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魔王を倒したその瞬間、君は消えた

 アケショナルは戦場で次々と魔王の魔物達を倒していった。短い黒髪を振り乱し、整った顔を顰めて、アケショナルは戦った。装備する鎧は傷と血痕とで汚れていたが、凄まじい速さで振るわれる白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドだけは美しいままで白銀に輝いていた。戦場では時折、魔王の眷属であるエノキアン達と対峙する事もあった。黒いローブ姿のエノキアンはそこらの雑魚な魔物とは比べ物にならないほど強かった。凄まじい速さでお互いに剣で激突し、それからアケショナルは剣を振るって衝撃波を放ち、それを跳躍して避けるエノキアンに魔術を放った。エノキアンは魔術を跳ね飛ばしたが、一瞬の隙にアケショナルは白銀剣でエノキアンを斬り捨てた。黒いローブが切り裂かれ、エノキアンは姿を消した。アケショナルは地面に落ちた黒いローブを一瞥し、舌打ちした。また逃げられてしまった。踵を返し、残った敵を目指す。アケショナルの背後で、破けたローブがグニャリと歪み、黒い手が伸びた。黒い手は鋭いナイフと化し、アケショナルの背中目掛けて飛んでいった。アケショナルがサッと振り返った時、既に黒いナイフは目前まで迫っていた。

「重層の衝撃・ツヴァイ!」

 ティラの叫び声と共に、黄色い衝撃波が黒いナイフを吹き飛ばした。黒いナイフは煙となって消失した。

「ignis」

 ティラの右手に火球が出現した。ティラは火球を発射せずに掌に維持させつつ、右手甲の刻印に意識を集中させた。

「Ventus」

 ティラの左手に風塊が出現した。ティラは両手で火のエネルギーと風のエネルギーをコントロールし、漆黒のローブの残骸を睨みつけた。両手を素早く胸の前で合わし、はち切れそうなエネルギーの塊を地面で蠢いているローブの残骸目掛けて放った。黒いローブは空中にサッと飛び上がって避けたが、続け様に発射されたティラの重層の衝撃によって吹き飛ばされ、跡形もなく消えてしまった。アケショナルは黒い煙の残余を見つめた。

「油断してしまった。ありがとう。ティラ」

「珍しいね。アケショナル。君が油断だなんて」

「少し、昔の事を考えてしまってね。助かったよ。ティラ。それと魔術の重層攻撃、素晴らしかったよ」

「ありがとう。アケショナル。良かったよ、僕でも役に立てて」



 ティラの予言は百発百中で、アケショナルにとって必要で重要なことばかりを予言していった。ティラもアケショナルに色々助けられたが、アケショナルもティラに何度も助けられることとなった。アケショナルとティラは次第にお互いの事をより強く意識し、近くに感じ、離れたくないと思い始めた。ティラと同じように、アケショナルも相手に惹かれ恋をした。アケショナルの周囲の人間には未だにティラを不審に思う者が多く、ティラが言うアメルスの描写が実際にアメルスから来た者との話と食い違うと主張した。そんなティラを疑う主張を進言されても、アケショナルにとってティラとの仲はもう何にも引き裂けないところまできていた。アケショナルとティラは共に闘う戦友であったが、同時に二人は深く愛し合ってもいた。戦えば戦うほど二人の絆は強まったし、深まった絆からお互いに強く愛し合う事によっても更に絆は深まった。二人は片時も離れなかったし、どんなときでも一緒に、いつまでもお互いにそばにいようと誓い合っていた。

 アケショナルは自分にはこんなこと死ぬまで許されないと思っていた。若くして剣を握ったときにはそう思っていたし、更に強くなっていくにつれて大敵たる魔王に向かっていく大軍のリーダーとなったら、確実に無理だと人知れず悟っていた。かつての私なら信じられなかったけど、今こうしてティラと愛し合っている。夢にまで見ていた事が、何気なく毎日繰り返される日常として現実となっている。無理だ無理だと思い込んでいたけど、私はティラと恋愛していると同時に、魔王の軍勢との戦いも勝ち抜いてきている。おそらく他の誰かではこうはならなかった。ティラ・マスカルであったからこそ、実現できたんだろう。どんなことがあっても、ティラとは離れたくない。アケショナル・ラストアは魔王討伐と同じくらい、そのことを心に誓っていた。

 いつかの魔術師の言葉が思い出された。

「君がその白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを手にするというなら、君はいずれ人間を超越した存在になるだろう。それは君が望む望まないに関係なく」

「私が、人間を超越した存在にだって? そんな馬鹿げた事を。だから、お前の事は嫌いなんだ。リヴラ。いつだって、言うのはふざけた世迷言だ」

「私はふざけてなんかいないよ。アケショナル。君がここで白銀剣を手に取らないという選択も出来るんだよ、と私は言っているんだ。白銀剣を手にしたら、君は確実に〈混沌〉の子と戦う宿命から逃れられないし、それに普通の幸せを望むことは絶対に不可能になってしまう。君は女の子なんだから、そこまで自分の人生を犠牲にして世界を守る責任を背負わなくてもいいんじゃないか」

「差別的発言には気をつけるんだな。誰かがやらなきゃならないなら、私がやるさ」

 アケショナルは白銀に輝く膜でドーム状に覆われた聖域の中へと足を踏み出した。聖域の中は全てが白く輝いていて、そこから見る外の景色も全て輝く白に変わっていた。聖域中心部にある石の台座に刺さった剣にアケショナルは手を伸ばした。

「これが最後だ、アケショナル。物質界アッシャーを離れ、形成界・創造界・原形界へと全てを行きかう事になるかもしれないんだ。覚悟は出来てるんだろうね。君が何をもって白銀剣を手にしようとしているのかはわからないけど、とてつもない苦痛がこの先待っているんだよ。君は人間として、女性としての幸せを全て失うことになるし、人間として、女性として数え切れない悲しみと辱しめに苛まれることになってしまう。そうまで自己犠牲しても、誰も救ってはくれない。神は何もしてくれないよ。アケショナル。神は君を称えてもくれないし、君が苦しい時、辛い時に助けてもくれない。君がその白銀剣を手にしても、報われはしないんだ」

「何を言われようと、私には無関係さ。リヴラ。私は自分が幸せになりたいが為に、この白銀剣を手にするんだ。魔王が世界を混乱させているのに、どうやって幸せになればいいっていうんだ。だったら私が剣を手にとって、自分が幸せになれる世界を体現させてみせる」

 アケショナルは白銀剣を台座の石から抜き取った。天に掲げられた白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドは眩いばかりの白い閃光を放った。アケショナルは聖域を出て行った。途端に白銀剣の輝きは小さくなり消えてしまった。

「さあ、これでもうゴチャゴチャ言えないぞ。リヴラ。というより、お前は何なんだ。もともと、お前は〈秩序〉の信奉者テトラモルフの命令で私のところに来たんじゃないのか? それなのに、何だってお前が白銀剣を手にするのを止めるんだ。お前がやっていることは正反対のことなんじゃないのか。てっきり、テトラモルフはこの白銀剣で魔王を退治して欲しいのかと思っていたが」

「確かに君の言う通りだが、私はね、心配しているんだよ。アケショナル」

「ふんっ、お前が私の心配だって? なら、お前がこの白銀剣を抜けば良かったじゃないか。それでお前が世界を救えばいい」

「アケショナル。私にはその白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを抜くことなんて出来ないよ。私は犯してしまった罪と償いの罰によって呪われているからね。神聖なる白銀剣など手にすることは出来ないんだ」

「その通りだ。リヴラにそんな権利は無いし、そんな事は不可能だ。それにリヴラには別にやらねばならないことがある。何とも愚かで哀れな男なのだ」

 リヴラの肩に乗っていた有翼の亀デウスが空中に飛び上がり、リヴラの頭部にコツンと軽くぶつかった。アケショナルがそれを見て、眉根を寄せた。

「よくわからないな。リヴラ」

「いいんだ。アケショナル。それよりも気をつけてほしい。これから先、辛い戦いが待ち受けているだろうから」

「何をそんなに心配しているんだ。私は自分を犠牲にするつもりもないし、なるつもりもない。私が死んで世界が平和になるだなんて終わり方はうんざりだからな。神に頼るつもりもないし、盲目に従うつもりもさらさらないさ」

「なら、いいんだ。アケショナル。私がどうしてそんなに心配するかっていうと、神のお告げによって戦場に繰り出し、英雄となった少女を知っているからだ」

「ほう、それはすごいじゃないか」

「いいや、悲劇だよ。英雄となった彼女は裏切りと悪意によって異端者に仕立て上げられてしまった。更に敵軍の牢に投獄されて性的暴力の恐怖に晒された彼女は男装し、その結果極刑として火あぶりで死刑にされてしまった。むごい事に、焼き殺され、裸となった彼女の死体は多くの民衆に見せつけられ、更に辱しめを受けてしまったんだ。こうなってしまったのも、彼女が戦いを選択したからだ。一説には、彼女の突飛な言動は脳の障害だったとも言われているけど」

「私は神の言いなりになるつもりはない。それに彼女は弱かったようだが、私は彼女みたいに黙ってるつもりはないぞ。誰だろうと私を不当に裁くなんてさせない。それに私は脳の病気でもない。私は私の為に私の意思で剣を手に取り、戦いを選択したんだ」

「アケショナル、君は強いね。ともあれここに、世界の救世主、戦乙女アケショナル・ラストアが誕生したわけだ」

「何を偉そうに宣言しているんだ、リヴラ。お前も頑張れ、馬鹿め」

 デウスがリヴラの顔面に突撃体当たりした。

「まあ、ちょっとは大目に見てあげなよ、デウス君。リヴラ君も頑張っているんだ」

 アケショナルとリヴラは声がした方へサッと振り返った。森の奥から一人の人物が歩いてきた。

「カジョウさん!! どうしてここに!?」

 アケショナルは眉根を寄せて、カジョウを見据えた。カジョウは見慣れない格好をしていた。アケショナルにはわからなかったが、カジョウは白いワイシャツに灰色のネクタイを締めて、光沢のある黒いスラックスを穿いていた。まるでビジネスマンのような出で立ちで、履いている靴は艶のある黒い革製品だった。

「初めまして、アケショナルさん。私はカジョウというものです」

 そう言って、カジョウは会釈をした。アケショナルは何も言わずにいた。カジョウは白いものが混じる灰色の髪をオールバックにしていて、若くはないようだったが、顔に皺はなく、整った顔をしていた。眉と瞳は黒かった。背はそこまで高くなく、167㎝ほどだろうか。アケショナルは無言のままリヴラに視線を移した。視線を感じたリヴラが慌てて言葉を発した。

「アケショナル、この方は錬金術師のカジョウさん。世界最高の魔術師であり、賢者でもある方なんだよ。カジョウさん、彼女がアケショナル・ラストアです」

「初めまして、アケショナルです」

 アケショナルは無表情で言った。カジョウは私の事を知っているらしいが、私は知らない。この男からは何か異質なものを感じる。リヴラ以上の何かだ。魔術師やら錬金術師やらはどいつもこいつもこんな胡散臭い奴等ばっかりなんだろうか。

「リヴラ君。錬金術師やら魔術師なんていうのはやめてくれ。私はそんなものではない。それにそんなものは大したものでもない。重要なのは粒子レベルで物事を考えられるか否かだよ。それはともかく、私はアトバイスしに来たんだ、2人にね」

 アケショナルとリヴラは怪訝な顔をした。

「アケショナルさん、白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを手にしたのは凄いと思う。この先、何度も〈混沌〉の子とその眷属エノキアンと戦うことになると思うけど、その際、負の感情に執着するのは気をつけてくれないか。大切な人を傷つけられたり、奪われたり、別れなくてはいけなくなっても、どうかその先の未来を見据えてほしい。〈混沌〉の子によって起きた悲劇は不自然なものだから、必ず解決されるべき時が来る。つまり、その時点まで待って欲しいんだ。それだけは忘れないで」

「わかったよ、カジョウ」

 アケショナルは判然としないまま頷いた。

「リヴラ君、お疲れ様。まあ自業自得とはいえ、私にはとても真似の出来ない業務をよく果たしていると思うよ。今後、自らの因縁を果たす際、任務だけに盲目にならないで欲しい。確かに任務は優先されるけど、重要なのは世界と皆との関連性なんだ。任務だけ果たせばいいというわけじゃない。その考え方に傾倒すると、同じ過ちを繰り返すことになる。くれぐれも、自分本位にならないように気をつけて欲しい」

「承知しました、カジョウさん」

 カジョウは二人に頷いてみせて、姿を消した。アケショナルはカジョウの姿が忽然と消失したことに目を丸くした。

「おい、リヴラ。何なんだ、今のカジョウの姿の消失は?」

「僕も驚いているんだ、アケショナル。僕にもわからないが、君が考えているようにカジョウさんは空間移動〝ではない〟システムによって姿を消したみたいだ」

「まったく、リヴラにしろカジョウにしろ、魔術師やら錬金術師やらはよくわからん。できるなら、関わりたくないものだ」

 アケショナルの言葉にリヴラが苦笑を浮かべて肩をすくめると、デウスが後頭部に突撃体当たりした。



 アケショナルとティラは魔王の大軍と向き合っていた。広大な大地に集った無数の軍勢。アケショナルとティラの背後には向かい合う敵の軍勢に劣らない人間達の大軍が屹立していた。魔王軍の最奥には、諸悪の元凶、魔王が待っていた。二つの軍勢がぶつかり合い、最後の戦いが始まった。アケショナルとティラは二人で次々と魔物を倒し、魔王の元に向かった。戦乙女アケショナルと魔王が相対すると、敵も仲間も誰だろうと近づけなくなった。黒いローブ姿の魔王はフードの中から漆黒に染まった剣を取り出した。柄も刀身も全てが真っ黒で、柄はぼやけてくすんだ黒色だったが、刀身は艶やかな光沢のある黒色だった。黒いフードの奥でエレボスの赤い双眸がギラリと光った。

「素晴らしいぞ、戦乙女アケショナル・ラストア。貴様のような女がここまでやれるとはな。その力さえあれば、世界を掌握することさえ可能だぞ」

「魔王がおしゃべりだとは知らなかったよ」

「愚鈍で矮小なる人族など捨てて、こちらの領域に来てもいいのだぞ」

「ハッ、仲間になれとでも言うのか。どうせお前みたいな悪党は私を裏切り、殺すんだろ。誰がお前の元に死にになど行くものか」

「強気な女だ。なら、斬り捨てるまでだ」

 魔王は自らの漆黒剣ツァダイ・テト・アレフの力を解放させた。ゆらゆらと揺れる漆黒のオーラが魔王のローブを覆った。アケショナルも白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドの力を解放させた。白銀に輝くオーラがアケショナルの全身を包み込んだ。二人は同時に前へ駆け出し、互いの剣で激突した。ガキンと大きな金属音が鳴り響き、白銀と漆黒の閃光が放射され、パッと消えた。アケショナルと魔王は凄まじい速さで剣を操り、剣をぶつけ合った。アケショナルは一旦後方に跳躍して魔王との距離を取り、着地と同時に白銀剣を振るって白銀の衝撃波を放った。衝撃波は一瞬で魔王の眼前まで迫ったが、魔王は漆黒剣を思い切り上から下へ振り下ろし、衝撃波を切断し、更に剣を上に振り上げ、アケショナル目掛けて漆黒の衝撃波を放った。アケショナルは地を這って向かい来る漆黒の衝撃波を飛んで避け、魔術を発動した。

「sagitta」

 アケショナルの右手から無数の光の矢が発射された。魔王は降り注ぐ光の矢をただ見上げるだけで無防備で受けた。次々と地面に突き刺さる光の矢で生じた土埃で魔王の姿は灰色の煙の中に消えてしまった。アケショナルが様子を見ていると、風で煙が吹き飛ばされ、所々ローブが裂けてはいるが無傷らしい魔王の姿が現れた。赤い双眸がフードの奥でギラリと光り、次の瞬間には魔王は黒い球状の霧に覆われ、そのままアケショナルに突撃してきた。アケショナルは白銀剣を次から次に振るって衝撃波をエレボス目掛けて放ったが、黒い霧に飲み込まれるだけだった。アケショナルと魔王が激突しようという瞬間、黄色いエネルギーの衝撃波が飛んできて、魔王がサッとアケショナルから離れていった。

「重層の衝撃・ツヴァイ!」

 ティラは移動する魔王目掛けて次々と魔術の重層攻撃を放った。ティラはアケショナルを必死にバックアップした。アケショナルの白銀の力が最高潮に高まり、白銀血が彼女を白く輝かせ、魔王の放つ漆黒のオーラを押し返し圧倒した。アケショナルと魔王の周辺が溢れ出す両者の白銀と漆黒のオーラで取り囲まれた。渦巻くオーラの奔流は球形を形成し、入り混じる白銀と漆黒のオーラとまじり合った灰色のオーラとで表面はうねうねと蠢き続けた。白・黒・灰の球形オーラの壁によって、もはや何者もアケショナルと魔王に近づけなくなっていた。アケショナルは振り払われる魔王の漆黒剣を避け、白銀の衝撃波を無数に放った。魔王が跳躍して逃げた移動先に一瞬にして移動し、アケショナルは白銀剣を振りかぶった。白銀に染まった髪が振り乱れるほどの凄まじい速さで、アケショナルは魔王に剣を振り下ろした。魔王の肩が切り裂かれた。魔王は漆黒剣を横薙ぎにするが、アケショナルは一瞬で魔王の横に移動して避け、既に振りかぶっていた白銀剣を振り下ろした。魔王の膝下が切り裂かれた。アケショナルの放つ眩しいほどに強烈な白銀の輝きで、魔王のフードの中が一瞬明らかとなった。魔王は傷だらけになりながらも、不敵な笑みを浮かべていた。アケショナルはそれを見て、眉根を寄せた。

「戦闘が成立したのは久しぶりだった。楽しかったぞ。戦乙女アケショナル・ラストア」

 魔王の呟きを無視して、アケショナルは魔王を剣で刺し貫いた。漆黒の閃光が爆発し、続けて白銀の閃光も呼応するように爆発した。すぐに光の嵐は消滅し、残ったのは黒いローブが地面に落ちているだけとなった。ティラはすぐにアケショナルの横に来て、ローブの残骸を見下ろした。二人はお互いに見つめあい、抱き合った。

 ふと、ティラはこれからの事を考えた。自分の時代ではない人と愛し合い、ずっと一緒にいられるとは、なんて不思議なんだろう。そういえば、この後僕らはどうなるんだっけ。僕はそれについての文献を何か読んでいたような。抱き合う二人に、不気味な呟きが聞こえてきた。

「私は行く。お前達はどこに行くだろうか」

 アケショナルとティラの二人は黒い霧に全身を覆われてしまった。視界は真っ暗で、何も見えないし、何も聞こえなかった。出し抜けに黒い霧は取り払われた。気付くと、アケショナルの眼前からティラの姿が消えていた。

「ティラ……。ティラ・マスカル。ティラー!!」

 アケショナルは泣き喚いてティラの名を叫び、地面を何度も殴りつけながら魔王への呪いを喚き散らした。





 ベルンハルト達はドイツ・ニュルンベルクにあるギルド本部にいた。ベルンハルトとマリアがリヴラに案内されたのはギルドのサービスルームの奥にあるギルド本部の専用室だった。専用室は12畳ほどの広さで壁と床は木製で、部屋の奥の壁には本棚が並び、室内中央に大きな丸テーブルと椅子が置かれていた。ベルンハルト達はそこに座って、リヴラと向かい合っていた。

「リヴラ。それで一体どういう事なんだ。説明してくれ。あいつは何者なんだ?」

「彼女はアダム・ベリアル。危なかったね。ベルンハルト。マリア。危うく死ぬところだった」

「ねえ。リヴラ。アダム・ベリアルって何なの? 聞いたことないわ」

「マリア。四界教というものを知っているか?」

 マリアは首を横に振った。ベルンハルトも聞いた事がなかった。

「アダム・ベリアルというのは、四界教の記述に出てくる。〈秩序〉と〈混沌〉という神のような超常存在により、白銀と漆黒の力が生み出され、原形界アツィルトが誕生し、そのまま創世に続く。生物圏と精神圏で構成される世界は原形界アツィルトを含めた創造界ブリアーと形成界イェツィラーと物質界アッシャーに次元区画され、白銀に属する知的存在と漆黒に属する知的存在が創造される。四界教はそれに準じ、完璧なる存在アダム・カドモンの崇拝とそれに敵対するアダム・ベリアルの勢力図が生まれる」

「そのアダム・ベリアルってのが、一体何で現れたんだ? 裏切り者のエディリルーヴァが一緒にいたんだ。新世界救済教と関係があるのか?」

「ベルンハルト。それはフォルティナに聞いてくれ」

 リヴラが言ったのはリヴラの隣に座っている栗色の髪の綺麗な女性のことだった。ベルンハルトは眉根を寄せて唸った。

「リヴラ。俺達はその女を知らない。一体何者なんだ、そいつは」

「はじめまして。ベルンハルト。それにマリア。私はギルドマスターのフォルティナです」

 フォルティナが落ち着いた声で応じた。ベルンハルトとマリアは目を丸くしてフォルティナを見つめた。新世界救済教会に敵対する唯一の団体ギルドのトップが目の前に座っていて、その人物が栗色の髪を長く伸ばした女性だったなんて。ギルドマスター・フォルティナは黒いスーツ姿で背筋をピンと伸ばして座り、優しい眼差しでベルンハルトとマリアを見返していた。

「あんたがギルドマスターだってのは本当か?」

「本当よ。ベルンハルト。あなたの父親のエドモンドの事も良く知っているわ」

 ベルンハルトは舌打ちして唸った。どうやらフォルティナがギルドマスターだというのは間違いないらしい。

「ギルドマスター・フォルティナ。アダム・ベリアルってのは何なんだ? 新世界救済教会との関係はどうなってる?」

「アダム・ベリアルは世界の破壊者としての役割を担い、完璧なる存在アダム・カドモンの敵対者だわ。それはリヴラの言った通り。アダム・ベリアルである彼女は、かつて新世界救済教会が見つけてきた白銀血を持つ赤子の一人よ。悪魔に誘拐され、アダム・カドモンになり得る資質をアダム・ベリアルとして悪用されたの。新世界救済教会にとって、それは計画通りだったのよ。その計画について話すには、新世界救済教会がどのようにして出現し、世界に蔓延するに至ったかを話さなければならないわ。聖女マリア。あなたにとっては辛いものになるかもしれないけれど、覚悟はいいかしら?」

 ベルンハルトが見ると、マリアの白くて美しい顔は真っ青になっていた。今まで信じてきたもの全てが崩壊しようとしているんだ。無理もない。何とも哀れで、残酷なことか。マリアは首を縦にコクリと動かした。

「そもそもの要因は言わずもがな宗教の没落よ。かつて存在したキリスト、ユダヤ、イスラム、仏、他多くの宗教、流派は、〈混沌〉の子の眷属エノキアンによる異世界の暴露によって消滅してしまったの。宗教の没落以前に、世界では危険な犯罪者となり得る能力者が出現し始め、あらゆる宗教の悪魔の対峙者が能力者狩りを開始した。この頃から、宗教の没落計画は始まっていたの。エノキアンは人間達に能力者を生み出すきっかけを与え、能力者の台頭によって起きた混乱に乗じ、異世界の存在を世間に知らしめたのよ。そこで待ち構えていたかのように、新世界救済教会が出現した。これもエノキアンの仕業よ。エノキアンは宗教の没落と同時に新世界救済教会を立ち上げ、世界にとって唯一の教会という構図を作り出した。エノキアンはスペースサーフィンシステムを作り出し、新世界救済教会に独占させて事実上の世界支配の権利を与えたのよ。これでもうわかったでしょ。新世界救済教会は世界を混沌に陥れるエノキアンの悪意によって設立されたのよ。全てはアダム・ベリアル誕生の為にね」

「……うぅん、何のことを言っているのか正直よくわからんし、エノキアンってのも一体何者なんだって感じだが、とにかく、エディリルーヴァは裏切ったわけじゃないんだな。俺達が勘違いして知らなかっただけで、教会は初めから悪魔達と結託してたってことだ。まあ、教会の象徴である聖女マリアは知らなかったみたいだがな」

 マリアの瞳からポロポロと涙が溢れ出てきた。マリアはすぐに腕で目を拭ったが、次から次へと溢れて出てくる涙は抑えようが無かった。

「世界はとんでもない奴らに支配されてしまったんだな。どこからどこへでも行けるシステムを使って、悪魔はどこにでも出現し、世界を滅ぼすというわけか」

「いいや、ベルンハルト。まだ全てが終わってしまったというわけじゃない。教会に対抗できる唯一の団体、ギルドが残っている。それにアダム・カドモンもいる。まずは、アダム・カドモンとアダム・ベリアルの正体を突き止めるんだ。アダム・ベリアルは既に悪魔を率いて、世界を襲撃し始めている。スペースサーフィンは全て封印しないとならない。アダム・ベリアルと悪魔達、それから扇動者エディリルーヴァと新世界救済教会の者達に対抗する為、すぐにギルドは動き始めないと」





 ティラは一瞬、何が起きているのかわからなかった。そこはアメルスの自分の家だった。目の前で、両親が血まみれで倒れている。その横の空中に裂け目が開いていて、中に黒いローブ姿が数人見えた。すぐに空間の裂け目は閉じて消失してしまった。ティラは両親の元に駆け寄ったが、既に事切れていた。

(一体、何が起こってるんだ。僕は……。そうだ、アケショナルは……)

 気付いてみれば、もうそこはアケショナルの時代ではなかった。

(えっ…? 残ったのは、アケショナルとの、思い出、だけ……?)

 アケショナルとの悲しい別れ。

 両親の死。

 なんで、こんな事に。

「アケショナル……。嫌だ……アケショナル、アケショナルー!!」

 ティラは込み上げてくる感情を抑えはしなかった。書物や壁画に残されたアケショナルではなく、生きて動くアケショナルの姿は、力強く気高くて、また可愛らしかった。整った顔はとても綺麗で、真面目な顔で話す時の声は耳に心地良かった。眉根を寄せて敵を睨みつけ、士気を鼓舞する時の姿は美しく神々しかった。一緒に部屋で話をしている時、二人で戦闘訓練をしている時、数えるほどしかなかったけど、二人だけで食事をした時、アケショナルの笑顔はとても素敵で、笑い声を聞くと幸せな気持ちになり、表情と仕草は可愛らしく、首を傾げた時にショートカットの艶やかな黒髪が揺れる姿は印象的で、とても愛おしい瞬間だった。アケショナルと過ごした一つ一つのシーン――どんな些細なことでも、全てが大切で、僕にとってかけがえのない最高のひとときだった。

(うぅ……アケショナル……)

 ティラは涙を流しながら大声で泣いた。ティラの慟哭に応えてくれる人は誰もいなかった。





 ギルドの働きかけにより、世界各国のあらゆる地域に設置されているスペースサーフィンゲートの封鎖が実行された。問題が二つあって、一つはゲート封鎖には各ゲートに併設されているシステムコンソールの操作が必要であること。もう一つは、既存の全ゲートは悪魔に制圧されてギルドは使用不可となり移動手段が限定されてしまっていることだった。悪魔側が現在の状況を想定して、周到に準備を進めたに違いない。ギルドは各地域の限定された人員で、言わば戦力を分散された状態で悪魔に挑戦するしかなかった。

 ギルドのチームがゲートの一つを目指すと、ゲート周辺に四体の悪魔が陣取っていた。チームは五人一組で、前衛と後衛のアタッカー、補助に徹するヘルパー、回復役のヒーラーによって構成されている。二人の後衛アタッカーが悪魔目掛けて散弾銃を発射し、前衛アタッカーが剣を抜いて悪魔目掛けて駆け出した。散弾銃で動きが止まった一体の悪魔に剣を振り下ろし、二足歩行蜥蜴姿の頭部を切断する。漆黒の血が噴き出し、悪魔は動かなくなった。一体の人間のような顔の鳥型悪魔が飛び上がり、アタッカーに鋭い爪を振り下ろした。アタッカーが剣で受けると衝撃で尻餅をついてしまい、悪魔がもう一方の爪を振りかぶる。ヘルパーが祈りを捧げると、奇蹟が発動した。黄色いエネルギーがアタッカーを包み込み、迫り来る鋭い爪を保護膜が防いでくれた。悪魔の両翼に銃弾が命中し、地面に墜落したと同時にアタッカーが剣を振り下ろした。悪魔の動きが止まり、黒い血が地面に広がった。いきなり頭部に凄まじい衝撃を受けて、アタッカーは地面に倒れこんでしまう。 2メートルほどの熊のような毛むくじゃらの人型悪魔が腕を振り回して咆哮を上げた。すぐさま後衛アタッカーが移動して角度をつけ、悪魔に集中射撃を浴びせた。悪魔の動きが止まった隙に、ヒーラーが心中で祈りを込めると、奇蹟が発動した。青いエネルギーがアタッカーを包み込み、頭部の負傷が治癒される。アタッカーは意識を取り戻して立ち上がったが、ダメージが大きくて足元がふらついていた。ヘルパーの奇蹟が発動し、アタッカーに保護膜が形成された瞬間、燃え盛る炎に包まれた狼のような悪魔がアタッカーに突撃した。悪魔が火に覆われた牙で噛み付くと、アタッカーの保護膜がパキンという音と共に砕けてしまった。ヘルパーの補助とヒーラーの回復が追いつかなくなってきた。後衛アタッカーの何発もの銃弾を受けてなお、毛むくじゃらの悪魔が一歩ずつ前進してきた。狼の悪魔が今度はヘルパーとヒーラー目掛けて駆け出した。アタッカーが起き上がって追いかけるも足の速さが違い過ぎた。後衛アタッカー二人が標的を変更して炎に包まれた悪魔に打ち込むと、今度は毛むくじゃらの悪魔が駆け出した。ヘルパーもヒーラーも困惑して心が乱れ、奇蹟の発動に失敗してしまう。次の瞬間、突然二体の悪魔の動きが止まった。ヘルパーとヒーラーが振り返ると、漆黒のローブを着た二人の人物がそれぞれ悪魔の方に手を翳して立っていた。教会の人間だった。すかさず前衛アタッカーが狼の頭部を斬り落とし、毛むくじゃらの悪魔の頭部に剣を突き刺した。悪魔が倒れこみ、動かなくなった。ゼェハァ言いながら、アタッカーがゲートに向かい始めると、ゲートに展開している揺らめく不透明の膜から次々と悪魔が飛び出してきた。今度はゲートを囲うように10体の悪魔が出現した。ギルドメンバーが呆然と立ち尽くしていると、悪魔の方から攻めてきた。絶望感に支配され、攻撃も防御も出来なかった。前衛アタッカーに近づいた二体の悪魔の動きが止まった。教会の二人の奇蹟の力はそこまでで、残った悪魔達がギルドメンバーに殺到した。ギルドメンバー五人と教会の二人の全身が白銀の光に包まれ、保護膜が展開した。保護膜に遮られて悪魔の攻撃は一切通らずに無効化された。ヘルパーとヒーラーの目の前にいた悪魔二体が上半身と下半身とで両断されて地面に落ちた。

「よく耐えた。あとは任せろ」

 ベルンハルトはすぐさま後衛アタッカー二人の元に駆け寄り、四体の悪魔を斬り捨てた。前衛アタッカーを襲っていた残り四体の悪魔がベルンハルト目掛けて駆け出した。ベルンハルトが悪魔の群れを睨みつけた次の瞬間、ベルンハルトの姿が搔き消え、と同時に四体の悪魔が両断されて地面に落ちた。ベルンハルトは既にゲートの眼前に移動していた。ゲートから更なる悪魔が飛び出してきたが、ベルンハルトは破滅の刀を思い切り振り払い、悪魔とゲートとゲートの横にあるディスプレイモニター背部のシステムコンソールをまとめて一刀両断した。悪魔は動かなくなり、ゲートもその機能を失い崩れ落ちた。ベルンハルトは踵を返して、後方で待機していたマリアの近くまで歩いて戻っていった。ヘルパーとヒーラーの女が二人揃って地面に膝をつき、しくしくと泣いていた。マリアが二人の背中をさすると、女達はマリアに抱きついてわんわんと泣き始めた。マリア達の背後には、漆黒のローブ姿が二人佇んでいる。

「〈混沌〉教の者がギルドを助けるとはね」

「我々は〈混沌〉教などという呼称を容認しない。それに、それを言うならあなた達だって、教会の人間じゃないですか」

「そうだったな。そこら中で悪魔と一緒になって暴れ、かつての教会と真逆の立場で、〈混沌〉教などと吹聴している奴等とは違う、ということか」

「もちろん、〈混沌〉教と同じにしてもらっては困る。裏切り者のエディリルーヴァに煽動された者達もいるようだが、新世界救済教会の教徒達の多くは何も知らされなかった」

「わかったよ。それなら教会を取り戻す為に、あんた達もギルドの仕事を手伝ってくれ」

 新世界救済教会の信徒二人が頷くのを見て、ベルンハルトは心中でやれやれとため息をついた。救わなければならない者達が、これでまた増えたな。



 ベルンハルトは一度ギルド本部に戻ってきて、用意された部屋で次の作戦の為の準備を進めていた。背後に気配を感じて、ベルンハルトは破滅の刀を抜き払いながらサッと振り返った。空中に不気味な姿が浮かんでいた。全身が黒いシルエットでゆらゆらと揺らめき、半透明で部屋の奥が透けて見えた。細い尻尾を生やし、飛膜のある翼を広げている。ベルンハルトは舌打ちして、破滅の刀の切っ先を突きつけた。

「失せろ、悪魔」

「………」

 何かを喋っているように聞こえたが、まるで壊れたテレビのように音声も映像もノイズが入り判断のしようがなかった。ベルンハルトが破滅の刀を振り払うと、黒いシルエットが切り裂かれ、黒い霧となって悪魔のシルエットは消失した。

「ベル…ン…ハルト…」

 女の囁き声が聴こえて、ベルンハルトは眉を顰めて横に視線を向けた。今度は翼を広げた天使の白いシルエットが空中に浮かんでいた。

「俺に何の用だっ!」

 苛々して声を荒げたところで、天使の言葉は雑音混じりで、何を言いたいのかはわからない。白いシルエットは一部が消失したり歪んだりを繰り返し、今にも消えてしまいそうだ。苛立ちが募り、ベルンハルトは破滅の刀を振り下ろして白いシルエットを両断した。白い霧となって天使の姿は消失した。破滅の刀を手にして以来、悪魔や天使の姿が時折、目の前に現れるようになった。奴等はこの物質界に不完全な姿で現れることしかできず、影響を与えられるほどの力は持っていないようだった。だからといって、鬱陶しいのに違いはない。最近、出現頻度が増している。〈混沌〉教やらアダム・ベリアルの影響なんだろう。さっさと何もかも終わらせて、二度と俺の前に姿を見せなくなればいいんだが。



 ベルンハルトはギルドマスター・フォルティナにどうしても聞かなければならない事があった。それに比べれば、世界の滅亡だろうが、アダム・ベリアルやらアダム・カドモンなんかどうでもよかった。

「なあ、フォルティナ。あんたは俺の親父のことを知っているようだが、全てを知っているのか?」

「ベルンハルト。私は全てを知っているわ。何もかも、あなたの父親エドモンド・シュリンクがどうなってしまったのかも」

「なら、大陸消滅の真相も知っているんだろうな?」

「もちろん」

 ベルンハルトはフォルティナの言葉が疑わしかった。こんな女が何を知っているっていうんだ。

「あなたはそこまで知っているけど、その先は知らないみたいね」

「そこまで言うなら、これを見て、説明してくれ」

 ベルンハルトは変色して汚れた一枚の紙切れを取り出した。とても手紙とは言えない黄ばんだ紙には乱暴な文字で信じられない事が殴り書きされていた。日本のスペースサーフィン研究所の事故で、日本は〈時空の彼方〉へ吹き飛ばされ、異世界に出現していた。異世界にワープした際の代償なのか、日本は決して元通りの姿とはいえなかった。異世界には強大な文明が発達していて、その帝国の力を借りて、日本は復興を始め、帝国に日本の技術が伝わっていった。だが、最強に思えた帝国も滅びようとしている。帝国が没落すれば、日本も同じように消失してしまう。異国ではあるが、今や故郷である日本を何とか救えないだろうか。

「日本消失後しばらくして、突然一振りの刀と一枚の殴り書きが俺のもとに出現したんだ。刀は見る限りとても貴重そうだったし、見事な切れ味だった。どうやら送り主は親父らしい。どういうことなんだ、教えてくれ。この殴り書きの内容を素直に信じろなんて、俺には出来ない」

「いいわ。信じるかどうかはあなた次第よ、ベルンハルト」

 そう言って、フォルティナは話し始めた。

「日本はある事がきっかけで消失し、異世界へ空間移動してしまったの」

「異世界に空間移動だって? そんな馬鹿な」

「いいから、黙って聞いて。ベルンハルト。あなたの父親、エドモンドはギルドの要請で日本のある研究所に派遣されたの。その研究所では多くの学者がスペースサーフィンについて研究していたわ。どのような仕組みで瞬間転送が行われ、どうやって何も無い場所から物質が出現できるのか。この夢のようなシステムはとても魅力的だったけど、それまでの理論ではどうやっても説明が出来なかったから当然よね。無から生み出される質量。スペースサーフィンは本当は何かから質量を取り入れて変換しているのでは。エドモンドは単なる付き人にしか過ぎなかったけど、その研究内容に興味を抱いたエドモンドが日本に滞在してしばらくして、研究所で事故が起きたの。そして、日本という一国、日本という一大陸が消滅した。事故の衝撃は凄まじく、日本は時空を越えて、私のもといた世界に繁栄していた帝国シアルルの時代に出現したの。そこで日本は帝国の助けで復興を始めたんだけど、帝国シアルルも間もなく没落してしまった。日本もそのまま消滅し、私の世界でも日本を知る者はほぼいない。ただ、その日本にあった技術は何かと利用されて残っているの。帝国と日本の技術の最高峰とも言えるのが、三神教の三柱の神々を象徴するという三本の刀よ。ベルンハルト。あなたの持つ刀は、その刀の一振り。破滅の刀は、どんな物でも断ち切ることが出来る。あなたが何故、帝国で生み出された最強の刀を持っているのか。おそらく、それはあなたの父親が関係している。エドモンドは日本で事故に巻き込まれてしまったけど、不幸中の幸いにも異世界へ移動した先で生きていたのよ。エドモンドは帝国が没落し、日本も消滅してしまった際、凄まじいほどの遣り残した想いがあったはず。その想いの強さが、エドモンド自身の死を引き換えに、息子のベルンハルトに何らかの遺言を残してくれた。それがその刀とあなたの言う手紙だったんでしょう」

 ベルンハルトはすぐにはフォルティナの言う事を信じられなかった。全て一致していたが、納得いかなかった。ベルンハルトはひとまず悪魔討伐に集中することにした。





 大国ルメ・ドスでは軍事作戦による不死兵士開発実験の失敗によって、不死ではなく不老の兵士が生まれていた。その不老兵士がルメ・ドスの軍事力の中心となっていた。不死兵士研究の責任者ユグ・シルラルドは、かつての帝国時代に出現し、帝国の没落と共に消滅してしまった幻の大陸日本の文書を参考にしていた。プロジェクト・ゼロ・テキストを発見できたのはユグにとってまさに僥倖だった。最初は何の価値も無い、一般市民の手記の発見だったが、それがここまで発展するとは。内容は次のようなものだった。

 研究所での他愛ない会話の一つ。超人類計画プロジェクト・ゼロについて。その文書は歴代教皇のみが手にすることが出来る噂の秘密文書の一つだった。もはや没落した宗教で、更に眉唾の話。単なるふざけた冗談に過ぎないのかもしれない。秘密文書の中でも有名なテキスト・ユダやファティマ第三の予言と同様に私にはよくわからなかった。研究者達は冗談半分でプロジェクト・ゼロの話をし、かつて存在したという能力者ゼロから不老不死の可能性を得られるのではと話していた。

 まさか、本当にプロジェクト・ゼロ・テキストが発見され、その内容が不老不死に関する物になろうとは誰が予測できただろう。これは世界が大きく躍進する絶好のチャンスだ。



 不老兵士のイライ・クルドはルメ・ドス国家科学者ユグ・シルラルドの指令により、不老治療の調査に出た。不老兵士イライは不老治療の解決策を求めるにあたり、大国アメルスと賢者リヴラ・ジヴァニトゥムという二つの手がかりを見つけた。イライは鋭くつり上がった目と逆立った金髪姿で、ルメ・ドスを象徴する茶色い歯車が刻印された鎧を装備していた。鎧と言っても、イライのそれは動き易さが重視され、装備部分は胸当てと肩当て、太ももの部位ぐらいだった。イライは人々に聞いて回った話と書物から得た情報で、何とか不老を解決出来ないかと調査していた。大国アメルスに伝わる古い魔術。起源はかつて世界を支配し、歴史上最も栄華を極めた帝国シアルルにまで遡り、その時代に使われた魔術に不老を元通りにするものが存在するかもしれない。賢者リヴラ・ジヴァニトゥムは戦乙女アケショナルと魔王の戦いの時代に存在した錬金術師だ。彼はどうやってか不老不死となって、世界の行く末を今でも見守っているという。もしそれが本当だとしたら、この俺の老いる事のない体をどうにかできるんじゃないか。

 イライはアメルスとリヴラ・ジヴァニトゥムに不老解決の期待を抱きつつ、暗い山道を歩いていた。まだ昼過ぎくらいだというのに、周辺に聳える木々が太陽を遮っているので周囲は薄暗く肌寒い。人気は一切無かった。

 ふと見ると、イライの前方に不気味な空間の裂け目があった。イライは足を止め、眉根を寄せた。

「何だ、あれは?」

 空間の裂け目の奥から、一人の黒いローブ姿が出てきた。イライは驚いて一歩後ずさり、腰に装備している短剣を手に取った。黒いローブ姿が剣を取り出し、イライに襲い掛かった。咄嗟に短剣で受け止めるも、黒ローブの力が凄まじく短剣は弾かれ、イライは仰向けに倒れこんでしまう。間髪入れずに黒いローブ姿の持つ剣が再び振り下ろされた。イライの横から凄まじい速さで何者かが飛び出して、黒いローブ姿の剣を弾いた。黒髪の青年で、薄汚れた鎧を着ていた。どうやらアルドビルデの鎧みたいだが、傷痕と血痕で表面はぼやけていたし、とても古そうで定かではなかった。ただ、青年の持つ剣は違っていた。それは白銀に輝く美しい剣だった。傷一つ無く、眩く輝く白銀の剣は一度も戦いで使われた事が無いかのような新品同然に見えた。青年は黒いローブ姿と正面で向き合いながら、ちらとイライの方を見た。

「僕はアルドビルデの兵士アクト・リーメル。あの黒いローブ姿はエノキアンと呼ばれる悪だ。ルメ・ドスの不老兵士イライ・クルドさん。どうか僕に力を貸してくれませんか」

「何だって言うんだ、一体。あんた、どうして俺の事を知ってるんだ?」

「まずはこいつを追い払ってから説明します」

「何でも貴様一人で解決できると思うなよ。アクト・リーメル。どうせ貴様は再び失敗し、貴様の近くにいる奴らが犠牲になるだけだぞ」

「黙れ。アスタロト。ここで滅してやる」

 アスタロトが襲い掛かってきた。アクトが白銀剣でアスタロトの剣を受け止めると、そのままアスタロトは横に剣をずらしつつ移動し、横薙ぎにしてイライを攻撃した。イライが短剣を構えると、ガキンと大きな金属音が鳴り響き、短剣が真っ二つに折れてしまった。アスタロトの剣は勢いを失う事無くイライを襲った。自分の首目掛けて飛んでくる剣を眼前にして初めてわかる恐怖。自分はここで死ぬのか。何も果たせず、ただ不老という呪いをこの身に焼き付けたまま、あっけなく、いともたやすく。淀んでいたイライの意識が急速に現実世界へ戻ると同時に、白銀の光に包まれた一冊の書物がイライの右肩近くの空中に突然出現した。本はひとりでに開かれ、ページがパラパラと捲られた。イライの〈想いの力〉ラスト・ストラグルが発動した。爆音が鳴り響き、イライの手に折れた短剣が飛んできた。すぐさまイライは短剣を向かい来る敵の剣に振り下ろした。爆音と衝撃波が巻き起こり、アスタロトは後方へ吹っ飛ばされた。自分の目の前で起きた爆破であったのに、イライには全く衝撃が訪れなかった。イライは今起きた事に目を丸くして呆然としていた。

 アクトはイライが〈想いの力〉に覚醒したのを見て安心した。これでどうにかなるかもしれない。爆撃で黒いローブがボロボロになったアスタロトが起き上がり、再びイライに襲い掛かろうとしていた。アクトは一瞬にしてアスタロトの背後に移動し、既に振りかぶっていた白銀剣を思い切り振り下ろした。黒いローブ姿は真っ二つに両断された。イライが近寄ってきた。

「おい、やったな」

「いや、逃げられてしまいました。僕が斬ったのは、黒いローブだけです」

 イライは地面に落ちた黒いローブの残骸を見つめた。

「こいつもあんたも、一体何なんだ? 何が起こってるんだ?」

「イライさん。僕はユグ博士にあなたの事を聞いてきたんです。僕はあなたの力を借りたくて、ここまでやってきました。助けてくれませんか。イライさん。僕もあなたの目的に協力できることがあると思います。だから、どうか助けて欲しい」

「アクトって言ったな。俺のことはイライで構わんし、敬語も抜きだ。それに命を助けてくれたんだ。その恩を返す為に、俺に出来る事があるなら喜んで手伝うさ」

「ありがとう。イライ」

「俺の不老の解決の協力もしてくれるっていうんだろ?」

「ええ。もちろん」

「まあ、それは簡単にとはいかないだろうから、まずアクトは何をするつもりなんだ?」

「フィート・ディクロースという男を倒さないとならないんです。その男は三大国の内の二国、アルドビルデ、ルメ・ドスを襲った男です」

 イライはそれを聞いてハッとした。確かにイライはその男がルメ・ドスを襲ってきたとき対峙していた。

「あの男か……」

「ええ。彼はより巨大な悪となり、世界を混沌に陥れようと画策しています。それを阻止する手助けをしてほしいんです」

「何とも大それた事を考えているんだな。アクト。嫌いじゃないぜ。それにそんな事を考えてる奴がいるとして、誰かがそれを止めないといけないんだとしたら、誰かに任せてなんかいられないな。わかった、仲間になるよ。それで、まずどうするんだ?」

「まずは、これからアルドビルデへ向かいます」

「アルドビルデぇ?」

 イライは眉根を寄せて嫌そうな顔をした。

「ええ、そうです。今まさに、アルドビルデに悪の手が忍び寄っているんです。それを阻止しないと、大変な事になってしまいます」

 アクトはそう言って、白銀剣の力を解放させ、魔術を発動した。

「spatium」

 アルドビルデ目指して空間移動が展開し、アクトとイライの姿が不鮮明になりその場から消えた。





 アルドビルデ四騎士団の一つ、白蛇騎士団団長フェリル・ヴァリンは国王の命令により、アルドビルデ内の謀反の調査に出た。フェリルは青い髪と白い肌をした精悍な顔つきの物静かで真面目な青年だった。白蛇騎士団の団長は代々ヴァリン家が受け継ぐ事になっていて、フェリルも父親から白蛇騎士団団長の地位を継承していた。フェリルは自らの白蛇騎士団団長という肩書きを誇りに思っていたし、その名に恥じない騎士でいようと常に思っていた。それは団長だけでなく騎士団の団員全てそうだと思っていたし、白蛇騎士団だけでなく、黒馬騎士団、青龍騎士団、赤鳥騎士団ら他の騎士団も同様だと信じていた。だからアルドビルデを裏切り、内部から反乱を起こす者など本当にいるだろうか、と国王の命令とはいえフェリルは懐疑的だった。国王が謀反だと疑っている事象には何らかの理由があって、事はそう単純ではなく、実は裏や側面に別の思惑が働いているのではないか。確かに国王の命令は絶対だったから、フェリルは真面目に謀反の疑いの調査を行っていたが、いけないとは思いつつも自分の思惑を加味して問題の裏に隠されているかもしれない真相までを暴いてやるつもりだった。



 アルドビルデ四騎士団の一つ、赤鳥騎士団がエノキアンに操作されることによりアルドビルデに敵対していた。もともと四騎士団の一つ、黒馬騎士団も機能していないアルドビルデ。白蛇と青龍の二つの騎士団は内部崩壊するアルドビルデの沈静化に動き出す。

 白蛇騎士団団長フェリル・ヴァリンは目の前の光景が信じられなかった。調査の結果、赤鳥の不穏な動きは確認できたが、何が起きているのかわからなかった。赤鳥騎士団の騎士が襲い掛かってきて、フェリルは仲間であるはずの四騎士団と戦っていた。赤鳥騎士が剣を思い切り振り下ろしたので、フェリルは剣を素早く横に弾き、相手の剣を外させた。戦闘中であるにもかかわらず赤鳥騎士の男の瞳はぼやけて淀み、焦点が合っていなく視線が泳いでいた。何か怪しい魔術にでもかかっているのではないか。そう思うと、フェリルはすかさず赤鳥騎士団の後頭部を剣の腹で叩き、気絶させた。これは謀反などではない。何かおかしな事が起こっている。街中では赤い鎧を装備した赤鳥騎士団がふらふらと徘徊し、人を襲い、物を壊していた。すぐに白蛇騎士団と青龍騎士団とで市民を避難させ、暴走する赤鳥騎士団をどうにかしようと立ち向かっていった。フェリルは数歩先でふらふらしている赤鳥騎士団の騎士に素早く近づき、相手が剣を振りかぶったところで思い切り脇腹へ剣を強打させ、気絶させた。サッと前方を見据えると、赤い鎧姿の騎士が剣を振りかぶっていた。何でまだこんなところにいるんだ。フェリルは地面を蹴って、全速力でその騎士目掛けて駆け出した。そこには逃げ遅れた女の子が転んで立ち上がろうとしていた。

(くそっ、待ってくれ! 間に合ってくれ、やめてくれ!)

フェリルの視線の先で、赤鳥の騎士が女の子目掛けて剣を振り下ろした。凄まじい速さで何者かが突撃して、赤鳥騎士を後方へ吹っ飛ばした。女の子が走ってその場から逃げ出した。フェリルがハッとして後ろを振り返ると、いつの間にか背後に近づいていた赤鳥騎士が剣を振りかぶり今にも振り下ろそうとしていた。何とか剣を構えようとすると、小さな爆撃音と共に赤鳥騎士は横に倒れこんでしまった。倒れた赤鳥騎士の背後には、金髪を逆立てた男が立っていた。茶色い歯車が刻印された鎧を装備している。

(ルメ・ドスの兵士が、何故こんな時にこんな場所に?)

 背後で足音がして振り返ると、黒髪で黒い瞳の青年が近づいてきていた。青年も鎧を装備していたが、その鎧は傷と血痕で汚れていて定かではなかったがアルドビルデ兵士の装備品に見えた。こんな青年がいただろうか。いや、でも以前に見た事があるような気もした。

「白蛇騎士団団長のフェリル・ヴァリンさんですね。今、アルドビルデに齎されている混乱は世界を混沌に陥れようとしている巨大な悪の存在によって引き起こされています。フェリルさん。それを止める為に、力を貸してくれませんか?」

「私の事を知っているみたいだが、私は君達の事を知らない。どうやら君はアルドビルデの人間みたいだが、それにそこにいるのはルメ・ドスの兵士だな。助けてくれて感謝する。だが、私は君達に関わっている場合じゃないんだ」

「すみません。僕はアルドビルデの兵士、アクト・リーメルです。フェリルさんの後ろにいるのはルメ・ドスの兵士、イライ・クルドです。僕達もこのアルドビルデの混乱を止める手助けになれると思います」

 フェリルは背後のイライに視線を移した。

「イライ・クルド。聞いた事がある。ルメ・ドスの不老兵士か」

 イライは何も言わずにただ肩をすくめた。フェリルはフンと鼻を鳴らし、アクトに視線を戻した。

「君がアルドビルデの兵士、アクト・リーメル? まさか、馬鹿な。一体何の冗談なんだ。だから私は君に見覚えがあったとでもいうのか」

 イライはフェリルの呟きに眉根を寄せた。アクトはフェリルの反応を内心面白がっていたが、今はフェリルが言った通りそれどころではなかった。

「フェリルさん。ひとまず赤鳥騎士団を止めましょう。それにこの混乱の根源がいつ襲ってくるかもわかりません」

「わかりました。アクト。私についてきてください。あと一つ言わせてください」

「何ですか?」

「私への敬称は略して構いません」

 アクトは頷いて了解した。イライはつまらなそうに肩をすくめ、地面に横たわる赤鳥騎士の体を爪先で小突いていた。

「では、行きましょう」

 フェリルはそう言って、駆け出した。アクトもすぐにその後を追った。イライは舌打ちして、アクトの後に続いた。フェリル達は街中でうろつく赤鳥騎士団を次々と倒していった。フェリルはアルドビルデの城壁の正門へと向かっていた。正門近くは阿鼻叫喚の騒ぎとなっていた。未だに逃げ惑う市民とこんな状況下だというのを知らずにやってきたアルドビルデ外の人々が恐怖と混乱とで叫喚していた。一般市民の隙間には白と青と赤の鎧が点在し、剣戟がかち合うガキンという金属音がしきりに響き渡った。フェリルは自分の部下に色々と指示し、自分は人込みを縫って正門へと向かった。前方に、高い灰色の城壁が見えてきた。城壁に空けられた高さ4メートル幅10メートルのアーチ状の空間に太くて黒い鉄製の柵があり、柵は石畳の地面までしっかり下りて、アルドビルデへの入出を禁じていた。正門付近は50平米ほどの開けた広場になっていて、全て綺麗な白い石畳となっていた。正門のすぐ近くに設けられた検問所の小部屋には誰もいなかった。正門は閑散としていた。不気味な静けさの中、遠くから街中の喧騒が聞こえてきた。フェリルは前方を見据え、眉根を寄せた。正門の鉄柵の向こうに黒いローブ姿の怪しい人物が見えた。いや、よく見たら、その黒ローブ姿は正門の向こうではなく、こちら側に立っていた。

「エノキアン。やはり現れたか」

 フェリルの隣にいたアクトが呟いた。フェリルが困惑していると、黒いローブ姿が凄まじい速さでこちらに駆け出してきた。フェリルは反射的に剣を抜いて構えた。アクトも白銀剣を抜き放ち、イライは腰の短剣を抜いて構えた。アクトが前へ飛び出して、白銀剣を振り払った。跳躍して避けたエノキアン目掛けて、アクトは白銀の衝撃波を放った。エノキアンは空中で自分の背丈以上もある巨大な黒い剣を取り出し、大剣を思い切り振り下ろしてアクトの衝撃波を割断した。アクトは次々と衝撃波を繰り出したが、エノキアンは大剣を素早く振り回し、全ての衝撃を消滅させた。エノキアンは大剣を思い切りアクトに振り下ろした。アクトは白銀剣を両手で持って、エノキアンの大剣を受け止めた。凄まじい衝撃でアクトの両手がビリビリと痺れた。すかさずイライがエノキアンに攻撃を仕掛けた。イライの〈想いの力〉ラスト・ストラグルが発動した。イライが短剣を振り下ろすと、エノキアンが大剣でそれを受け止めた。凄まじい爆撃音が鳴り響き、エノキアンは後方へ吹っ飛ばされた。吹き飛ぶエノキアンにイライは短剣を投げつけた。エノキアンの大剣に短剣がカキンと当たった瞬間、大爆発が巻き起こった。灰色の煙が強力な突風で吹き飛ばされると、ボロボロのローブ姿のエノキアンが姿を現した。エノキアンの足元で小さな爆発が起き、落ちていた短剣がイライの手元に飛ばされた。フェリルは呆然としていた。

「一体何者なんだ、あいつは? それにあなた達も……」

「奴はエノキアン。世界を混沌に陥れる諸悪の元凶で、このアルドビルデを襲っているのもあいつの仕業だ」

「さすがだな、と言うべきかな。勇者アクト・リーメル」

「お前はエノキアン・ベリアルだな」

「おい。アクト・リーメル。貴様全てを知っているつもりか。世界の救世主を気取って、さぞ満足だろうよ」

「黙れ。ベリアル。僕はお前をここで滅ぼす」

「よろしく頼むよ。アクト・リーメル」

 ベリアルがフェリルを目指して駆け出した。アクトが横から白銀剣を振り下ろしたが、ベリアルの凄まじい速さの大剣の一振りで後方へ吹っ飛ばされてしまった。イライが襲い来る大剣目掛けて力を込めた短剣を突きつけた。爆発音と衝撃音が鳴り響き、後方へ吹き飛んだのはイライの方だった。黒いフードの奥で赤い双眸がギラリと光った。フェリルは間近でベリアルのフードの奥を目の当たりにし、震えだして動けなくなっていた。それは恐怖を通り越した限りなく畏怖に近い畏敬の念がそうさせていた。次元が違いすぎる。想像を絶する力だった。こんな存在が目の前に実在することが信じられなかった。黒いローブ姿が眼前まで近づき、大剣を振りかぶった。フェリルは咄嗟に剣を構えて、大剣を防ごうとした。振り下ろされた大剣にフェリルの剣は叩き折られた。大剣がそのままフェリルの鎧を叩き切った。衝撃でフェリルは俯けに倒れこんでしまった。意識が朦朧とする中、このままアルドビルデが好き放題にされてしまう事を思った。どうしても許せなかった。自分が誇りに思う大国アルドビルデをめちゃくちゃにされてたまるか。フェリルの青い髪が一瞬ゾワッと逆立ち、青白く染まっていた顔に血の気が戻ってきた。フェリルの右頬近くの空中に、白銀の光に包まれた書物が出現し、パラパラとページが捲られた。フェリルの〈想いの力〉水夢伝が発動した。フェリルは何事も無かったかのように立ち上がることができた。見ると、攻撃された鎧の左肩部分がフワフワと浮かぶ水で覆われていて、何事も無かったかのように修復されていた。折れた剣は水で覆われて元通りになっていた。目の前には黒いローブ姿が屹立していた。フェリルは眉根を寄せて敵を睨みつけ、水を纏う剣を振りかぶった。ベリアルが大剣をフェリル目掛けて振り下ろした。フェリルが水の剣で大剣を受け止めると、途端に大剣の勢いは消失してしまい、更に軽くなってベリアルは勢い余って前のめりになってしまう。フェリルは水の剣を思い切り横薙ぎにして、ベリアルの胴体を両断した。黒い煙となってベリアルは消失し、破れた黒いローブの残骸が石畳に落ちた。アクトとイライがフェリルのもとに駆け寄ってきた。フェリルは自分が握っている水を纏った剣を見つめた。

「感触が無かった」

「逃げられてしまったんです。仕方ないです。でも、これで赤鳥騎士団の人達は元通りになったはずですよ」

「聞きたい事があります。アクト。あなた達はあのエノキアンとかいう悪人をどうにかするつもりなんですよね。あなたの言い方では、それが世界を救う事になるみたいだ」

「ええ、その通りです」

「それで、アクト達は大きな何かと敵対していて、それを止めようとしている」

「僕には協力してくれる仲間が必要なんです。僕だけでは、どうしても対抗しきれない。フェリルにも手助けをお願いしたい」

「私はアルドビルデ四騎士団、白蛇騎士団団長だ」

「わかってます。フェリル。でも、国王の了承は得ています」

「何ですって。そんな。いや、あなたがアクト・リーメルだというのなら。わかりました。でも待って下さい。疑ってるわけではありませんが、私は王の口から直接言葉を聞きたいので、ちょっと待ってくれますか?」

「もちろんです。フェリル。よろしくお願いします」

 フェリルは踵を返して、城を目指しアルドビルデの中心部へと向かった。イライはその白い鎧姿の背後を睨んで、チェッと舌打ちして見せた。横でアクトは苦笑していた。



 アクト達は大国アメルスへと空間移動してやってきた。アクト達が姿を現したのは、アメルス側が外部の存在に一般として許している魔術発動可能場所――パブリック・フィールドだった。灰色の石が敷き詰められた50平方メートルほどの四角いスペースは地平線の彼方まで見通す事ができる短い草がどこまでも生えた草原にポツンと設けられていた。その四角い石の床の四方には赤や黄色や青や緑といったローブ姿が十数人立ったり座ったりしてその場に出現してくる者達を監視していた。アクト達が四角い石の中に到着した途端に、数人の魔術師が近づいてきたが、黒い服とズボン姿の老人が手を振ってそれを遮って近づいてきた。

「勇者アクト・リーメルですね。私はフィレド・アリギエル。話はテトラモルフから伺っております。我々は全面的に協力し、あなたを支援致します。自由にアメルスを移動して構いません」

 そう言って、フィレドはアクト達に向かって右手をサッと動かし、アメルスでの魔術行使の抑制を解除した。

「ありがとうございます。魔術師フィレド・アリギエル。本当に助かります」

 フィレドは灰色の髭が生えた口でにっこり笑ってから、頭を下げて右腕をお腹あたりまでサッと動かし、アクト達をアメルスの内部へと促した。アクトは背後にいたイライとフェリルに頷きかけて、白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドの力を解放した。

「spatium」

 空間移動が発動し、アクト達の姿がその場から消失した。



 ティラは自宅のダイニングテーブルに一人で座っていた。部屋は片付けられ、数日前の光景が嘘のようだった。家には自分以外に誰もいない。もはやティラには誰もいなかった。耳が痛くなるような静寂だった。両親がいないというのも実感が沸かなかった。何も無かったかのように、普通に家に帰ってきそうな気がしてならなかった。不意に玄関の扉がトントンと叩かれた。ティラはビクッとして、急いで玄関へ向かい、木製の扉の向こうに誰がいるのか確認せずにバンッと扉を開け放った。そこには見た事のない者が三人立っていた。黒い髪で黒い瞳の整った顔立ちの青年は薄汚れた鎧を装備していた。金髪を逆立て、つり上がった鋭い目つきの男はルメ・ドスの茶色い歯車が刻印された軽装の鎧姿だった。最後の一人は青い髪の精悍な顔つきの真面目そうな男で、アルドビルデの白蛇騎士団の鎧を装備していた。

「誰ですか、あなた達は?」

「ティラ・マスカルさんだね? 僕はアルドビルデの兵士で、アクト・リーメルという者です。後ろの金髪の人はルメ・ドスの兵士、イライ・クルドで、もう一人がアルドビルデの白蛇騎士団団長、フェリル・ヴァリンです」

 ティラは眉を顰めた。

「一体、何の用ですか?」

「僕達はエノキアンという悪と敵対しているんだ。エノキアンは全世界を混沌に陥れようとしている。あなたも少なからず関係していると思うのですが。だから、僕達にあなたの力を貸して欲しい。一緒にエノキアンを討伐してくれませんか」

 ティラはそこでアクトの腰に括りつけられた白銀に煌く剣に気付き、自らの目を疑った。驚き、悲しみ、懐かしさ、怒り。次々と沸き起こる強い感情にティラは困惑した。今になって、アクト・リーメルという名前を思い出した。アクトの持つ剣、それはかつてアケショナル・ラストアが握っていた白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドだった。

「アクトさん。僕はエノキアンに家族を殺されました。僕はどうすればいいですか。僕に出来る事があるなら、喜んで協力します」

「ありがとう。ティラさん。是非ともあなたの協力は必要てす。早速出発したいんですが。大丈夫ですか、ティラさん?」

「ティラでいいですよ、アクトさん。すぐに準備してくるので、ちょっと待っててもらってもいいですか?」

「もちろんです。よろしく頼みます、ティラ。僕のことも呼び捨てでいいですよ」

「いやいや、それはさすがに」

 イライは事の成り行きを見届けると、背を向けてその場を離れていった。アクトはそれを何も言わなかった。フェリルは去っていく金髪の男の背後を見て、眉根を寄せた。イライは強引に自分の任務である不老治療の為にアメルスに手がかりを求めたが、何の収穫もなかった。唯一、希望を見出せたのは賢者リヴラが解決策を握っている可能性があるという情報だったが、賢者は行方知らずだった。

 イライ、フェリル、ティラはそれぞれの目的があったが、優先されたのはティラのエノキアン討伐だった。ティラは家族を殺された恨みがあったが、それよりも強かったのは、唯一無二の愛する女性であるアケショナル・ラストアの存在だった。歴史上、魔王を倒した英雄として戦乙女アケショナルは多くの賞賛を浴び、世界は平和になったのかもしれない。世界が救われて、僕には何の意味があっただろうか。僕が望んでいたのはこんな事ではなかった。僕は誰にも知られていない単なる一般市民の一人に過ぎないけど、英雄たるアケショナルを救いたかった。自分とアケショナルとを引き裂いた魔王は許せない。でも、どうしたらいいかわからなかった。刻印で発動不可能な無彩色魔術のことさえよくわからないのに、さらに意味不明な時空移動のことなんてお手上げだった。気分が落ち込むと、アケショナルの時代に自分が移動したのは夢か幻だったのだとしか思えなかった。何度も美術館に赴き、アケショナルの壁画の前で願っても何も起きなかった。家に帰ってきて、夜中暗い室内で一人椅子に座り、祈るようにアケショナルとの思い出を反芻しても何も起きない。神様なんて信じていないから当然だろうけど、僕の祈りを聞き入れてくれる神などいなかった。神じゃなくても何か超常的な力や、もしくは悪魔のような存在でさえも、叶えてくれるのなら何でも良かった。

(頼むから、もう一度アケショナルの時代に連れて行ってくれ)

 願いは虚しく、何の変化も起きなかった。アケショナルの為に何かできないのか。このままだとおかしくなってしまいそうだ。魔王の眷属エノキアンを討伐すれば、何か事態が変わるかもしれない。いや、もはや何をしたところで変わりはしない。二つの反発する考えと思いに苛まれていては、一歩も前へは進めないだろう。半信半疑ながらも、一つの手かもしれないので、ティラはアクトの提案を承諾していた。

 イライ、フェリルの目的は必ず後で成功させるというアクトの確約の下に、イライとフェリルはひとまず任務を後回しにした。





 ギルドマスター・フォルティナの私室からベルンハルトが出て行った。閉められたドアがすぐにトントンとノックされて、フォルティナは一人掛けのソファから立ち上がりドアを開いた。そこには白髪で白いローブ姿のリヴラ・ジヴァニトゥムが立っていた。

「ちょっと、いいかな。フォルティナ」

「ええ。私もちょうど話があったところよ」

 フォルティナはリヴラを室内の一人掛けソファへと促し、自分は丸テーブルを挟んで置いてある同じ形のソファに腰を掛けた。

「ベルンハルトは君に聞いたんだね?」

「そうよ。リヴラ・ジヴァニトゥム。私は彼に〈ヴェッセル〉について話したわ。全てを受け入れたわけじゃないみたいだけどね」

「まあ、そう簡単にはいくまい」

 フォルティナは少し躊躇ってから、改めて口を開いた。

「リヴラ。祝福と呪縛を受ける前にあった危険なあなたの本性・本質は、今もあなたの心のどこか片隅にヒッソリと、でも確実に残っていて、時折その凶暴な一面が顔を出すことはあるんじゃないの?」

「………」

「よくぞ見抜いた。フォルティナ。リヴラというこの愚かな男の欠点を」

 沈黙するリヴラの後頭部を目掛けて、有翼の亀デウスが突撃体当たりした。

「あなたはそれを――その恐るべき二面性を制御しきる自信があるのかしら?」

「心配してくれてるんだね。フォルティナ。でも、大丈夫。絶対に同じ過ちは繰り返させない。たとえ我が身を失うことになろうとも、世界は守ってみせるよ」

 リヴラの返答に、今度はフォルティナが黙り込んでしまった。

「ねえ。フォルティナ。勇者アクト・リーメルに〈秩序〉の信奉者テトラモルフが提示した選択を、君も知っているだろう? 仮にアクト・リーメルが〈混沌〉の子を追う道を選択していたとしたら、私は戦士フィート・ディクロースのところに向かっていたんだよ。そうなっていたとしたら、一体どうなっていたんだろう。アクトがこの〈ニューアース〉にやってきて、君と出会い、アダム・ベリアルに立ち向かっていたんだろうか」

「過去の可能性について語っても仕方ないわ。起きてしまった事は、そう簡単には覆せないんだから。私達の時間軸に、あなたが言ったような事柄は存在しないのよ。それより、あなたには分かっていたんでしょう、リヴラ?」

「何の事だい。フォルティナ」

「しらばくれるのは、やめて。あなたは〈混沌〉の子がアダム・ベリアル覚醒の為の時間稼ぎだったのを知っていたんでしょ?」

「いや、それは結果論であって、初めから全てをわかっていたわけじゃないよ。私はむしろアダム・ベリアルをどうにかすれば、〈混沌〉の子は〈ヴェッセル〉に退散するとばかり思っていた。というのも、奴が異世界で活動する今、覚醒したアダム・ベリアルに頼るしかない。けど、どうやらそう単純ではないみたいだ」

「そうね。忌わしいことに、〈混沌〉の子もエノキアンも、〈混沌〉に属す者達はどうも理解しがたい部分が多すぎる。これではあらゆる事を傍観したところで、全てを把握しきる事は難しいかもしれない。私が理解した表層の奥に隠れた深層には、思いもよらない恐ろしい出来事が待ち構えているかのように。そう思うと、気が滅入るわね」

「フォルティナ。君がそんな弱音を吐いていたら、世界は終わってしまうよ」

「わかってるわ。リヴラ。私には課せられた使命がある。私は全てを傍観することを司っているのだから」

 フォルティナの厳しい顔つきと決意に満ちた瞳を見て、リヴラは首を振って溜息をついた。

「私が言うのも何だが、フォルティナ。君に〈傍観神〉の役割はとてつもない重荷になってしまったようだね」

「あなたがそんなことを私に言うなんてね。それを言うなら、あなたの方がよっぽど重いものを背中にしょってるんじゃないかしら?」

「どっちもどっちということか」

 ともあれ二人はこれからの事を思って憂鬱になってる暇などないと、改めて認識していた。



 アダム・カドモンたる少年は自分が何者かわからなかった。黒髪で白い肌の少年の背には天使のような白い翼が生えていたし、何かの獣のような尻尾がまるで悪魔のようにお尻から伸びていた。体が大地に触れているか、海に浸っているだけで何も飲まず、何も食わずにいても苦しくはなかったし、呼吸すら必要ないように思えた。最初は誰もがそうなのかと思ったが、すぐにそれが自分だけだと気付いた。両親には気味がられて、生まれてすぐに孤児院に送られてしまっていた。少年に名前は無かった。孤児院の先生が付けてくれた名前はセラフィムだった。セラフィムはその外見の異様さからいじめられ孤立していた。けれどセラフィムには一人、心を許せる女の子がいた。記憶喪失の女の子のユイはセラフィムをいつも助けた。ユイは自分が誰なのかわからないのに明るかった。それに異様な姿のセラフィムにいつも優しく接した。セラフィムはいつも明るく笑っているユイをすごいと思っていた。セラフィムにはユイが地上を明るく照らす太陽のように見えたし、自分にはとてもじゃないがユイのように振舞うことなどできないと思っていた。短い黒髪のユイの笑顔を見て、セラフィムは嬉しくて心が温まる一方で、心が沈んで憂鬱になる自分がいるのに気付いていた。

(浅ましい嫉妬だ。どうやったら自分もああいう風にできるんだろう。僕には無理なんじゃないか)

 ユイと自分とでは全く違う人種のように思えた。そこでセラフィムの心は更に闇に沈んだ。

(ハハッ、その通り。違う人種じゃないか。僕とユイとでは違う。僕はとんでもない姿をした人ではない存在なんだから)

 ユイはそれでもセラフィムの心の壁を打ち破ろうと時には優しく、時には厳しくセラフィムに接してきた。

「セラフィムは五体満足で翼も尻尾もある。不自由な体の人が羨むぐらいよ。それを嫌がるなんて、セラフィムは贅沢だわ」

「口では好き勝手言えるさ。ユイは何でもないからそんなこと言えるんだよ」

 セラフィムは何もわからないくせにと口では生意気を言いつつもユイの言葉が何だか嬉しかった。

 ある日、孤児院は悪魔の襲撃を受ける。なぜか悪魔の到来を予見したユイ。セラフィムは迷わずユイの言葉を信じ、孤児院から逃げた。

 孤児院の事件の情報を受け、リヴラ達は急いで孤児院へと駆けつけた。しかし一足遅く、悪魔の襲撃を受けた孤児院は廃墟と化し、そこには誰も残っていなかった。





 アクトは仲間となったティラとイライとフェリルに〈想いの力〉について理解し、この世界の状態と状況について知ってもらいたかった。そうするのには〈秩序〉の信奉者テトラモルフに会ってもらい、話をするのが一番だった。アクトは三人にそう説明し、空間移動でテトラモルフの待つ天界へと向かった。アクトから説明を受けていたティラとイライとフェリルだったが、それでも天界に空間移動してきて驚きを隠せずに動揺していた。そこはどこまでも白い空間だった。果てしなかった。白くて何もないのに明るかった。目が痛くなって、頭が朦朧としてきた。限りなく異質で、どこまでも白い空間の中に、白いローブ姿が四人佇んでいた。アクトがテトラモルフに近づいていった。そのあとをティラとイライとフェリルが並んでついて行った。アクトがテトラモルフまで3メートルほどのところで止まると、ティラとイライとフェリルもアクトの横に並んで足を止めた。テトラモルフは白いローブを着ている普通の人間のような姿で、顔はフードを被って影となっていてわからなかった。

「〈秩序〉の信奉者テトラモルフ。彼等が仲間になってくれたティラ・マスカルとイライ・クルドとフェリル・ヴァリン。〈想いの力〉の適格者です。僕達は〈混沌〉の子の眷属エノキアンと漆黒血に堕ちたフィートに立ち向かう為にテトラモルフに会いに来ました。ティラとイライとフェリルには〈秩序〉と〈混沌〉、白銀と漆黒について学んでもらいたいと思う」

 アクトの願いにテトラモルフは穏やかな中性的な声で応じた。ティラとイライとフェリルにはテトラモルフの誰が喋っているのかよくわからなかった。

「了解した。勇者アクト・リーメル。アメルスの若き魔術師ティラ・マスカル。君の数奇な運命をとても申し訳ないと思う。ルメ・ドスの不老兵士イライ・クルド。君に降りかかった恐ろしい呪いをとても残念に思っている。アルドビルデの白蛇騎士団団長フェリル・ヴァリン。君の背負う責任と覚悟をとても誇らしく思っている。誰もが重い何かを背負っていて、辛い経験をしているのはわかっている。それでもどうかアクトに協力して、君達の為にも戦ってほしい」

 ティラもイライもフェリルもそれぞれ強く頷き返した。

「〈秩序〉は我々の世界の言わば創造主だ。現世界に存在する膨大なエネルギーと物質は、世界誕生の瞬間に突如として出現した。世界誕生前の不完全な世界に、〈秩序〉と〈混沌〉によって、現在の世界の外からとてつもない物量が持ち込まれたのだ。〈秩序〉は原形界アツィルトを生み出した。その創世に続けて、創造界ブリアーと形成界イェツィラーと物質界アッシャーが生み出され、白銀人と漆黒人も生み出された。それはそれぞれ〈秩序〉の性質と〈混沌〉の性質を有する存在だった。〈秩序〉と〈混沌〉はそれぞれ異なる力の性質を持っていて、〈秩序〉は白銀の力を、〈混沌〉は漆黒の力を司っていた。白銀人と漆黒人は意思を持たされ創造された。そこで四界教が生まれた。四界教は完璧なる存在アダム・カドモンの崇拝とそれに敵対するアダム・ベリアルの勢力図の始まりだった。アダム・カドモンとはとても強力で限りなく純粋な白銀人であり、アダム・ベリアルは逆にそれが漆黒人であるというだけだ。〈秩序〉は生み出し、与え、全てを守り整えようとする存在だった。〈混沌〉は打ち消し、奪い、全てを乱し不鮮明にしようとする存在だった。白銀人と漆黒人はそれぞれそんな〈秩序〉と〈混沌〉の性質を内に秘めている。〈秩序〉の信奉者である我々は白銀人で、〈混沌〉の子とその眷属エノキアンは漆黒人なのだよ。〈秩序〉は多種多様に創造した。多くの世界、その中でも強大で特徴的な三つの世界。地球〈ニューアース〉と偽器〈ヴェッセル〉と三獄〈デルタ〉。〈秩序〉の信奉者テトラモルフ、つまり我々も創造された。君達の世界、偽器〈ヴェッセル〉には創世族が創造された。大地人族。深海人族。獣人族。妖精族。人族。我々は創世族の末裔が世界を混沌に陥れようとする〈混沌〉の子とその眷属エノキアンに立ち向かう術として、純粋な思いやりによって生じる〈想いの力〉を発現させた」

 ティラもイライもフェリルも話が壮大過ぎてついていけなかったが、それでもテトラモルフの話を信じるしかなかった。〈秩序〉の信奉者テトラモルフが言うには、〈想いの力〉は純粋な想いによって、その想いを遂げる為にあらゆる力を授ける、テトラモルフ――つまりは〈秩序〉からの贈り物だった。しかし、その〈想いの力〉というギフトは単純な物ではなかった。ティラとイライとフェリルの背筋にゾッと冷たいものが走った。テトラモルフは話を続けた。

「〈想いの力〉はどのような力にもなる。あらゆる世界で力は望まれている。なぜなら力無き正義は、悪なのだから」

 ティラはテトラモルフの言葉を聞いてグサリと胸に突き刺さるものを感じ、心が痛んだ。すぐに、ティラは歯を食いしばり、眉根を寄せた。

(でも、それを言うなら、正義無き力もまた悪じゃないか)

 テトラモルフの話は淀みなく続く。

「力を手にするには、代償が必要なのだよ。何かを得る為には、他の何かを失わなければならない。君が今幸せなら、どこかの誰かは不幸だということ。光に照らされた表面があるなら、その裏には暗く沈んだ闇が必ずある。〈想いの力〉は、闇雲に奇跡を起こすわけではない。純粋で強烈な想いは、君の望み通りに何を引き換えにしてでも力を与えてくれるよ。その力の代償は、君にとってそれ相応のものとなる。後悔は結局、過ぎてしまわないと何もわからない。何かしてもしなくても、君は自責の念に駆られるかもしれない。力の発現は純粋な想いであるなら、たとえそれが邪悪でも狂気でもかまわない。善悪の基準なんて、立場と価値観によってどのようにも変容し得るだろうから」

 テトラモルフの話を聞いて、全員が複雑な気持ちだった。それは改めて聞いたアクトも含めてだった。これから先、自分達が得た力によって行うことが果たして正しいのかそうでないのかわからなくなってきた。アクトはそれでも前に進むしかなかったので、テトラモルフにフィートの元へ連れて行ってもらうようにお願いした。テトラモルフとアクト達の姿は天界から消失した。





 セラフィムとユイは逃げ続けた。けれど、逃げても逃げても悪魔は彼等を追い続けた。まるで二人がどこへ行くのかわかっているかのように、真っ直ぐとセラフィムとユイのあとをつけてきた。何とかユイがあとをつける悪魔を予見していたが、どうしてそんな事が可能なのかセラフィムにはわからなかった。ユイが来る悪魔を予見しているのか。それともあらかじめついてくる悪魔を知っているのか……。どちらかも判断はつかなかった。



 リヴラ達は何とかアダム・カドモンの存在を嗅ぎ付けるも、スペースサーフィンが封鎖された世界での移動は困難だった。リヴラの空間移動も一度試したが、多くの悪魔に妨げられ、結局アダム・カドモンは姿を消した後だった。スペースサーフィンの正体は既にリヴラによって明かされていた。今や〈混沌〉教会と呼ばれるようになったかつての新世界救済教会が、スペースサーフィンをコントロールしていた。新世界救済教会が主張していたキリストの不在説は、人心掌握を目的として吹聴していたが、教会が交通インフラを制御しているという認知バイアスによって民衆は盲目になっていた。教会は既成宗教没落の際に出現したエノキアンと名乗る悪魔達と接触し、悪魔と天使が行き交う形成界イェツィラーを潜り抜け、人間界の物質世界をワープするスキームを受け入れた。教会が理解していたのは世界に対する影響力だけで、構造はエノキアン任せだった。リヴラの空間移動もスペースサーフィンと同様に形成界を経由していたが、教会の誰も知らなかった。今となってはアダム・ベリアル到来で集結した悪魔達で形成界は満ちていた。リヴラ達は何とかスペースサーフィン以外のかつての移動方法でアダム・カドモンを捜索するしかなかった。



 悪魔の追跡は日に日に激しさを増していた。そのうち見つかってしまうだろうとセラフィムは心配していた。そんなことを思ったその夜、セラフィムは不吉な夢を見た。とうとう追いついてきた悪魔の集団。その先頭に立っていたのはユイだった。最近のユイは孤児院の頃と違って、様子が変だった。どこか暗くて、口数も少なく、セラフィムが話しかけても返事は一言二言の愛想の無いもの。時々何も言わずに姿を消すし、青ざめた顔で戻ってくる。悪魔からの逃避行で疲れてしまったんだと思っていた。

(でも、どうしてユイは悪魔が来るのがわかるんだろう……)

 疑惑と不安とで、セラフィムは森の中の野宿場所から逃げ出した。セラフィムが目覚めた時、既にユイの姿は無かった。セラフィムは黒髪を振り乱し、背中の白い翼をバタつかせながらがむしゃらに逃げた。白い肌には汗が滲み、お尻から延びた黒い尻尾は波打って揺れた。逃げながら、過去が蘇ってきた。明るい太陽に照らされた孤児院の庭で多くの子供達が遊んでいる中、セラフィムもユイも何の心配もなくそこで遊んでいた。ユイは楽しそうに笑っていて、降り注ぐ太陽の光のように輝いて見えた。現実は暗い森の中で、クシャックシャッと自分が踏みしだく草の折れる音だけが途切れる事無く続いた。しばらくして、セラフィムは愕然として立ち止まった。悪魔の集団が目の前に立ちはだかっていた。あらゆる異形の姿が集結していた。中には背中に翼があって尻尾が生えた姿のやつもいた。自分も異形であることを再認識して、自己嫌悪で吐き気がした。でもセラフィムは込み上げてくるものをグッと飲み込み、涙目で前方を見据えた。そこは森の中で木が途絶えた直径50メートルほどの円形に開けた場所で、遮る木々がなく明るかった。月明かりに照らされた悪魔の大群の先頭に立つのはユイだった。一瞬、それが夢か幻かと思ったが、前方のユイが一歩近づいて動くのを見て、現実だと悟った。セラフィムは咄嗟に振り返って逃げようとした。けど気づいた時には目の前にユイがいて首を掴まれていた。セラフィムは悲しみと怒りとで暴れたが、ユイの掴む力は凄まじく、更に締め上げられてしまう。セラフィムは息が出来なくなってきた。

(所詮、僕は何者でもない。翼が生えていようが、尻尾が生えていようが、僕は何の力も持たない出来損ないだ)

 セラフィムは心底絶望していた。目の前が暗くなってきて、意識が薄れかけてきた。突然、セラフィムは強い衝撃と共にいきなり解放された。セラフィムは咳き込みながら目の前を見た。涙でぼやけた視界がゆっくりと鮮明になっていき、目の前の光景を認識した途端にセラフィムの咳が嘘のように治まった。その場の時間が止まったように感じられた。ユイの前にもう一人のユイが立っていた。よく見ると、さっき掴みかかってきたユイは黒尽くめのローブ姿で、後から現れたユイはいつものユイと同じ黒いシャツとジーンズという服装だった。でも顔はまったく瓜二つで、鏡越しに何もかも同じだ。





 アクト達がテトラモルフによって連れてこられたのは草一本生えていない荒涼とした大地だった。枯れ果てたどす黒い赤い地面がどこまでも続いていた。空は灰色で、遠くの方に浮かぶ大きな積乱雲の中で時折雷が光った。アクト達の前方にフィート達が屹立していた。アクトはゆっくりと近づいていった。するとフィートの信奉者フェイトの三人が前に出てきた。黒髪の女性と赤髪の女性、それに黒髪の中性的な男性。皆それぞれTシャツとズボンに胸当てだけという軽装の装備をしていて、女性二人はそれぞれ剣を装備し、男性は武器は携帯していなかった。赤髪の女性が前に出てきた。

「私達はフィート様に従う信奉者フェイト。私はアテピス。隣にいる彼女がクロトで、逆隣りにいるのがラケシスだ。私達はフィート様の邪魔をする者を排除する」

 アクトの目の前で、いきなりフェイトの三人が立つ地面が激しい爆音とともに爆発した。赤茶けた砂煙が舞って、フェイトの三人の姿は見えなくなった。

「アクト。こいつらは俺達が引き受けるぜ」

 アクトの隣にイライが追い付いてきた。続けてフェリルとティラもやってきた。

「アクト。あなたはフィートという戦士との因縁をつけてきてください」

「アクトさん。僕達はこの為に仲間になったんです。任せてください」

 アクトは三人に頷きかけ、白銀剣を抜いた。アクトの〈想いの力〉パスト・テンスが発動した。アクトは思い切り地面を蹴って高く跳躍し、フェイト達を取り巻く砂煙を飛び越えてフィートの元へ向かった。

 アクトが行ってしまうと、すぐに突風が吹いて砂煙が吹き飛ばされた。姿を現したフェイトのうち、アテピスとクロトは全くの無傷で、ラケシスもシャツとズボンが少し破れただけで傷は負っていなかった。

「面白えじゃねえか」

 イライはラケシスを睨みつけた。ラケシスの足下の地面が爆発し、ラケシスが横に吹っ飛んだ。イライの足下も爆発し、爆風に乗ってイライはラケシスの後を追った。

 フェリル目掛けてクロトが凄まじい速さで襲いかかってきた。フェリルもすぐに剣を抜いた。フェリルの〈想いの力〉水夢伝が発動した。フェリルの剣が水を纏った。クロトの剣とフェリルの剣が激突し、大きな金属音が鳴り響いた。二人は次々と剣をぶつけ合い、横へと移動していった。

 ティラの目の前にいたアテピスがゆっくりと近づいてきた。

「私の相手はお前か」

 アテピスは凄まじい速さでティラの眼前まで近づき剣を振り下ろした。

「Ventus」

 ティラは咄嗟に風を巻き起こし横へ移動したが、右肩を少し斬られてしまった。ティラは痛みで膝をついたがすぐに立ち上がった。

「Ventus/ignis」

風の防御を発生させ、両手に出現したファイヤーボールをアテピスに投げつける。アテピスはサッと横に飛んで炎を避けた。



 イライは前方のラケシス目掛けて短剣を投げつけた。短剣はラケシスの目の前で爆発した。短剣が地面にカチャンと音を立てて落下した。イライは眉を顰めて、ラケシスを見つめた。短剣が爆発したのはあいつに当たるよりも前だった。何かが短剣に当たって爆発し、爆撃はあいつに届かなかった。あいつも何か力を使っているのか。

 ラケシスが短剣を拾い、イライに投げ返した。イライは舌打ちして短剣を掴み取った。

「あなたの爆発は私には届きませんよ」

「何だと? ふざけたこと抜かしやがって。ラケシスとか言ったな。お前が何かの力を使ってるというなら、それを暴いてやるよ」

「フフッ」

「何がおかしい」

 イライはラケシスを睨み付けた。

「いや。すみません。暴くも何も、私の力は壁ですよ」

「壁だと? ……舐めやがって」

「舐めてなんかいません。私はいつでも真面目ですよ」

 ラケシスが地面を蹴ってイライ目掛けて突進すると、イライが短剣を投げつけた。ラケシスの左肩近くの空中に、漆黒の光に覆われた本が出現した。漆黒の書物は空中で独りでに開き、パラパラとページが捲られた。ラケシスの〈想いの力〉ラスト・リサインが発動した。ラケシスの目の前に透明な障壁が出現し、短剣を遮った。爆音が響き渡ったが、ラケシスは無傷なままイライに突撃し、手刀を繰り出した。イライは両手を交差させて防御するも、衝撃で後方に吹っ飛ばされた。

「あなたに私の障壁を崩す術はない」

「うるせえ。さっきから出来ねえ出来ねえ。お前みたいな男だか女だかわからねえ奴に手間取ってる場合じゃないんだ」

 イライが立ち上がるとバンッと爆音がして、短剣がイライの手元に飛んで来た。

「たしかに私は男でも女でもない。中途半端な出来損ないです。それでもフィート様の為に時間稼ぎくらいは私にも出来る」

「男でも女でもない?」

「私はどっちでもないんですよ。中途半端な出来損ないの人間なんです」

「……」

「憐れんでくれなくて結構。まあ、あなたの戦意が喪失したというなら、それでいい」

「いや。逆だぜ、ラケシス。俺はどうしてもお前を止めたくなった」

 イライは爆音と共にラケシス目掛けて突進した。ラケシスの目の前に出現した壁目掛けて短剣を繰り出す。短剣の先端が壁に触れた瞬間、爆音が響き渡った。壁は何事も無かったかのように無傷のままだ。微笑を浮かべていたラケシスが眉根を寄せた。イライの頭上に白銀の光に包まれた本が出現し、パラパラとページが捲られた。書物は更に眩い光を放射し、〈想いの力〉ラスト・ストラグルがより一層強まっていった。爆音と共に、短剣の先端が壁にめり込んだ。爆風が巻き起こり、バキンという音を立てて壁は粉々になった。爆風の勢いに乗せてイライはラケシスの顔面を殴り飛ばした。後方に吹っ飛んだラケシスは背中に出現した壁によって倒れ込まずに済んだ。

「さすが。勇者アクト・リーメルの仲間ですね」

 ラケシスはそう言って唇の血を腕で拭った。



 激しい剣戟を繰り広げていたフェリルとクロトは互いに後方に跳躍して、距離を取った。

「やるな。アルドビルデ四騎士団白蛇騎士団団長という肩書きは伊達じゃないか。けどこれくらいじゃ、まだまだだ」

 クロトの体をゆらゆらと揺らめく漆黒のオーラが覆った。クロトが凄まじい早さでフェリル目掛けて駆け出した。横薙ぎにされたクロトの剣でフェリルは後方に吹っ飛ばされた。全身が青く覆われたフェリルは地面に叩きつけられることなく態勢を整えて着地した。

 フェリルを包む浮遊する水を見て、クロトは眉を顰めた。

「お前が水なら、私は炎だ」

 今度はフェリルが眉を顰めた。

 クロトの左頬近くの空中に、漆黒の光に覆われた本が出現し、ページがパラパラと捲られた。クロトの〈想いの力〉炎魔伝が発動した。クロトの持つ剣が赤い炎に覆われた。クロトは跳躍して炎を纏った剣を振りかぶり、フェリルに振り下ろした。フェリルが水に包まれた剣で受け止めると、水と炎は消失しジュワッと白い蒸気が二人を覆って何も見えなくなった。風が吹いて白い蒸気が取り払われた。

「あなたの〈想いの力〉は炎を操るというわけですか」

「お前の水では、私の炎には勝てない」

 クロトの剣が再び炎で覆われた。水に包まれたフェリルの剣とクロトの剣がガキンとぶつかり合った。今度は水と炎は消失することなく、ジュウッと音を立てて白い蒸気が立ち上った。クロトは剣を引いて炎の剣を横薙ぎにした。フェリルの水の剣がガキンと音を立てて受け止めると、クロトの剣を覆う炎が勢いを増して燃え上がり、炎の剣から二筋の炎が飛び出してフェリルに襲いかかった。フェリルは素早く水の剣を一回転させ、眼前に円状の薄い水の膜を出現させた。すぐさま炎の筋が水の膜にぶち当たり、ジュッと凄まじい音がして白い水蒸気が爆発した。水の膜を通して、フェリルの顔面に熱風が当たった。フェリルは上空に気配を感じて、まだ残る白い蒸気の向こう側を見ようと眉根を寄せた。白くぼやけていても巨大な赤い炎は確認出来た。フェリルの全身を青い水の球が包み込んだ。赤い炎に覆われたクロトがフェリルに剣を振り下ろした。炎と水が爆発し、フェリルが後方に吹っ飛ばされた。尻餅をついたフェリルの左肩は切り裂かれ赤くただれていた。フェリルは顔を顰めて、左肩に意識を集中させた。フワフワと浮遊する水の球がフェリルの傷口を包み、癒し始めた。炎に覆われ全身が赤く染まったクロトがフェリルの目の前まで近づいてきた。赤い炎に混じって、漆黒のオーラがゆらゆらとちらついていた。

「あなたの体を覆っているのは漆黒の力ですね。何があなたを漆黒の側にさせるのですか。何故、〈混沌〉を支持するのですか」

「私は初めから漆黒の側なのさ。何故も何もない。生まれた時から真っ黒さ。漆黒に染まるということが、お前になどわかるか」

 クロトが燃え盛る剣を振りかぶった。フェリルは立ち上がり、剣を構えて意識を集中させた。フェリルの全身を水が包み込んだ。

「クロト。確かに私にはわからないかもしれない。けど、私はあなたをそのまま放っておくわけにはいかない」

 クロトが舌打ちして、剣を振り下ろした。フェリルが受け止め、ガキンと金属音が鳴り響いた。クロトを覆う炎から渦巻く炎が次々と飛び出してフェリルを襲った。フェリルを包む水からも次々と渦巻く水の柱が飛び出して、向かい来る炎に立ち向かった。フェリルの右肩近くの空中に白銀の光に包まれた本が出現し、独りでにページが捲られた。燃え盛る炎をフェリルが睨み付けると、フェリルの全身から針のような水が無数に飛び出した。水の針はクロトの炎を突き刺し分散させ、炎に覆われた中のクロトにまで届き攻撃した。クロトは衝撃で後方に吹っ飛んだ。クロトはすぐに立ち上がり、フェリルを睨みつけた。

「ふざけやがって。お前なんかにフィート様の邪魔をさせてたまるか」



 ティラは凄まじい早さで迫って来るアテピス目掛けて、次々と火の玉を放った。アテピスは無数の火の玉を素早く避けて、ティラに剣を振り下ろした。

「Ventus」

 ティラは突風を発生させ、サッと横に避けた。左腕に激しい痛みが走って、ティラは思わず呻き声を上げた。アテピスが追い打ちで剣を横薙ぎにしてティラを攻撃した。激しい風が巻き起こり、ティラが空中へ飛び出した。アテピスは空中浮遊するティラを無表情に見上げた。

「降りて来なさい。あなたが逃げるのは私達の時間稼ぎからしたら好都合だけど、私はあなたなどに無駄に時間を費やすつもりはない」

 ティラはポタポタと腕から滴る血を見て、眉を顰めながらゆっくりと地上へ降りていった。ティラは持っていた白いバンダナを取り出し、左腕の傷口に巻いた。すぐさまバンダナは赤く染まった。

(時代と場所が異なると、色んな人がいるし、中には恐ろしい存在もいる。まだまだ僕は知らない物まみれだ)

 アテピスが無表情のままティラに近づいていった。アテピスが剣を振りかぶったのと同時に、ティラは両手に溜めていたエネルギーを素早く合わせて放出させた。アテピスは向かい来る黄色いエネルギーの衝撃を背中を反らして避けた。アテピスの赤い髪の先端が一部と、シャツの右肩部分とが消失した。アテピスは目を丸くしてシャツの生地が無くなった部分を見てから、ティラに視線を移した。

「あなたのような未熟者が絶対消失魔術、重層の衝撃を操れるとは思っていなかった。それこそ老練な魔術師のみが操ることが可能なはずだが。曲がりなりにも、勇者アクト・リーメルの仲間だということか」

 ティラは再び重層の衝撃・ツヴァイを放った。だが、アテピスは凄まじい早さでそれを避けて、今度は擦りもしなかった。

「最初の不意打ちに失敗したことを深く後悔するといい。あなたに私は倒せない」

 ティラは唇を噛んで、重層の衝撃・ツヴァイを放ったが、アテピスは素早く避け、ティラ目掛けて剣を振りかぶった。ティラが刻印に意識を集中させていると、アテピスが動きを止めた。横を向いたアテピスの視線の先では、恐ろしいことが起きていた。アテピスが慌ててそちらへ向かったので、ティラも急いで後を追った。





 二人のユイの姿に呆然とするセラフィムの背後から声がした。

「ようやく追いつくことが出来たね」

 リヴラ達がとうとうセラフィムに追いついた。リヴラは二人のユイに近づいて、声をかけた。

「君達が〝ユイ〟と〝レイ〟か。確かに瓜二つの双子だ」

 後退りしたセラフィムが眉根を寄せて、ユイとレイ、リブラを見つめた。

 リヴラは視界の端でセラフィムを観察していた。この少年はまだ何も知らない。リヴラは心中で深くため息をついた。リヴラはセラフィムに教えるように語り始めた。

「ユイとレイ、それが二人のユイの正体か。ユイにそっくりなのは、双子の姉のレイだね。君達はかつて教会に選ばれた赤子達だ」

 リヴラは傍観神から聞いて、真相を知っていた。ユイとレイの二人はかつて白銀血の持ち主として集められた赤子達のうちの二人で、悪魔に誘拐されていた。

「それがどうした」

 レイ・アダム・ベリアルは剣呑な笑みを浮かべた。

「お前がリヴラ・ジヴァニトゥムか。面白そうな奴だな」

「レイ。こんなことはもうやめて」

「ユイ。こんなこととは一体どんなことだ?」

「悪魔と共にいることよ!」

 ユイが眉根を寄せて声を張り上げた。

「レイ・アダム・ベリアル。悪魔の軍勢から離れて、こちら側に戻って来るんだ。漆黒の側から逃れるのに、遅かったなんてことはないのだから」

「……」

 レイ・アダム・ベリアルは何も答えずに、いきなりユイに襲いかかった。リヴラはすかさず助けに入った。レイ・アダム・ベリアルは漆黒のオーラで覆われた右手をユイ目掛けて叩きつけた。

「Προστασία」

 リヴラが両手で発動させた保護障壁で受け止めると、バチッと強烈な衝撃音が響き渡った。レイ・アダム・ベリアルは続け様に漆黒のオーラで覆われた左手でリブラを殴りつけた。後方へ吹っ飛んだリヴラは前転するように体を回転させて着地し、凄まじい早さで再びレイ・アダム・ベリアルのもとへ飛び出していった。

「Πάγος」

 リヴラが右手甲の刻印に意識を集中させると、右手から氷の矢が発射された。無数に向かいくる氷の矢を見据え、レイ・アダム・ベリアルがニヤリと笑い、右手を前に出した。右手が漆黒の球状オーラに覆われ、氷の矢の悉くが闇の中に吸い込まれて消えてしまった。

「Φωτιά/Νερό/άνεμος/Έδαφος」

 リヴラが素早く呪文を唱えると、リヴラの頭上に出現した彩色魔術を構成する四属性のエネルギー球体は、螺旋を描きながら一つにまとまりリヴラの目の前に集約された。リヴラが眼前に浮遊する黒いエネルギーを掴み取ると、指の間から雷のようなエネルギーが迸った。

「重層の衝撃・シュヴァルツ!」

 レイ・アダム・ベリアルは向かい来る黒い衝撃波を凄まじい早さで避け、リヴラに漆黒の槍を投げつけた。リヴラが跳躍すると同時に、今いた場所に漆黒の槍が突き刺さった。レイ・アダム・ベリアルも素早く前方に跳躍し、リヴラの顔面を殴り付けた。リヴラは地面に激しく叩きつけられた。レイ・アダム・ベリアルがゆっくりとリヴラに近づいていった。リヴラは咳き込みながら立ち上がった。リヴラは首を振ってため息をついた。今のところ、どの攻撃もアダム・ベリアルには通用していなかった。自分の力は全てレイ・アダム・ベリアルに弾かれてしまっている。そんな状況にもかかわらず、リヴラは感嘆していた。原形界アツィルトの力はこれほどなのか。

 レイはリヴラの力に興味を抱いていた。それからリヴラと共に来た者達に視線を向けた。マリアとベルンハルトの姿を見て、レイは首を傾げた。

「おい。そこの人間。白銀血の女は別として、〈混沌〉教に属するお前は何をしているんだ? 男。私に従属しろ」

「男というのは、まさか俺の事を言ってるのか? ふざけるなよ。アダム・ベリアル。俺は何にも属さないし、誰にも従属などしない」

 ベルンハルトは隣で不安そうに立っているマリアをチラと見た。それから眉を顰めて、言葉を続けた。

「俺達は〈混沌〉教なんて呼称を知らん。新世界救済教会だ」

「愚かだな。矮小なる人族どもよ」

 レイ・アダム・ベリアルが凄まじい早さでユイに襲いかかった。リヴラが放つ重層の衝撃・シュヴァルツによって、レイ・アダム・ベリアルは後方へ跳躍して退避した。ベルンハルトがレイ・アダム・ベリアルの着地点へと素早く移動し、破滅の刀を横薙ぎにした。レイ・アダム・ベリアルの姿が突然漆黒の霧に包まれ、破滅の刀が切り裂いたのは手応えのない漆黒の霧だけだった。漆黒の霧は散り散りになって消失した。マリアが心中で祈りを込めると、奇蹟が発動した。マリアとベルンハルト、リヴラとユイとセラフィムの全身が白銀の光に包まれ、光は保護膜を形成するとすぐに見えなくなった。漆黒の霧がベルンハルトの背後に出現し、レイ・アダム・ベリアルが飛び出してきた。レイ・アダム・ベリアルが漆黒に染まった右手で殴りつけて、ベルンハルトを吹っ飛ばした。重層の衝撃・シュヴァルツが飛んで来て、レイ・アダム・ベリアルは漆黒の霧に隠れて姿を消した。マリアの眼前に漆黒の霧が出現し、レイ・アダム・ベリアルが飛び出した。突然ベルンハルトがレイ・アダム・ベリアルのすぐ横に出現し、破滅の刀を振り下ろした。レイ・アダム・ベリアルはギョッとして目を丸くし驚嘆したが、すぐに漆黒の霧に包まれて姿を消した。ベルンハルトが感触のない漆黒の霧を切り裂くと、上空からレイ・アダム・ベリアルが降ってきて、漆黒のオーラで覆われた巨大な右手を振り下ろした。パキンと音が響き渡り、ベルンハルトは地面に激しく叩きつけられた。ベルンハルトを包み込んでいた白銀の保護膜が消失した。続け様に、レイ・アダム・ベリアルは目の前にいたマリアに向かって、巨大化した漆黒の左手を横薙ぎに振るった。パキンという音と共に白銀の保護膜は消失し、マリアは横に吹っ飛んでしまった。マリアは突然出現したベルンハルトに受け止められた。マリアはビックリして、自分を抱えているベルンハルトの顔を見つめた。ベルンハルトは静かにマリアを地面へ下ろした。レイ・アダム・ベリアルは眉根を寄せてその光景を眺めていた。レイ・アダム・ベリアルは叩きつけてそのままにしていた右手を持ち上げ、首を傾げて右手を握り締めた。

(あの男、一瞬にして、姿が消失していた。……まあ、いいか)

 レイ・アダム・ベリアルは向かい来る黒い衝撃波を自身の消失で避け、リヴラの上空に出現し、漆黒の右手を振り下ろした。リヴラは素早く後方へ跳躍して攻撃を避け、氷の矢を無数にレイ・アダム・ベリアル目掛けて発射した。レイ・アダム・ベリアルが漆黒のオーラで覆われた右手を掲げると、氷の矢は全て漆黒のオーラに飲み込まれ消失してしまった。レイ・アダム・ベリアルは左手でリヴラ目掛けて漆黒の槍を放った。リヴラが跳躍して漆黒の槍を避けると、凄まじい早さでレイ・アダム・ベリアルがリヴラの背後に移動した。

「Προστασία」

 リヴラは急いで魔術の保護膜を発生させたが、レイ・アダム・ベリアルの巨大化した右手で地面に叩きつけられてしまった。バリンと大きな音が響き渡って、リヴラの魔術の保護膜とマリアの奇蹟の保護膜は粉々に弾け散ってしまった。レイはユイ目掛けて跳躍し、漆黒のオーラで覆われて巨大化した左手でユイの体を掴んで拘束した。捕まったユイを見て、セラフィムは我を忘れてレイ目掛けて駆け出した。レイは向かい来るセラフィムを右手で軽く払いのけた。俯けで地面に倒れ込んだセラフィムをレイは蔑んだ目で見下ろした。セラフィムの正体は自明の理だった。

(こいつは何も知らないし、何も出来ない。所詮白銀の力なんて、こんなものか)

 レイは深くため息をついて落胆した。レイの全身がユイ諸共漆黒の霧に包まれ、霧はすぐに散り散りに消失してしまった。レイとユイの姿は消え去り、同時に無数の悪魔の群れも姿を消していた。





 アクトは眉根を寄せて、目の前で仁王立ちするフィートを見つめた。フィートの青い長髪、黄色い瞳、獣人族特有の太い腕と尻尾、それから背後に背負う2mにも及ぶ大剣はかつての戦友そのままだった。時空を越えているとはいえ一緒に旅をしていたのがつい最近のようで、確かにその通りでそもそも主観時間ではそこまで長い時間は経っていないはずだ。でも、フィートの全身を覆うゆらゆらと揺らめく漆黒のオーラと目の下にできた黒くて深いくまを目にすると、信じられないぐらい長い月日が経ってしまったように感じられた。決着をつけなければならなかった。テトラモルフとイライ、フェリル、ティラの助けでようやくフィートと一対一で向き合うことが出来たんだ。アクトはどうしてもフィートを説得したかった。

「フィート。もうこんな争いはやめにしよう。一緒に僕等の時代に帰ろう」

「黙れ、アクト。既に言ったはずだ。俺にはもう帰る場所などない。俺はもうお前と一緒にいるつもりはない。フォルティナが死に、フォルティナを裏切り見捨てた奴等が生きる時代になど戻るものか。お前はよく生きれたな。フォルティナが死んでしまった原因の一つでもある愚かな民衆と共に、そんなクズどもがのうのうと生きる世界で、よく平気だな。俺は吐き気がするぞ。フォルティナを最後の戦いに連れて行かなきゃ良かったんだ。どうして連れて行ったんだ。どうして止めなかったんだ。お前はフォルティナが死地へ赴くのを黙ってそのままにしていたんだぞ。お前もフォルティナの死に少なからず加担してるんだぞ。お前は自分の判断を悔やんでいないのか。どうしてお前は平然としてられるんだ。俺には理解出来ねえよ。俺は、もう元には戻れない。俺は平然としてるお前に憎しみしか感じない。もはやお前にさえも、殺意を抱くぞ」

 フィートはアクトを睨み付け、背中の大剣を右手で抜いて構えた。フィートの全身がゆらゆらと揺らめく漆黒のオーラで覆われた。フィートは完全に漆黒側の獣人になっており、説得は不可能で、アクトは戦いに応じるしかなかった。アクトは白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドを抜き、〈想いの力〉パスト・テンスを発動させた。フィートが凄まじい早さでアクト目掛けて駆け出し、大剣を思い切り振り下ろした。アクトは避けずに、白銀剣で受け止めた。ガキンと大きな金属音が鳴り響いた。アクトは大剣を弾き返し、続け様に白銀の衝撃波を放った。衝撃波が直撃して、フィートは後方に吹っ飛ばされた。仰向けに倒れ込んだフィートは何事もなかったようにすぐに起き上がった。フィートの頭上に漆黒の光に覆われた本が出現した。書物は独りでに開かれ、ページがパラパラと捲られた。フィート自身が纏う漆黒のオーラと頭上の漆黒書が放つ光とが混じり合い、更に漆黒の光が眩く輝きだした。アクトは眉根を寄せて白銀剣を前方に構え素早く円を描き、白銀に輝く光の輪を出現させた。フィート目掛けて光輪から次々と白銀の矢が発射された。フィートは大剣を凄まじい早さで操り白銀の矢を弾いた。アクトが前方へ跳躍し、白銀剣を振るって白銀の衝撃波を放った。白銀の矢を相手にしているフィートに衝撃波が直撃して、激しい衝撃音と共に土埃が舞った。灰色の靄の中に屹立するフィートの姿が浮かび上がった。フィートが大剣を振り払い、土埃は散っていった。アクトは無傷なフィートの姿を見て、眉を顰めた。

「お前のその身体を傷付かせないものは〈想いの力〉だな。どうやってか、攻撃を無効化しているんだろ。フィート」

「無効化ではない。俺の〈想いの力〉罪狩りは自らに降りかかるどんな攻撃や病気、災厄だろうと後回しにする。お前の攻撃は確かに俺に届いているが、俺にとっては全て後回しだ。いかにお前が〈想いの力〉パスト・テンスによってあらゆる身体能力を極限まで向上させ、人間離れした動きを可能にさせても無駄だ。今のお前に俺を倒す事は出来ない」

「後回しって、どうしてそんな力が……。どうなってしまうか、わかってるのか、フィート」

「お前には関係ないな」

 フィートが凄まじい早さでアクトの眼前まで移動し、漆黒のオーラに覆われた大剣を振り下ろした。アクトが白銀剣を振り上げて受け止めると、ガキンと大きな金属音が鳴り響き、白銀と漆黒の閃光が放射された。フィートが後方に吹っ飛ばされた。地面に倒れこんだフィートがすぐに立ち上がるのを見て、アクトは眉を顰めて目を閉じた。これだけの衝撃が溜め込まれ、後回しにされた〝つけ〟が戻ってきたら一体フィートはどうなってしまうんだ。アクトは殺気を感じて、目を開きサッと視線を横に移した。漆黒のオーラに包まれて巨大化した拳が眼前まで迫っていた。アクトの頭上に白銀の光に包まれた本が出現し、パラパラとページが捲られた。〈想いの力〉パスト・テンスの力が更に強まり、アクトは凄まじい早さで移動し襲い来る巨大な漆黒の拳を避けた。

「Εξαιρετικό φως」

 不気味な低い声の詠唱が聞こえてきて、アクトは眉を顰めて舌打ちした。ゆらゆらと揺れる漆黒のオーロラがアクトの周囲に出現した。アクトが白銀剣を振るって衝撃波を放つと、オーロラの動きが一瞬硬直した。アクトが上空に跳躍すると同時に漆黒のオーロラがギュッと凝縮され、爆発した。アクトは背後の存在目掛けて白銀剣を横薙ぎにした。アクトの背中目掛けて振り下ろされる漆黒の刀と激突し、白銀と漆黒の光が炸裂した。

「sagitta」

 アクトは左手を目の前の黒いローブ姿に翳して呪文を唱えた。アクトの掌から光の槍が三本飛び出した。ローブ姿が一瞬にして漆黒の霧と化し、槍は空を切った。アクトが地面に着地すると、不吉な黒いローブ姿がズラリと並んで立っていた。巨大化した右手をベルゼブブが振るうと、漆黒のオーラが取り払われて右手は元通りとなった。マモンはアクト目掛けて掲げていた右手を下ろし、首を傾げていた。漆黒の霧が出現し、その奥から刀を握ったアスモデウスが姿を現した。フィートの左右にエノキアンが集結していた。アクトは眉根を寄せて黒いローブ姿を睨み付けた。

(こいつらさえいなければ、こんな事にはならなかったのに)

 その場にティラとアテピス、フェリルとクロト、イライとラケシスも集まってきた。

「俺はもはや、かつての俺ではない。俺には新たに恐ろしい名前がついた。俺の名はジョーカ。〝混沌に還す者〟」

 アクトは呆然として、フィートを見つめていた。フィートを覆う漆黒のオーラが一層暗くなって、フィートの姿がぼやけ始めた。〝ジョーカ〟その新たな忌まわしい名によって、フィートは完全にアクトの知るフィートではなくなってしまった。アクトの頬を冷や汗が伝った。

「フィート」

 アクトの言葉はフィートには届かなかった。ジョーカはアクトを無視した。アクトの左右に白いローブ姿が出現した。

「フィート・ディクロース」

 テトラモルフの穏やかな言葉もフィートには届かなかった。ジョーカがテトラモルフを無視した瞬間、突如悪魔の仮面が出現しジョーカの顔に張り付いた。エノキアンが漆黒の霧に覆われると、ジョーカとフェイトの三人も霧と共に姿を消してしまった。

「フィート、待ってくれ! どうしてこうなってしまったんだ!」

 なんとしてでもジョーカを追いかけようと、アクトは漆黒の霧の残余目掛けて駆け出した。すぐに白銀剣ツァダイ・カフ・ラメドの力を解放して空間移動しようとするも、テトラモルフがアクトの肩を掴んで止めた。アクトは腕を振り回して掴む手を振り払い、背後をバッと振り返った。テトラモルフが首を横に振った。アクトは落胆して、白銀剣を地面に突き刺した。テトラモルフはアクトの肩に優しく手を置いて、ティラとフェリルとイライを連れてその場から空間移動した。





 リヴラは取り残されたセラフィムとしばらく一緒にいた。マリアとベルンハルトはその場から既に去っていた。〈混沌〉教と名乗りだしたかつての新世界救済教会の討伐をギルドが本格的に開始することになり、二人はギルドに参加しようとしていた。アダム・カドモンたる少年――セラフィムはユイがレイに連れ去られてしまったショックで地面に両手両膝をついて俯いていた。リヴラは眉を顰めて、セラフィムを見下ろした。

(このままでいいはずがない)

 リヴラがアダム・カドモンを追いかける事が出来たのは、三神の一柱を担う傍観神の手助けがあったからだ。傍観の役割の特性の為、三神の中で唯一、異世界移動が可能だった傍観神だからこそアダム・カドモン探索が可能だった。異世界移動ができない他二柱の神、創造神と破壊神はこちらの世界――〈ニューアース〉へは来ていなかった。リヴラはうなだれるセラフィムに近づき、穏やかな声で語りかけた。

「新世界救済教会は世界での影響力を更に高める為に、世界中から白銀血を持つ赤子を三人見つけ出した。三人の内、赤子が一人天使に誘拐された。三人の内、赤子が一人悪魔に誘拐された。二人は堕落する運命にあった、それ故に誘拐された、と教会は世間に発表した。残られた一人こそ本当に選ばれた聖なる子だと主張したんだ。その選ばれた赤子というのが、現在の教会の聖女マリアだ。けど、それは全てではないし、真実でもない。子供は本当は四人だったし、悪魔に攫われたのは双子の二人だった。それがレイとユイだ。悪魔に選ばれたのはレイで、ユイは捨てられたんだ。それで天使に誘拐されたのが君だ。君は聖なる祝福を受け、地上へ戻された。君は学ばなければならない。反漆黒という力について。アダム・カドモンという存在意義について。白銀と漆黒、〈秩序〉と〈混沌〉という宿命について。君は自分が一体どんな存在なのかまるでわかっていない。ユイを救いたいなら、自分を理解したいなら、君は学ばなければならない」

 セラフィムはユイを助けたい一心で、リヴラの言葉に反応し顔を上げた。

「ユイは無事なんですか? 僕にユイを助けることが出来るんですか?」

 リヴラは安っぽい慰めなんかを言いたくなかった。この純粋な少年にはどんな事でも真実を伝えなければならない。

「ユイがいつまでも無事だという保証はどこにもない。おそらく、レイ・アダム・ベリアルは妹を漆黒の側に染めようとしているだろう。セラフィム。君がユイを救えるかどうか、それは君次第だ。君次第で、ユイが助かるかどうかが決まる」

 セラフィムは立ち上がり、リヴラを真っすぐと見据えた。

「ユイを助けたいです」

 セラフィムの力強い言葉にリヴラは頷き、セラフィムに右手を差し出した。セラフィムはリヴラの手を取り、呪文を唱えた。

「χώρος」

 そこで二人の肉体は物質界から消失した。





 ジョーカはフィートであった事を決して忘れなかったし、アクトとフォルティナの事ももちろん覚えていた。ジョーカは沈黙を崩さなかったが、想いはあった。ジョーカは最初、自分がこんな邪悪な存在になってしまうとは思ってもいなかった。

 世界の大敵となり、残酷な破壊者に成り果てるなんて。今となっては後悔ばかりかもしれないが、それでも俺はやり直したいわけじゃない。世界の誰かが幸せなら、そして他の誰かが絶望的に不幸だというなら、世界中が崩壊して全員死んでしまえばいい。幸せは永遠に続くわけないし、今不幸に苦しんでるなら解放を願っているだろう。世界がいかに理不尽で矛盾し、感動的な美しさと吐き気を催す醜悪さとで混沌としているなら、全て無くなってしまえばいい。その為ならば俺は俺という存在を殺し、赤の他人どころか、家族、親友、恋人までも犠牲にし、世界の破滅を願う。俺は〝あの闘い〟のさなか、一人の人間がいかに穢れない清き思いによって自己犠牲を果たす事が出来るのかを見た。同時に他の多くの人間が――その人間達っていうのも彼女の自己犠牲の上に立っている奴等がだ――いかに身勝手で自分の事しか考えていない最低な奴等だというのに気付き、愕然として絶望したんだ。悲劇を無くすには、全て破壊してしまうしかない。何もかもが消滅した零の秩序こそ、秩序を求める者にとっての本当の秩序だ。俺は〈混沌〉に支配されたわけじゃない。

 ジョーカはエノキアンと共にいたが、仮面の下が全て邪悪と怒りと狂気に満ちていたわけではなかった。



 アクトとフォルティナと共に闘った魔王との決戦の最後、フィートが魔王を追いかけて漆黒の霧に突っ込むと、しばらく漆黒の霧に覆われる事となった。さっきまで魔王と闘っていたのが嘘のように暗闇の中は静寂だった。真っ暗で何も見えない中、出し抜けに漆黒の霧が散り散りになって、視界が開けた。どこかの町中にフィートは立っていて、目の前に一人の黒いローブ姿があった。フィートが大剣を振りかぶって一歩前に踏み出すと同時に、相手は漆黒の霧となって姿を消してしまった。フィートは自分が今いる場所を見渡した。そこはフィートにとって見覚えがある懐かしい場所だった。大国アルドビルデ周辺に位置する獣人族が住む町だった。そこでフィートは自分がローブを着ていてフードを被っているのに気付いたが、気にせずに懐かしい場所を歩きだした。だが、時代は変わっていた。そこには獣人族ではなく人族が住んでいた。フィートの脳裏にエノキアンの邪悪な囁きが響いた。そこは自分がいた時代ではなく、未来の獣人族の町だと理解した。漆黒の霧によって時空移動したなんて、なかなか信じ難かった。暗い夜の町で人間の群れの中をフィートは縫うように散策した。人の住む場所に変容し獣人族の姿は無かったように思えたが、獣人族はいた。そこでフィートの思考と感情が凍結した。フィートは無機質な機械のように感覚も消失してしまった。獣人族は家畜と呼ばれ、人の奴隷、慰み者となっていた。男は過酷な重労働で痩せ細り、次々と死人となっていた。女は人族の愛玩物と化し、性欲の捌け口とされ、強制的に性の相手をさせられていた。老人はいなかった。老人になる前に皆死んでいっていた。幼少でも容赦無く男は労働力、女は愛玩物として利用された。男は若くして過労死し、女は人の子を無理矢理出産させられるというのを繰り返され、出産後のケアも不十分だった為に、やがて若くして死んでいった。当然のように、産まれた獣人の子は悲惨な人の家畜として利用された。13か14歳くらいの女の子が妊娠していてお腹が膨らんでいるのを目の当たりにし、フィートは自らの中で何かがプツンと切れて箍が外れたのがわかった。自制心なんてものは、まるで初めから無かったかのように思えた。

 フィードが目の当たりにした虐げられる獣人族達、その中の一人――アテピスも自我が芽生える頃には、毎日地獄のような生活を送っていた。まともな衣食住を提供されることなく、性の相手を強要される。終わることのない永劫の現実こそ、とてつもない苦しみと辛さを伴う絶望的な地獄だった。

 突如として、その地獄は崩壊し、獣人達は解放された。フィートは鬼と化し、その町にいる全ての人間を老若男女の区別なく皆殺しにした。その際、例外なく、全員を強烈な苦痛が伴うように大剣で四肢を切り刻んだ。獣人族以外の民衆を皆殺しにして、フィートは町を出て行った。ついてくる一人の獣人族、アテピスをフィートは拒みはしなかった。アテピスは獣人族と人族とのハーフとして生まれ、人間から虐げられていた。

 フィートとアテピスの目の前にエノキアンの一人が現れた。フィートとアテピスは漆黒の霧によって、その場から空間移動した。気づくと、フィートとアテピスはどこかの街中にいた。フィートはエノキアンの空間移動で誘導されているのに気付いていたが、あえてエノキアンの策略に付き合うことにした。フィートは街中にある教会を見て、すぐにそこが三神教の宗教色が濃い場所であることに気付いた。

 クロトはその街で生まれてすぐに捨てられ、更に孤児院でも、忌み嫌われていた。

「俺の父ちゃんは魔物に殺された。黒い血なんて、この世からいなくなればいいのに」

「人なのに黒い血を持つ化け物め」

 ぶつけられた石で、クロトは血を流した。額から伝うその血の色は赤ではなく光沢のある黒色だった。痛みと悔しさで漆黒のオーラが噴き出し、クロト自身でも抑えられないオーラが棘状になってうねり、少年の顔面を引き裂いた。子供達は泣き叫びながら走り去った。

「私は悪くない。あいつが私を化け物って言ったのよ」

 クロトが孤児院の先生に説明すると、クロトはパチンと先生に引っ叩かれた。

「あなたは化け物よ。何てことをしてくれたの」

 すぐさま孤児院の扉が叩かれ、人々がやってきた。クロトは民衆が投げつけてくる石と松明の火に追い立てられて、その街から走り去った。

 しばらくの間、クロトは街から離れた森の中で見つけた廃屋で、一人で生活していた。そこに街の民衆がやってきた。誰とも接触せずに静かに暮らしていても、人々はクロトを許さなかった。

「今すぐ、立ち去れ」

 民衆の脅しをクロトは無視した。その日の夜、クロトの小屋が炎に包まれた。クロトの全身が炎で覆われた。クロトの頭上に、漆黒の光に覆われた本が出現し、パラパラとページが捲られた。不思議と火事による炎は気にならなかった。熱くもなかったし、火傷もしない。だが、クロトは火事によって落ちてきた屋根で生き埋めになってしまった。屋根の重みはどうしようもなかった。酸素が途端に消費され、息が出来なくて苦しくなってきた。サッと凄まじい衝撃が巻き起こり、何者かが現れた。クロトがフィートのたくましい腕に持ち上げられた。クロトは青い長髪の獣人についていくことに決めた。クロトは漆黒血を持つ者として生まれ、呪われた子として親に捨てられ、人間から疎まれていた。

 フィート達がエノキアンによって次に連れてこられたのは、大国ルメ・ドス近郊の街だった。街の至るところにルメ・ドスの茶色い歯車の刻印があったのですぐにわかった。

 ラケシスは生まれながら病弱な子供だった。そこで最先端の医療技術を駆使した治療を施された。結果的に、ラケシスの身体は異形となってしまった。ある研究者の傲慢なエゴによって、身体が弱いのを改善させようというのを理由に、独善的な研究でラケシスの身体は好き勝手に弄られてしまった。異様な身体によって、ラケシスは恐れられ、苛められるようになった。ラケシスの事を見る目は好奇心の面白がる興味の視線か、汚物を見るかのような蔑む視線だった。ラケシスは引きこもり、誰にも心を開かなくなった。疲れ切った両親は、更生しないラケシスを疎ましく思い、街の外へ放り出した。立ち尽くし、絶望するラケシスの背後に、大剣を背負った青い長髪の獣人が現れた。ラケシスはフィートと話し、フィートについていくことに決めた。ラケシスの身体は研究によって胸も無く髪以外の目立つ体毛も無く、男女性器も持たず、まるで生きた蝋人形のようで常に蔑視に晒されてきていた。



 フィートは信奉者フェイトであるクロト、ラケシス、アテピスの三人とで三大国の二国――アルドビルデとルメ・ドスを襲撃した。エノキアンによってフィート達はルメ・ドスに空間移動した。ルメ・ドスの茶色い門の前で、フィートは大剣を抜いて歩き始めた。ルメ・ドスの兵士達は不審なフィート達にすぐ気付き、誰何するが、フィートは兵士を大剣で斬り捨てた。すぐに大勢の兵士がやってきて、多彩な兵器がフィート達を襲った。だが、フィートとクロト、ラケシス、アテピスの四人は〈想いの力〉を発動させ、ことごとくルメ・ドスの攻撃を打ち砕き、逆に破壊していった。ルメ・ドスの不老兵士も立ち向かったが、まったく歯が立たなかった。フィートはしばらくして、大剣を納め、フェイトの三人を連れてルメ・ドスを去った。フィートはまず世界の権力者に対し、示威行動をするつもりだった。次の標的はアルドビルデだ。エノキアンの力によって、フィート達はアルドビルデへ空間移動した。移動した先は、アルドビルデの城壁から少し離れた場所だった。アルドビルデに近づくなりすぐ、赤鳥騎士団が襲い掛かってきた。フィートは次から次へと相手をなぎ倒していったが、敵の数は増えていく一方だった。赤い鎧の敵だけだったのが、青龍騎士団の青い鎧と白蛇騎士団の白い鎧も立ち向かってきた。大多数対四人だったが、四人は一向に倒れずに戦い続け、やがてアルドビルデの騎士団は戦略的退却を余儀無くされた。フィート達はアルドビルデの城塞内に侵入することなく、相手を打ち負かすことに成功した。そうして、フィートはアルドビルデを背にして離れ出した。





 セラフィムは何が何だかわからなかったが、パニックになるでもなく落ち着いていた。

「ここが形成界イェツィラーだ」

 リヴラの意識がそう言った。言ったといっても、声があるわけでもなく、セラフィムの意識に直接伝わってきた感じだ。そこは悪魔などの異界の者達の世界でもあった。以前と違って、悪魔の大群は姿を消している。ここに肉体や物質は存在しない。この世界では人間も悪魔も意識だけで存在している。相手が見えるわけではなく、相手を感じて存在を確認する。誰であれ、どんな姿であれ、ここに来れば何が違うだろう。セラフィムはリヴラに説明される前に色々と感じ取っていた。リヴラもセラフィムが理解しかけている事に気付いていた。物質界から上昇した次元にある形成界。ここではまるで物質界で世界を歩くように、空間を自由に行き来できるようになる。

 悪魔はどこにいるのかとセラフィムは探した。

 リヴラはまだその時ではないとセラフィムを諭した。それに、我々は更に上昇しなければならない。リヴラの強い意識がセラフィムの方へ近づいた。セラフィムはすぐに理解し自分の意識をリヴラへ集中させた。そこで二人の意識は形成界から消失した。



 感覚的には形成界とは変わっていない。けれど、セラフィムはそこが更に高次の世界だと思った。

「その通り」

 リヴラの意識が伝わってくる。

「ここは創造界ブリアー。形成界イェツィラーの更に上昇した次元にある世界だ。ここでは時間を自由に行き来できるようになる。それは時間に縛られない事を意味する。しかし、だからといって時間が無限にあるわけではない。どの時間も刻一刻と変容していく。ユイを助け出すチャンスがある時間軸が、いつまでも存在し残っているとは限らない」

「なら、ユイを助けるにはどうしたらいいの」

 リヴラはセラフィムに全てを語った。セラフィムは全てを受け入れた。セラフィムには器としての準備が整っていた。

「アダム・カドモンとは最も原形界アツィルトに近い存在。全ての創世族の統一であり、根源でもある。アダム・カドモンは〈秩序〉に最も愛される存在であり、誰よりも濃厚な白銀血が流れている。アダム・ベリアルはアダム・カドモンの対となる敵対者。アダム・ベリアルは〈混沌〉に属し、誰よりも濃厚な漆黒血が流れている。アダム・カドモンは漆黒の力を拒絶する。アダム・ベリアルも白銀の力を拒絶する。それは反漆黒・アンチブラックと反白銀・アンチホワイトの力。それぞれが白銀血と漆黒血の濃度によって有する先天的能力――濃厚な血脈を有する者に発現する能力。アダム・カドモンとアダム・ベリアルが相対すると、お互いのアンチ能力は相殺し、無効化する。そこで重要になってくるのは当人の力量となる。セラフィム。君は紛れも無くアダム・カドモンだ。そして、あのユイを攫ったレイ。彼女は疑いようもなくアダム・ベリアルだ。白銀と漆黒の各陣営は戦わなければならない。それは〈秩序〉と〈混沌〉が相容れない為。永遠に反発しあうから、白銀と漆黒の争いは終わらない。セラフィム・アダム・カドモンはレイ・アダム・ベリアルと戦わなければならない」

「これまで、どれだけの戦いがあったんですか」

 セラフィムの意識は実に落ち着いていた。リヴラは答えなかったが、その代わりというつもりなのか、多くの断片的な場面のイメージが伝わってきた。

 魔術師、剣士、錬金術師、魔剣士、射手、神官の六人は凄まじい力を発揮し、更に多くの者達を仲間にして、四界の為に大敵へ挑む。覚悟した犠牲だったのに、訪れたのは仮初の平和。仲間は散り散りとなり、ある者はそれまでの姿を捨て、またある者は姿を偽り、再び来る災厄を待つのだった。

 世界を支配する帝国が滅亡していく。その帝国を圧倒するほどの力を持ちながら誰よりも優しい心を持つ少女は、一人の少年を救う為に自らの力を全て使い、少年を生かす為に力を譲渡し消滅していく。

 動乱の世界で、一人の少女が戦いを決意する。そんな少女が自分には許されないと思っていた人並みの恋が、一人の少年との出会いで成就する。少女と少年は戦いに勝利し、明るい未来を夢見る。次の瞬間には、わけもわからず二人の仲は切り裂かれてしまう。

 仲良し三人組の少年二人と少女一人が戦争の中で成長し、戦いを先導していく。世界の希望となった三人は最後の戦いに出て行く。戦争は勝利で終わったが、残ったのは少年一人だけ。少女は戦死し、少年の一人は行方不明となった。世界は平和となったが、残された少年は何もかも失ってしまった。

 一人の青年が自らの忌わしい力を恐れて、封印を祈る。青年は巨大な有翼の亀に願って、永遠の眠りにつく。青年の幻影は世界を独占しようとする勢力に騙され、操り人形のように本来の意思とは裏腹に操られるのだった。

 閉ざされた空間で、女性が涙を流しながら、自分の目の前の青年を見つめていた。女性の背後にはおぞましい姿をしたものが微動だにせず二人を睨んでいた。青年が何か言おうとした瞬間、青年の姿が消失した。女性が背後のおぞましい姿のものと一体化していく。その静寂な空間にいるのはいつまでも女性と化け物だけだった。

 三つの巨大な力を求めて、世界は敵対しあう。あらゆる軍勢が力に踊らされて犠牲となってしまった。力への枯渇が邪悪な意思を生み出す。飽くなき強欲によって、派閥は崩壊し、世界は没落へ近づいてしまう。

 民衆が平和に生活している。そこに住む民衆達の表情は誰もが同じで、機械的で無個性だった。それを高みから眺める一つの存在だけが、唯一異なる満足そうな表情をしている。

 三人の勇者が破壊者に立ち向かって行く。破壊者は向かいくる敵対者に理解を示し、勇者達は邪悪な策略に嵌まってしまう。怪物の本質に近づいてしまった勇者達は、意図せずして退治すべきはずだった怪物と化していく。

 記憶を取り戻した少女は、少年を見つけた。かつて、少年だったものは、何もかもを失ってしまい、そのことに気づくことすらない。支配構造の破壊の代償とはいえ、少女にとって少年の喪失は、釣り合いがとれていなかった。

 世界の救済を夢見る少年は、姿が異なる者達でさえも救おうとしていた。世界の平和を願う少女は、矛盾に気づきつつ統一の為の戦に出ていた。少年と少女が出会うことで、新たな敵が生まれ、二柱の神が対立し、第四の神智が姿を現す。

 セラフィムは辛くて、苦しくて、歯がゆくて、苛々した。リヴラが見せてきたイメージは多岐に渡った。それは世界の美しい部分と醜い部分だった。優しくて美しくて素敵な世界の一面もあれば、醜悪で汚くて酷い世界の一面もあった。曖昧で生易しい中途半端な普通一般の描写など無かった。最良と最悪の両極端を次から次へと突きつけられた。世界を思いやり、人間を愛する自分がいる一方で、世界の破滅を願い、人間への憎悪で絶望する自分もいた。救う価値のある世界と人間もいれば、救いようのないクズもいるとしか思えなかった。

「これが真実だ」

 リヴラの意識が伝わってくると同時に無数のイメージは消失した。

「〈秩序〉は静寂で安らかな世界であろうとする。〈混沌〉はまさしくカオスとアナーキー、何でもありの世界。セラフィム・アダム・カドモンは知らなければならない。世界がこうであるということを。セラフィム・アダム・カドモンは理解しなければならない。これが真実であるということに対して、答えは無い事を。時間がない。次へ行こう」

 リヴラの強い意識がセラフィムへ近づいてきた。セラフィムは反射的にリヴラへ意識を傾けた。そこで二人の意識は創造界から消失した。



 久しぶりの肉体と物質の感覚。物質界に戻ってきたんだ。どうして、いや、ここはどこだろう。リヴラが隣に立っていて、そこはどこまでも果てしない草原だった。前方に黒いニット帽をかぶった男が立っていた。

「彼はゼロ。君は戦い、物質界で強くならなければならない。結局、悪魔とは物質界でけりをつけなければならないから」

「いきなり、そんなこと言われても」

 形成界イェツィラーと創造界ブリアーでは大丈夫だったのに、物質界アッシャーに戻ると途端にセラフィムは落ち着きが無くなった。

「ゼロ。彼がセラフィム・アダム・カドモンだ。頼むよ」

 リヴラはセラフィムの反応を無視して、戦いを促した。

「まずは準備運動だ。アダム・カドモン」

 中年男の声でゼロが言った。セラフィムはどうすればいいか何もわからなかった。ゼロが大きく口を開き、セラフィム目掛けて跳躍し、長く大きな牙で噛み付いた。セラフィムの白い翼がバッと広がって空中に飛び出し牙を避け、膨れ上がった腕でゼロを殴りつけた。ゼロが後方へ吹っ飛ばされた。ゼロが立ち上がるのをセラフィムは呆然と眺めた。

「どんどん行くぞ」

 ゼロはセラフィムに襲い掛かった。セラフィムはわけがわからなかった。次から次へと繰り出される悪魔のような攻撃をセラフィムは自分でも驚くような動きで受けていった。ゼロは戦いながらどんどん姿を変えていった。蝙蝠のような黒い片翼が生え、右腕はベヘモットのような怪物と化す。セラフィムは翼で飛び回り、尻尾を振り乱し、凄まじい膂力で殴りかかった。セラフィムもゼロも化け物のような異常な姿で戦い続けた。セラフィムはずっと自分の姿が嫌でたまらなかった。けど、姿なんて関係なかった。大切なのは想いだった。物質界から上昇することで、よくわかった。翼と尻尾があって良かった。セラフィムはユイに笑って、そう伝えたかった。ユイを助けたい。ユイと話したい。リヴラとゼロはもう十分だと判断した。セラフィムはゼロに感謝し、ゼロはセラフィムの成功を祈った。リヴラがセラフィムの隣に立ち、腕を掴んだ。

「χώρος」

 リヴラの詠唱のすぐ後には、二人の姿はその場から消失していた。





 アクトは仕方なく、〈想いの力〉が発動する為の純粋な想いを失わないように、イライ、フェリルの手助けを行うことにした。ティラもアクトに説得され、アクトと行動を共にすることにした。イライの目的を果たすのに必要と思われるリヴラ・ジヴァニトゥムについてだが、アクトはそこまで詳しく知らなかった。賢者リヴラ・ジヴァニトゥムを語るにはテトラモルフの手助けが必要だった。テトラモルフはアクト達にリヴラ・ジヴァニトゥムについて語る事にした。リヴラを語るには四界についてと〈混沌〉の子についても語らなければならなかった。リヴラの持つ一部の能力は授けられたものだ。それは時空移動と不老不死。祝福と呪縛となったその能力によって、リヴラは異世界へ移動していた。その使命は異世界〈ニューアース〉へ移動した〈混沌〉の子の探索、それと、こちらの世界〈ヴェッセル〉へ連れ戻す事。〈秩序〉と〈混沌〉によって限定的に容認されたリヴラの不老不死は、イライの不老とはまた別の話だった。イライとフェリルとティラは壮大な話に驚いていたが、アクトはかつて対峙した魔王の行方を知って、誰よりも驚き興奮していた。イライの目的にしろ、アクトの因縁決着にしろ、リヴラがこちらの世界に戻ってくるまでお預けだった。時期は必ず近いうちにやってくるというテトラモルフの確約のもと、アクト達はフェリルとティラの目的を先に果たすことにした。



 フェリルの目的はアルドビルデ国防の為の四騎士団の完全復活だった。フェリルが国を離れることが可能だったのはこの目的完遂の為と、ひとまず落ち着いたアルドビルデの情勢の為だった。騎士団の赤鳥と青龍がうまく機能していたのだ。必要なのは黒馬騎士団の復活と白蛇騎士団団長の帰還だった。ここからが問題で、それは黒馬騎士団の団長の捜索だ。フェリルはアルドビルデ黒馬騎士団について語った。黒馬騎士団団長という階級は不在というわけではなかった。ただ、黒馬騎士団団長に任命された男は長い間行方不明となっていた。死亡したと判断して、新たに黒馬騎士団団長を任命し、晴れて四騎士団完全復活と片付けるわけにはいかなかった。黒馬騎士団団長は四騎士団の中で最強の男と言われていたし、そんな男を失うのはアルドビルデにとって痛手だった。黒馬騎士団団長の名はクロス・ブラインドリといった。クロスは何かと神という存在に対して執着していた。クロス・ブラインドリの神に対する感情が信仰か憎悪かは定かではなかった。黒馬騎士団団長クロス・ブラインドリはその能力の高さからアルドビルデ国王からかなりの優遇を受けていた。その優遇からか、クロスは頻繁に国を離れて、自由に行動していた。ある時、クロスはアルドビルデに帰ってこなくなった。国王には事前に、世界の諸悪の根源を斬り捨てると伝えていた。黒馬騎士団団長クロス・ブラインドリがどこへ行ってしまったのかを知る者は誰もいなかった。





 かつて栄華を極めた帝国シアルルの皇子エクス・マキナは、気が狂いそうになるほどの年月を生きてきた。エクス・マキナが正気を保っていられたのは、純粋で揺るぎない凄まじい憎悪が活力となっていたからだ。思うに、思考力を備えた存在にとっての負の感情こそは最大の活力となり得るだろう。憎悪と絶望こそ、最大で永久不滅の行動理念だ。〈秩序〉の信奉者テトラモルフへの不信と失望。〈秩序〉の大敵たる〈混沌〉の子、その眷属エノキアンへの憤怒と嫌悪。テトラモルフ、〈混沌〉の子とエノキアンへの憎悪があったからこそ、エクス・マキナは長く辛い孤独な時間を過ごす事が出来た。エクスは〈混沌〉に関係する全てを憎んでいたし、消滅させてやろうと思っていた。テトラモルフが関わる事の全てを信用していなかったし、エクスは接触を嫌悪し拒絶していた。全ては帝国シアルルが滅亡したのと、ロリアン・フェザー・クウィントゥスが死んでしまったのが原因だ。エクスはロリアン・フェザー・クウィントゥスの力を継承していたが、それでもエノキアンに一人で対抗できるとは思っていなかった。必要なのは凄まじい力を持つ仲間だった。どんな存在だろうと、凄まじい個人なら誰でも歓迎だった。エクスが最初に思ったのは、世界を構成した〈秩序〉が生み出した創世族についてだった。大地人族。深海人族。獣人族。妖精族。彼等四種族の力を借りよう。これこそ忌まわしいエノキアンに対抗可能な手段に思えたし、ロリアンの事を考えたらまさに相応しく思えた。エクスはこの計画を帝国没落後すぐに開始した。計画の初めはうまくいかず、創世族五つの統合は不可能に思えた。人族は他の四つの創世族に嫌われていたからだ。五つの創世族の中で、人族だけが劣っているように見えた。人族は他種族と比べて力も弱いし、人族だけが寿命が短かった。各種族の人口数は繁殖の仕組みによって根源的にコントロールされていて、人族の数の減少は多くの繁殖によって防止された。大地人族、深海人族、獣人族、妖精族の寿命は長かったので、一生の中での繁殖の機会も少なく、種族絶対数も少なかった。人族が他種族と比較して優れている点といえば、個体数の多さだった。良くも悪くも、寿命と生殖機能の制限によって、各創世族の種族個体数は長い間大きく変わることはなかった。数の有利によって、帝国の時代に人族は他種族を排斥した。史上最大の支配者となった帝国シアルルは人族の支配するものだった。人族は他の四創世族の領域を侵略してまで世界を支配しようとしていた。大地人族は大地深くに潜り、深海人族は深海に潜み、獣人族は人のいない辺境へと逃げ、妖精族は目立たないように木陰に隠れた。憎悪の対象となり得る帝国の皇子という肩書きはもちろん伏せていたが、人族であるエクスが他の創世族の信用を獲得するのは難しかった。だがエクスには時間が腐る程余っていたし、エクスの抱く憎悪はどんな事であれエクス自身に諦めるということを許さなかった。

 エクスは山奥の絶壁の前に立っていた。エクスは白髪で真っ白い肌をした青年だった。簡素な黒いシャツと黒いズボン姿からは帝国の皇子の面影は一切感じられなかった。高い木々に囲まれて周囲は薄暗く、どこからか獣の咆哮が聞こえてきた。エクスは黄金の瞳で眼前に聳える灰色の岩壁を睨んだ。この何の変哲もない岩壁に〝入口〟が隠されているのは既に気づいていた。エクスは右手に魔力を集中させ、灰色に光り出した手で岩壁を切り裂いた。手応えは何もなかった。だがすぐに岩壁の一部がゆらゆらとぼやけ出して色が薄くなり、細かい粒子となって散り散りに消滅した。縦2m×横1mほどの入り口が姿を現した。入り口の中は真っ暗だった。エクスは岩壁に出現した入り口へと入っていった。





 ここに一つの書物がある。

 リヴラがそう言って、セラフィムに一冊の書物を手渡した。美しい白い革張りの書物には白銀に輝く刻印で表題が描かれていた。どの世界にも一つとない貴重な書物だ。四界教の聖書の正典ともいえよう白銀の書はその時々によって内容が変容していく。白銀の書に記されているのは、白銀と漆黒、〈秩序〉と〈混沌〉について。

 ここにもう一つの書物がある。リヴラが取り出したのは白銀の書の白い装丁とは正反対の黒い表紙の書物だった。これは漆黒の書。四界教聖書の外典といえよう漆黒の書は、〈混沌〉と漆黒についてページが割かれている。逆に白銀の書は〈秩序〉と白銀の描写に傾いている。それプラス、各書は特異な性質を有していて、白銀書と漆黒書とでその内容は異なっていた。白銀書をパラパラと捲ると、すぐに白紙のページが目立った。白銀書には白銀対漆黒のこれまでの戦いが記されていて、今もリアルタイムで自動筆記による空白の埋め込みが続いている。漆黒の書には起こり得る可能性の高い未来が記されていて、その時がやってくると文字は消える。その未来というのは世界のあらゆる部分ではなく、各読者にとって極めて重要な近未来の事柄だけで、良くも悪くもその予言は本人の行動によって変容し得るものだった。リヴラに大切にしろよとセラフィムは漆黒書を渡された。セラフィムは白銀書と漆黒書をじっくりと読んだ。時間はなかったが、そうする価値がそこにはあった。そうしてセラフィムは自分がどうすべきかを決心した。

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