最終話 元傭兵ですが、公爵令嬢は無理です
王都の夜は、妙に騒がしかった。
王城中央大広間。
巨大なシャンデリアが黄金色の光を落とし、磨き抜かれた白い床へ無数の光を散らしている。
楽団の演奏。
貴族たちの笑い声。
グラスの触れ合う音。
表向きは、いつも通りの優雅な夜会だった。
だが。
今夜、その空気の下では別のものが動いている。
噂。
探り。
牽制。
そして包囲。
「聞いたか?」
「アストレア家の件だ」
「“境界座の王”だと……」
「婚約再考論まで出ているらしい」
囁きは、もう隠されてもいなかった。
その中心にいるのは。
当然。
アストレア公爵令嬢ヴァレリア。
そして婚約者、ルシアン・フォン・シュヴァリエ。
その少し前。
王城内控室。
長机の上には、夜会参加者一覧。
派閥図。
座席配置。
護衛配置予測。
主要貴族の動線。
どう見ても夜会準備ではなく、戦場分析だった。
カイルが頭を抱える。
「いや待て」
「なんで婚約者アピールに包囲図が必要なんだ」
ヴァレリアは真顔だった。
「敵の配置確認は基本だろう」
「夜会だよな!?」
ルシアンが資料へ目を落としたまま口を開く。
「東側はルーメル寄り」
「王家側は中央付近で静観」
「西側は中立派が多い」
「逃げ道に使えるな」
「だからなんで退路確保前提なんだお前ら!!」
クラリスが静かに新しい紙を置く。
本日はクラリスも令嬢の1人として参加するため、珍しくドレス姿だ。
「なお、“氷の妖精姫は人ではない”という噂が、現在かなりの速度で拡散しております」
ヴァレリアが顔をしかめた。
「言いたい放題だな」
「むしろ今まで人間扱いされていた方が驚きです」
「クラリス」
「はい」
「そこは否定しろ」
クラリスは少し考えた。
「……善処いたします」
「今の間はなんだ」
カイルが深くため息を吐く。
「とにかくだ」
「今夜の目的は一つ」
「婚約破棄論を潰すことだ」
ルシアンが頷く。
「ああ」
ヴァレリアも腕を組んだ。
「つまり、“仲の良い婚約者”という印象を会場全体へ浸透させればいいんだな」
「言い方が軍事作戦なんだよ!!」
クラリスが淡々と補足する。
「接触頻度を増やしてください」
「視線誘導」
「距離維持」
「相互信頼の演出」
ヴァレリアとルシアンが顔を見合わせる。
「……具体的には?」
「手を繋ぐなど」
二人同時。
「「難易度が高いな」」
カイルが絶叫した。
「なんでそこだけ初心なんだよ!!」
ヴァレリアは真顔だった。
「戦場でもこんな緊張感はなかったぞ」
「婚約者アピールを突撃任務みたいに言うな!!」
ルシアンが少し考える。
「腕を組む程度なら――」
「待て」
ヴァレリアが即座に止めた。
「それは上級戦術だ」
「何のだ」
「社交戦の」
「恋愛を戦術分類するな!!」
クラリスが小さく咳払いする。
「ですがお二人とも、無意識下の方が距離は近いので、過剰に意識しない方が自然かと」
沈黙。
ヴァレリアとルシアンが同時に視線を逸らした。
カイルが崩れ落ちる。
「なんなんだよお前らもう……」
そのまま。
四人は夜会の会場へと向かった。
大広間へ入った瞬間。
ヴァレリアの目が動く。
入口。
退路。
柱。
階段。
窓。
楽団位置。
護衛。
高所。
三秒。
それだけで全体を把握する。
ルシアンが低く口を開いた。
「東側、ルーメル寄り七」
「貴族派四」
「王家側二」
ヴァレリアがわずかに頷く。
「西は?」
「中立多め」
「後退経路には使える」
カイルが頭を抱えた。
「頼むから夜会を市街戦みたいに分析するな!!」
だが。
周囲の貴族たちは、別の意味で息を呑んでいた。
二人の距離が近い。
自然すぎる。
並び方。
歩幅。
互いの死角を埋める位置。
まるで長年、背中を預け合ってきた者同士みたいだった。
その時。
白い礼装の男が前へ出る。
ルーメル家当主補佐。
エルディアス・ルーメル。
蛇みたいな細い目が、静かに細められた。
「これはこれは」
「今夜は随分と注目を集めておられる」
ヴァレリアが小さく舌打ちする。
「来たか」
エルディアスは柔らかく笑った。
「“境界座の王”などという名が王都で囁かれている」
「婚約の安全性に懸念が出るのも当然でしょう」
空気が冷える。
周囲の視線が集まる。
だが。
ルシアンは平然としていた。
「つまり」
「婚約を潰したいのか?」
直球だった。
エルディアスの笑みが少し止まる。
「誤解を招く言い方は――」
「回りくどい」
ヴァレリアが切り捨てた。
「敵なら正面から来い」
カイルが頭を抱える。
「だから社交界で敵って言うな!!」
その瞬間。
エルディアスが一歩踏み込む。
同時に。
ルシアンが半歩前へ。
ヴァレリアが逆方向へ半歩ずれる。
互いの死角を埋める配置。
完全に無意識だった。
老騎士の一人が呆然と呟く。
「……防御陣形か?」
「婚約者同士でやるものではないと思うが……」
ルシアンが低く口を開く。
「ヴァル」
「なんだ」
「左後方、二人」
「見えてる」
「視線が露骨だな」
「王都育ちは隠密が下手だ」
エルディアスがこめかみを押さえた。
「頼むから夜会で戦場会話をしないでいただきたい……」
周囲から吹き出す声が漏れる。
空気が崩れ始める。
エルディアスが静かに目を細めた。
「シュヴァリエ卿」
「あなたは本当に問題ないと?」
「“境界側”と噂される相手でも?」
その瞬間。
ルシアンが鼻で笑った。
「問題ないな」
会場がざわめく。
エルディアスが問い返す。
「なぜ、そう言い切れるのです?」
ルシアンは不思議そうな顔をした。
「なぜ?」
そして。
隣のヴァレリアを見る。
「こいつが変なものだったとして」
「俺に何か困ることあるか?」
ヴァレリアが眉を寄せる。
「待て」
「その言い方はちょっと引っかかる」
「でも否定はしないんだな」
「おい」
周囲から笑いが漏れた。
空気がまた少し崩れる。
その時。
ヴァレリアが静かに口を開いた。
「私は、利益だけで背中を預ける相手を決めない」
空気が止まる。
ヴァレリアは真っ直ぐエルディアスを見る。
「こいつ以外に預ける気もない」
会場静止。
ルシアンがわずかに目を見開く。
ヴァレリアはそこでようやく、自分の発言に気づいた。
数秒後。
顔が一気に赤くなる。
カイルが崩れ落ちた。
「もうプロポーズ終わってるだろそれ!!」
「違う!!」
「何が違うんだ!!」
ヴァレリアが言い返そうとした瞬間。
無意識に。
ルシアンの腕を掴んでいた。
会場静止。
ヴァレリア本人も固まる。
視線がゆっくり下へ落ちる。
完全に。
自然に。
掴んでいた。
カイル絶叫。
「お前ぇぇぇ!!」
「接触作戦どころじゃねぇぞ!!」
「ち、違う!!」
「違わないだろ!!」
ルシアンが小さく口を開く。
「ヴァル」
「な、なんだ」
「接触維持成功だな」
ヴァレリアの顔が真っ赤になる。
「だからその言い方をやめろ!!」
周囲の貴族たちが完全に崩れ始める。
「待て、あれ演技なのか?」
「いや素だろう」
「というか元々ああなのでは……」
「氷の妖精姫とは……?」
老貴族の一人が小さく笑った。
「……なるほど」
「思っていたより、ずっと人間らしい」
その言葉で。
空気が変わった。
完全ではない。
噂も消えない。
だが。
少なくとも今ここにいる者たちは理解した。
アストレアの氷姫は。
冷たい怪物なんかじゃない。
ただ。
不器用なくらい真っ直ぐで。
たった一人だけには、どうしようもなく弱いだけだ。
その向こうで。
カイルはもう笑いすぎて立てなくなっていた。
クラリスは額へ手を当てながらも、どこか満足そうだ。
エルディアスは完全に疲れた顔になっている。
「……だからアストレア家とは関わりたくなかったのだ……」
そのすぐ近く。
ノルヴァルは静かにグラスを傾けながら、小さく目を細めた。
妖精たちが、くすくす笑いながら彼の周囲を飛び回っている。
「ルシアン!!」
「だからお前は勝手に話を進めるな!!」
「黙ってたら進まないだろ」
「そういう問題じゃない!!」
その騒がしい声を聞きながら。
ノルヴァルは、静かに果実水を口へ運ぶ。
「……なるほど」
穏やかな声だった。
「これは確かに、退屈しませんね」
王都の夜は、まだ騒がしい。
そしてきっと。
この二人はこれから先も、
ずっとこんなふうに騒がしく生きていくのだろう。
完
お読みいただきありがとうございました。
これにて完結となります。
この後、ノルヴァル視点の外伝を入れる予定ですが。いったん完結といたします。
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