細い指も、少し、震えているように見えた。


  それでね。私が小学校六年生の夏休み、だった。

 その日、学校でプールの課外授業があって、私はその帰りだった。

 今でも、その日の事はよく覚えてるわ……太陽が眩しくて、校舎裏のヒマワリが奇麗で、空気が湿気と草の匂いを孕んで、むっとしていて。水泳の後の、心地いい疲労感に包まれて家に帰ったの。

 そしたら、その男が家に一人でいて、テレビを見ながら、ビールを飲んでたの。お昼から。お仕事、休みだったのね。お母さんは仕事だったし、お兄ちゃんは図書館に勉強しに行っていて、家には誰もいなかった。


 何だかわからないけど、男はテレビに向かってブツブツ一人で何かを呟いてて、私、これはちょっと嫌だな、って思ってどこか、約束とかしてなかったけど、友達の家にでも行こうと思って、荷物だけ洗濯機に入れて、さっと出かけようとしたの。

 それで、その時、プールの後に冷たいのを我慢して、しっかりシャワーを浴びてきたのに、なんだか髪がベタつくな、って、こう、髪を少し鏡の前で梳かしてた。


 ザァァァ。

 ジュンさんが話しづらそうに言葉を紡ぐ、その合間に生まれる沈黙、その間に雨音を聞いているうちに、傘を持ってくるのを忘れた、そんなどうでも良いことが、ふいに思い出された。


 ……そしたら、ね。

 急に私の後ろ、鏡に男が映ったの。その時の目つきがね、すごく、今思い出してもぞっとするくらい、気持ち悪かった。

 マヒロくん、分かるかしら、男の人がたまにやるんだけど、こう、一瞬で上から下まで、女の人の全身に視線を通すの。値踏みするみたいに。女の子の身体に、一方的に価値を張り付ける、すっごく気持ち悪い視線。

 それで勝手に張り付けた価値を通して、女の扱い方を決めるって、男の人のそういうところ、私結構信じられないんだけど。


 時折、暗澹な雲を裂くように落ちる、雷光に照らし出されたジュンさんのシルエットが、なんだか奇妙に見える。


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 いや、おれだって信じられませんけど。年端もいかない女の子にそんな視線を向けるだなんて、いわゆる、ロリコン、ってヤツだけど、それ、現実にいるのか。

 いや、アニメキャラの可愛い女の子って大体ロリコンだと思うけど、それは二次元だからまだ、ヘッドスライディングでギリギリセーフであって、現実に持ちこんだらもう、全然アウトじゃないのか。


 そして、女の子は、もうそんな年齢、おれ達が河原に捨てられたエッチな本でウッキーウッキー興奮してる時に、そんな性的な視線と、容姿のレッテルと闘っている、なんてことを、初めておれは知った。

 男と女は、こうまでも、違うのか。

 ……って言うか、何ゆえ、おれが全男性の代表のような扱いをされておるのですか。

 おれよりも、ボノボのオスの方が、まだ適任かと思われるほど、全く不適当だと思われますが。などという、おれ脳内議員の叫び声は当然シャットダウンして、口をへの字に結んでいるおれ。

 聞きに徹しろ、頑張れおれ。オーレー、オレオレ、おれ。

 ……なんて、話が怖い方向に進みそうなので、頭の中でアホらしい事を考えて中和を試みている、情けないおれがいる。性的に怖い話を無意識で拒否しようとしてる。

 ブレーキの壊れたチキンレースは嫌です、と。

 

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  それでね? 私、あ、って思って、振り返ろうとしたら、こう、振り返った口を、おっきな手で抑えつけられちゃって。両手も、ぐいって乱暴に捻りあげられて。そのままタオルで縛りあげられちゃって。

 ……抵抗? したわよ、もちろん。でもね、大人の男と小学生の女の子よ? そんなの、鶏の首をキュッと締めて殺しちゃうみたいに簡単にやられちゃうわよ。私の両腕、片手で抑えつけられちゃうくらいだったんだから。

 で、口にも何かねじ込まれて、叫び声とか、上げられなくさせられて。叫ぼうとしても、「うー、んー!」ってしか、音なんて出やしなかった。

 そして、気がついたら、私の喉元には、男がどこから持ちだしたのか、鈍く光る、鉈が当てられてたわ。


 そして男は耳元で囁いたわ、「暴れたら、殺すぞ?」って。

 私、その時はもう、怖くて、怖くて、身体とか、すくんじゃって、動けないの。

 はい、って、私、脅えながら、喋れないから、こう、頷いたら、男は満足そうに、相手を服従させた笑みを浮かべて、私の服を脱がせてきたわ。小さい女の子の服や下着を素早く外していく、その手つきを見て、あぁ、この男はこういう事に慣れてるんだ、相手がどうすれば脅えて、自分に従わせられるのか、分かってるんだ、って思い知らされて。それで……


― カッ! ……ゴロ、ゴロゴロゴロ!


 衝撃。

 おれの心に一万ボルト。

 昔の歌手が歌ってない方、地上に降りた最後の天使、じゃない方の一万ボルト。

 あぁぁ。おれは心の想像力を、必死にシャットダウンしていた。

 心に浮かんだ、ドス黒い怒りと、どうしようにもできない遣る瀬無さと。あぁ、今ふと浮かんだけど「矢流瀬 菜沙(やるせ なさ)」ってアイドル、いてもおかしくないね。はは。

 あの、その、今、お話の内容って、その、児童ポルノ法、ど真ん中の。行為を?

 え、ていうか義理のお父さんに? 小学生の頃?

 はっはっは。

 ……メンタンピンツモ、ドラ1ですね。麻雀で言うなら。


 あ、おまけに無理やり、かぁ。

 ええと、それに加えて? 小学生の、初めての性体験である、と。うん。加算、裏ドラ乗ってハネ満ですね。跳ねちゃってますね。それは。ロリではないですね。

 イッツァ、ペド。


 まったく、小学生は最高だぜ!! ……くそ。無理やり笑おうとしてみたけど、ダメダメだ。

 18禁マンガとかにはありそうな話って、現実にあったら、全然アウトでダウト、じゃんか。なんだよ、その現実。トオマス・マン短編集の『神の剣』の主人公、ヒエロニムスの気分だよ。丁度良く、外で雷鳴ってるしね?

 雷よ、神の剣よ、とく早くくだり来よ! ……って、おれ岩波文庫の廻し者?


 違う、違う。激しい混乱の中で、おれは軽く目まいを覚えるほどの激情に駆られて、心の奥底で、ソウルオーガが疼いて暴れだしそうになるのを、カイさんに鍛えてもらった理性と精神で抑えつけた。


 ジュンさんは何故だか唇に笑みを浮かべ、続けた。



― でも、そうはならなかったの。

 …へ? 

  そう、ならなかったの。私が裸にされちゃった、ちょうどその時、お兄ちゃんが飛び込んできたの。息を切らせて、汗を飛ばして。

「妹に、何してるんだ」って、叫んだの。

「ふざけるな、今すぐ、その手を離せ!」って、今までずっと一緒にいた私ですら、一度も見たこと無いくらい、恐い声で叫んだの。

 ……でも、男は冷静だった。


 両手を、自分の身体に廻しながら話すジュンさんの、白く長い指にグ、と力がこもったように見えた。


  男は、私の首をキュ、と摑んで締めたの。片手でよ? 女の子の細い首なんて、大の大人の男なら、片手で簡単に摑めちゃうのよ。私、口に詰め物をされてる上に首を絞めつけられて、苦しくて、悔しくて、涙が止まらなった。

 そうやって私を苦しめる事で、男はお兄ちゃんを足止めして、ゆっくりした手つきで、足元に転がっていた鉈を拾うと、それを私の頭に向けて、静かな太い声で、言ったの。


「なら、お前が代わりになるか?」って。

「お前が代わりになれば、妹は見逃してやってもいい」

 ……男の声は、少し、笑っているようにすら聞こえたわ。

「俺はな、男でも良いんだよ。お前みたいに奇麗な少年なら、尚の事、な」



 おれは、遠くからやってきた様な耳鳴りに襲われていた。不愉快で、頭が痛くなった。ジュンさんが、必死で紡ぐ言葉を想像すると、嫌悪感に鳥肌が止まらない。


「ひでえこと……なんてひでえこと……しやがる……!」


 無意識の声が漏れ、もう、笑いの想像力が入る余裕も、無かった。

 どこか、心の奥底、遠い遠い、暗く深い闇の中で、巨大な生き物が吠えたぎるような感覚がおれを包んでいた。

 学園祭でカナシーが襲われた時や、時雨と対峙した時に感じた、もう一人の、おれには制御できない、もう一人のおれ、ソウルオーガが負の感情の暴走に乗じて、身体を乗っ取った時の、感覚。

 口の中が渇いていて、でも眼の前の紅茶に手を伸ばす事を忘れて、おれの身体は動こうとしない。


― ザァァァ。ザ、ザァァァ。外では、不規則な雨脚が弛むことなく続いていた。


― マヒロ君、自分の事みたいに、怒ってくれるのね。ありがとう。


『ありがとう』。なぜ、カイさんもジュンさんも、自分がどんなに最悪の状況にいても、その言葉が言えるんだ……? どうしたら、そこまでの強さを……。

 それに比べて、おれの、なんて弱いことか……!

 おれが歯噛みしそうにしている時、ジュンさんは続けた。


― 結局、お兄ちゃんは、男に言われるままに、私の身代わりに、なったの。

 震えながら、ジュンさんは続けた。全身を使って、声を、ようやっと絞り出すように。

 男は、お兄ちゃんを私と同じように裸にして、縛りあげて。

 私は、洗面台の角に縛り付けられた。

「見ていろよ、お前の兄貴が俺にどういう風にされるか」

 竦み上がってる私に、男はそう言って、心底愉快そうに、お兄ちゃんに酷い事をし始めた。

 ……私は、何も、できなかった。両手を縛られたまま、口にタオルをねじ込まれて、声も上げられないまま、十二歳のひ弱な身体を、恐怖と嫌悪で震わせていただけ。

 お兄ちゃんが苦痛に顔を歪ませて、声にならない悲鳴を上げているのを、見ていただけ。

 最初は当然目を瞑ったの。でも、目を閉じていたら、男が私の頬を叩いたの。

「お前がちゃんと見てないと、お前の兄貴を、もっと酷い目に合わせるぞ」って、囁いてきた。

 それで、私は目を逸らす事も耳を塞ぐ事も出来ずに、ただ見ていた。涙をぼろぼろこぼしながら、お兄ちゃんが乱暴されるのを、ただ。


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 腹の中に鉛をねじ込まれて、そこを散々に蹴り飛ばされたような感覚だった。だが、振り切って、ジュンさんに声をかけた。かけていた。


「もう、止めましょう」

 そう、絞り出すように言って、我知らず立ちあがり、ジュンさんの手を取っていた。

「話すだけで、もう、こんなにも、こんなにも、震えて、冷たくなってるじゃないですか。もう、お願いですから、止めて下さい」


 過去の思い出を口にするだけで、ここまで誰かを苦しめる様な事を、人が、人にしていいのか。

 ソウルオーガが、今にも暴れ狂いそうだった。


 おれの眼を、ジュンさんの栗色の瞳が、真っ直ぐに見つめる。

 そして、きゅ、とおれの手を握り返す。


  聞いてるの、辛い?


「おれは、おれはいいです、ジュンさんが。見てらんないですよ。こんなの……!」


 ……ごめんなさい。聞き苦しい話、しちゃって。でもね、あなたには聞いておいて欲しいの。お願い。


「……わかり、ました」

 それだけ答えると、どす、と椅子に身体を放った。何でおれに、ですか、とは尋ねなかった。もしジュンさんがそう望むなら、おれは。怒りを飲みこんでいるおれの肩に、そっと手が添えられる。


  ありがとう。


 そう言って、亜麻色の髪の乙女は、ほほ笑んだ。


  ごめんなさい。でも、ありがとう。

 ……そう、それでね。男はお兄ちゃんにたっぷり時間をかけて乱暴すると、満足したのか、私たちを縛っていたタオルを解いて、テレビの前にもう一度腰を降ろしたの。まるで、何もなかったみたいに。

 その後、どれくらいそのままでいたのか分からない。ただただ、テレビから甲子園の実況の音が聞こえていたのを覚えている。

 ……でも、気がつくと私は、足元に転がったままだった、鉈を手にとって、男に切り付けていた。


― カッ! ゴロゴロゴロゴロッ!


  全然、その時の自分が何を考えていたのか、何をしているのかも、分かっていなかったの。

 ふ、と我に返ったら、男の首から真っ赤な血が噴き出して、私は裸のまま返り血を浴びて、ブルブルと震えてた。

 でも、切り付けられた男はまだ生きていて、こっちを振り返ると、鬼みたいな顔になって、その場にへたり込んでいた私に、よろよろと襲いかかってきた。

 もう動けなくなっていた私を庇うように、お兄ちゃんが風みたいに男との間に入り込んで、男に刺さった鉈を、そのまま思い切り突き立てた。

 男は、どたっと重たい音を立てて前のめりに倒れて、それっきり。

 そのずっと後で、お母さんが帰ってきて、再婚相手が殺されていて、子どもたちが裸でぐったりとしているところを見つけて。


 私たちは二人とも、警察には捕まったけれど、少年法とか、男が過去にソウイウ犯罪を色々やっていた事もあって、私は精神病院に送られたり、ほんのちょっとの処罰で済んじゃったの。


 ……でも、もうお母さんのところには帰らなかったし、帰れなかった。

 裁判所の決定で、お兄ちゃんと会う事は禁じられちゃって、お兄ちゃんはどこか遠くの施設に送られた、って聞かされただけ。

 そうして、保護観察の施設に送られたところで、ヨシヤと出会ったの。

 彼は、何らかの研修だったのかしら、白衣で、ノートを抱えて、そこの子どもたちと色々な雑談をしていたんだけど、私を一目見るなり、ひょい、って近づいてきて、こう言ったの。


「お前さん、おっきなカゲを抱えてんなぁ。そのまんまだと危ねぇんじゃねぇかぁ?」って。


 その後、ヨシヤは私にカゲの説明をして、暴走寸前だった私のカゲを切り取ってくれて、カゲの使い方を教えてくれて、住む場所がなきゃ、ここにいりゃいいさ、って言って、ここに私を住まわせてくれた。

 だから、せめてもの恩返しとして、私は料理と喫茶店のお仕事を覚えたの。

 たぶん、あのまま一人でいたら、私、どれほど偏狭でおかしな人間になっちゃってたか分からない。それとも影法師になってたのが先か。

 どっちにしろ、身体も心も、襤褸切れみたいになって捨てられたところを、ヨシヤに拾われたようなものなの。

 だから私、彼には感謝してるわ。とっても。

  ……でもね、マヒロくん。


  だから、あなたの眼の前にいる、この女は、人殺しなのよ。


― 雷光。


  びっくり、した?


 ドゴロゴロゴロゴロ…

 

 おれは黙っている。渇いた喉で、それでも言葉を探す。ゆっくりと、口を開く。


「そりゃ、驚きましたよ。けど……」それ以上は、言葉にならなかった。


 おれには、良く分からなかった。

 どんな理由があったって、人を殺すのは、全然正しい事じゃない。

 でも、でなければ彼女は生涯に渡って引きずる、凄惨な乱暴を受けていた。どうしたら良かった?

 おれには、全然分からなかった。

 でも、そうだ、分からない、けど、おれに分かる事は、正しい、正しくないってのを、自分の頭だけで頑なに決めて、それだけで物事を二分割にして、全てを決めるような事は、しちゃいけないんじゃないか、ってことだ。

 ……それに、おれだって、時雨をカゲの世界で殺めている。影法師だって、殺人には違いない。


 今、気付いたが、さっきから店内には『恋するために生まれてきたの』と女性ボーカルが叫び続ける、若者に流行りのJ-POPがかかっていた。

 はは、人は、恋するために生まれてきたって?

 おいおい、ホントかよ。本気の本気で言ってるのかよ?


 ……いや、分かってる。今のおれは、ただただ突っ込みたかっただけなんだ。流行りのJポップの歌詞とかで歌われてる、簡単過ぎる恋愛観に、妙に突っ込みたくなるような、そんな気分なんだ。


 ……おれの手元に置かれたカップには、二羽のぺんぎんが描かれている。ぺんぎん堂御用達の、マグカップが。


 そうだ、ぺんぎんのように、白黒はっきり分かれている物事なんて、世の中に数えられるくらいしか、ないんじゃないのか。白があるところには、黒がどこかに混じっているし、真っ黒な暗闇の中でも、どこかには白い光が混じっているだろう。

 白が良くて、黒が悪い。そんな風には世界は出来ていない。

 きっと、そうに違いない。世界は、コラージュなんだ。



 外の雨はますます強く、窓から見える街並みは、雲によって光が遮られ、灰色一色に染まっている。


「やぁだ、も、長話、しちゃったわね。あのね、その、マヒロくんも『ぺんぎんず』の仲間だから、いつかは話さなきゃなー、って思っていたんだけど、その、タイミング? みたいなの、無くって」

 そう言ってジュンさんは笑顔を作って見せてくれた。睫毛が長い。

 

 初めて、ジュンさんの言葉の嘘を見抜けた。

 さっきの口ぶりを、おれは忘れていない。ジュンさんは、この話を、おれにしか話していない。

 おれに話したのは、カイさんが亡くなったことと無関係じゃないだろう。ジュンさんもまた、おれに、託そうとしている。

 今は何か、まだ分からないけど。いつか。

 思い出しただけでドSのジュンさんがここまで萎れるほどの辛い思い出を離してくれて。

 そして、話は終わったとばかりに、カウンター越しに笑顔を作って見せる、まだ若い、亜麻色の髪の乙女。


 ……良いですよ、もう。こんな時まで。

 こんな時まで、笑ってなくて、いいんですよ。


 ……ありがとう、ございます。


「ごめんなさいね、マヒロくんみたいな、夢見る童貞にこんな話を」

 あれれ? 話の温度が、劇的に下がった気がするぞ? 思わず、苦笑いが浮かんでくる。

「それ、冷めちゃったわね」

 そう言って、おれの手元の皿に残ったアマダイの煮付けを見やる。

「温め直した方がいいわね?」 

「いえ、平気です、このまま……いただきます」

 そんな気分だった。残った煮付けをかっこむ。ま、暖かい時ほど美味しくはない。


 食べながら、今のおれに一番大切なのは、伝えることよりも、聞くことなんじゃないか。そう思った。

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 からんからん。


 丁度、おれがアマダイを平らげた時、お店の扉が勢い良く開いて、キノが飛びこんできた。

 もう一人、同じくらいの年の、小さな男の子と、一緒に。


 あらあらあら、とジュンさんが戸棚からタオルを出し、二人に近づいて行く。

 びしょ濡れになった二人の少年少女は、ケラケラ小気味よく笑いあい、濡れた仔犬みたいに水滴を弾きあって、はしゃいでいる。

 楽しそうだけど、見ているだけでこっちが寒くなる。これが……若さか……。


「もー、二人とも風邪ひいちゃうわ。お風呂、すぐ沸かすから、二人とも順番に入りなさいね?」

 じゅ、ジュンさん……まるっきり、オカンだ。

「ジュン! あのねあのね! キノ、あたらしいおともだち、できたの! ね、メロ?」

 ジュンさんに頭をタオルで拭かれながら、キノはお手柄を誇る様に、楽しげな声を上げる。


 キノからメロ、と呼ばれた少年は……おい、冬至も過ぎた、この寒空に半袖半ズボンって。

 アルプスの雪原みたいな真っ白い髪の毛に、健康的な小麦色に焼けた肌も、南国では見たらスカッとするだろうが、冬将軍に攻め込まれている現在は、見ているだけで寒い、って心の中で繰り返すおれは、この歳で既に老いたのだろうか。


「うん、はじめまして! ぼく、メロウ・メロディ!」

 キノに負けないくらい、明朗快活に答えた少年は、無邪気な笑顔でおれの方を見た。なら、とおれも頭を下げる。

「あ、はじめまして。おれは、新月真大、って言うんだ。キノと遊んでくれたの? ありがとう、メロ君」

「えっへへ。どういたしまして」

 うわぁ、眩しい笑顔。若いなぁ、と十六歳のおれが思う。

「ねえ、お兄ちゃん、秀人さんのお友達、でしょ?」

「え」なぜ、いきなりシュートの名が出て来る?!


 少年は、屈託のない笑顔を浮かべたまま、おれの方に歩み寄った。濡れた髪の毛から雫が滴り落ちる。

「……君、シュートの知り合い、なの?」

 キノは不思議そうな顔でこっちを見ている。ほとんど凝視している。ジュンさんがホラ、お風呂! と急かしても、動こうとしない。

「えっへへ。秀人さん、すっごくね、お兄ちゃんの事、好きみたいだよ? 憎いね、お兄ちゃん」

「あの、きみは、一体……」


― フィリリリン!

 携帯が、鳴り響く。その響き方が、とても不吉に聞こえた。


「ぼくね、お兄ちゃんの力、確かめに来たんだ。テンテンたち、ビックリしてるよ、きっと。ぼくらは普通の方法じゃ、ここには来れないから」

 少年の背後、照明に照らされた影が伸びる。

「きみ、お前…」

 がた、席を立ちあがる。

 ジュンさんは気配に気づくなり、険しい表情でキノの前に立った。母が子を守るように。


「ぼくは、メロウ・メロディ。メロメロにしちゃうよ?」


 にた、と無邪気に笑う少年。カメラの前でピースでもするかのように。


 少年の背後に現れた巨大な暗黒の渦が、たちまちおれたちを包み込んだ。

 これほどの渦を作り出せる、だと……?!

 だが。おれは迷わない。素早くポケットからカゲを取り出し、憑依させる。

 景色が歪む。カゲの世界に呑みこまれていく。

 

 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 

― ぱぱぱー、ぱぱぱぱ、ぱ、ぱぁぁん!!

 超特大のファンファーレが鳴りやまぬうち、異常な衝撃を受け、おれは吹っ飛んだ。

 鈍い轟音。

 木製の壁が凄まじい力を受けて突き破られ、おれは表に放り出された。


「ぐぁ、あ、ぐ……!」

 衝撃をモロに受けた右の肋が、酷く痛む。肘から全身を貫く激痛の中、乾坤一擲の力を込めて、どうにか顔を上げると、白い煙が立ち上る中、小さな人影がこっちへ進んでくる。


 その背後には巨大な獣、四本足の、何か異様な、ケダモノの形のカゲがいる。

 丸太のような腕が、大きさに見合わない素早さで、辺りに立ち上った煙を吹き飛ばして伸びてくる。

 痛みを気合で抑え込み、何とか背後に跳んで、かわす。


「あー、良かったぁ、これぐらいじゃ、全然死なないよねー!」

 間延びした、愉快そうな声が聞こえてくる。

「でも、ベストショットの手ごたえだったよ? やっぱり強いね、お兄ちゃん!」

 テンションが上がっている少年の背後で、巨大なケダモノのカゲが、生まれたばかりの赤ん坊の様に猛り狂い、暴れているのが分かる。


― グボォォォォン!!

 こっちの腹の底まで響いてくる、低く太い、鳴き叫び声。


「ねぇお兄ちゃん。ぼくと、ベヘモス、満腹にしてね?」


 だったら、スタミナ太郎にでも行けよ。


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