創世族集結――秩序の旗の下に
人族は四界を理解せず、忘れ、独りよがりに全てを支配しようとしたが故に、創世族としての本来の力を失ってしまった。人族に限らず、一部の獣人族と妖精族もそうだ。だが、大地人族と深海人族は違った。大地を愛する大地人族と海を愛する深海人族は純粋な創造時の由来となる性質の力を受け継いでいる。四界を理解し、受け入れ、一体となることで、〈秩序〉由来の力はギフトとなり、何の障害も無く自然と体内に流れ込んでいく。そして、穏やかな川の流れのようにすんなりと力は体外へと流れ出ていく。これこそ大地人族と深海人族の強みだった。
エクスは大地人族に囲まれていた。そこは周囲が茶色い岩壁で囲まれた地中深くにある大地人族の集落だった。洞穴の中とはいえ50平米はあろうかという開けた空間で、茶色い肌と茶色い髪で、シンプルなシャツとズボン姿という大地人族が大勢集っていた。空中には拳大の暖色系の光の玉が幾つも浮遊していて、その場を照らしていた。古い土の匂いがして、まるで空気さえも旧時代のものに感じられた。エクスは周囲の大地人族を見据えた。エクスを中心に直径5mほどの円状の空間を作るように大地人族達が取り巻いていた。エクスは高い能力を持つ大地人族と深海人族で誰でもいいから一人ずつ仲間にしたかった。獣人族と妖精族は別として、この掴み所のない大地人族と深海人族には話し合いをしたところで相手にしてもらえないだろう。エクスは単純に力任せに大地人族と深海人族に戦いを挑み、半ば使役させるように連れ出すしかないだろうと思っていた。
大地人族の中から一人の人物が前へ出てきた。エクスは剣呑な笑みを浮かべた。
「こいつを倒せば、私に従うんだな?」
大地人族からの答えは無かったが、エクスはそれをイエスと受け取った。エクスは目の前に屹立する背の高い大地人族を見据えた。茶髪を短く刈り上げた茶色い肌の男は2mほどの長身で、ゆったりとした白いシャツと黒いズボンを履いていた。他の大地人族と同様に靴は履いていなかった。長身の大地人族の茶色い瞳は落ち着いた感じでエクスの黄金の瞳を見返していた。
「お前は誰だ?」
「私はヒエロニムス。愚かな人族の末裔よ。〈秩序〉の祝福を受けるのに不相応なお前にできる事は無い」
「そうか。ヒエロニムス。私に言わせれば、〈秩序〉の祝福などこちらから願い下げだよ。〈秩序〉に期待するものなど何も無い」
「人族とは、つくづく愚かしい哀れな存在だな。お前の浅薄な考えが、いかに罪深いかを思い知るがいい」
ヒエロニムスの右肩上部の空中に、白銀の光に包まれた白銀書が出現し、ページがパラパラと捲られた。ヒエロニムスの〈想いの力〉オメガ・ルカヴィか発動し、ヒエロニムスの背中からズルズルと悪魔が出現した。悪魔ルカヴィには黒い翼と先が尖った長い尻尾が生えていた。エクスは異界の力を召喚させたヒエロニムスに感心していた。ルカヴィがエクス目掛けて氷の息を吐き出した。一瞬で空気は白く凍りつき、ダイヤモンドダストが散らついた。
「Προστασία」
エクスは素早く詠唱を済ませ凄まじい早さで自衛の障壁を展開し、魔力を漲らせた右手を振るって周囲の冷気を吹き飛ばした。ルカヴィはエクスの力を目の当たりにして、眉を顰めて舌打ちした。
「どうした、ルカヴィ?」
「まずいぞ、ヒエロヒムス。奴のあの力は原形界アツィルトのものだ。とてもじゃないが、まともに相手出来る敵じゃない」
今度はヒエロニムスが眉を顰める事になった。
エクスは氷の上を滑るようにしてヒエロニムスまで近づき、魔力により加工硬化させた右手を思い切り振り下ろした。ルカヴィがすかさずヒエロニムスの前へ飛び出し、両腕を交差させて手刀を受け止めた。エクスの手刀はルカヴィの黒い両腕を粉々に打ち砕いた。ルカヴィは肘から先が消滅した両腕を見下ろしながら首を横に振るった。
「無理だ。諦めるんだな、ヒエロニムス」
ルカヴィの姿が薄くぼやけ始め、そのままルカヴィは消失してしまった。エクスがヒエロニムスの顔面を殴り飛ばした。後方へ吹っ飛んだヒエロニムスは上体を起こし、咳き込みながらも地面から土の剣を取り出し右手に掴んで持ち上げようとした。しかし既に遅く、眼前に立っていたエクスが魔力で覆われた右手を突きつけていた。エクスの右手は鋭利なブレードを形成し、ブレード先端部をヒエロニムスの首に軽く押し付けると血が流れ出た。ヒエロニムスは苦虫を噛み潰したかのように顔を顰めた。
「降参だ。エクス・マキナ。私はお前に服従する」
「感謝する。大地人族ヒエロニムス。私にとっては服従ではなく、仲間なんだが……」
ヒエロニムスはエクスを睨みつけたが何も言わなかった。確かに首にナイフを突きつけられた状態で、どうして仲間などと言えようか。エクスは内心で苦笑しつつ右手を振るって魔力を解除しヒエロニムスを解放した。エクスが周囲を見渡すと大地人族の憎悪の視線が無数に感じられた。茶色い肌をした老若男女が茶色い目で鋭く睨みつけている。
(だが、他にどうすれば良かっただろう。手段を選んでいたら、いつまで経っても計画は進まないし、ようやく長い時を経て、タイミングが自分に訪れようとしているのだから。そう、もう少しで、エノキアンが、ある時間軸に結集する)
ヒエロニムスが立ち上がり、首の血筋を手で拭った。
「エクス・マキナ。私はどうすればいいんだ?」
「私は世界の諸悪の根源を消滅させるつもりだ。ヒエロニムス。お前には私について来てもらう」
その場に集った大地人族がエクスの発言に対して首を振ったりため息をついたりした。大地人族にはエクスの言葉はとんだ虚言にしか聞こえなかった。エクスは無視して呪文を小声で唱え、空間移動の為にサッと右手を上から下に振り下ろし、不透明な揺らめく魔力の膜を出現させた。エクスとヒエロニムスが揺らめく膜の中へ入ると、二人の姿は消失した。
エクスとヒエロニムスの目の前には大海が広がっていた。そこは灰色の岩肌の崖で、50m下では荒々しい波が岩壁に打ち付けられ白い飛沫となっていた。エクスは切り立った灰色の崖ギリギリまで歩いて行き、紺色の海を見下ろした。エクスの右手が灰色に光り出した。エクスは魔力を漲らせた右手を振り上げ、思い切り振り下ろした。眼下に広がる海が左右に砕け、真っ二つに分断された。ヒエロニムスは驚嘆して二つに分かれた海を見下ろした。幅2mほどで海底が露出し、左右の海は壁となって彼方まで続いていた。ヒエロニムスはエクスの後ろ姿を見つめた。なんて事はない黒いシャツとズボン姿で、白髪を除けば取り立てる事のない平凡な青年に見えた。こんな人族の男が、途轍もない魔力を秘めているようには到底思えない。でもヒエロニムスはエクスの力を目の当たりにしていた。原形界アツィルトの力の凄まじさにヒエロニムスは身震いした。エクスは崖から飛び降りて、分断された海の道へと降り立った。エクスが衝撃を遮断して静かに海底へ着地すると、背後ではドンと大きな着地音が響いた。エクスが肩越しにチラッと見ると、悪魔ルカヴィが黒い翼を広げて立っていた。ルカヴィは掴んでいたヒエロニムスの背中を離した。
「深海人族を目指しているんだな。エクス・マキナ」
「もちろんだ。ヒエロニムス。私は創世族の凄まじい個人を集めているんだ」
エクスは滑るようにして海底の道を進んで行った。ヒエロニムスもルカヴィの翼の力を借りてエクスについて行った。エクスは目指すべき物を見つけた。エクスの眼前にあるのは立ちはだかる海中の壁だった。どこまでも続く海底の道の中で、その青い海中の壁も他の場所と何の違いもないように見えた。だが、エクスはそこに入り口があるのを見抜いていた。エクスは黄金の瞳で海中の壁を睨みつけ、魔力を纏った右手を振り下ろした。海中に幅2m×高さ4mほどの黒い穴が出現した。エクスとヒエロニムスは海中の入り口から奥へと進んで行った。
周囲は壁も天井も水で作られていて、触るとゴムのように弾力があった。足元はどこまで行っても膝丈までの水嵩が続いた。どこかしらで水滴がポタポタと落ちる音が絶え間無く聞こえた。エクスは向かいくる脅威を察知し、背後を振り返った。
「気をつけろ。ヒエロニムス」
エクスは口早に詠唱した。
「Προστασία」
エクスが展開した自衛の障壁に飛んで来た水の矢が直撃した。ヒエロニムスは驚いて周囲を見渡し、ルカヴィと共に警戒した。エクスは両手に魔力を漲らせ、次々と飛んでくる無数の水の矢を手刀で粉砕していった。ルカヴィも黒い翼を羽ばたかせ、尻尾を鞭のように振るって向かいくる矢を叩き落としていった。攻撃の手が休まると、周囲の壁がグニャリと動いて、直径50mほどの開けた広間に変化した。更に紺色の水中の壁の中から青い肌の者達が次々と外へ出てきた。エクスの前に青い髪を肩まで伸ばした青い肌の女がやって来た。
「侵入者は排除する」
「力尽くは望むところだ。深海人族」
その場に集った深海人族は青い瞳でエクスを睨みつけていた。
「人族など、殺してしまえ!」
「やっちまえ、ミュシャ!」
エクスは周囲の者達の罵詈雑言など無視して、眼前の深海人族――ミュシャを見据えた。ミュシャは黒いシャツと黒い半ズボン姿で、水に浸かっている膝から先は素足だった。ミュシャの頭部に白銀の光に包まれた白銀書が出現し、独りでにページが捲られた。ミュシャの〈想いの力〉旧異種族接触が発動した。ミュシャの背後から鬼神がズルズルと姿を現した。エクスは剣呑な笑みを浮かべた。深海人族も異界の力を召喚するとは。召喚された鬼神は黒髪を長く伸ばした白い肌の女で、灰色のローブを来ていた。
「星の鬼神ニティブス。我等深海人族に災いを齎すものを滅ぼして」
ニティブスが灰色のオーラを纏った。ニティブスの右手から灰色のエネルギーで形成された剣が出現した。ニティブスがエクス目掛けて駆け出し、灰色の剣を振り下ろした。エクスは加工硬化によって鋭い刃と化した右手で灰色の剣を受け止め、鬼神を蹴り飛ばした。エクスは両手に魔力を漲らせエネルギーの塊を作り出し、倒れ込み立ち上がろうとしているニティブス目掛けて容赦なく発射した。ニティブスに直撃した魔力の塊は爆風を巻き起こした。エクスは眼にかかった白い髪をかきあげ、突風を生み出し、ニティブスを隠している爆煙を吹き飛ばした。ニティブスの灰色のローブは所々で千切れ、ニティブスの頭部からは灰色の血が頬を伝って流れていた。
「何故、あなたが原形界アツィルトの力を行使できるのか。私には皆目見当がつきませんが、あなたは何者なんですか?」
「鬼神ヌクテメロンと言えども、原形界アツィルトの力には対抗しきれまい。星の鬼神ニティブスよ、確かにお前は四界の中では上位に位置する有力者かもしれない。だが、どのような四界の有力者だろうと、私には劣る。たとえそれが神や天使であろうと悪魔や鬼神であろうともな」
ニティブスは整った顔を歪めて歯ぎしりした。それから申し訳なさそうにミュシャを振り返った。
「ごめんなさい、ミュシャ。今回は深海人族の役に立てそうにない。この途轍もない大魔導師には現状で誰も太刀打ちなどできない。唯一可能性があると思われる〈想いの力〉もこの場にいる者ではどうしようもない。ああ、あなたの言いたい事はわかります、ミュシャ。けど、〈想いの力〉はその想いの行く先で大きく変化していく。ミュシャ。あなたにとって、このエクスと呼ばれている男に対しての想いの強さは、到底強さのバランスを覆すほど強くは無いのよ。いくら〈想いの力〉に可能性を見出せたとしても、現状でエクスに勝てるほどの力を生み出すことは不可能だわ」
「よくわかってるじゃないか、鬼神。それで、お前らはどうするんだ、深海人族達よ?」
ミュシャは青い瞳で鋭くエクスを睨みつけたが、どうしようもないことはニティブスの態度で十分にわかっていた。大きく舌打ちして下唇を噛みつつミュシャは声を絞り出した。
「お前の目的は何だ。どうすればいい?」
「私が求めるのは世界の秩序だ。その大望の為にはいくらかの障害を突破せねばならず、それには私だけでなく仲間が必要なんだ。世界の諸悪の根源を根絶させる為に、お前に仲間となって一緒に戦ってほしい」
「その問い掛けに選択肢なんて無いんだろう? お前の仲間となって、どこまでも付き合おう。その行く先がたとえ地獄だとしても」
「ありがとう。ミュシャ。けど、私の目指しているのは地獄などではない。〈秩序〉も〈混沌〉をも超越した真の理想郷だよ。そこでは誰もが差別されることなく平安に暮らし、自然の摂理に反するような悲劇や苦痛は一切起こることはないんだ。その為に、あまねく四界に潜む巨悪の根源は滅殺されねばならない。私は世界の諸悪の根元を根絶させたいんだ」
「諸悪の根元?」
「〈混沌〉だよ。〈混沌〉の子とその眷属エノキアンを消滅させる。奴らは全ての悪の元凶だからな。あんな忌まわしい存在が四界にのさばっているのがおかしいんだ。それを見過ごしている〈秩序〉と〈秩序〉の信奉者テトラモルフも同罪だ。世界は捻れて歪んでしまっている。私はそれを正すつもりだ」
「エクス。あなたに何が起きたのかは知らないけど、あなたの野望は無謀だわ。誰であろうと四界の摂理には歯向かえないものよ」
「ニティブスの言う通りだわ。それに、〈秩序〉とテトラモルフの存在なくして、四界の安息はあり得ない。あなた一人にどうにかできる問題ではないのよ」
「出来るか否かの心配は無用だ。いいから、ついて来てもらおう。ミュシャ」
エクスの顔は眉根を寄せられ、口は歯ぎしりで醜く歪んでいた。何が彼をそうさせているのかは定かではなかったが、エクス・マキナの凄まじい憎悪に大地人のヒエロニムスと深海人のミュシャ、そこに集っていた深海人の全員が恐怖し、忌まわしき男の野望を呪った。
リヴラの空間移動によって、リヴラとセラフィムはドイツにあるギルド本拠地へと向かった。二人がやってきたのはギルド本部にあるとても広い大広間の中で、そこには大勢の人間が集っていた。光沢のある濃い木製の壁と床と天井。広間の奥の壁際は1mの高さの壇上となって、左右の端に階段が設けられている。椅子はなく、皆それぞれ立っていた。集まっていたのは世界中のギルドから悪魔討伐を心に誓った強者達だった。ギルドの責任者であるギルドマスター・フォルティナの紹介で二人は〈混沌〉教会討伐の会議に参加した。フォルティナに促されてリヴラは壇上に上がり、悪魔達をどうにかするにはセラフィムがどうにかするしかないと断言した。リヴラはセラフィムの方に右手を差し出してその場の視線をそちらへ向けさせ、自分は後ろへ下がって奥の壁際に移動した。セラフィムはその場に集う無数の視線を感じながら壇上へと向かった。セラフィムはありのままの姿を群衆に晒した。天使のような白い翼。悪魔のような黒い尻尾。今や薄っすらと両手の肌は大地人族のように茶色く変色し、両足は薄っすらと青く変色していて、それはまるで深海人族のようだった。セラフィムの悪魔のような異形の姿に多くの者が眉根を寄せた。人々がざわつき困惑しているのを、セラフィムは微笑みを崩さずに見つめた。
「僕が絶対にどうにかしてみせます。だから、各地で暴れる悪魔を何とか凌いでもらいたい。みんなの手助けが必要なんです」
一瞬、会議場はしんと静まり返った。セラフィムは自分の姿や言動に落ち度があったのかもと心配し始めた。だが次の瞬間、多くの戦士たちが歓声を上げた。腕を高く上げて振り回す者もいれば、自らの武器を打ち鳴らしている者もいた。
ベルンハルトとマリアはセラフィムの変貌振りに、一体何があったのかとびっくりしていた。
ギルドマスター・フォルティナがセラフィムの隣にやって来た。
「セラフィム・アダム・カドモンとリヴラ・ジヴァニトゥムの二人が絶対にどうにかしてくれるから大丈夫よ。相手を信じない限り、信頼関係なんていつまでも生まれないし、相手に信じてなんてもらえないわ。だから、私達も二人を信じて出来る限りのことをしましょう。私達にしか出来ないことをやって、セラフィムとリヴラにしか出来ないことをお願いしましょう。私達ギルドで、世界の混沌から秩序を取り戻しましょう」
栗色の綺麗な髪を伸ばし、いつまでも失わない美貌の持ち主であるギルドマスターのフォルティナはとても神秘的だった。フォルティナの優しい声は聞く者を安心させた。まるでスポットライトを浴びたアイドルだな、とベルンハルトは密かにフンと鼻を鳴らした。ベルンハルトの目にはフォルティナが白銀の輝きに包まれているかのように見えた。まさかと思って瞬きして見ると、白銀のオーラなど消失していた。その場に集った者達が笑顔でフォルティナを見つめる中、ベルンハルトだけは眉根を寄せて唸り続けた。
「おい! リヴラ、気づいただろう? もはや事態は我々の手を離れてどこまでも進行しているぞ」
有翼の亀デウスがリヴラの耳元で囁いた。リヴラはベルンハルトの姿を見て、ため息をついた。もはや隠し切れることではなくなってきているし、隠す段階でもなくなり始めている。あらゆる事が明らかになろうとしているんだ。リヴラはフォルティナに視線を移した。全てを知る者とも称され、多くの役割を背負わされているんだ。彼女が白銀のオーラに包まれるのは当然の事だ。彼女の負担も軽減させないと。まるでリヴラの心を読んだかのように、デウスがフンと鼻を鳴らした。
「当たり前だ。リヴラ。お前が善良なる者達の苦労を買ってでもするんだよ。それがお前に相応しい罰だ。お前は苦しむべきことをしたのだからな」
デウスがリヴラの頭部に突撃体当たりした。
エクスは妖精族のリネストリアと獣人族のケークロスリイを仲間にした。リネストリアは黄金の風の異名を持ち、自在に空間を行き来するという妖精族の男で、針金のような金髪をしていて、妖精族の中では背がとても高い方で身長160cmはあった。ケークロスリイは分解者の異名を持ち、治癒力を持つ獣人族の女性で、金髪を肩まで伸ばしていて、小さな牙を持つ以外は獣人族の特徴を濃厚に継承してはいなかった。
エクスはこれで創世族全てを仲間にした。すなわち、大地人族のヒエロニムス、深海人族のミュシャ、妖精族のリネストリア、獣人族のケークロスリイの四人だ。
エクスは仲間と共に街道を歩いていた。白い石畳で綺麗に舗装された幅10mほどの道の左右には足首あたりまで伸びた濃緑の草がどこまでも生えた草原が広がっていた。空は青く、雲一つない快晴で、時折吹く冷たい風が心地よかった。エクス達の前方から誰かが近づいて来た。人族の男だった。男の名はクロス・ブラインドリといった。クロスは人族にしてはかなり背が高く、2mはあるかというヒエロニムスと同程度の巨躯で、細い体にピッタリとした黒い長袖シャツを着て、タイトな黒いスラックスをはいていた。目立つ防具はなく、装備は腰に括られた黒い剣だけだった。クロスは白い肌に黒い瞳を持ち、髪は黒く癖っ毛でぼさぼさだ。エクスはすぐにクロスの能力の高さに気づいた。クロスも同様に、エクスの異様さに気づいた。二人は同時に動いた。クロスは5mほど離れて前に立つエクス目掛けて地面を蹴って飛び出した。腰に括った漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを抜き放ち、クロスが容赦なくエクスに振り下ろす。エクスは凄まじい速さで自衛の障壁を展開し、右手を加工硬化させた。更に魔力をコーティングすると右手は球状の灰色のエネルギーに包まれた。エクスの右手とクロスの漆黒剣とがガキンとぶつかって、灰色と漆黒のエネルギーが爆発した。二人は右手と剣を合わせたまま微動だにしなかった。二人は何も言わずに魔力と剣をぶつけ合い、理解した。クロス・ブラインドリが握る漆黒剣ツァダイ・テト・アレフはエクス・マキナの凄まじい魔力をも跳ね返した。エクスは前置きもせずに仲間に誘い、クロスもエクスに自分の目的を言わずにして託した。
エクスは五人の創世族の代表である仲間にこれからの目的を打ち明けたが、全員今更という感じで反応は薄かった。エクスは仲間の反応に喜び、すぐにエノキアン討伐を開始した。
エノキアンは言うまでもなく特異な存在だ。まず、彼らの存在時間軸というものが異質だった。〈混沌〉の子の眷属エノキアンは、時間の流れの中で一点ごと、その時点にポイントとして存在している。Aという時点に存在するとき、他のどの時間の流れにも存在はしていない。エノキアンには過去や未来など存在せず、彼らにとっての主観的な現在にしかエノキアンは存在しなかった。つまり、エノキアンは過去から未来において厳密には存在していない事になる。しかし、エノキアンは実際には物質界アッシャーに出没し、数々の忌まわしい事件を起こしてきた。かつての帝国シアルルの皇子エクス・マキナはその凄まじい魔力を駆使し、長い時間の中でエノキアンの特質を見出した。帝国を滅ぼしたのはエノキアンだ。ここからは推測になってしまうが、エノキアンが主観時間においてかつて起こした災害は、エノキアンの姿が無くても見えない力によって引き起こされる。エノキアンの特質は時間の流れの中でその時々の時点にしか存在しないこと。それに伴い、エノキアンが引き起こしてきた出来事は、たとえエノキアンがその時点に存在せずとも、同様に起きてしまう。まさに悪魔のような存在だった。仮に時空移動が可能だとして、帝国滅亡の時間軸に移動できたとしても結果を覆す事は難しい。これはエノキアンの特質とは別の問題で、時空の監視者とテトラモルフの問題だった。時間と空間のシステムは把握していたが、実践にはセキュリティ解除が必要だ。空間移動は許されていても、時間移動はテトラモルフによって制限されている。〈時空の彼方〉の監視者があらゆる世界を見張っているのは、時間軸の歪みから派生する世界バランスの崩壊を防ぐ為だ。違反者はすぐ様テトラモルフに通報される。未来は無数に枝分かれしているが、過去は確定している。過去の時間軸が変更された場合、変更後の時間軸そのものが書き換えられるか、時間軸は分岐して複数化してしまう。どちらにしてもテトラモルフは、時間軸の書き換えもしくは複数化を絶対に防がなければならないものとしている。未来の可能性である無数の時間軸が各個人の選択によって決定されるが、現実が確定した時点でそれまでの無数の可能性は嘘のように消滅し、一つの時間軸だけが残される。当然ながら時間移動の正負の違いはそこにあって、未来の時間軸は二つ以上の複数の状態が重ね合っていて、過去の時間軸は一つしか存在しない。
(未来の時間軸は、おそらく矛盾した結末が重ね合わさっている状態にある。未来の時間軸=未確定の時間軸[1],〃[2],〃[3],……〃[n]となれば、帝国没落前の時間軸にいる自分の主観なら滅亡回避が可能か。いや、それではまた矛盾が生じるし、過去の書き換えになってしまう……。テトラモルフがタブーとしている時間軸の書き換えと複数化を起こさずに過去の改変はできるのだろうか。今の自分が知らない何らかの法則かシステムを活用すれば可能性はあるのかもしれないが、今はどうしようもない)
これ以上の被害を起こさない為にも、諸悪の根源は滅せられるべきだ。エノキアンを討伐するにはどうすればいいのか。帝国の皇子エクス・マキナはずっと考え続けてきた。もちろん、計画を確実にするにはエノキアンをそれぞれ一人ずつ抹殺していくことだ。けど、エノキアンの九人が長く単独で行動する事は滅多に無い。全員でいながら、一人ずつ抹殺していかなければならない。なによりもとにかく、エノキアンと遭遇しないと。エクスは自分は形成界イェツィラーへと向かうことにした。他の五人には、物質界アッシャーでやってもらいたいことがあった。それはエノキアンにとって厄介な行動をとってもらうこと――世界の秩序だ。色々な場所で起きている混乱や事故を解決し平安を取り戻すこと。五人が良い行いをして、世界を平和にしていけばいい。世界に秩序を齎せば、エノキアンはぶち壊しにくるはず。エクス・マキナは仲間にそう頼み、呪文を唱えた。
「χώρος」
エクスの姿が不鮮明になり、すぐに消えて見えなくなった。
ギルドメンバー達は世界各地で暴れる悪魔達の討伐をしていた。マリアとベルンハルトもそうしようかと思っていたが、戻ってきたセラフィムと行動を共にすることにした。世界は悪魔で混沌としている。まさにエノキアンの思惑通りだ。スペースサーフィンが使用不可となってしまった今、圧倒的に不利だった。世界中のギルドと連携して、戦士を派遣し、大量の悪魔に対抗するにはあらゆるものが不足していた。いくら戦士が数体の悪魔を消滅させたとしても、焼け石に水でしかない。戦いが長引けば、一人また一人と戦士は倒され、無数に物質界アッシャーに流れ込んでくる悪魔に人々は対抗の術を失ってしまう。リヴラ達はすぐにでもアダム・ベリアルを討伐し、悪魔の大群を消滅させてやりたかった。
クロス達はひとまずリネストリアに空間移動してもらうことにした。リネストリアは腰に装備していた時空の刀で空間を切り裂き、仲間を中に入れ、自分も空間の裂け目を潜り抜けた。クロス達は世界各地を移動し、情報収集しながら、行く先々で問題を起こしている悪者を懲らしめたり、災害や事故で困っている現場に助けに向かったりした。世界のどこへでも助けに向かったし、種族の分け隔てなく手助けした。クロス達は噂を流したかった。
〝正義のヒーローが世界を平和にしている〟
これが〈混沌〉を求める者にとって一番の厄介者のはずだ。クロス達は貪欲に役割を果たしていった。犯罪者を罰し、差別される獣人族と妖精族を守り、天災に悩まされる大地人族と深海人族の被害を最小限に抑え、復興を手助けした。人族は別として、他の種族ははじめクロス達を倦厭していた。だが、誰かしらがどれかの種族に属していた為、その内それぞれの種族にも噂が広がり、クロス達は正義のヒーローとして認められるようになっていった。
クロス達がリネストリアの空間移動でやってきたのは森の中にある開けた空間だった。草花が生い茂った中心に日乾煉瓦で造られた階段状の遺跡があった。太陽の白い光に照らされて、そこは明るかった。地面は植物の蔦で覆われていて、周囲の常緑樹にとまった多くの種類の鳥が各々の声で鳴いていた。クロス達は中心に建つ古い遺跡の方へ向かった。高さが17mほど、底面が63m×43mほどで台形の箱を二つ重ねたような建造物だ。クロス達は長い階段を上って頂上を目指した。頂上には神殿があり、とても高度な文明による遺跡に思われた。ただこの建造物にどのような意味があるのかは謎だし、遺跡の機能的な点は不明だった。クロスには関係なかった。目的はこの遺跡にはない。クロス達の立つ遺跡頂点部分の床面に、突然大きな暗い影が現れた。クロス達はサッと上空を見上げた。黒くて大きい何かが空中に出現していた。巨大な影が猛烈な速度でクロス達のいる場所へ迫ってきた。巨大な黒い鳥がドスンと大きな振動を伴って着地した。リネストリアがいつ何が起きても対処できるように時空の刀を抜いた。
「おいおい。迷子になった子供を助けたり、足が不自由な老人を家まで送ったりといったレベルの手助けをしていたかと思ったら、いきなりこれかよ」
「ハッ! どうした怖くなったのか、リネストリア?」
「そんなんじゃないさ、クロス。いきなりボス級ってのも悪くない」
「そうだな。遺跡に巣食う黒い魔物、レイヴァンか。ちょっとは楽しめそうだ」
クロスが漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを抜くと、まるでクロスの長身に合わせるかの如く黒い刀身が伸びて、漆黒剣はそれまで腰に納まっていたよりも長い剣となった。ヒエロニムスの背後からは悪魔ルカヴィが、ミュシャの背後からは鬼神ニティブスがズルズルと姿を現した。ケークロスリイは四人の背後に立ってレイヴァンを見つめていた。レイヴァンは太い針金のような硬く黒い毛で全身が覆われていて、大きな黒い嘴からは鋭い牙が見え隠れしていた。全長は翼を広げたら5mはありそうで、感情の無い黒い眼でクロス達を見つめていた。レイヴァンが嘴を広げ、甲高い声でギイィと咆哮を上げた。ルカヴィがコールドブレスを吐き出し、レイヴァンの足を凍結させた。既にリネストリアは時空の刀で空間を切り裂き、レイヴァンの顔面すぐ横に空間移動し、時空の刀を思い切り振り下ろした。刀はガキンと大きな金属音を響かせて弾かれてしまった。レイヴァンが翼を広げ、リネストリア目掛けて思い切り地面へ振り下ろした。衝撃音と共に砂煙が舞った。クロスの横の空間が切り裂かれ、裂け目からリネストリアが飛び出してきた。横眼で見たクロスはニヤリと笑って、逆側にいた鬼神ニティブスに視線を向けて頷いた。レイヴァンの甲高い鳴き声が響き渡ると、凍結させていた氷が消滅した。ルカヴィがそれを見て眉根を寄せた。ニティブスが灰色のオーラを纏い、詠唱し始めた。
「sagitta」
レイヴァンに向けられたニティブスの両手から無数の灰色の矢が発射された。レイヴァンの甲高い鳴き声が響き渡り、灰色の矢はことごとく消滅してしまった。ニティブスは思わず自分の両手を見て、それからレイヴァンへと視線を戻した。ルカヴィがニティブスの横にやってきた。
「おい、お前等。あの黒いでかぶつはおそらく――」
「俺もわかった。ルカヴィ」
クロスの返答にルカヴィはフンと鼻を鳴らした。再びレイヴァンの鳴き声が響き渡った。クロス達は跳躍してその場から脱出した。クロス達が今いた場所の地面が大きく抉れて消滅してしまった。どこかから何かが落ちるような衝撃音が聞こえてきた。ルカヴィが空に飛び上がり、遺跡周辺の状況を確認し、すぐに戻ってきた。リネストリアも空中に切り裂いた空間の裂け目の中に消えると、すぐにもといた場所に戻ってきた。ミュシャが戻ってきた二人に向けて眉を上げてみせた。
「それで、どうだったの? ルカヴィ? リネストリア?」
「俺が凍らせた氷とさっきの地面の破片が、遺跡の下に見えたぞ」
「ニティブスの放った矢の衝撃も近くの森で発見できた。今さっき出来たばっかりの新鮮ほやほやの衝撃痕だったぜ」
クロスは向かいくるレイヴァン目掛けて跳躍し、漆黒剣を振り下ろし片翼を両断した。甲高い鳴き声が響き渡った。全員がレイヴァンに注目した。
「答えは出たな」
「そうね、クロス。あの魔物レイヴァンは、強制的に指定箇所を空間移動させる能力をもっているようだわ。それ以外に、戦う術は無さそうね」
「鬼神ニティブス。ただの空間移動ではないだろう。おそらくあれはわざと不完全な空間移動を発動させているぞ。空間移動対象を空間移動先に不完全な形で移動させることで、対象を破壊する能力だ」
「まあ、ネタバレしたらつまらない芸当ということだろ。ヒエロニムス。奴はもうおしまいだ」
クロスは再び嘴を開こうとしたレイヴァンに凄まじい速さで近づき、残ったもう片方の翼を漆黒剣を振り上げて両断した。甲高い悲鳴を上げるレイヴァンの嘴目掛けて、ニティブスが灰色の衝撃波を両手から放った。衝撃波はレイヴァンの嘴先端部分を粉々に破壊した。クロスがレイヴァンの顔面目掛けて跳躍し、振り上げた漆黒剣を思い切り振り下ろした。鳴り止まなかった甲高い鳴き声がピタリと止んだ。レイヴァンの全身が両断され、左右にそれぞれドサリと倒れた。ルカヴィがレイヴァンを一通り確認すると、口から激しい炎を吐き出して死体を燃やしつくした。悪臭がして、ミュシャとケークロスリイとニティブスは咳き込みながらその場を離れていった。リネストリアが眉根を寄せて鼻を摘まみながら、時空の刀で空中を上から下に切り裂いた。空間の裂け目にクロス達が入り込むと、すぐに裂け目は何事も無かったかのように消失した。
クロス達が空間移動してやってきたのは岩山に建設された砦だった。そこはカオスブレイクという盗賊団のアジトだった。クロス達が門の前に姿を現すと、すぐさまカオスブレイク団員が襲いかかってきた。クロスは漆黒剣を抜かずに身構えた。
「こんなやつら、剣を抜くまでもない。何が〝世界平和の為に世界を支配する〟、だ。無茶苦茶言いやがって。義賊でも気取ってるつもりか。馬鹿がっ」
クロスは向かいくる武装した盗賊の短剣を横に避け、顔面を殴り、腹部を蹴り飛ばした。もう一人いた門番の短剣による攻撃をルカヴィが右手で掴み取り、左肩に噛みつき、鞭のような尻尾で叩き飛ばした。クロス達はカオスブレイクのアジトへと侵入した。アジトはそこまで広くはなく、門を抜けて100mほどいったところに目立つ木製の尖塔が建てられていて、どうやらそこが敵の親玉の居場所らしかった。ただ、周囲には無数のカオスブレイク団員がいてクロス達を睨みつけていた。クロスはニヤリと笑った。
「雑魚どもが群れやがって。俺は大丈夫だが、あんたら棄権するなら今が最後だぞ?」
「ふざけるな。クロス。こんなやつらで俺が逃げるか」
「リネストリアの言う通りだ。私はこのような人間の群衆に恐れを抱くことはない」
ヒエロニムスがやれやれと首を振ると、ミュシャが頷いて同調した。
「同感ね。ヒエロニムス。私もこんなやつらに負けるつもりはない」
「私がいる限り、絶対に負けはしないよ。だから、皆安心して戦っていいよ。まあでも、こんなやつらが私達に致命傷を与えられるかなんて甚だ疑問だけどね」
「そうだな。ケークロスリイ。まあ、これで全員意見は一致したわけだ。さあ、さっさと済ませちまおうぜ」
カオスブレイク団員達が一斉に襲い掛かってきた。クロスは向かいくる盗賊団員達の攻撃を凄まじい速さで避け、同時に殴り飛ばしていった。リネストリアは時空の刀を抜き、周囲の盗賊達を次々と切っていった。盗賊達が数人で一斉に短剣を振り下ろすと、リネストリアは凄まじい速さで空間の裂け目の中へ姿を消した。短剣が空を切って慌てている盗賊達の背後からリネストリアは飛び出し、容赦なく時空の刀を振り下ろした。ヒエロニムスは高さ2メートルほどの巨大な土の盾を地面から取り出し、それを振り回して盗賊達をなぎ倒していった。ルカヴィは空中へ飛び上がり、コールドブレスを地上の盗賊目掛けて吐き出した。阿鼻叫喚の悲鳴はすぐに止まった。ルカヴィが地上に降り立つと、ヒエロニムスが淡々と氷の盗賊像を叩き割っていた。ルカヴィも尻尾を振るって氷の像を粉々に砕いていった。ミュシャは〈想いの力〉旧異種族接触を発動させた。ミュシャの背後からズルズルと鬼神ニティブスが姿を現した。周囲の盗賊達が出現したニティブスに戸惑っている隙に、ニティブスは灰色のオーラを纏い、右手に出現させた灰色の剣を一回転するように振るった。灰色の衝撃波で盗賊達は後方へ吹っ飛んでしまった。倒れ込んだ盗賊達の中から数人が立ち上がってニティブスとミュシャ目掛けて襲いかかってきた。ニティブスは次々と振り下ろされる短剣を灰色の剣で受け止め、左手を盗賊の腹部に当て、灰色の矢を発射した。盗賊は後方へ吹っ飛び、もう起き上がってはこなかった。ミュシャは空気中から水の剣を取り出し、向かい来る盗賊に対して剣を振り上げた。水の剣から発射された硬質の水滴が直撃し、盗賊は悲鳴を上げて昏倒した。
クロスが見渡すと、周囲には無数のカオスブレイクの盗賊団員が倒れ込んでいた。立っているのはもはやクロス達だけとなった。クロスは盗賊達を踏みつけながら、奥にある尖塔へと向かった。クロス達が尖塔に近づくと、尖塔に設けられた入口から一人の男が外へ出てきた。中年の男は禿頭で、色鮮やかな祭服を着ていた。
「あなた達が世界を賑わせている正義のヒーロー、とかいうやつですか」
「だから、どうした」
「私はカオスブレイクの団長。名前はブレイクとでも呼んでください。我々は世界平和の為の団体です。世の中では盗賊団などと呼ばれていますが。世界の平和の為に我々が世界を支配しなければならないのです。今、世の中を支配している三大国では世界に平和を齎すことは不可能でしょうから。あなたがたも、正義のヒーローだというならば、今すぐ我々と共に歩むべきです。カオスブレイクこそ真正の正義ですからね。あなた達は言うかもしれない。我々のような小規模な団体に何が出来るのかと。三大国の代行なんて出来るはずがないと思われているでしょう。確かに人々を導いていくには、多くの力が必要です。我々は傲慢になるつもりはありません。我々が提唱するのはあくまで目的地です。カオスブレイクは真の理想郷への先導者となるのです」
「そうか。それは大層立派な団体だな」
クロスは漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを抜いた。リネストリアはブレイクを睨みつけて、時空の刀で空間を切り裂いた。
「言い残したいことは、それだけか禿げ野郎。お前みたいな狂ったカルトがあるから、世の中が乱れるんだろうが」
リネストリアは空間の裂け目に飛び込み、すぐさまブレイクの背後に姿を現し、振り上げていた時空の刀を振り下ろした。刀は何の抵抗も無くブレイクの頭部を切断した。あまりの感触の無さにリネストリアは危うく前に転びそうになるのを何とか堪えた。クロス達は無言でブレイクを凝視していた。ブレイクがくつくつと笑い始めた。
「どうしたんです? 正義のヒーローなのでしょう? ここまできて、よもや自らの挙動を見失うわけありませんよね」
ブレイクの顔は頭頂から右頬まで斜めに切り落とされていた。出血は一切無く、ブレイクは顔半分を失った状態で笑みを浮かべながらクロス達の反応を楽しんでいた。悪魔ルカヴィは眉根を寄せて前に飛び出し、ブレイク目掛けてファイヤーブレスを吐き出した。ブレイクの下半身が炎に包まれた。ルカヴィは地面を蹴って空中に飛び上がり、ブレイクの右半身側へと移動した。ブレイクの頭部の切断面には空虚な穴しかなかった。ブレイクの足下に落ちた右頭部の切断面を見ても、中身は何も無く黒い空洞となっていた。ブレイクの下半身を覆っていた炎が消えると、黒く炭化した両足が露わとなったが、依然としてブレイクの笑顔は崩れなかった。ルカヴィは舌打ちして、クロスの横に着地した。
「わかるか、クロス?」
「俺にわかるのは、あいつに何をしても効きそうにないって事ぐらいだな」
「なら、よく聞けよ。クロス。あのブレイクとかいうじじいは悪魔と契約してやがる。それであんな化け物みたいな姿なんだ。ブレイクは物質界アッシャーには存在していない。あのじじいは抜け殻みたいもんだ。本当の奴は形成界イェツィラーにいるんだ。こんなクズみたいな人間がいるなんてな。とにかく、俺達がこの物質界で何をしようと、あのじじいは痛くも痒くもないんだ」
「それじゃあ、何をしても無駄だな」
「物質界じゃ、どうしようもないって言ってるんだ。形成界から奴を引きずり出してやる。そうすれば、お前が奴にダメージを与えられる」
そう言うとルカヴィは飛び上がり、ニティブスの隣に着地した。
「行くぞ。ニティブス」
「何故、私が従わなければならないの? あんたと一緒に行かなければならないの?」
「面倒くせえな。お前は。お前が嫌だろうが何だろうと、形成界の住人は俺とお前しかいないんだ。だから、お前は俺と一緒に形成界イェツィラーへ行くんだよ」
「私が言っているのは、何故あなたが主導権を握っているのか、ってことよ。使役された悪魔にそんな権利はないはずよ」
ルカヴィは舌打ちしてミュシャを睨み付けた。ミュシャはため息をついて首を振った。
「ニティブス。形成界へ行ってブレイクの正体を暴いて」
「わかったわ。ミュシャ」
ニティブスの姿がぼやけて不鮮明になった。ルカヴィがそれを見て眉を顰めた。
「ニティブス。お前は権利の云々を主張するがな。ここにいるこいつらは権力を振りかざすようなつまらないことをする、ちっぽけな野郎どもじゃないぜ。んなこと、わかってるだろ。少なくともあのブレイクとか言うじじいのようなプチ権力者とは、次元が違う」
ニティブスの姿が消失した。ルカヴィは首を振って、自らも空間移動してニティブスの後を追った。
それまでブレイクの顔に張り付いていた微笑が初めて崩れた。眉根が寄せられ、空中を睨みつけ、歯を食いしばった歪んだ口からは涎の白い泡が出ていた。ブレイクの全身がわなわなと震え出すと、苦悶の表情を浮かべていた顔は何かが切れたかのように無表情になった。ブレイクが人形のようにバタンと前のめりに倒れこんだ。次の瞬間、木の板を割るようなバキバキという大きな音が鳴り響いた。悪魔ルカヴィと鬼神ニティブスが空間移動して姿を現した。ルカヴィはクロスの横へ移動して、倒れこむブレイクを指差した。
「来るぞ。クロス」
今もバキバキという不自然な音は鳴り止まない。倒れ込むブレイクの体から3mほど上空に、ピキピキと空間のひび割れが出現した。バキバキ鳴っていた音が鳴り止んだ。パキンと大きな破裂音と共に、巨大な何かがブレイクを踏み潰した。空間の裂け目から現れたのは全長4mほどの黒い豚のような化け物だった。全身が表皮の襞で波打ち、両目は退化したかのように潰れて凹み、その代わりとでも言わんばかりに顔の3分の2をひしゃげた鼻が占拠していて、ゼエハアと荒く臭い息を吐き出す口からは粘つく涎が醜く垂れ流れていた。
「おい、ルカヴィ。何だ、あの不愉快な獣は?」
「悪魔に魂を売った人間の成れの果てさ。醜く下品なクソ野郎だよ」
「悪魔なのか?」
「フンッ。一緒にするなよ。少なくとも俺は堕ちても品格は失っちゃいない。あいつはある有名な怪物のフェイクさ。ベヘモットをモデルにした紛い物の贋作だよ」
ニティブスがクロスの隣にやってきた。
「クロス。あれがカオスブレイクの団長ブレイクの正体よ」
「オッケー。ニティブス。おい、リネストリア」
「わかってる、クロス」
リネストリアが空間を切り裂き、姿を消した。化け物となったブレイクのすぐ横に出現したリネストリアが構えていた時空の刀を横薙ぎにした。刀は確かな感触を持ってブレイクを斬りつけ、黒い血が噴き出した。ブレイクがブイイと耳障りな悲鳴を上げた。
「余裕だったのも、もうおしまいだな。その喧しい鳴き声にも、もううんざりだ」
クロスが凄まじい速さでブレイクに近づき、両前足を切り捨てた。続け様にリネストリアが後ろ足を切り捨てると、ブレイクが地面にドスンと倒れ込んだ。ブレイクが粘ついた唾を吐き飛ばした。クロスは素早く横に避け、ブレイクの口に漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを突き刺し、そのまま振り上げてブレイクの顔面を切り裂いた。大量のどす黒い血が噴出し、ブレイクは絶命した。ルカヴィが臭いものには蓋をしろとでも言うかのように、ブレイク目掛けて炎を吐き出した。醜い黒い豚のような化け物の死体は焼き尽くされた。
「何なの。悪魔は毎回そうするの?」
ケークロスリイが眉根を寄せて誰とも無しに問いかけると、ニティブスが首を振りながら答えた。
「仕方ないのですよ。低俗な種族なのですから」
「いや、毎回こうするわけではないんだぞ?」
ヒエロニムスが苦笑しながら口を挟むと、ミュシャも微苦笑を浮かべた。ニティブスを睨みつけているルカヴィの肩をクロスがポンと叩くと、同じく隣にやってきたリネストリアも同じようにポンポンと叩いた。
「次に行こう。皆」
クロスに促され、リネストリアが空間を切り裂き、クロス達はその場から姿を消した。
リヴラは集まった者達を見渡した。教会に派遣されたギルドメンバー、ベルンハルト。新世界救済教会の聖女、マリア。白銀の淵源、セラフィム・アダム・カドモン。このメンバーで十分だ。少数精鋭で立ち向かわないと、無駄な犠牲者を増やすだけだ。目的はただ一つ。漆黒の淵源たる大敵レイ・アダム・ベリアルを倒し、悪魔の軍勢を物質界から消滅させる。〈ニューアース〉の人類が全滅してしまうかどうかは、このメンバーがいかに迅速に目的を果たせるかにかかっている。リヴラは心中でため息をついた。必ずやり遂げる。やり遂げるしかないんだ。それ以外にもまだまだ問題は山積みなのだから。
「これから向かうのは別の世界だ」
リヴラの説明に、ベルンハルトが眉を顰めた。悪魔の本質は形成界イェツィラーにあるが、物質としての存在は魔界と呼ばれる世界にある。我々が向かうのは、その魔界だ。魔界の一部に設けられた領域の一つに、レイ・アダム・ベリアルの世界がある。そこでレイ・アダム・ベリアルが待っているはずだ。リヴラは皆に頷いて見せ、その場の全員を連れて空間移動し、魔界へと向かった。
クロス・ブラインドリは親を知らない。捨てられたからだ。育ててくれたのは見ず知らずの老夫婦だった。クロスは育て親に真実を教えられたが、老夫婦は優しく、クロスに不満などなかった。だが、老夫婦は陳腐な盗賊に殺害されてしまい、クロスはまた一人になった。クロスは殺されずに済んだ。盗賊が助けてくれたわけではない。クロスが助かったのは、自ら盗賊を皆殺しにしたからだ。クロスは襲ってきた盗賊に対し、明確な殺意を抱いていたし、それに不思議な助けもあって生き抜くことができた。
盗賊の襲撃時、黒く禍々しい漆黒の剣が、突然クロスの手元に出現した。漆黒の剣の柄はぼやけてくすんだ黒色だったが、刀身は艶やかな光沢のある黒色だった。自分でも何が何だかわからないうちに、盗賊の攻撃を全て受け、素早く敵を斬り殺していた。まるで神がかり的な出来事だったが、悪魔的でもあった。クロスにはその漆黒剣が間違いなく何らかの高次元な力の働きによって齎されたのだと感じていた。
(でも、どうして、どのような存在によってこの剣は齎されたんだろう。仮にそれが神のような存在だとしたら、どうして剣を渡すのが老夫婦が殺された後だったんだろう。というよりも、そんなことなら、最初から盗賊から身を守ってくれれば良かったんじゃないか。助けてくれるのなら、全てを救って欲しかった。それが神というものなんだろうか。それとも神が救ってくれたのではなく、手を差し伸べてくれたのは悪魔だったとでもいうのか)
クロスはそれ以降、何度となくそんな自問自答を繰り返すのだった。
クロスは仲間に呼ばれているのに気付き、首を振って心中の夢想を振り払った。クロスたちがやってきたのは、ある一つの教会だった。子供を食い物にしている怪しい教会をどうにかするという目的で、クロス達は移動してきた。今や世界にとっての正義のヒーローであるクロス達は敵無しだった。帝国シアルルの皇子エクスが選んだ人材だけあって、各人が相当の戦闘力を持っていた。今回も何の問題も無く任務を完遂できるだろうと思っていた。ところが、既に教会は何者かの襲撃を受け、崩壊し炎に包まれていた。クロスは拍子抜けしてしまった。教会の周囲は森に囲まれていて、黒い教会の周りは剥き出しの土となっていた。教会のファサードには黒い祭服を着た者の死体が何体も転がっている。クロス達は炎上する教会の中を目指した。教会内には数人の人影があった。開かれた入口からすぐに礼拝堂へ繋がっていて、壁のランタンが天井の高い教会内を照らしていたが薄暗かった。幅5mほどの真ん中の通路の両脇に長椅子がずらりと並んでいたが、誰も座っている者はいなかった。通路の奥で四人の人物に司教が囲まれていた。クロス達の登場で、司教を取り囲む者達の注意が逸れた。司教はすかさず助けを求めた。
「頼む、助けてくれ!」
そうして司教は最期の力を振り絞り、クロス達の方へ駆け寄った。司教がクロス達まで半分も行かないうちに、黒髪の女が素早く追いかけ、背後から司教を剣で突き刺した。司教は断末魔の叫びを上げた。
「どうするクロス。あいつを治してやるか?」
ケークロスリイがクロスに問いかけた。
「いや、必要ないだろ。あの司教が諸悪の元凶だったみたいだから」
黒髪の女が司教の首を切り落とし、叫喚は消え失せた。
「クロト。初めに首をはねればよかったじゃないか」
奥にいた精悍な顔つきの両性的な男が言った。
「うるさい、ラケシス。こんなクズに情けを掛けるつもりか」
クロトの言葉にラケシスはやれやれと首を振った。
「誰が情けなんて。私はただ、醜悪な断末魔の叫びなんて聞きたくなかっただけさ」
そこでクロトとラケシスは今気付いたという感じで、クロス達に視線を移した。
奥にいた赤い色の髪を伸ばした女が口を開いた。
「ジョーカ様。あいつらが噂になっている正義のヒーローではないでしょうか」
アテピスの隣に立っていたのは、黒い悪魔の仮面が顔面に張り付いていたジョーカだった。
「正義のヒーローか……。そんなものを掲げる奴等が未だにいるとはな」
ジョーカは嘲るように呟いた。
「正義のヒーロー……。虫酸が走る」
「ジョーカ様。こんな奴等相手にせず、先を急ぎましょう」
「そうだな。アテピス」
ジョーカ達はその場を立ち去ろうとした。クロスがそれをさえぎった。
「そこの仮面の男。ちょっと待て」
「おい、お前。誰に口利いてるんだ」
クロトが剣を突きつけたが、クロスは無視してジョーカを見据えた。
「仮面野郎。お前何か、〈混沌〉と関係あるのか?」
クロスが装備している漆黒の剣を見て、ジョーカは眉根を寄せた。
「どうして、貴様が漆黒剣ツァダイ・テト・アレフを持っている」
「この剣がそんなに気になるか? 気になるなら、力尽くで聞けばいいだろ、仮面野郎。お前から漆黒のオーラを感じるぞ」
「面白いな、貴様」
ジョーカは久々にかつてのように何の重責も無く何も考えずに、ただ相手と剣を交えたくなった。クロスが身構えると、クロトが割って入った。
「ジョーカ様が相手する必要はない」
「おいおい。一対一の真剣勝負に水を差すなんて無粋だろう」
リネストリアが突然クロトの横に出現し、斬りかかった。ぎょっとしたクロトは何とか剣で受けたが、衝撃で後ろに飛ばされてしまう。
「おっと。これは総力戦ってことでいいのかな」
ラケシスがニヤリとして、リネストリアに凄まじい速さの手刀を繰り出した。ラケシスの攻撃は空を切った。リネストリアは一瞬にして別の場所に移動していた。
「二対一は卑怯でしょう」
そう言って、ヒエロニムスとミュシャも戦いに加わった。
「よろしいのですか。ジョーカ様」
「別に構わない。そっちは任せた、アテピス。こいつは俺とやりたいらしいからな」
「承知しました」
「この金髪チビ野郎。ふざけやがって」
クロトがリネストリアに襲い掛かり、ラケシスも後に続いた。アテピスも後方で様子を見つつ、戦いに加わった。クロトとラケシスとアテピス、リネストリアとヒエロニムスとミュシャの激しいぶつかり合いで、破裂音と共に教会内の椅子が破砕した。ジョーカの大剣とクロスの漆黒剣も激しくぶつかり合った。ジョーカとクロスは凄まじい速さで剣戟を繰り返していった。二人はどちらも引けを取らなかった。しばらくしてお互いに距離を開けて、クロスが口火を切った。
「お前もそうだが、あの黒髪の女からも漆黒のオーラを感じる。何なんだ、お前ら。ここで狂信者を襲撃したのも、ただの気まぐれじゃないだろ」
「俺はジョーカ。彼女はクロト。クロトには漆黒血が流れている」
ジョーカはそう答え、続けた。
「貴様は誰だ?」
「俺はクロス・ブラインドリ。アルドビルデの黒馬騎士団団長だ」
相手の答えを聞いて、全てを語っていないのはお互いにわかった。力量が拮抗していて、戦いは続いたものの膠着状態だった。停滞を破ったのは、エクス・マキナだった。
アクト達はどうすればいいかわからず、旅を続けていた。イライの目的の賢者リヴラ・ジヴァニトゥムはこの世界にはいない。ティラの目的の〈混沌〉の子もそうだし、その眷属エノキアンは一向に姿を見せない。アクトの目的のジョーカも彼等の前に姿を見せることはなかった。アクト達はてっきり、ジョーカとその仲間フェイト、それにエノキアンは自分達を襲撃するはずだと思っていた。どうやら何か他に目的があるらしい。けど、フェリルには進展があった。世界で話題になっている正義のヒーローたるメンバーの一人が、黒馬騎士団団長のクロス・ブラインドリという噂だった。アクト達は情報収集し、正義のヒーローがどこにいるのかを探った。彼等は世界各地を飛び回っていた。おそらく仲間に強力な魔術師がいて、空間移動をしているのではないか。アクト達も白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドの力による空間移動を駆使し、何とか正義のヒーローに追いつこうとした。
アクト達はようやく正義のヒーロー達の最新情報を手に入れた。彼等は今度は、邪悪な狂信者の教会の襲撃に出たようだった。アクト達はその教会へと向かった。
リヴラ達がやってきたのは、魔界だった。物質界でありながら、異質な空間。魔界の中でもそこは、レイ・アダム・ベリアルの作り出した領域――プライベート・フィールドだった。真っ赤な空。どこまでも広がる干からびた大地には、悪魔の大群が集結し、びっしりと大地を埋め尽くしていた。目的地は明らかだった。この群がる醜悪な悪魔どもの向こう側だ。四人は襲い掛かる悪魔を次々と倒していった。すると、漆黒のローブを纏った人物が現れた。リヴラの指示で、他の三人は先に向かった。漆黒のローブ姿はそれを妨げはしなかった。漆黒のローブ姿はエノキアンの一人、ベルゼブブだった。
「エノキアン。〈混沌〉の子の眷属であるお前がいるということは、奴は〈ヴェッセル〉に戻ったわけだ。休息を終えて」
「貴様は何でも知ったふりして、何でも思った通りだといった口振りだな。リヴラ」
「それはお互い様だろ。ベルゼブブ」
ベルゼブブはリヴラを嘲笑った。
「では、アダム・カドモンという完璧な存在を目の当たりにして、貴様は何を感じた。羨望、それとも嫉妬かな」
「驚嘆しか覚えないよ」
リヴラはベルゼブブの挑発に冷静に答えた。
「完璧な存在を目指し、落ちぶれた存在が、偉そうに冷めた面してるんじゃねえよ。堕ちた錬金術師め」
ベルゼブブがリヴラに襲い掛かった。ベルゼブブは漆黒のオーラで巨大化した拳で殴りつけながら、尚もリヴラに罵声を浴びせ続けた。
「どうせ、この先の戦いは決定している。貴様がどうしようと、最初から決まってたのさ。歴史は繰り返す。正義である白銀血が、悪者である漆黒血を断ち切り、戦いは終結する。そして、憎しみと復讐が残り、終わらない戦いは更に連鎖を繰り返す」
ベルゼブブの絶対的自信に満ち溢れた言葉に、激しい戦いを繰り広げながらもリヴラはニヤリと笑った。
「そうなるとも限らないさ」
セラフィムとベルンハルトとマリアが悪魔の大群を振り切ると、地平線まで続くひび割れた大地の先に尖塔らしき物がうっすらと見え始めた。マリアが目を瞑って祈りを捧げると、奇蹟が発動した。マリアとベルンハルトとセラフィムの下半身が白銀の光に包み込まれた。足が軽やかになり、疲れが癒されて、三人はより早く走り続けることができた。更に速度を上げて尖塔を目指す三人の前方に、突然一つの人影が出現した。ベルンハルトは眉根を寄せて、小さく悪態をついた。目の前に現れたのは、黒いローブを羽織ったエディリルーヴァだった。
「セラフィム。先を急げ。こいつは俺が引き受ける」
セラフィムは皆の想いを理解し、先へと急いだ。自分の横を通り過ぎていくセラフィムを横目で見つめていたエディリルーヴァは、満足そうに微笑んでいた。
「ついにお前に引導を渡す時が来たな。エディリルーヴァ」
「お前は本当に何もわかっていないな。ベルンハルト。その癖、偉そうに自分が何らかの優位に常に立っていると勘違いした態度を取るお前に対して、私はいつも胸糞が悪かったんだ。こちらこそ、ようやくお前のその気取ったむかつく顔面を思い切り殴り飛ばしてやれる」
「フンッ。勝手にほざいてろ」
「予言しよう。ベルンハルト。お前は誇りも品性もかなぐり捨てて、泣きじゃくりながら私に命乞いをするだろう。あたかも踏み潰されたゴミ虫のように地面に這いつくばってな」
「そうか。やれるものならやってみな」
ベルンハルトが破滅の刀を抜き放ち、エディリルーヴァに斬りかかった。
「そういう言動が癪に障るのだよ」
ベルンハルトが一瞬にしてエディリルーヴァの正面まで近づき、破滅の刀を振り下ろした。ベルンハルトがエディリルーヴァの左腕を肩から切り落とした。エディリルーヴァが衝撃で仰向けに倒れ込んだ。エディリルーヴァは信じられないとでも言うかのように驚きの表情を浮かべていた。ベルンハルトは無表情に、自分の足元に倒れ伏すエディリルーヴァを見据えた。
(なぜ、こいつは悲鳴一つ上げなかったんだ。それにおかしい。出血が一切無い。こいつ、まさか)
ベルンハルトが眉を顰めた瞬間、エディリルーヴァがくつくつと笑い始めた。ベルンハルトは後方へ跳躍して距離をとった。エディリルーヴァが上体を起こし、立ち上がった。それから高らかと笑い声を上げた。
「悲しいかな。それがお前の限界のようだな。ベルンハルト。お前に出来ることと言えば、その三神刀の一振りである破滅の刀をもって相手をただ切り刻むぐらいか」
ベルンハルトは眉根を寄せてエディリルーヴァを睨みつけた。エディリルーヴァの姿が黒い霧に包まれた。はじめ薄かった黒い霧は段々と濃く密度を増して、エディリルーヴァの姿を完全に覆いつくした。それまで聞こえていたエディリルーヴァの笑い声がピタリと止んだ。それと同時に何かが凄まじい速さでベルンハルト向けて飛んできて、ベルンハルトは衝撃で後方に吹っ飛んでしまった。離れて見守っていたマリアが慌ててベルンハルトに駆け寄った。ベルンハルトはすぐに起き上がった。
「下がってるんだ。マリア。危ないぞ」
マリアは小走りでベルンハルトから離れ、奇蹟を発動し白銀の保護膜を自分とベルンハルトに施した。ベルンハルトが見ると、エディリルーヴァを覆っていた黒い霧は消失していた。そこに佇立していたのは、奇妙な姿をしたものだった。エディリルーヴァより頭ひとつ分高い背格好で、全身が黒く光沢のある金属のような物質が立っていた。体表はツルツルで凹凸は一切無く、手や足の部分の指も無かった。頭は鋭くとんがっていて、無機質な白く発光する眼と開きっぱなしのギザギザの口以外に鼻や耳といった顔のパーツは一切残っていない。切断した腕も新たに生え変わり、異形の存在に変貌していた。
「人間の限界というやつだよ。ベルンハルト」
妙に金属的な声でエディリルーヴァが言った。
「私は超越したのだ。人間という壁をね。私は矮小なる人という器から解き放たれたのだ。創世族の誰でもない、新たな種族として誕生したのさ。もちろん私は、どんな種族よりも強く優れている。歴史に残る世界の進化の最先端だよ。お前はその目撃者となれたのだ。光栄に思うがいい。見物料はお前の命だがな」
「何が新たな種族への進化だ。化け物に堕ちただけだろうが」
ベルンハルトが凄まじい速さでエディリルーヴァへ近づき、破滅の刀を振り下ろした。破滅の刀は空を切った。
「のろいなあ。ベルンハルト。それに実にちっぽけで脆弱そうだ。以前までの私は、お前にこんな風に見られていたのかもな。哀れだよ。ベルンハルト」
エディリルーヴァがベルンハルトの顔面を殴り飛ばした。凄まじい衝撃でベルンハルトが後方に吹っ飛んだ。保護膜を突き抜けた衝撃でベルンハルトの口から血が流れ出た。
「あんな小娘の白銀の力など、今や何の障壁にもなるまい。さあ、ドンドン行くぞ。ベルンハルト」
エディリルーヴァが腕をベルンハルトに向け、手首を振るった。まるで光線のような漆黒の衝撃波が放たれ、ベルンハルトを襲った。ベルンハルトは素早く破滅の刀で衝撃波を割断した。エディリルーヴァの高笑いと共に、衝撃波は次から次へとベルンハルトを襲い、衝撃波の一つがベルンハルトを後方へ吹っ飛ばした。エディリルーヴァが両手を振るって、追い討ちの衝撃波を倒れ込むベルンハルト目掛けて撃ち込んだ。立ち上がったベルンハルトの茶色いスーツは所々が破れ、赤い血で滲んでしまっていた。
「お前は破滅の刀の絶対両断による近距離攻撃を得意とし、それに慣れ、中距離以上の、しかも飛弾攻撃に対して非常に弱い。敵の攻撃より速く破滅の刀を相手に叩き込むことが出来れば、何の問題もないのだろう。だが、私はお前よりも速くお前に長距離攻撃を叩き込む。私に近づけないお前に、成す術などない」
エディリルーヴァが一瞬にしてベルンハルトに近づき、振り払われる破滅の刀を避けて、ベルンハルトを蹴り飛ばした。すぐ様、漆黒の衝撃波で追撃し、切られたベルンハルトの左肩から血が噴き出した。唸り声を上げるベルンハルトは、自分に近づいてくるマリアに気付き舌打ちした。
「来るな、マリア! 何の問題も無い」
「よくもそんな態度が取れるものだな。ベルンハルト。泣き喚いて命乞いすれば考えてやるものを。そういう傲慢さが鼻につくのだよ。誰かが傷つくのを目の当たりにして、絶望するがよい」
エディリルーヴァがマリア目掛けて漆黒の衝撃波を放った。衝撃波がマリアに直撃する瞬間、マリアの姿がその場から掻き消え、衝撃波は空を切った。気付くと、ベルンハルトがいつの間にかマリアを抱えて、倒れ込んでいた場所に立っていた。エディリルーヴァは白い無機質な瞳でベルンハルトを見つめた。
「どういうことだ? ベルンハルト。〝速さ〟ではないな……。一体、何をした!?」
「答える義理はないな。ただ、お前はもはや人間ではなくなった。化け物に変貌した今のお前になら、俺も人の道から外れた力を使えるな」
ベルンハルトはマリアを優しく地面に下ろした。
「怪我はないな。すぐに終わるから、ちょっと待っててくれ。マリア」
マリアがこくりと頷くのを、エディリルーヴァは苛々と眺めていた。
「何が、すぐに終わるだ。この下級種族めがっ! 切り刻んでくれるわっ!」
エディリルーヴァが思い切り右腕を振り上げた。ベルンハルトがエディリルーヴァを鋭く睨みつけた瞬間、ベルンハルトの頭上に白銀の光に包まれた白銀書が出現した。白銀書は独りでに開かれ、パラパラとページが捲られた。ベルンハルトの〈想いの力〉絶対なる領域が発動した。ベルンハルト以外の全てが凍りついたようにその動きを止めた。ベルンハルトは静かにエディリルーヴァの方へ歩いて近づいて行った。エディリルーヴァは腕を振り上げたまま硬直している。振り返ると、マリアも微動だにせず立っていた。ベルンハルトの〈想いの力〉絶対なる領域は時を止める。ベルンハルトはエディリルーヴァのすぐ横に移動して、破滅の刀を構えた。時の停止を解除すると同時に、ベルンハルトは破滅の刀を振り払い、エディリルーヴァの胴を一刀両断した。エディリルーヴァは訳も分からず視界が瞬く間に反転していくのを呆然と見つめた。腕を振り上げたまま、エディリルーヴァは真っ赤な空を見上げていた。横目で未だに立ち尽くしている自分の下半身が見えた。エディリルーヴァは理解し、ベルンハルトが隠し持っていた能力に気づけなかった自分に悪態をついた。
(時空を操る能力をこれまで隠していたなんて、本当に鼻持ちならない奴だ)
エディリルーヴァの意識は消失し、光を失った両目は灰色になっていた。
マリアは白銀に輝く手をベルンハルトの傷口に当てて癒していた。ベルンハルトがマリアの肩に手を置き、セラフィムが向かった先を指差した。遠くの方に立っていた黒いオベリスクが崩れ去った。ベルンハルトはマリアに頷いて見せ、二人はセラフィムの後を追った。
エクスはクロスとジョーカの間に姿を現し、剣を振りかぶる二人を障壁で防いだ。
「帰ってきたのか。エクス」
クロスが残念そうに呟いた。
「クロス。すぐに全員で向かわなければならない」
その言葉と同時に、ジョーカ達は衝撃でクロス達とは逆の方向に吹き飛ばされた。ジョーカ達はそれぞれ態勢を持ち直し、エクスに立ち向かった。ジョーカ達は見えない壁に遮られて、エクス達に近づくことが出来なかった。その間にエクスはリネストリアに空間移動を頼んだ。エクスの指示通りに、リネストリアはまず時空の刀を縦に振り下ろし、空間を切り裂いた。それから刀を横に振り払い、時空を切り裂いた。十字の裂け目が空中に浮かんだ。エクスが最初に裂け目に入り、クロス達も後に続いた。エクス達が消失し、空間の裂け目も消滅すると、ジョーカ達を阻んでいた壁も消えて無くなった。
「何だったんだ。あいつら」
クロトは納得いかなそうに、さっきまでクロス達がいた場所に剣を振るった。
セラフィムは広大な赤い大地に立つ漆黒のローブを着たレイ・アダム・ベリアルを見つけた。レイ・アダム・ベリアルの背後には高さ10mほどの黒いオベリスクが建っていた。そのオベリスクに、ユイが磔にされていた。黒いオベリスクの中間ほどの高さにおそらく魔術で束縛されているユイは、顔をだらんと下に向けていて、意識を失っているようだった。
「どうやら、アダム・カドモンとして覚醒したようだな」
「ユイを解放してくれないか。レイ」
レイは歪んだ笑みを浮かべた。
「貴様次第だ。セラフィム・アダム・カドモン」
レイ・アダム・ベリアルがゆらゆらと揺れる漆黒のオーラを纏って、セラフィム・アダム・カドモン目掛けて突撃した。セラフィム・アダム・カドモンは白い翼を広げて、黒い尻尾を地面に突き刺し、向かい来るレイを狙って拳を思い切り突き出した。セラフィムとレイの拳がぶつかり合い、凄まじい轟音が鳴り響いた。セラフィムの翼が素早く眼前のレイに振り下ろされた。翼は何の感触もない漆黒の霧を切り裂いた。セラフィムの背後に出現した漆黒の霧からレイが飛び出して、漆黒のオーラで巨大化した拳を振り下ろした。セラフィムは空中へ飛び上がり、白い翼を広げてレイを見下ろした。レイを中心にして漆黒のオーラがドーナツ状に集まり出した。セラフィムの両翼が白銀の光に包まれた。セラフィムの翼から凄まじい数の白銀の矢が降り注いだ。レイを取り巻く霧から凄まじい数の漆黒の矢が飛び出した。白銀と漆黒の無数の矢の衝突で、轟音と爆風が巻き起こった。矢が発射されるチュンチュンという音は鳴り止まず、赤い爆煙がセラフィムとレイの姿を隠した。セラフィムとレイは全力でぶつかり合った。お互いの凄まじい力の戦いで、荒廃した大地が更に崩れていった。セラフィムがレイの顔面を殴り飛ばし、レイは後方へ吹っ飛んだ。着地するより早くレイは漆黒の霧の中に姿を消し、セラフィムの近くに飛び出してセラフィムの顔面を蹴り飛ばした。後方へ吹っ飛ぶセラフィムが翼を広げて空中で静止し、口を思い切り開けて咆哮した。獰猛な獣のような叫喚が響き渡る中で、セラフィムの口には鋭くそり曲がった牙が生え、額にはねじくれた一本の長くて太い角が伸びてきた。レイは眉根を寄せて、舌打ちを打った。レイは構わずに両手を前に出して、漆黒のエネルギーを集中させた。その間にも、セラフィムの顔と腕と足は白い剛毛で覆われ、手足は甲羅のように硬質化し、もはや人間とは掛け離れた姿に変貌していた。セラフィムは長く尖った黄ばんだ爪が生えた両手を合わせて、前に突き出した。ボンっという音と共に巨大な球状の白銀の光の塊が出現した。自分の漆黒の塊との差に驚き、目を丸くするレイの額を冷や汗が伝った。セラフィムがグォーと唸り声を上げて、白銀の塊をレイに投げ飛ばした。すぐに放たれたレイの漆黒の塊は白銀の塊の中にジュッと取り込まれてしまった。レイは漆黒の霧の中に姿を消したが、漆黒の霧が白銀の塊で包まれると、悲鳴と共にレイが姿を現した。白銀の塊の中に取り込まれたレイは叫びながら悶え苦しんだが、束縛が解けることはなかった。白銀の塊の中でバタバタと手足を振り回して暴れていたレイの悲鳴が止んだ。手足は脱力してだらんと垂れ下がり、顔は俯けになっていた。それまで空中に浮かんでいた白銀の塊はゆっくりと地面に降り立ち、次第に白銀のオーラも弱まっていき消失してしまった。セラフィムの姿は同時に今までの白い翼と黒い尻尾はあるが人間のような姿に戻っていた。俯けに倒れこんでいたレイ・アダム・ベリアルが、唸り声を上げながら顔を上げた。セラフィムはレイに背を向け、黒いオベリスクに磔になったユイを救いに向かった。ユイを救おうとオベリスクに近づくと、俯いていたユイが顔を上げた。
「もう大丈夫だよ。ユイ」
次の瞬間、ユイの顔が醜い悪魔の顔に変貌してしまった。セラフィムは愕然として、ユイの顔を見つめた。蝙蝠のような黒い顔の皮膚は襞となって垂れ下がり、耳は大きく尖っていて、灰色の産毛が至る所に生えていた。
「ユイッ!!」
セラフィムはそれが嘘であることを懇願するように叫んだが、かつてユイだったものは口から涎を撒き散らしながらギイィと激しく嬌声を上げた。背後に倒れていたレイの高笑いが響いた。セラフィムは振り返って、レイを睨みつけた。
「レイ。どういうことだ。これは?」
セラフィムの詰問にレイはただ笑うのみだった。セラフィムは小さく舌打ちを打った。
(初めからすり替えられていたということか)
セラフィムは笑い続けるレイの方へ向かった。
「ユイをどうしたんだ。レイ」
セラフィムの背後でバキッと音がして、黒いオベリスクが崩壊した。肩越しに見ると、オベリスクに磔にされていた悪魔が束縛を解き、セラフィムの方に近づいてきていた。セラフィムは眉根を寄せた。
「主人を助けようというのか」
セラフィムは身構えたが、悪魔は数歩先で立ち止まったままだった。セラフィムが悪魔を無視してレイの方へ近づこうとすると、悪魔がギイィと嬌声を上げた。
(なんなんだ。こんなことをしてる場合じゃないのに)
ユイを助ける時間が惜しくて、セラフィムは苛々した。ただ立ち尽くす悪魔にセラフィムは近づいていき、両手に白銀のエネルギーを集中させた。
(一瞬で葬ってやる)
レイの高笑いは今も続いていた。それがセラフィムの神経を更に逆撫でしていた。セラフィムが悪魔の目の前まで近づいても、相手はだらんとした腕を上げようともしない。セラフィムは膂力の込めた拳をゆっくりと振り上げた。刹那、無理に金属を引っ掻くようなギリギリという不快な音が心中に響いた。セラフィムはピタリと動きを止め、眉を顰めた。眼前の悪魔をまじまじと見つめる。ハッと気づいた時には、目の前にはユイが立っていた。ユイが顔を横に傾けて、ぎこちない笑みを浮かべた。
「良かった。気づいてくれたのね。セラフィム」
ユイはずっと目の前にいた。自分の視界が曇っていたことにセラフィムは愕然とした。レイの哄笑は止まっていた。セラフィムとユイは揃って、倒れ伏すレイの元に向かった。
「さあ、やれ。セラフィム・アダム・カドモン。戦いの終止符を打ってみせろ。そうすれば世界に平和が訪れる。悪魔も物質界から消え失せる」
「セラフィム……」
ユイの心配そうな声に、セラフィムはゆっくりと頷いた。セラフィムは拳を握り締めて、レイに向かって振り下ろした。そして、レイの腕を掴み、立ち上がらせた。
「どういうつもりだ。セラフィム・アダム・カドモン」
「僕はレイ・アダム・ベリアルを理解したい。どうやら僕が君を倒そうとしている、と思っていたみたいだけど、そうじゃなくて、終わることなく繰り返される憎しみと復讐の連鎖を断ち切りたいんだ」
「ふざけるなっ!!」
レイはセラフィムの腕を振りほどき、セラフィムを睨みつけた。
「私は〈混沌〉の完全完璧たる体現者。貴様とは違うんだ」
「確かに、僕と君とでは違う。けど、それがなんだっていうんだ。僕はといえば、普通の人とはかけ離れている。違うからといって、僕は排除したいとは思わない。レイ。君は選択の自由も無く、アダム・ベリアルとなった。誰もが〈秩序〉と〈混沌〉を選択できる自由を持っているのに。レイ。君は否応無く、敵対者の立場を強要された。僕も自分の存在と立場を恨んだけど、君はもっと辛かったはずだ。敵対者として、悪者として位置付けられ、どうすることもできずに世界から憎まれ、世界そのものを憎まなければならなかったんだから。レイ。君が本当はどうしたかったか。そんな君の意思とは裏腹に、君はアダム・ベリアルとして仕立て上げられていったから」
「何を言おうと、私はアダム・ベリアルだ。私が行ってきた悪行が消え去ることはない」
「これからどうにかすることだってできる。君の役割が世界の敵対者である必要はないんだ」
レイは黙り込んだ。レイは魔界の自らの領域の赤い空と干乾びた大地を見渡した。
「二人とも、もう行くんだ。待っている者達がいるぞ」
セラフィムが逡巡しているのを見て、レイは舌打ちして首を横に振った。
「しばらく一人にしてくれと言ってるんだ」
レイの姿が漆黒の霧に包まれ、ぼやけ始めた。
「まもなく、この魔界の領域は消滅するぞ」
レイの姿が消失した。
セラフィムとユイは仲間の元へ戻っていった。悪魔は消え去っていた。おそらくレイが姿を消し、このレイの領域が消滅するからだろう。リヴラもベルンハルトもマリアも無事だった。リヴラの空間移動でセラフィム達は魔界を後にし、もといた世界へと戻っていった。
三大国と呼ばれ、世界を支配する国々はそれぞれ、純粋に戦闘に特化したアルドビルデ、あらゆる特殊技術に特化したルメ・ドス、没落した帝国を象徴する魔術を使役するのに特化したアメルスの三国だ。帝国シアルルの支配する中で際立って発展していた三つの都市が、後の三大国となった。かつて世界は帝国シアルルが支配していた。帝国は偽器〈ヴェッセル〉の世界に突如として出現した。初代女帝シアルルによって、帝国シアルルは超高度文明を築き上げていった。
世界をゆっくりと周回していた帝国シアルルの浮遊都市シアルルには、灰色一色に統一された巨大で美しい城が建立されていた。浮遊都市シアルルの城の中に一際高く築かれた灰色の塔があった。その頂上の部屋には物理的・魔術的封印が厳重に施されていた。言わば堅固な牢獄だった。その部屋の中で、一人の美しい少女が背もたれのない丸い木製の椅子に座って、目の前に置いたイーゼルのカンバスに灰色の絵の具一色で絵を描いていた。足下にはそれぞれが白と黒の革の装丁の分厚い本が二冊並んで置いてあった。少女の名はロリアン・フェザー・クウィントゥスといった。ロリアンの肌は真っ白で、瞳は黄金色をしていて、真っ直ぐと伸びた灰色の髪を腰まで伸ばしていた。髪の色と同じような灰色のローブをロリアンは着ていた。ロリアン・フェザー・クウィントゥスは大地人族と深海人族の混血だった。ロリアンはその能力の高さから、帝国シアルルに半ば監禁状態にされていた。この部屋に閉じ込められる前は、妖精族と獣人族の指導を受け、人族に育てられていた。籠の中のロリアンはいつも、窓も無い灰色の壁で囲まれた小さな部屋で、世界の姿を夢想し、絵を描き続けていた。
ある日、ロリアンは凄まじいエネルギーを部屋にいながら感じた。ふと見てみると、ロリアンの目の前のカンバスには不思議な形をした灰色の列島が描かれていた。バサバサという羽ばたきと共に、一羽の真っ白な鷲が何処からともなく出現し、カンバスの枠につかまった。ロリアンは目を丸くして、黄金の瞳で白い鷲を見つめた。白い鷲が嘴を開いた。
「ロリアン・フェザー・クウィントゥス。今日も描いているのだね」
「私に出来ることといえば、この閉ざされた籠の中で絵を描くことぐらいだわ。あなたはいいわね。自由な翼があって」
「ロリアン・フェザー・クウィントゥス。君に出来ることは無限にあると、我々は認識しているつもりなのだが」
ロリアンは握っていた筆を置き、白い鷲を真っ直ぐと黄金の瞳で見据えた。
「私に何の用かしら。テトラモルフ・ガブリエル?」
「世界が〈混沌〉によって脅かされようとしている。〈秩序〉の信奉者としては、その脅威に協力者と共に対抗したいと思っている」
「わかっているわ。テトラモルフ・ガブリエル。〈混沌〉の子の眷属エノキアンが動き出したわけね。帝国の没落を狙っているんでしょ」
「君はそれ以上に気づいているはずだ。ロリアン・フェザー・クウィントゥス」
「ええ。エノキアンは再び始めるつもりね。〈秩序〉と〈混沌〉、白銀と漆黒の終わることのない戦いを。でも、どうするつもりなの。テトラモルフ・ガブリエル。エノキアンは創世族の誰であろうと、天使も悪魔も鬼神も引っくるめて脅かすはずよ。誰も対抗なんて出来ないわ」
「〈混沌〉の子の眷属エノキアンの対策は天使、悪魔、鬼神でも不可能。だが、君がいる。ロリアン・フェザー・クウィントゥスの解放が必要だ」
「私はダメよ。私には帝国シアルルがあるわ。私には帝国を捨てることなんて出来ない」
「帝国シアルルはまだ何もわかっていないし、それ故に真の脅威を誤認している」
「そうね。でも、それでも私にはシアルルがほっとけないわ」
「皇子エクス・マキナだね。ロリアン・フェザー・クウィントゥス」
「全てを理解するなんて難しいわ。帝国シアルルが全てを理解するのには時間がまだまだ足りないのよ」
「シアルルは未だに物質界アッシャーの地上世界を支配しようとしているが、重要なのはそんなことではない」
「もちろん。必要なのは四界と遍く世界の平和よ。その為ならば、我が身を滅ぼしてでも願いを叶えるつもりよ」
「でも、君は実際には世界の滅亡よりも帝国の一皇子を優先すべきと思っているんだね」
「ごめんなさい」
「謝る必要はない。我々の方こそ謝らなければならない。どうしようもない選択をさせてしまって」
「私に会いに来たのは、これも関係しているんでしょ。テトラモルフ・ガブリエル?」
ロリアンがカンバスに描かれた灰色の列島を指差した。
「異世界の〈ニューアース〉から、この帝国シアルルの時間軸に日本という大陸が時空移動してきたのだよ」
「壮大な話ね。普通ならあり得ないはずで、信じられないけど。あなた達テトラモルフが容認したということでしょ?」
「我々は確かに対象の時空間移動を容認したが、前提として、日本の出現には時空の監視者ゼロが関係している」
「以前に話してくれた方ね。〈時空の彼方〉で、時空の歪みを監視しているという人物が、それを促したということかしら」
「いや。それも複雑な関係があって、時空の監視者は間接的で、直接的な原因はエノキアンにあるのだよ」
「要因はそれだけでも無さそうね。テトラモルフ・ガブリエル」
「原因はともかく、日本の出現で何が起こるかを話したいんだ」
「わかったわ。テトラモルフ・ガブリエル。日本の出現によって、帝国シアルルがどうなるのか。結果的に私達の世界である偽器〈ヴェッセル〉にどんな影響があるのかということね。だから、原因と要因の違いなんてのも議論している場合じゃないということね」
ガブリエルが白い嘴でニヤリと笑った。
「そんなのは自明であろう? 要因は可能性や仮定の話で、数えるとなるといくつも出てくる場合があるものだ。原因は結果だよ。一つ、もしくは数多くの要因の中で、実際に起きたのが原因だ。原因は一つしか存在し得ない」
「では、テトラモルフ・ガブリエル。日本の出現の原因はまた別の話として、日本の出現が要因として考えられる結果にどのようなことを考えているのかしら?」
「それは帝国の没落。新たな大国の誕生。〈混沌〉の子との戦争の勃発。多くの悲劇が生まれ、強大な力を人々は手にする。秩序とは程遠い世界の混乱が起きてしまう」
「そこまでわかっていて、でも止められないというのね」
「我々は〈秩序〉の信奉者だ。〈秩序〉は生み出し、与え、全てを守り整えようとする。〈混沌〉は打ち消し、奪い、全てを乱し不鮮明にする。我々には不可能なのだ。だから、君のような人物に助けを求めるんだよ。全ての創世族、それだけでなく天使と悪魔と鬼神にも本当に申し訳ないと思っている。所詮我々も被造物に過ぎないんだよ」
「私は私の意思で行動させてもらうわ。帝国シアルルが誰かにとっては忌まわしい脅威だとしても、私には大切なのよ」
「永久の監禁生活を強要されても、そうなんだね」
「仕方ないわ。私の力は人々にとって恐怖の対象で、誰もが理解不能な存在を排除したいのよ。それは私の意思とは関係ないの。可哀想なのは、私と同時期に生まれてしまった帝国の皇子よ」
「帝国の皇子エクス・マキナに魔術の才能が無いのは不憫だが、それは君と同様に仕方のないことだ。選ばれた魔術の血統によってエクス・マキナが無彩色の魔術師になるのを疑った者はいまい。しかし、無彩色魔術どころか、彩色魔術のポテンシャルすら秘めていなかったエクス・マキナに人々は憐みと蔑みの視線を向けた。周囲の人々の対応が180度一変し、エクス・マキナの立場と価値観は激変してしまったことだろう。魔術が使えることがそんなに偉いのだろうか。いや、そんなことはない。魔術は技術や知識の一つで、それ自体が目的ではなく何かしらの手段であり、全ての価値がそこで決定されるわけはない。けれど、人々は一定の才能や能力の最低必要量を算出し、それが一般的だと思い込む。そこには何の根拠もないのにね。排他主義が蔓延し、定められた基準以下の者達はどうすればいいのだろう。死ねとでもいうのだろうか。誰もがあらゆる面で平等で、主観的に幸福で恵まれているなんていうことは不可能であり得ないことだよ。それは〈秩序〉の求める選択の自由とは程遠い、無機質で機械的な世界さ。自由という概念は消失し、個人の意思など存在せず、無数の人々はアツィルトドメイン・インターフェースでしかなく、それ以上でも以下でもなくなる。そんな世界に何の意味がある?」
「私はそこまで改革思想を持つ急進派ではないわ。私は〈デルタ〉のラメド・アンデルとは違う」
「冥獄の支配者は帝国よりも邪悪さ。ラメド・アンデルが望んでいるのはアツィルトドメイン・インターフェースよりさらに独断的な世界の端末化だよ。自分以外の全てを思い通りのパブリックドメイン・インターフェースにすることで、パーソナル・イントラユートピアの実現化を画策しているのだよ」
「そんな理想郷に住む人々は、もはや人形ね」
「本来、後天的に多くの個人から発生するはずの集合知が集団を支配しだすんだ。メタ知性が個々の構成員の思考を破壊し、立場は逆転する。君の言った人形というのは言い得て妙だよ。でも、それを言うなら、帝国の人形プーぺはまさにそのものじゃないか?」
「人形プーぺが悪だとでも言うの?」
「帝国シアルルの傲慢によって生み出されたプーぺは、生命を冒涜する神の真似事に過ぎない。そもそも、不滅の生命獲得を目指す過程での副産物であるプーぺに、我々は不信感を抱いている」
「プーぺも生きているわ。彼らに罪はないはずよ」
「帝国に生み出され、隷属化されたプーぺを生きていると言うのならな。君も本当は違和感を覚えているんだろう、ロリアン」
「………」
「確かに何も知らなければ、主観のみが現実となる。だが、視野と世界が広がり、今までの自分が客観視される時、価値観はどうなるだろう。やがて、人形プーぺは相対的な価値観に気付き、敵対者に変貌するぞ。何も我々は帝国シアルルと人形プーぺの話だけを言っているのではない」
「わかってるわ。テトラモルフ・ガブリエル。支配と被支配による争いへの発展は、多くの世界で起きてしまうのね」
「我々はその悲しみと復讐の連鎖を断ち切る為に君に助けを求めているのだよ」
ガブリエルが白い嘴からハアと息を吐き出してため息をついた。
「誰もが平等で、怒りも苦しみも悲しみもない、メタ知性によって統制された世界。プロセス実現化の為に端末化された人々は、アツィルトドメイン・インターフェースとして機能するのみ。客観的にみて、こんな悲しい世界があったとしたら、酷いじゃないか。我々はメタ知性や後天的集合知を完全悪とまでいう保守派ではないし、個人から構成される集団の知性が必ずしも良いとは限らないというのを知っている。リスキーシフトもある」
「認知バイアスということね」
「君も承知の通り、コーシャスシフトもあることから、言うなれば集団極化は集団を構成する個人の志向性によって偏る方向は変容するが、可能性はあるわけだ。経験し、成長することはもちろん重要だよ。でも代償として、公平で理性的な判断を間違えてしまう可能性が出てくる。ヒューリスティックによって、個人だろうと集団だろうと構わず、人は過ちを犯し、間違った判断をして、失敗を繰り返す。無数の要因に惑わされて、ありもしない原因に基づき、悲劇的結末を迎える」
「それは、ヒューリスティックのデメリットに注目しただけであって、あなたが口にした集団極化の偏る方向の可能性と同じで、正しい判断が早いというメリットもあるはずよ。あなた達テトラモルフはそういった知的存在の認知バイアスを解明して、私達がどうやって失敗してしまうかを予見し、〈混沌〉から守ろうとしてくれているんでしょう?」
ロリアンの黄金の瞳とガブリエルの白い瞳が見つめ合い、しばらくしてから二人はぎこちなく微笑んだ。
「エクス・マキナをよろしく頼むよ。ロリアン・フェザー・クウィントゥス」
「ええ」
ガブリエルが白い翼を広げて空中へ飛び上がった。羽ばたく白い鷲の姿が不鮮明になっていき、ガブリエルの姿は消失した。白い羽根がひらりひらりと床に置いてあった白銀書と漆黒書の上に落ちた。ロリアンが目の前のカンバスを見ると、新たに灰色の絵の具で三振りの刀が描かれていた。
目を閉じると、瞼の裏に焼き付いた光景が浮かび上がった。崩壊する灰色の城と消滅していくロリアン。灰色の長い髪は突風で波打ち、白い肌は炎に照らされて赤く染まり、黄金の瞳は反射する光でキラキラと煌めいていた。目を閉じたままエクスは眉根を寄せて、歯を食いしばった。繰り返す悪夢はエクスの視覚以外も掴んで離さなかった。崩れ落ちる瓦礫の音が聞こえ、燃え盛る炎の熱を感じた。焼き尽くされる死体の悪臭が吐き気を催した。目の前に立つロリアンの呼吸を感じた。ロリアンの姿は次第に不鮮明になっていき、やがて姿は消失してしまった。目を開けると、現実に戻ってくる。溢れ出す涙が頬を伝って流れ落ちた。エクスは腕でゴシゴシと涙を拭い、眉を顰めて、ハアとため息をついた。
エクスは遥か昔まで一瞬で思い返していた。
(とうとう、ここまできたか)
エクス達が移動した先は、大陸のどこかの草原だった。そこにはいくつかの人影があった。エクスは後に続く仲間を振り返った。
「あそこにいるのがエノキアン。機会は今しかない」
スペースサーフィンゲートを悪用して出現していた悪魔は嘘のように消失した。それと共に、スペースサーフィンの機能も消滅していた。悪魔の恐怖も消え去ったが、かつての便利な世界も失われた。リヴラ達はギルド本拠地へ戻った。〈混沌〉教会の者達も姿を消していた。ギルドは混乱している世界の復興を目指し活動し始めた。
破滅の刀と消失した日本については気になる。だが、マリアを一人放って置く事は出来なかった。ベルンハルトはマリアと一緒に教会の復興を目指した。〈混沌〉教とは違う、本当の新世界救済教会だ。ギルドマスター・フォルティナはベルンハルトとマリアにギルドも教会の復興を全面的に協力すると約束した。
リヴラとの別れ際、ベルンハルトは破滅の刀を掲げて見せた。
「これをこれからも俺が握っていていいのか?」
「気にすることはないよ」
そう言って、リヴラはニヤリと笑った。
「君が正しい行いの為に刀を振るうのは、三神も歓迎していると思うよ。ベルンハルト。君が道を踏み外さないことを願う。でないと、私はもう一度〈ニューアース〉へ戻って、君の刀を取り上げないとならないからね。正しく刀を振るって、しっかりと刀を守ってくれよ」
「当然だ、リヴラ」
ベルンハルトは破滅の刀を腰に括り付けた。
「さて。どうする?」
リヴラの問い掛けに、セラフィムとユイは顔を見合わせた。
「リヴラ。答えを聞くまでもないじゃないか」
リヴラは笑って応じた。
「じゃあ、行くとしよう。〈混沌〉の子を追いかけて。私がいた世界〈ヴェッセル〉へ」
空間移動する前に、リヴラはあっと気づいた。肩に乗っていた有翼の亀デウスがリヴラの顔面に突撃体当たりした。
「忘れていたのに気付いたか。馬鹿め」
「何か身を隠す服が必要だな。どうする。白いローブでも用意しようか?」
セラフィムはニヤリと笑った。
「いや。僕の姿はおよそ人間離れしているし、それにユイは一時悪魔であったわけだし」
「セラフィム! あなたがそれを言うわけ」
ユイが怒って、セラフィムの肩をパシリと叩いた。
「ハハ。ごめんごめん。リヴラ。僕達に白いローブは勿体無いよ。どうせなら、灰色のローブを用意してくれないか?」
「灰色か。なるほどな。わかった」
「あっ、リヴラ。もちろんローブは三着用意しておいてね」
セラフィムの言葉に、ユイはニコリと笑った。
「そうだな。わかった。三着の灰色のローブを準備しておくよ」
リヴラは微笑みながら、セラフィムとユイの腕をとった。
「χώρος」
リヴラが詠唱を終えると、三人の姿はその場から消失した。
アクト達が空間移動してやってきたのは、狂信者の教会だった。教会は火災で黒ずみ、崩壊していた。人の気配は無かった。正義のヒーロー達に追いつくのには、またも一足遅かったのかもしれない。崩壊した教会の奥から、ガラガラと瓦礫が崩れ落ちる音が聞こえた。瓦礫の黒い影の奥から灰色のローブ姿が現れた。
「少し遅かったようだね、君達。まあ、私も人のことは言えないんだが」
穏やかな男の声で灰色のローブ姿が語りかけてきた。アクト達は身構えたが、すぐに警戒を解いた。というのも、瓦礫の中に一人佇む灰色のローブを着た男は危険には見えなかったし、なんとなく男の正体がわかったからだ。
「あなたは、賢者リヴラ・ジヴァニトゥム」
アクトの言葉に、リヴラは頷いて見せた。
「僕達が遅かったということは、ここで何が起きたか知ってるんですか?」
「私もここに移動してきたのは今さっきでね。何が起きたのかを見たわけではない」
「けど、あなたは見てはいないが、知っているという事ですね」
「勇者アクト・リーメルよ。お前が思っている通り、ついさっきまでジョーカがここにいた。白蛇騎士団団長フェリル・ヴァリンよ。お前の予測通り、黒馬騎士団団長クロス・ブラインドリもここにいた」
「ここで何があったっていうんですか?」
「私には確実なことは言えないが、ジョーカ達とクロス達がどういうわけかここで戦いぶつかり合ったのだろうということ」
アクトとフェリルはリヴラの答えに黙り込んだ。すかさずイライがリヴラに近寄った。
「賢者リヴラ・ジヴァニトゥム。あなたに相談したいことがある」
イライを見るリヴラの黒い瞳が怪しげに一瞬光り、イライの全身をくまなく舐めた。
「ルメ・ドスの不老兵士イライ・クルドか。お前の不老はユグ・シルラルドのせいだな」
イライは何も言えず、ただこくりと頷いた。
「ユグは旧異種族の遺跡でかつての帝国シアルルの消失した技術を発見し、用いた。イライ。残念だが、不老を取り除いた途端にお前は絶命するだろう」
イライは目を見開き、愕然とした。イライの胸中を察し、リヴラは更に続けた。
「他に方法は無いんだよ。不老を取り除けば、お前は死ぬしかない」
「そんな……。もう元には戻れないというのか……」
「死期は自ら選択するんだな。私はいつでもお前の要請に応えよう。といっても、まだその時期ではないと思うがな。お前には仲間がいるだろう」
イライは仲間を見たが、何も言わなかった。
「さて。私はもう行こうと思うが、お前達も色々とあるだろうから急いだ方がいいんじゃないか」
出発しようとするリヴラをアクトが止めた。
「ちょっと待って下さい。賢者リヴラ・ジヴァニトゥム。あなたは自由に時空を移動できるんですよね? なら、なぜあなたが間に合わないということがあるんですか? あなたはわざと、今この時に移動して来たんじゃないですか? もしそうだとしたら、何故そんなことを?」
「君は勘違いしているよ。アクト。私に自由なんてないんだよ。私が時空を移動出来るのは、〈秩序〉の信奉者テトラモルフに全てを許されているからだ。テトラモルフが許可しない限り、誰だろうと時空を移動することなんて出来ない。たとえ神であろうと、悪魔であろうとね。私がこの場所に、この時間に到達することが出来たのもテトラモルフがそうあるべきだと思ったからなのだよ。さあ、もう本当に行かなくては。君達も出発したほうがいい。勇者アクト・リーメル。私達の世界〈ヴェッセル〉に〈混沌〉の子が帰ってきたんだ。くれぐれも注意してほしい」
リヴラはアクトの黒い瞳をじっと見つめた。
「ジョーカをもといた道に戻してあげるんだ。アクト。どうにかできるのは君しかいない。ジョーカは背負った数々の悲しみから、全ての消失を望んでいる。そうすることで、全ての悲しみも苦しみも無くなるとでもいうかのように」
リヴラは空間を開き、裂け目の中へと姿を消した。沈黙が垂れ込める中、ティラが口を開いた。
「皆さん。行きましょう。こんなとこに長居は無用。出発しましょう」
全員が頷き、アクトの空間移動でその場から姿を消した。
レイは自分の役割を理解し、空間を移動して異世界へとやってきた。そこで待ち受けていたのは、〈混沌〉の子の眷属エノキアンだった。
(裏切りは許さない、というわけね)
レイは自嘲的な笑みを浮かべつつエノキアンと向き合った。緑の草原に、黒いローブ姿のエノキアンが九人並んでいた。レイは心中で嘆息した。
(何を言ったところで、私を殺そうとするはず。どうしたらいいだろう)
黒いローブ姿の一つから邪悪な声が漏れ出てきた。
「レイ・アタム・ベリアル。貴様、未だに自分が死なないとでも思っているんじゃないか。そうだとしたら、危機感が足りないぞ」
「私に危機感が無いとしても、あんたらに殺されるつもりはないわ」
強がってみたものの、レイは逃げるしかないと思った。すかさずレイはエノキアンに背を向けて駆け出した。
(もう、とにかく逃げるしかない。誰かの助けを期待するなんて許されないことかもしれないけど、今は信じるだけよ。私はこんなとこで死ぬわけにはいかないんだ)
アクト達は人気のない草原に移動してきた。見渡す限り建物もないし、動物もいない。時間がないのはわかっていたが、それでもティラはアクトに訓練をしてもらいたかった。アクトの目的であるジョーカとの戦いでも、エノキアンとの戦いでもティラは後れを取りたくなかった。ティラはどうしても強くなりたかった。アクトにはティラの強くなりたいという想いを無闇に拒むことができなかった。ティラとイライとフェリルはアクトに対し、修行を名目に戦いを挑んだ。ティラとイライとフェリルはそれぞれ自分の中に秘めた〈想いの力〉を引き出した。三人は順番にアクトに飛びかかり、次から次へと攻撃を浴びせた。アクトは手加減抜きの本気で立ち向かった。白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを手にし、〈想いの力〉パスト・テンスで力を全開に引き出した。四人の〈想いの力〉は互いに呼応し、より強い想いとなって一層力を増した。イライとフェリルが疲労で座り込む中、アクトとティラは凄まじいオーラを発しながら戦っていた。アクトがツァダイ・カフ・ラメドを納めたので、ティラもアクトに借りていた剣を持つ腕を下ろした。四人共疲れ切っていたので、その場で少し休憩した。
これからどうするか。再び修行するか、それともジョーカを追う旅に出るか。そんな話をしていた時だった。突然、アクト達の場所から10メートルほど離れた場所に黒いローブ姿が三人出現した。咄嗟にアクトは白銀剣を抜き、構えた。ティラ達もすぐに武器を手に取った。エノキアンがアクト達に襲いかかった。エノキアンはアクト達を殺そうと、恐ろしいほどの力で圧倒してきた。ティラとイライとフェリルはなんとかエノキアンの攻撃を防ぐのがやっとで、気を抜いたらやられてしまいそうだった。アクトも自分の相手で手一杯だった。かつて戦ったエノキアンが本気でないのはわかっていたが、アクトは改めてエノキアンの恐ろしさを実感した。
ティラと戦っていたエノキアンが突然横に吹っ飛んだ。ティラが見ると、そこには白いローブ姿が三人並んでいた。見たことのない白いローブ姿だった。テトラモルフではない。四人であるはずのテトラモルフが、あの白いローブ姿は三人だ。白いローブ姿の二人がエノキアンに襲いかかった。ティラがアクトに駆け寄り、問いかけた。アクトにも白いローブ姿の正体はわからなかった。エノキアン達は分が悪いと見たのか、すぐに姿を消してしまった。戦わずにいた白いローブ姿の一人がアクトに近づいてきた。
「アクト。ジョーカのもとへ急いで。私が移動させるから」
アクトはその声にハッとしたが、既に空間の強制移動が発動し、目の前がぼやけ始めていた。もはや空間移動間近という中、ティラは戦っていた白いローブ姿にふと目を移した。不鮮明な白いローブ姿から声が聞こえた。
「ティラ。あなたなら大丈夫」
「君は――――!」
ハッとして、ティラは叫んだ。胸が締め付けられ、目が潤んだ。ティラの声は空間移動のせいで掻き消えてしまった。
ジョーカと信奉者フェイトの三人は三大国の一つアメルスにやってきた。エノキアンによって空間移動されたジョーカ達は、すぐにアメルスの防衛機能に引っかかり、魔術師達に囲まれてしまった。アメルスの魔術師達は突然やってきたジョーカ達を有無を言わさずに排除しようとした。襲いかかってくる魔術をものともせず、ジョーカ達は魔術師達を倒していった。ジョーカは何事もなかったかのように、アメルスの中枢へ向かって歩き始めた。ゆっくりと歩みを進めるジョーカ達に次々とアメルスの刺客が襲いかかるが、全て返り討ちにあってしまう。大国アメルスはなす術もなく、向かいくるジョーカ達を待つしかなかった。人々は避難し、どうにか国を守ろうと魔術師達が立ち向かったが、ジョーカ達を止められる者は誰もいなかった。苦悩する魔術師フィレド・アリギエルの前に、アクト達が空間移動してきた。アクト達はフィレドの話を聞き、すぐにジョーカとフェイトのもとへ向かった。ジョーカ達は誰が来ようと問題ないと思っていたが、アメルスの魔術師ではない者がやって来るとは思ってもいなかった。アクト達がやってきて、ジョーカ達は歩みを止めた。
「アクト。こんなところで決着をつけることになるとはな」
二人の〈想いの力〉――パスト・テンスと罪狩りが発動した。二人から力のオーラが迸った。ティラとイライとフェリルも、それぞれ信奉者フェイトのアテピスとラケシスとクロトと戦った。アクトとジョーカは凄まじい力をぶつけ合い戦った。アクトは白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドとパスト・テンスを用いて、剣術と魔術を駆使した。ジョーカは罪狩りを発動させ、大剣と漆黒の力で応酬した。アクトは無心でがむしゃらに戦った。最初からジョーカと対峙したら、どうしてこうなってしまったんだろうなどという思いは全て遮断して、無心で挑もうと思っていた。けど、そんな無心を打ち砕いてきたのはジョーカの方だった。
「あの時、フォルティナが魔王に立ち向かわなければ、魔王の炎にやられることはなかった。フォルティナをあの場所に連れていかなければ。俺達が勇者を気取って、魔王に立ち向かっていなかったならば」
ジョーカの言葉で、アクトの脳裏にかつての記憶が洪水のようにどっと押し寄せてきた。周囲の景色が一変した。アクトは森の中にいて、目の前には白銀に光り輝く剣が浮遊していた。
(そう……あの時……僕がこの白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを手に取らなければ……こんなことにはならなかったんじゃないか……。時代を隔ててまでして友達と戦うこともなかったし……大切な人を失うこともなかったんじゃないか……)
一瞬、アクトとジョーカの戦いは中断された。だが、すぐに二人は剣をぶつけ合った。もうどうしようもなく、アクトもジョーカも戦うことでしか自分の想いを発散することができなくなっていた。ゆらゆらと揺れる漆黒のオーラを纏った大剣が振り下ろされた時、アクトの黒髪が白銀に変色した。アクトは凄まじい速さで大剣を横に避け、同時に白銀剣で頭上に光輪を描き、魔術を発動させた。
「sagitta/aurora」
アクトは素早く詠唱を済ませた。ジョーカが大剣を振り切ると同時に乳白色のオーロラがジョーカの両足を包み込み、ジョーカに光の矢の雨が降り注いだ。アクトが白銀剣を振り上げると、巨大な白銀の衝撃波が発射されジョーカの真正面に直撃した。パキンという音と共に、ジョーカの仮面が切り裂かれた。悪魔の仮面が音を立てて地面に転がった。ジョーカの頬には涙が伝っていた。
「俺はこれまでたくさんのものを犠牲にした。それでもお前に勝てず、結局何も果たせないのか」
「ジョーカ。いや、フィート。もう、終わりにしよう」
アクトの言葉をジョーカは大剣を振るって退けた。
「ここまできて、どうやって終わりになんてできるんだ。もう、フォルティナはいないんだ! 帰ってこないんだ!」
フェリルはジョーカの信奉者フェイトのクロトと5mほどの距離を取って向き合った。クロトが剣を抜くと、刀身が燃え盛る赤い炎に包まれた。
「ジョーカ様の邪魔はさせない。お前はジョーカ様とアクト・リーメルの決着がつくまで、私が相手をしてやる。白蛇騎士団団長、フェリル・ヴァリン」
「これまで、私が白蛇の団長に就任してから、私を白蛇騎士団の団長と知っていて、わざわざ相手をする剣士などいませんでした。私はじつに小さな世界で生きてきた。アクトと出会ってからの短い期間で、それを思い知らされましたよ。上には上がいる。私はまだまだ自分が知らないことばかりだと気づきました。けど気づいたからには、私は今まで以上に自身を研ぎ澄ましてみせる。クロト。あなたのその燃える炎の剣を使いこなす術は前に見せてもらいました。かつての帝国シアルルに存在したという魔剣士が操った炎獅子剣を修得していたとは、流石ですね」
「白々しいな。フェリル。お前も修得したんだろう」
「クロト。あなたに対抗する為です。私も使わせて頂きます。魔剣士の水鷲剣」
フェリルが剣を抜くと、刀身が渦巻く青い水に包まれた。クロトが眉を顰めてフェリルの水鷲剣を見つめた。
「国という体制に守られているお前に、全てを捨て去る覚悟があるとは思えない。私達とお前らとでは、覚悟の度合いが違うんだ。私は全てを捨てた」
「クロト。あなたは捨てたくて捨てたんじゃない」
クロトの脳裏に忌まわしい過去が蘇った。
クロトが一人ぼっちで立つのを多くの人々が取り囲んでいた。人々の視線は冷たく、次から次へとクロト目掛けて石つぶてが飛んできた。
クロトは歯を食いしばり、フェリルを睨みつけた。
「人というのは、集団の中で共通の敵を生み出さずにはいられないんだ。虐める対象が一人いることで、人々はお互いに安心できるんだ。自分が憎まれる心配もないし、隣人が自分の敵になることもない。コミュニティを構成する弱者どものクズのようなシステムだ」
「国は弱者を守ります」
「偉そうに、偽善者め。体制は私を守ってくれなかった。むしろ、国は私を受け入れてくれなかった」
「クロト。やはりあなたは捨てたくて捨てたんじゃない。あなたは救われるべきだ」
〈想いの力〉水夢伝は更に力を増して発動した。それに呼応するように、〈想いの力〉炎魔伝も更に力を増した。フェリルとクロトは互いの水の剣と炎の剣をぶつけ合った。白い蒸気が爆発した。二人はそれぞれ後方へ跳躍し、剣を包むエネルギーに集中して力を高めた。水の剣から渦巻く水の柱が何本も飛び出し、くるくると回転しながらフェリルの全身を包み込んだ。炎の剣からも燃え盛る火柱が飛び出し、クロトの全身を包み込んだ。フェリルが凄まじい速さでクロトに近づき、水の剣を振り下ろした。クロトは炎の剣を振り払って水の剣を弾き返し、そのまま炎の剣を振り下ろした。フェリル目掛けて、ファイヤーボールが無数に発射された。フェリルは後方へ跳躍しながら意識を集中して全身を覆う水のバリアを展開した。フェリルを守る水壁は火の玉を次々と飲み込んだが、全てを防ぎきれなかった。フェリルの左肩と右腿にファイヤーボールが直撃し、防具が焼き尽くされて露出した地肌が赤く爛れた。フェリルの額にどっと汗が吹き出した。フェリルは歯を食いしばり、炎に包まれたクロトを見据えた。向かいくるクロト目掛けて、フェリルは水の剣を横薙ぎにした。発射された鋭い水の衝撃波をクロトは跳躍して避けた。フェリルの足下から噴水が高く伸び上がった。フェリルは水の柱に乗ってクロトの頭上に移動し、水の剣を思い切り振り下ろした。圧縮された高速の水滴がクロトに降り注いだ。クロトが炎の剣を振り払うと、クロトの全身から何本も火柱が飛び出して水滴を焼失させた。炎の壁を突き破った雨がクロトの左腕と右脇腹を切り裂いた。膝をついて着地したクロトは、咳き込みながら傷口から吹き出す黒い血を手で押さえた。
「こんなところで、私は負けてなんかいられないんだ。でないと、私は私を虐げた奴等に屈することになる」
クロトの言葉に、フェリルは首を横に振った。
「私はあなたを救う為に、負けるわけにはいかない」
クロトは立ち上がり、炎の剣で地面を円状に斬りつけた。
「吼えろっ、赫灼の獅子!」
地面から炎が噴き出し、クロトを覆い尽くした。炎は更に燃え上がり巨大化して、炎の獅子を形作った。炎獅子が牙を剥き出しにして咆哮を上げた。フェリルの全身がビリビリと震えた。フェリルも水鷲剣の奥義を発動した。
「引き裂けっ、蒼穹の覇王!」
フェリルの全身を地面から噴出した水柱が覆い尽くし、水は更に巨大化して水の鷲を形成した。水鷲は大きな翼を広げ、鋭い嘴をカチカチと打ち鳴らした。炎獅子が水鷲に飛びかかった。水鷲はサッと空中に飛び上がり、反転して炎獅子に突撃した。鉤爪で炎獅子の右肩を引き裂き、嘴で頭部を噛み千切る。炎獅子が左前足で水鷲の右の翼を引き裂き、咆哮を上げて左の翼に噛み付いた。水鷲が炎獅子の左目に噛み付いた。炎獅子が水鷲の首に噛み付いた。炎と水の体から白い蒸気が立ち上りだした。炎獅子と水鷲が同時に号哭した。白い蒸気が爆発して、炎獅子と水鷲の姿は消失した。白い霧が晴れると、地面にはフェリルとクロトが仰向けで倒れていた。
フェリルは眉を顰めた。咳き込むと吐血した。引き裂かれた両腕は痺れていた。首もズキズキと痛み、見ると上半身は真っ赤に染まっていた。鋭い痛みと疲労感とで意識が飛んでしまいそうだ。凄まじい轟音が響き渡り、フェリルは意識を取り戻した。
(今はここで寝ている場合ではない)
〈想いの力〉水夢伝によって、フェリルの全身が水に包み込まれた。フェリルは立ち上がり、音の方角へ視線を向けた。クロトも立ち上がっていて、血塗れの体を引きずりながら音の方角へ向かい始めていた。フェリルもクロトの後を追った。
イライは倒木を挟んで対峙するラケシスを見据えた。
「ラケシス。お前らは何の為に戦うんだ? 何故、国を襲う?」
「私達は体制に拒まれ、ジョーカ様に救出された。私は奇形を忌み嫌われ差別されました。クロトは漆黒の血脈によって街から追い立てられ、火あぶりにされた。アテピスは獣人であるというだけで、奴隷を強要された。肉体的に不完全な男でも女でもない私。体に流れる漆黒血によって、邪悪というレッテルを貼られたクロト。人と同じ創世族の一つであるはずの獣人なのに、生まれながらにして人族に従属化されたアテピス。争う理由など、これで十分ではありませんか?」
「お前らの恨みはわかるが、無関係の人を巻き込むのは、不本意なんじゃないか?」
「イライ。あなたにはわかりませんよ。たとえ私が誰かにとって邪悪な存在だとしても、私にとってはそれが正義です。揺るぎないものが一つあります。私達を救ってくれたのはジョーカ様です。だから、ジョーカ様に私達は従う。シンプルな行動理念ですよ」
「わかったぜ、ラケシス。とりあえず今は分からず屋のお前と戦うしかないな」
〈想いの力〉ラスト・リサインが発動し、ラケシスがイライ目掛けて空中を疾走した。イライの〈想いの力〉ラスト・ストラグルが発動した。ラケシスが爆発で後方に吹っ飛ばされた。ラケシスは空中に出現させた壁に掴まり、何事もなかったように着地した。ラケシスの足元が爆発した。上空に投げ出されたラケシスが空中で着地した。ラケシスは見た目には何もない空中に浮いているようだった。イライにはラケシスが立つ見えない障壁が別の光景として見えていた。イライは実際に見えているのとは別のもう一つの景色に従って、ラケシスの障壁を爆破した。ラケシスの足元が爆発して障壁が消失した。ラケシスは足場を失って、地面に着地した。
「イライ。これでは切りが無いですね」
「そんなのはわかってる。そもそも、俺はお前と戦いたいわけじゃない。お前ももう一つの光景が見えているんだろ」
「そうですね。あなたもどうやら見えているようだ」
イライとラケシスの視界の全てが、縦横に走るラインによって区切られてセル化していた。
「空間把握能力によって、あなたは視界のどんな場所でも的確に爆破できるようになったわけですね」
「お前もどこでも自由に障壁を展開出来るんだろ」
「空間把握能力は視覚情報をデータ化し、全空間を理解します。世界は細かく分断されて無数のセルとして表示されます。あとは任意のセルを選択してプログラムを実行するだけでいい。お互いに空間を把握しているとするなら、勝負はデータの処理能力の優劣でしょうか。どちらがより細かく分断して世界をデータ化し、小さなセルを表示させているか」
「やればわかるだろ。ラケシス」
イライとラケシスの周囲を取り巻く景色は一変していた。白いラインが何本も無数に浮かび上がり、碁盤目のようにセルを形成していた。地面にも、木や石にも、空にもラインは引かれ、平面ではなく立体的にセルは表示されていた。この光景は空間把握能力を有する者だけが見ることができた。セル化された世界では、イライの爆発とラケシスの障壁はデータとして視覚化されていた。ラケシスは(2,15,0)のセルに爆破を視認し、障壁を展開した。ラケシスの障壁が爆破予定のセルを囲み、イライの爆風を封じ込める。イライにはこの一連の工程が全て見えていた。(1,1,1)のセルに障壁の展開が命令されたのを見て取り、イライは足元に爆風を発生させて上空へ飛び上がった。イライの立っていた場所の地面から土砂を纏った鋭い円錐が飛び出した。イライは周囲のセルで出現を開始した円錐を視認した。ラケシスの障壁で形成された先端が鋭く尖った円錐の構築物は、イライを貫こうとセルから飛び出した。イライは自分の周囲10セル内の全てを爆破させた。凄まじい爆音が響き渡り、爆煙が広がった。ラケシスは続けてイライの上空のセルにプログラムした。空から無数の円錐が矢の雨のように降り注いだ。地上へ到達するより早く全ての円錐が次々と爆破されていった。ラケシスは首を振って、爆煙から姿を現した無傷のイライを見据えた。
「もはや無意味ですね。もうやめましょう、こんな戦い」
「なんだと。一体、どういうつもりだ」
「見てください。あれを」
ラケシスの言葉に眉根を寄せて、イライはラケシスが示す方角に視線を向けた。イライは舌打ちして、すぐ様視線の先へと駆け出した。ラケシスも小さくため息をついて、イライの後へ続いた。
ティラとアテピスの戦いは続いた。圧倒的な強さのアテピスを前に、ティラはそれでもなんとか倒れずにいた。ティラはこんなところで倒れているわけにはいかなかった。目的はこんなところではないんだ。
ティラはファイヤーボールを6発発射して、それに追随するようにアテピス目掛けて駆け出した。アテピスはファイヤーボールを全て避け、背後に迫ったティラの剣を素早く打ち返した。ティラは自らの剣に炎を纏わせて、アテピスに振り下ろした。アテピスはティラの炎の剣を弾き返し、ティラの腹部を蹴り飛ばした。
「そんなにわか仕込みの魔剣でどうにかなるとでも思っているのか。お前は弱い。弱者には介入不可能な事柄があるというのを思い知るんだな」
ティラは振り下ろされるアテピスの剣を凄まじい速さで避けた。立ち上がったティラの全身が一瞬、白銀のオーラに包まれた。白銀の光はすぐに消失し、目撃したアテピスにはそれが現実か幻か判然としなかった。当の本人であるティラは白銀の光に一切気づかずにいた。アテピスは眉根を寄せてティラを観察した。白銀のオーラなんて毛筋ほども見当たらないし、褐色の髪で青い瞳を持つ平凡な少年にしか見えなかった。
(怒り任せの単なるまぐれか)
ティラが振り払った剣をアテピスは後方へ跳躍して避けた。
「弱者の主張や権利、自由や意思なんてものは強者によって簡単に否定され、棄却され、無視される。弱者は強者に利用され、略奪され、踏み躙られる。強くなければ、この世界はまともに生きることさえできない。理想を語りたいなら、強くなるんだな、少年」
ティラは歯を食いしばって、風を纏わせた剣を振り払った。剣から放出された風の刃をアテピスは素早く横に避け、ティラに近づき剣を振り上げた。
「うあっ!」
ティラの右肩が切り裂かれ、白い服にじわじわと赤い滲みが広がった。
「お前が何故、アクト・リーメルの仲間となり、ジョーカ様の邪魔をするのかはわからないが、どうやらお前には足りないものが幾つかあるように思える」
「足りないものだって?」
「もちろん、お前は力量不足で弱い。更に、お前には覚悟が足りないように思える。残酷で非情な世界で生き抜く覚悟。絶対的な覚悟を引き起こす傷も足りていないようだ。暴力や行動の強要といった肉体的な傷痕。恐怖、恥辱、悲哀、苦痛によって起こされる精神的な傷痕。お前の弱さは、お前のこれまでの空疎な人生に比例している。ぬるま湯に浸かっているお前には、何も果たすことなどできない」
ティラは眉根を寄せて、アテピスを睨んだ。
(僕が何も失っていないだと? ふざけるなっ! 偉そうに説教してんじゃねえ、この悪党がっ!)
「不服そうだな、少年」
「黙れ」
ティラの全身がゆらゆらと揺れる漆黒のオーラに覆われた。ティラが凄まじい速さでアテピスに近づき、剣を振り払った。アテピスは反射的に体が動いて直撃を避けた。アテピスの左腹部が切り裂かれ、血で滲んだ。ズキズキと痛む横腹に手を当て、アテピスは眉を顰めた。漆黒のオーラは嘘のように消失していた。再び振り払われたティラの剣をアテピスが弾き返すとガキンと金属音が鳴り響いた。
(一体、何だっていうんだ、この少年は……)
アテピスがふと見ると、とんでもない光景が飛び込んできた。アテピスはティラを無視して、その光景の方へと駆け出した。
ティラは呆然とアテピスを見ていたが、すぐにアテピスが見た光景に気付いた。アクトとジョーカの戦いは激しさを増していて、白銀と漆黒のオーラが二人を取り巻いていた。ティラは愕然としていた。見ると、ジョーカの悪魔の仮面は割れて落ちていた。フェリルやイライがそちらへ駆けつけていたが、力のオーラは障壁となって何人も近寄らせなかった。ティラは誰も近づけないのを知っていた。アクトとジョーカの戦いは、かつてティラが見たアケショナルと魔王の戦いと同じだった。溢れ出す白銀と漆黒のオーラが入り混じって球形を形成し、表面で渦巻く白と黒と灰色のオーラは激しくうねり続けて邪魔するものをことごとく遮った。ティラも急いでアテピスの後を追った。
三神の目の前に、漆黒のローブ姿が三人出現した。傍観神フォルティナ・ラストアがやれやれと首を振った。
「あなた達は、どうしても世界を〈混沌〉に陥れたいみたいね」
一人のエノキアンが嘲笑った。
「貴様等もわかっているだろう。アクト・リーメル達は行かせて因縁の決着をさせて、俺達は貴様等と戦う」
破壊神アケショナル・ラストアが眉を顰めてエノキアンを睨みつけた。
「お前達は何もわからないさ。〈混沌〉の思い通りにいくと思うなよ、エノキアン。三神がお前達の奸計に踊らされているとでも思っていたか。ここで決着をつけるのは、こっちの台詞だ」
創造神ロリアン・フェザー・クウィントゥスは黄金の瞳で三人のエノキアンを見つめていた。一人が漆黒の剣を取り出し、一人が漆黒の杖を取り出し、最後の一人は両手にゆらゆらと揺れる漆黒の炎を纏った。
「剣士エノキアン・アスタロト、魔術師エノキアン・マモン、炎使いエノキアン・アバドン。私達こそ、あなた達との決闘は望むところよ。ここで始めるとしましょう。全ての終わり、全ての解決を」
三神とエノキアン三人とがぶつかり合った。傍観神は他の二柱の神のフォローに徹底し、創造神と破壊神とでエノキアンに立ち向かった。アバドンが漆黒の炎の雨を放った。アケショナルは神剣アクロマティクを振り上げ、白銀の衝撃波を放ち、降り注ぐ炎の雨を吹き飛ばした。向かいくるアスタロトにアケショナルは白銀の衝撃波を放った。アスタロトも放った漆黒の衝撃波によって、爆発音と共に白と黒の煙が上がった。ゆらゆらと揺れる漆黒のオーロラがアケショナルの周囲に出現した。漆黒のオーロラはすぐさま収縮し、アケショナルを包み込んだ。ロリアンが凄まじい速さでアケショナルに近づき、灰色のオーラに包まれた手刀で漆黒のオーロラを切り裂いた。ロリアンはエノキアン目掛けて右手を突き出した。直径1mほどの巨大な灰色の杭が三本発射された。フォルティナが予見し、分析したエノキアンの行動パターンは空間のデータとして、ロリアンとアケショナルに空間移動された。灰色の杭が腹部に直撃し、エノキアンは地面に釘付けになった。アケショナルは神剣アクロマティクで、有無を言わさずに三人のエノキアンを屠った。黒いローブを残し、三人のエノキアンはバシュッと音を立てて、黒煙を上げながら消滅した。アケショナルが三着の黒いローブの残骸を拾い、掴んだ。それを見て、ロリアンが呟いた。
「ようやく始まる。最後の戦いが」
フォルティナが時空の裂け目を開き、ロリアンとアケショナルを促した。三神は時空移動して姿を消した。
リヴラから渡された灰色のローブを着ると、セラフィムとユイはすぐに空間移動した。そこは広大な草原だった。セラフィム達の前方にいくつかの人影が見えた。セラフィムとユイはお互いに頷き合い、前方へと走り出した。向こうの人影もこちらへ近づいてくるようだった。人影の正体は、レイだった。セラフィムはレイの背後に続く黒いローブ姿の者達を睨んだ。レイと合流してすぐにセラフィムは臨戦態勢に入り、ユイが空間移動を試みた。目の前でエノキアンが不可視の壁に阻まれるのを見て、セラフィム達はすぐさまその場から姿を消した。三人はさっきまでと似たような草原に移動してきた。セラフィムが灰色のローブをレイに渡した。レイが受け取り、セラフィムとユイの灰色のローブ姿を見て、フッと笑った。
「黒でも白でもなく、灰色とは、いかにも私達らしいな」
灰色のローブを着たレイを見て、ユイはニコッと笑った。
「お揃いだね。レイ」
「そうだね、ありがとう。ユイ」
笑い合う二人とは裏腹に、セラフィムの顔が曇った。
「二人とも。来るよ」
そう言った途端、黒いローブ姿が三人出現した。
レイが5mほど離れた場所で佇むエノキアンを睨みつけた。
「思ったより早かったな。帝国の皇子の邪魔もすぐに退けてきた、というわけか」
「堕ちた完璧者が異世界に何の用だ。レイ・アダム・ベリアル」
「レイはもうアダム・ベリアルじゃないよ。僕達はね、全てを終わりにするために来たんだよ。エノキアン」
「忌々しい化け物め。セラフィム・アダム・カドモン」
「それはお互い様だろ。エノキアン」
セラフィムは原形界アツィルトの力を解放させた。セラフィムの全身に白い剛毛が生え、一角と牙と爪が伸びた。
「かかって来い。拳士エノキアン・ベルゼブブ。氷使いエノキアン・ピュートーン。大剣使いエノキアン・ベリアル。逃がしはしない」
漆黒のローブ姿のエノキアンの一人の両拳が漆黒のオーラに覆われ巨大化した。もう一人はローブの中から2メートルはありそうな漆黒の大剣を取り出した。最後の一人が右手を上げ、セラフィム目掛けて漆黒の氷の矢を発射させた。セラフィムが空中へ飛び上がって避けると、背後に現れたベルゼブブが巨大化した拳を振りかぶった。セラフィムとベルゼブブの拳がぶつかり合い激しい衝撃音が響き渡った。セラフィムの背後でベリアルが大剣を振り下ろした。漆黒のオーラの塊が飛んできて、ベリアルの大剣を弾き返した。空中に浮かんだのは全身が漆黒のオーラに覆われて巨大化したレイだった。レイは黒い翼を羽ばたかせ、巨大な拳でベリアルを殴り飛ばした。セラフィムはレイの足元目掛けて飛んでくる漆黒の氷塊には右手を、目の前のベルゼブブには左手を向け、白銀のオーラの塊を発射した。ベルゼブブは漆黒の霧の中に姿を消した。地上に放った白銀のオーラは氷塊を飲み込み、更にピュートーン目掛けて飛んで行った。ピュートーンが跳躍して避けると、ピュートーンの体が空中に張り付けとなった。ユイの空間把握能力が発動していた。ピュートーンはすぐに束縛を解き、地上へ降り立った。ピュートーンの背後に漆黒の霧が出現し、中からレイが飛び出した。刹那、ユイがレイの空間のデータを自らの空間に貼り付けた。ユイの全身がレイと同様に漆黒のオーラに覆われ、巨大化した。レイがピュートーンを殴りつけると、すぐ様背後からユイが近づいて同様に殴り飛ばした。レイの両拳が更に巨大化し、先端が鋭利な爪を形成した。レイは向かいくるピュートーンの体を引き裂いた。黒いローブが地面に落ちた。レイが漆黒の霧の中に姿を消した。凄まじい轟音が響き渡り、再び出現した漆黒の霧の中からベルゼブブが飛び出して地面に叩きつけられた。レイも追随して出現し、腹部に拳を振り下ろし、すぐにその場から跳躍して離れた。ベルゼブブの頭上に巨大な白銀のオーラの塊が出現していた。セラフィムは黄ばんだ鋭い爪が生えた両手を振り上げ、白銀のオーラを叩き落とした。白銀のオーラはベルゼブブを飲み込み、すぐに黒いローブだけとなって白銀のオーラは消滅した。ベリアルがユイの背後に出現し、大剣を振り下ろした。ユイの頭上に出現した漆黒の霧からレイが飛び出し、巨大化した右手で大剣を弾き返した。ユイが背後のベリアルを巨大化した拳で殴り飛ばした。倒れ伏したベリアルが飛んできた白銀のオーラの塊に包まれた。残ったのは地面に散乱した三着分の黒いローブのみ。ローブを拾うセラフィムに、レイは近づいていった。
「さあ、これからどうするんだ」
「まずは、アクト・リーメルとフィート・ディクロースの因縁を決着させなくちゃならない」
「ようやく始まるのね。セラフィム」
「そうだね。ユイ。これが終われば、全てうまくいくはず」
「じゃあ、行くとするか」
「ああ、行こう。レイ。ユイ」




