第18話 嵐の前
夜だった。
アストレア公爵家の一室。
昼間の華やかさが嘘みたいに静まり返った部屋には、机の上のランプだけが淡く灯っている。
厚いカーテン。
閉ざされた扉。
外へ漏れないよう落とされた声。
空気だけで分かる。
これは、社交ではない。
作戦会議だ。
机の上には、数枚の資料が広げられていた。
七公家の紋章。
夜会の参加者一覧。
最近の動き。
そして。
ジードが裏市場から持ち帰った報告。
「……面倒なことになってる」
椅子へ浅く腰掛けたジードが、低い声で言った。
いつもの軽薄そうな空気は薄い。
煙草を持つ手も、今日はあまり遊んでいなかった。
向かい側では、ルシアンが静かに資料を読んでいる。
銀灰色の瞳が、紙面をゆっくり追っていく。
その隣で、ヴァレリアは腕を組んでいた。
灯りに照らされた青い瞳が、静かに細められる。
「複数憑き、か」
ぽつり、と。
低い声が落ちた。
ジードが視線を上げる。
「聞いてたのか?」
「いや」
ヴァレリアは首を横に振る。
「だが、“異常扱い”される理由としては分かりやすい」
静かな声だった。
だが。
ルシアンだけは気づく。
怒っている。
かなり。
表情は変わらない。
けれど、声の温度が少しだけ下がっていた。
ルシアンは資料を机へ置く。
「恐れてるというより――」
短く区切る。
「制御できないものを嫌ってる」
「……ああ」
ヴァレリアが頷く。
それだけの会話だった。
なのに。
カイルが、じっと二人を見る。
理解が早すぎる。
しかも、“敵側の思考”を読む速度が。
普通の貴族じゃない。
ジードも同じことを感じたらしい。
煙草を咥えたまま、小さく笑った。
「ほんと、お前ら怖ぇな」
カイルが呆れたように息を吐く。
「貴族の会話じゃねぇぞ、それ」
「戦場の指揮官同士の読み合いだろ」
数秒。
沈黙。
だが。
ヴァレリアは特に否定しなかった。
代わりに、少しだけ顔をしかめる。
「貴族社会の方が怖い」
「違ぇねぇ」
カイルが吹き出す。
「戦場なら敵が分かるもんな」
「正面から来るだけマシだ」
ジードまで頷いた。
ルシアンは小さく息を吐く。
「お前ら、感覚がおかしいんだ」
「そうか?」
「そうだ」
即答だった。
その時。
カイルが、にやりと笑う。
「でもまあ、納得したわ」
「何がだ」
「なんでお前ら、あんな息合ってんのか」
ヴァレリアの眉がぴくりと動く。
「別に合わせてない」
「嘘つけ」
カイルは笑ったまま続ける。
「片方が前出る時、もう片方が先に横見るんだよ」
「完全に実戦の連携じゃねぇか」
ルシアンの指先が、ほんの少しだけ止まる。
ヴァレリアも、少しだけ黙った。
ジードが煙を吐きながら笑う。
「しかも厄介なのがよ」
「前で暴れるのと、
後ろから急所抜くのが組んでる」
「最悪だぞ、これ」
カイルが腹を抱えて笑い始めた。
「怖ぇ夫婦だなほんと!」
「誰が夫婦だ」
ヴァレリアが即座に返す。
「時間の問題だろ」
「否定はできないな」
静かな声だった。
自然だった。
あまりにも自然に出た言葉に、部屋が一瞬だけ静まる。
ヴァレリアがゆっくり振り返った。
「……お前」
ルシアンが視線を上げる。
「なんだ」
「最近、そういうの自然に言うよな」
疑うというより。
呆れている顔だった。
ルシアンは数秒だけ黙り込み――
小さく肩を竦める。
「今さら隠す意味もない」
静止。
カイルが固まる。
ジードが煙草を落としかける。
ノルヴァルだけが、妙に嬉しそうだった。
「良いですね」
「お前は黙ってろ」
ヴァレリアが真顔で返す。
だが。
耳だけ、少し赤い。
ルシアンは気づいていた。
気づいていたが、何も言わない。
その空気を見ながら、カイルがとうとう吹き出した。
「駄目だこれ!
お前らもう完全にそういう空気じゃねぇか!」
「うるさい」
「否定弱ぇぞ!?」
笑い声が広がる。
だが。
その空気を切るみたいに。
ジードが、新しい紙を机へ置いた。
部屋の温度が変わる。
笑いが止まる。
紙に刻まれていたのは、七公家の紋章。
その中でも、特に古い家系。
ルシアンの目が静かに細められる。
カイルの顔からも笑みが消えた。
「……あそこか」
「知ってるのか?」
ルシアンが聞く。
カイルは短く息を吐く。
「ああ」
「七公家の中でも、一番面倒な連中だ」
ジードが低く続ける。
「次の夜会」
「こいつが来る」
ランプの火が、小さく揺れた。
その灯りの中で。
ヴァレリアは静かに目を細める。
嵐が来る。
今度は、本当に。
そんな予感だけが、やけにはっきりしていた。
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