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飛べない鳥の唄  作者: ぴーくおっど
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13/30

弱さと強さを両手に持って。

― おれは、どこに走ればいいんだろうか ―

  一人の大学生、西陣海(にしのじん かい)は、永久に失われてしまった。

 おれという、不完全で愚かなバカ野郎を守り、託すために。


 カイさんはいつも優しく爽やか、変態だけど。

 どんなにふざけた変態発言をしていても、おれが本当に困った時、危機に陥った時は必ず駆けつけてくれた。 

 いまだからこそ、思う。本当は、とても真面目で優しい人だったのだと。

 時折出る、エロ小噺は、一度カゲを背負ってしまった、その宿命の中でも笑おうとする為だったんじゃないのか。

 

 亡くなった後で、巻き戻らない時計の針の前で、おれはカイさんの事を、本当に理解しようとしていなかったのではないか、と考え続けていた。

 そして、それを想う度、考えるたび、頭も身体も重く、なっていった。



 ヨシカちゃんを家に送り届けるまでは、何とか強がっていられた。

 けれども、一人になって、物を考えざるを得ない状況に陥った時、カイさんが亡くなった事実が、おれにはどうしようにも無い、悲しいという言葉では足りない感覚を与えた。

 何も、したくなかった。

 何をしても、また誰かを傷つけてしまうのではないか。そんな事ばかりが、頭の中を延々と巡り続けていた。


 ……でも。

 ヨシカちゃんが話していた、シュートの深刻な問題があった。

 あいつと話をつけるのは、おれが一番の適任だ。だから、おれがしっかり、しないと。

 何とか、そう言い聞かせることで、おれは正気を保った。

 だから間を開けずに、その翌日、シュートを近所の神社に呼びだした。

 ヨシカちゃんのカゲを倒し、元に戻してもシュートがおかしいままなら元の木阿弥だ。南無妙法蓮華経。

 ……あ、ここ、神社だった。


 時雨と最初に闘った時に来た、小高い丘の上にある天神。

 住宅地の真ん中に何故かある、一つ目の鳥居をくぐって直進、そこからようやく辺りが神社らしくなって、石造りの階段を登って、もう一つ鳥居をくぐると、辺りは、この一週間でほとんど葉を落とした、林に包まれる。


 改めて、辺りを見渡してみる。

 近所の神社だから、思い出が、そこかしこに溢れている。

 水の涸れた手水舎があり、参道の右手に小さなお社があって、その奥にはいつも雨戸が閉まっている、今すぐお化け屋敷に使えそうなボロい社務所がある。左手には、菅原道真公由来の牛の石像がある。

 この石像の頭を撫でると、勉学の御利益がある、なんて言われたもんだから、小さい頃はシュートと競うように擦り合ったもんだ。

 まぁ、結局、御利益はシュート限定だったんじゃないか、と思うけどね。

 参道の両脇には、御影石で出来た白い灯篭と狛犬が立っていて、そこを進んだ最奥に本殿がある。


 しかし。

 今日も、シュートはまだ来ていなかった。本当に、らしくない。

 北風がおれの身体を煽り、思い出したように寒さを感じたおれは、本殿の前の敷石は陽だまりになっていて、風除けもできるだろうし、そこに立って待つことにした。

 途端にまた、一陣の冷たい北風が吹き抜けていった。耳の中で、ゴウゴウと風がぶち当たる音が聞こえる。

 やれやれでござる。目論見、大外れ。


 さっきよりも冷たい、身体と心を吹き抜けていくような風だった。

 カイさんが、いなくなって、心のどこかに穴ポコでも空いて、しまったのか。カイさん……。

 どうして、おれなんかに、託して、しまったんですか……。


『見せてくれ、ぼくに、未来を』


 ……おれには、まだ、そんな大層なもの……分かりません、よ。

 胸の奥が、息をするのを塞ぐ様に、重い。


 ……今は、ダメだ。この事を、考えるな。

 頭を振る。考えを、変えなきゃ。

 今は、そうだ、シュートだ。

 ヨシカちゃんの前でうろたえるとか、らしくねぇよ。何やってんだ、シュート。

 うろたえるのはおれ、にっこり笑うのがお前、じゃんか。心の中で、軽く毒づいてみる。

「好きなのに、困ってるとき、弱ってるときに力になれなかった」そう言って泣いたヨシカちゃんの姿がはっきりと思い出される。

 ……あンの、野郎。ここは青春賛歌よろしく一発殴っとくのが筋なんだろうか。

 いやいやまさか。そもそも、おれたち、喧嘩だってロクにしたことないっつーの。

 おれが人生をレッツ・リンボーダンスってな具合で、も、ホントにスレスレで生きている時も、いつだってあいつはイッツ・ア・太陽って感じの笑顔を辺りに振りまいて、その段階で大体、万事片が付くっていうか、あいつがスマートに片をつけてしまって、そこで世界平和は成立、武器よさらば、て感じで。

 だのに、今回は全然、勝手が違う。

 何かが、起っている? だとしたら、何が? 

 カゲ関係? まさか。

 シュートは、カゲには近づいてない。

 カナシーが、おれをそうしていた様に、おれが遠ざけていたから。

 しかし、脳味噌が上手い事、廻っていない。連日連夜の急転直下の出来ごとに、脳味噌が急速ボイルされて、固ゆで卵のハイ出来あがり、てなもんだ。

 はっ、これがハードボイルドか?!


「や、マヒロ」

 うわ。おれの後ろからシュートは現れた。

「ごめんね、待たせちゃった?」

 シュートは首に巻いた深い橙色のストールを外しながら、おれの前に廻り込んだ。

「待ってはいねぇよ。てゆか、カップルみたいな言い草するなっつの」

 うぐ。虚を突かれた事もあって、何を、どう切り出すべきか、いざとなると出てこない。

「あはは。ちょっとびっくりした? 今」

「したに決まってんだろ。おっま、急に出てくんだもん」

「あはは。それはね、ほら、吊り橋理論? てあるじゃん。あれ、狙ったんだけど」

「は? 何だそれ?」

「ほら、お化け屋敷とかでドキドキすると、そのドキドキを恋のドキドキだ、って勘違いしちゃうっていう、ってやつ」

「はぁ? なに、お前、おれを惚れさせたいんか? てゆか、それなら告る前には、みんな猫だましとかすれば、告白の成功率、軒並みアップ、ってことになっちゃうじゃんか」

「お、上手い事言うね。やってみようかな」と言うが早いか、おれの前で両手を合わせた。

 ぱぁん!


「好きだよ?」

 どんな女の子でも、一目見せられただけでコロッ、といってしまいそうな笑顔が弾ける。くわー、ムカつく。

「あのな」眼の前のシュートの両手を摑むと、少し乱暴に押しのける。

「おれ、お前といつもの漫才する為に、こんな寒空の下、わざわざ呼んだんじゃねぇっつの。あのな、シュート。お前、ヨシカちゃんと連絡取ってるか?」

「え……どして?」爽やかスマイルを浮かべていた表情が、さっと翳った。

「どして…って、そりゃ、お前」

 眼の前のシュートの視線は宙に泳いで、珍しく、真っ直ぐにおれを見ていない。

 これは、こいつが、隠し事をしている時の眼だ。

「ヨシカちゃん、さ。泣いてた、から」

 すぅ、と息を吸う。ここからはもう、綱渡り覚悟で喋らないと、ダメだ。

「え」

「聞かせて、もらったんだ。クリスマスとか、最近の、大体の事。話すのも苦しそうで、すっげえ、泣いてた。困って、弱ってた」


 遠くの空で、カラスが低い声で鳴いている。


「その、あのさ。このところの、お前の色々って、まさか、とは思うけど、おれのせい、なのかな。だとしたらさ、心配、させちまって、ごめん。でもさ、お前を必要としてくれる世界って、すっげぇでかいじゃん? だからさ、もっと広いところを見て欲しいって言うか、おれ程度につまづいて欲しくねェ、っていうか」

「何ソレ?」

 泳いでいた目が、即座に元に戻った。真っ直ぐな瞳が、おれを射抜く。

 え? な、なに?

「マヒロ、おれのこと、嫌いになっちゃったの?」

「や、んなわけねぇよ」 

「ならさ、なら、なら、なんで、そんな、『おれ程度』とか言っちゃうの? ねぇ、どうしておれのこと、遠ざけんの? 何も話してくんないのとか、おれけっこう」

「っ、それは、さ」

「ほら! 言わないんだ」 シュートの語気は、強い。

「初詣だって、ホントはおれと行きたくないんでしょ?」

「はぁ? お前、それ、逆だろ? ってっか、そんな話してなくね?!」

 こ、これは、お前とヨシカちゃんの話だろ?

「逆なもんか。マヒロ、最近、全然おれと遊んでもくれないし、放課後はすぐにどっか行っちゃうし。おれ、一人ぼっちだよ?」

「そ、それこそ、逆だし。お、お前が一人なわけ、ねぇじゃん。お、お前、おれ以外にだって友達、星の数ほどいんだろ」


 おれがいつも、どんな思いでお前の横にいたか。お前に分かるもんか。おれは思わず、心の中で毒づいた。

 誰も気にとめないおれのすぐ隣で、お前はみんなの中心にいて、いつも喝采を受けている時、みんなに好かれている時、おれが、おれがどんな思いでお前を見ていたと思うんだ。


「そっか。カナシーがいれば、おれはもう用済みなんだ」と、吐きだすように言うと、やがて、自嘲気味に笑った。「あっはは。そうだよね、もう、いらないんだね、おれなんか」


 ……お前。カチンと来るな。その言葉は。

 時雨の言葉が一瞬だけよぎる。

― 君が横にいると、自分が引き立てられるんだよ ― そんな、バカな。

 でも、そう考えると、いろんな辻褄が合う。合ってしまう。

 シュート、お前こそ、もうずっと、おれの事が邪魔だったんじゃないのか? おれの事、気遣ってたんじゃないのか? だから、今、こんな事を言ってるんじゃないのか? 

 シュートの誕生会が、頭をよぎる。みんなの中心に、パズルの中心のピースの様にいた、シュートが。

 本当は、お前、おれがいなくても、全然。

 おれがいなくても。おれがいなくても。一度浮かんだ一つの言葉が頭を全部支配する。おれがいなくても。

 

「お、お前みたいな、ま、眩しいやつには、わかんねぇんだよ」


 今まで、ずっと心の奥底に仕舞い込んでいた言葉。心の力で抑えてた言葉。抜身の言葉が、今、口から洩れていく。


「眩しい? なんだよ、それ」

「お、お前は、さ、お、おれに無い物、いっぱい持ってるだろ。おれが欲しくてたまらないもの、夢に見る物、夢でしか見れないもの。全部、全部持ってるじゃねぇかよ」

「全部? おれが何を持ってるのさ。何も無いよ」

「そう思ってんのがムカツクんだよ!」

 思わぬ大声が出てしまい、シュートがびく、と身をすくませる。

 そうだろ、お前みたいな、何でも持ってるやつが、何も持って無いって言うのって、おれみたいに、ホントに何にも持ってないやつがどんなに惨めか、わかんない、だろ。


「お前、もう、おれをさ、庇うなよ」

「そんな……庇ったつもりなんて、ないよ……」

 俯くシュートの声が、蚊の羽ばたき音の様に小さくなっていく。

「もう、さ、善意、押し付けんな」す、とおれはシュートに手を翳した。「苦しいよ、おれ」


 風の音が、聞こえる。

 風の音しか、聞こえない。

 なんだか、ほんの僅かの間に、ずいぶん遠くまで来てしまったような気がする。おれ達、二人は。


「……そう、思ってたんだね、マヒロは」ストールに顔をうずめ、ほとんど聞き取れない声で、微かに言った。北風に揺れる天然パーマの髪が、変に明るく見える。


 おれは、黙っている。

 口の中がひどく渇いて、頭の中がグラグラ揺れて。

 なんで、だろう。ずっと言いたかったけど、ずっと我慢して言わなかった言葉、ようやく言えたのに、なんでだ、おれ、こんな気持ち、なんでだ。


「……今まで、ごめん」

 シュートはそれだけ、ギリギリの声でそう言うと、視線を切り、踵を返した。

「じゃあね」

 

 おれは、走り去るシュートを馬鹿みたいに突っ立って見ていた。


 ホント、馬鹿みたいに。


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  「ぺんぎん」と一口に言った時、普通の人の頭には、どんなぺんぎんが浮かんでいるんだろうか。

 整髪料のコマーシャルで有名になった、立てた前髪の様なヘアスタイルの、イワトビペンギンだろうか。

 オーソドックスに首元の橙色が眩しい、キングペンギンだろうか。

 それともコウテイペンギン?

 または、日本の水族館で一番たくさん飼育されていて、日本の気候に適応しているフンボルトペンギンだろうか。

 アルゼンチンなどで巨大なコロニーを作っているマゼランペンギンや、フォークランドの孤島に棲むジェンツーペンギン、ぺんぎんなのに森の中の渓流に棲む、フィヨルドランドペンギンか、ニュージーランドの五ドル紙幣に描かれているキガシラペンギンを浮かべた人は、ちょっとしたペンギン通だと思う。

 おれは、こういうぺんぎんの種類を、ぺんぎん堂で「ぺんぎんのずかん」をキノに読んであげながら、覚えた。

 飛べない鳥、日本人に愛されている鳥、モノトーン鮮やか、ヨチヨチ歩きの可愛らしいスタイルが売りのぺんぎん。

 世の中には、まだまだたくさんのぺんぎんがいる。


 それなのに、あぁそれなのに、「ぺんぎん」と言ったら『喫茶ぺんぎん堂』を浮かべてしまうおれはもう、とっても末期だ。

 なんの末期だか分からんけど、とりあえず末ってこと。

 ぺんぎんの粘土の人形アニメを浮かべるなら、まだまだ救いがあるけど、入口に巨大な象の置物が置いてある昭和の遺産、木造モルタルのフルアーマー廃墟を想像してしまうなんて、どーかしてる。


 ……どーか、してる。

 そうだ。

 おれは、どーにもならないことを、どーにかしたかった。


 カイさんが目の前からいなくなって、シュートと別れてからの丸三日間、あてどもなく街を歩いた。何がどうなればいいのか、何をどうすればいいのか、もう何も分からなかった。


 年末の人だかりでごった返す道路を歩き、枯れて一面茶色になった草むらを歩き、冷たい川風が絶え間なく吹く河原を歩き、砂利道を何度も転びながら歩き、風に舞う砂を全身で受けながら砂地を歩き、棒の様な脚で丘を歩き、蜘蛛の巣がかかったトンネルを抜け、むわっとした油の様な匂いが立ちこめる路地を歩き、年末道路工事の行き止まりで引き返し、段差に躓いて倒れ、起き上がり、歩いた。

 数え切れないほどの、一度すれ違ったっきりで、もう二度と出会わないであろう人たちとすれ違った。

 歩きタバコをしているオッサンに腹が立った。

 歩道を遮るように道に広がって立ち止まり、延々世間話をしているオバチャン集団に腹が立った。

 道いっぱいに広がって歩く中高生集団に腹が立った。

 やたらクラクションを鳴らすタクシーに腹が立った。


 でも、それらに対して、何も言えないおれ自身に、一番腹が立った。

 だが、そのうちに感情を波立てるのにも、疲れてしまった。


 百万通りの「もしも」が、おれの頭の中を駆け巡って浮かんでは、シャボン玉の様に弾けて、次々に消えていく。

 どれもこれも、その場しのぎの地に足付かずの、根も葉もない、薄っぺらな、都合のいい、たらればだ。

 もしも、おれが時雨を倒していれば。

 もしも、おれがヨシカちゃんを止められていれば。

 もしも、おれがカイさんの忠告を守っていれば。

 もしも、シュートと落ち着いて話が出来ていれば。

 もしも、おれが。

 もしも、カイさんが。もしも。もしも。もしも。心も身体も、たださ迷った。

 そしてどこへ行くこともできず、遂に四日目の晩、ぺんぎん堂へと辿り着いた。

 尊敬していた先輩を亡くし、親友を傷つけて。

 自分は何も為せず、良かれと思ってやったことは裏目。

 おれは。

 そこに鏡があったら、叩き割っていただろう。

 そこに缶があったら、蹴飛ばしていただろう。


 そこには、カナシーがいた。


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 ぺんぎん堂の古びたドアを開けた先に、彼女はいた。

 天井に吊るされた、ランプ型裸電球が照らす小麦色の光が、こげ茶色の木製インテリアをぼかし気味に照らした、大正時代にタイムスリップしたような店内に、彼女は静かに立っていた。


 祈るように、両手を合わせて。

 誰もいないだろうと思ってドアを開けたおれは、そこにいるはずのない彼女の姿を見て、固まったように動けなくなった。

 彼女は、そんなおれに近づき、無言のまま、両手でキュ、と抱き締めた。


 おれの胸に、顔を深くうずめる。冬の寒空の下で冷え切ったおれの身体に、彼女の吐息が、体温が触れる。暖かい。ゆっくりと、でも規則正しい呼吸が、おれに伝わる。彼女の心臓の鼓動が分かる。自分のではない、もう一つの脈拍。

 おれではない人が、確かにここにいることが、分かる。感じる。伝わる。


 おれは、一人だけど、一人じゃない。

 一人なのは、一人じゃないんだ。


 そう思った時、無性に涙が止まらなくなった。


 店内には、映画『戦場のメリークリスマス』でかかっていた曲がかかっていた。


「…マヒロ」

 どれくらい経っただろうか。おれの胸に顔をうずめていたカナシーが、ふと顔を上げた。


「どうか…自分を諦めない、で…」

 そう、祈るような細い声を上げ、もう一度、胸に顔をうずめる。ゆっくり、顔がこすりつけられる。赤ちゃんが、いやいやをするような。背中に廻された彼女の手に力がこもる。

「カイは…死んだ…もういない、けど、あなたは…あなたは、生きて…生きて、いるの…だから」

 深海の様な、深い群青色の瞳が、涙に濡れて、おれを見つめる。

「…あなたまで…いなくなら、ないで…」と、泣きそうな声で、でもはっきりと、そう言った。

「お願い…」

 それだけ言うと、再びおれの胸に、顔をうずめた。


 言わせて、しまった。「カイは…死んだ…」と。

 言葉を想像するだけでも辛かっただろう、その言葉を口にさせてしまった。

 でも、カナシーが言うように、確かにおれはいなくなってしまいたいと思っていた。

 どこにも行けない考えに溺れて、自分の為に人が命を失った事や、取り返しのつかない言葉を友に放った自分から、目を逸らしたくて。

 彼女の頭に腕を回し、しっかりと抱きしめる。言葉を探す。


「ありがとう。君の言葉が、体温が、存在が、おれには」


 自分を投げやりに扱う時、自分の出す答えは単調で、歪んでいる。

 今のおれには、それが分かる。君のおかげで。抱きしめた頭を、柔らかな髪を、ゆっくりと撫でる。


「今のおれには、こんなにも大切で、嬉しい。ありがとう……」


 もしもおれにカイさんが言ってくれたような、自分の弱さを認める力があるんだとしたら、それは、君がくれたんだ。

 君が好きだって言ってくれたから。

 君が受け止めてくれたから。

 だから、おれも受け止めたいって、そう、思えたんだ。


 それだけ、じゃない。


 シュート。

 おれが弱音を吐く時、あいつはいつだって笑っていた。こんなのは何でもないんだよ、って。

 そうだった。あいつはいつだって光の方を向いていた。いつだってあいつがおれの目印になってくれていたんだ。おれは、いつだって誰かに助けてもらっていたんだ。

 次に会う時は、本気で謝らないとな。色々と。心から、そう思う。


 その時、ふいにカナシーがおれの胸からちょっと顔を離し、優しく微笑み、おれの瞳の奥を見つめた。

 そして、ゆっくりと目を閉じ、顔を、いや、唇を近づける。

 ……え?


 ……あ、これはアレではないのか。おれ達高校生男子の間では、ガンダーラだか天竺に行かないと手に入らないと噂の。 

 『キテレツ大百科』のエンディングソングが頭に流れる。


 そうか。

 うわぁ! こ、これが……初めての、チューか。

 そうだ! 今がその時だ! 行け、おれ! 唇をタコの如くつきだす……


 …ん?


― ばっ。


「ナニ、見てんすか」


 抱いていたカナシーをふ、と離してカウンターの奥に声をかける。

 え? と困惑した顔のカナシー。


 ドタ、ガタ、バタ、ドコ。人が四人、転がり出てきた。

 ……やれやれ、だ。『耳をすませば』でこんなシーン、あったぞ。おい。


「やー、ぬはは、なんだ、そのぉ、青春してんなぁ…と」

 倒れた時にずり落ちたサングラスを掛け直したヨシヤさんが、ヘラヘラ笑いながら答える。

「やぁねぇ、見守ってあげてたのよ、不器用な二人が上手くやれるかって」

 バツの悪い笑いを浮かべたジュンさんが、スカートの裾をぱしぱし払いながら答える。「もう、意外に遅いんだから。男なら、ばしっとキメなさいよ」

 すみませんね、こちとらド童貞ですから。

「すっごぉいね! マヒロもカナメも、おっとななんだね! いいなー、キノ、はやくおとなになりたぁい!」

 そもそも、悪びれるなんて言葉が脳内辞書に無い人が、こちらにはいらっしゃる。

「ちゃうねん。俺はそもそも覗きなんちゅう、漢らしくねぇ事には賛同できんかったんよ。しかし、我が弟子の成長ぶり? これは何を犠牲にしてでも見届けねば! と思うてな?」

 変なとこでダケ男気発揮しないでくれますか?



 耳まで真っ赤になって、頭から湯沸かし器のように湯気が立ってしまいそうなカナシーは窓の向こう、誰とも目を合わさない方向を向いてしまった。

 いやいやいやいや。もう、おれだって沸点到達してますもん。耳たぶが大炎上火災だっつの。目玉焼きくらいなら、作れるんじゃない?


「いっやぁ、良いねぇその甘酸っぱい青春賛歌。おりゃこれだけで白飯三杯はいけんぜぇ?」

 食べて下さいよ。下剤、大量に入れときますから。

「そぉね。マヒロくん、見られてる方が燃えるタイプだったら良かったのに……ねぇ。要?」

 しれっと、人に余計なキャラ付けを……。え、カナシー、なんでその、満更でもない顔、してんの?

「うんむ、マヒロに光速で置いて行かれるとこじゃった! ファーストキッスは鉄ゲタの味!」

 それが御好みなら、砂鉄でも舐めてろよ。

「え、ゴウジ、キスしたいの?! ねぇゴウジ、キノとする?! キノ、してあげるよ?!」

 キノはゴウジの腰に抱きつくと、むちゅーと唇を突きだしている。あー、もう、やっちゃえやっちゃえ。このエセバンカラ、淫行罪に問われちゃえ。

「えぇい、離せぇこの幼女めが! まったく、ぶわぁかをほざくなぁ! 大体罪に問わるがな!」

 そう言ってキノを振りほどくゴウジ。ちぇっ、もったいないなぁ。前科付けちゃえよ。ハクつくよ?


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 そんなドタバタコメディが、五分くらい続いた後、おれ達は三々五々、カウンター席についた。

 ジュンさんがゆったりとした手つきで紅茶を淹れ、店内にはウバ茶独特のメンソールのような匂いに包まれた。

 おれの前にコト、とティーカップを差し出して、ジュンさんは尋ねる。


「納得は、できたのかしら? 色々と?」


 おれは少し頷いて、それでもやっぱり少し、頭を振る。

「まず、謝ります。ほっつき歩いてて、すみませんでした」


 立ちあがって、みんなに深々と頭を下げる。企業の謝罪会見みたいに。


「しっかたあるめぇ。『仕方ない』なんて、そんなありきたりな言葉しか使えねぇほど、人間の死に、俺たちは慣れてねぇんだ……カイが死んだこと、おれたちだって当然、悲しいししんどい。でも、一番気に病んだのは、誰よりもアイツを慕っていたボォズ、お前さんだろぉに」

「え」

「カイの事、この中の誰よりも、お前さんが尊敬してたって話だ。そして、お前さんが自分を責めることしかできなかっただろうこともな」

「そう、なのかも、知れません。一人で街を歩いている間ずっと、どうしていいのか、そもそもどうにかできなかったのか、どうしたらカイさんは死なないですんだのか……取り返しのつかない、たくさんのもしも、から抜け出ることができなかった」


 誰もが黙っている。

 ヨシヤさんは腕組みをして、ゴウジは頭の後ろで手を組んで、キノは紅茶にふーふー息をかけて、カナシーは両手でティーカップを包み込むように持って。


「どれだけ時間をかけても、おれ一人では、答えが見つけられなかった」


 両手をカウンターにつく。置かれた紅茶に小さなさざ波が立つ。

 ミルクティーに映ったおれの顔は放浪のしわ寄せか、ゾンビ映画に今すぐ出れそうな、酷い顔をしている。かまわず続ける。


「おれ、自暴自棄ってやつになりかけました、少しだけ。迷惑、かけてすみません。でも、流れ着くみたいに結局、ここに帰ってきて、そしたら、カナシーがいてくれて、それでようやく、少しだけ、分かりました」

 ここで、カナシーは赤くなったけど、そのままの姿勢でおれを見上げている。

「カイさんは、亡くなり、ました。おれが間抜けだったばっかりに。でも、おれに、託す……。カイさんは、最期にそう、言い残しました」


 ポケットから二つのカゲを取り出す。

一つは禍々しい黒いオーラを放ち、もう一つは銀河の光みたいな、美しく青い光を湛えている。


「だから、闘います、おれ。おれにできることは、それくらいしかない。カイさんが命を賭けて託した相手が、せめて少しでもマシなヤツだって、おれは証明したい。たとえそれくらいしかできなくっても」


 ヨシヤさんはサングラスに手をやり、おれを見据える。

「このセリフは二度目だな…」

 温和な目が、鋭い眼光を放つ。

「覚悟、あンだな、ぼぉず」

 おれは、もうたじろがない。それが、託された者の。

「……はい。負け犬の逆襲、です」

 拳を胸の前で握って、解いてみる。今まで、本当の本気では、何かをつかもうとなんて、してこなかったこの手を。

「おれは、弱い、です。でも、もうそれを言いわけにしたくない。みっともなさもどうしようにもなさも、全部が全部、おれです。カイさんが認めてくれた、みんながいてくれる、おれです。でも、その中には、きっと強さがある。だから、おれは、闘います」


「ふんむ」

 しばしの沈黙の後、ゴウジがため息交じりに、拳をゴキゴキと鳴らした。

「ここでよぉ、負抜けた戯言をほざきよったら、一、二発ぶん殴ったろうと思うとったが、必要、ないらしいのぉ」 

「あら、気が合うわね、ゴウジ。私も似たような事、考えてたわ。ヒールの踵でギュってやっちゃおうかしらって」

 あの、笑顔でさらっと恐い事、言わないでもらえますか。

「え、じゃあキノも!」

 やめて下さい。しんでしまいます。

「や、まぁ、何つうか、おれ、今までみんな、ここにいるだけじゃないみんなから、渡されて、施されて、託されてきたのに、おれからは返さないマンマで終われんよ、で、良い、のかな、すみません、まだ、言葉では、上手く言えない」


 ぽん、とヨシヤさんに頭を叩かれる。そのまま、グシャグシャと撫でられる。


 悩みは、ほんのちょっと、あと少しで届きそうなことに対して発生する。

 数学の点数があと十点上がれば、体重があと五キロ減れば。

 でも七十点上がれば、二十キロ痩せれば、なんてことには誰も悩まない。それどころじゃないから。

 問題が解決するまで、ほんのちょっとなのか、永遠に悩んでも答えの出ないものなのか、そこを分かろうとしないと、いつまでも悩んで悩む事に拘泥してしまう。悩んでいるなんておれはなんて高尚な人間なのだ。むは。なんて阿呆なことで悦に入りかねない。


 カイさんを失ったことは、おれにとって、永遠に取り返しのつかないことだ。だから、おれは逃げてる暇も、悔んでる暇もない。

 ……できることを、する。それも、全力で。

 それが、残されたものにできる、最大限のことだ。

 いつかまた、同じようなことでクヨクヨと悩むだろう。

 また、人を傷つけてしまうかも知れない。絶対にしたくなくても。

 それが、おれの弱さだ。悩まない日は来ない。いつかヨシヤさんが言った通り、なんだろう。

 自分の中に永遠にある、超えられない弱さと、どう付き合っていくか。

 強さと、弱さを、両方認める事。

 光と、カゲ……。


 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


「あ。そう言えば、初詣。行きましょ、みんなで」


 みんなでお茶を堪能した後、ジュンさんがそう提案した。

 え、おれ、シュート達と、と思ったが、あんな別れ方をしたばかりで、今はどう謝っていいのかまだ分からないし、カナシーはどうやらおれを心配して、帰省先からただ一人帰ってきてぺんぎん堂に寝泊まりし、もう年末年始はこっちで過ごすらしい。

 それにキノも、もう大はしゃぎで「もういくつ寝るとお正月」を歌いながら、店内の椅子の間をクルクルと踊り、とび跳ねている。

 ゴウジは「悪くはないの…いや、どーしても来て欲しいって言うんなら行ってやらんこともないけぇ…ワシがおらんと始まらんだろぉしのぉ…」とかモゴモゴ言っている。

 試しに、置いて行ったろか。元旦に独り、学ラン一丁でブルブル縮こまっている姿は……壮絶に、バカだぞ。

 だがそれが良い。とか言ってみたまえ。


「マヒロも…来て、くれる…?」

 心配そうに覗きこんでくるカナシーの深く青い瞳。その目つき。おずおずと、下から不安げに、恋人を見つめるその視線。

 あぁもう、その目は、ズルい!

「そりゃ、もちろん」

 その目をされたら、一択クイズだよ、それは。


 だが、明るい雰囲気の中でも、会話の中にカイさんの下ネタが無い事が、心に引っかかってる。なけなしの良心が、軋んで痛む。

 フォーマルな服装をさらりと着こなすあの姿も、脈絡のない変態トークも、もう二度と目にすることはないんだ。

 そう言う、今までとは違う「当たり前」が積み重なって行くことで、人は誰かの死、不在に慣れていくのかもしれない。

― おれ達は過去を忘れる。でも過去はおれ達を忘れない。 ― 映画、『戦場でワルツを』の台詞だ。


 おれは、忘れたくない。いつか状況に慣れてしまって、忘れていくのだとしても、おれは忘れたくない。誰の事だって、もう二度と。


 帰り道、変に明るい三日月が雲路の果てに光っていた。


 

 ようやく辿り着いた我が家で、アツアツの風呂に入って、三日分の汚れを落とす。

 湯船につかり、体が温まって来ると、冷え切った身体のままでは考えもしなかった事が見えてくる。

 で、そこまでまじめ一辺倒だったおれの頭も、幾分フラチな事を考え出した。風呂場なだけにフラチ、みたいなゴキブリクラスのしょーもないことを。

 で。おれは気づいてしまう。おれはファーストキスをするチャンスを逃した、という、にがじょっぱすぎる事実を。大人の階段を登るチャンスを、バッチリ逃した、という事実を。

 ぐがぁ、脳内にベートーヴェンの『運命』かかったよ。うぉぉ悶絶。

 そして暴れたら壁のタイルに頭打ったよ。いってぇぇ。

 あぁぁ。何たる胸の苦しみ。苦しみの原因は、いやらしい願望が主であるが。

 おれが登ったのは有頂天であり、大人の階段は登り損ねたどころか、盛大に転げ落ちていた。

 あああ。シクシクシク。今宵のシャンプーは、目に滲みるぜ。シャンプーが眼に入ったら、速やかに水で目を洗いましょう。


 翌日。

 からんからん。

 お昼時だというのにまだ『準備中』の札を下げたぺんぎん堂の重たい木の扉を開けてみると、お昼時の魔空間の中にぽわ、と芳しい匂いがする。ニンニクと、香草の香りだ。

「あら、マヒロくん。グッドタイミング。ちょうど賄い、作ってたの」

「賄い?」

 おれはしゅるしゅるとマフラーを外し、カウンター奥に入ろうとする。

「あ、いいわ、今日は手伝ってくれなくて。ふふ、ありがとう。ねえ、マヒロくん、お昼ご飯。食べていないでしょ?」

 そう言うとロングスカートをふわ、広げて中から三種類の包丁を取り出した。出刃、柳刃、果物。はぁ?

「もうすぐできるわ。お腹、空かせて待っててね?」

 取り出した包丁をしゅ、しゅっと軽く砥石にかけて洗う。流行りのドラマの主題歌を、鼻歌で歌いながら。

「あ、あの、ジュンさんのスカートって」

「思わず潜り込みたくなっちゃう?」

「なわけなくて。ほ、包丁とか入ってるんですか?」

「女の子のスカートはね、秘密がいっぱいなのよ。うふふ」

 その笑顔、マジ恐怖なんですけど。


 十分ほどして、おれの前に並べられたのは、香り豊かな魚の煮付け、いや、洋風煮付け? わからないけど、いただきます、を言ってパクリ、食べてみる。


 衝撃だった。

 音で表すならガーン。もしくはガガーン、と衝撃であった。衝撃的に美味い。び、美味なるかな。


「どぉ? 美味しくできてるかしら?」

「ガガーン、です」わお、おれってば正直者。

「え?」

 あ、冷たい視線。

「何言ってるのよ。うふふ。美味しい?」

「そ、壮絶に。な、なんですか、この魚?」

「そ? よかったわ。ありがとう。ふふ。それね、アマダイ。安かったし、今が旬よ。それをね、タイムとかローリエ、ニンニクに唐辛子を一晩、漬け込んだ牛乳で煮込んだの。こっち、かぼちゃの煮たのとも合うから、食べてみて?」

 おれの前にもう一つ皿が並べられる。湯気の立った、黄金色のかぼちゃ。言われるままに、魚と一緒に食べてみる。

 ガガーン。


「は」

「は?」

「はっきり言って、めちゃめちゃ美味いです。その、ボキャブラリー無くって、上手い褒め言葉、出てこなくて申し訳ないんですけど」

「あら、良いわよ、そんな面白い顔してくれただけで十分伝わったから。こちらこそ、美味しく食べてくれて、ありがとう」 

 え、おれの顔って、面白いんですか。

 ……そうでしたか。十六年間生きてきて知らなかった。軽くショック。

「あの、ジュンさんって、紅茶も美味しいし、今日の煮込みもすっごく美味しいし、ぺんぎん堂以外でも、なんか、シェフみたいなの、やれるんじゃないんですか?」

「あら、嬉しい事言ってくれちゃうのね。でも、私はここで十分。ううん、ヨシヤがここに置いてくれるだけで、本当に十二分なのよ」

 そう言って窓の外を見やる目つきは、どこか遠い。


「私、前科持ちだから」

「ゼンカ?」

「犯罪者、だったのよ、私」


 アマダイがポロリと口から落ちた。


 ……そこから、ジュンさんの長い話が、始まった。


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