第14話 赤髪の来訪者
夜の王都は、静かだった。
裏市場を抜けた馬車の中。
ヴァレリアは窓へ頬杖をついたまま、ぼんやりと外を見ている。
向かい側では、ルシアンが静かに本を閉じた。
「疲れたか」
「貴族よりは楽だった」
「比較対象がおかしい」
即答だった。
クラリスが小さく息を吐く。
「お嬢様」
「なんだ」
「今後、夜間の裏市場探索はお控えください」
ヴァレリアは少し考え込み――
「……では昼間にする」
「そういう意味ではございません」
即答だった。
反論できなかった。
その時。
隣で、ノルヴァルが静かに口を開く。
「私は楽しかったですよ」
「お前は楽しそうだったな」
ヴァレリアが真顔で返す。
「串焼きが美味しかったので」
「そこか」
ルシアンが額を押さえた。
「聖霊王が裏市場の串焼きに感動するな」
「炭火の香りが素晴らしかったですね」
「感想を増やすな」
「あと店主が二本おまけしてくれました」
「馴染むの早すぎるだろ」
ノルヴァルは少し嬉しそうだった。
クラリスが静かに呟く。
「……順応性が高すぎますね」
「褒められました」
「違うと思うぞ」
ヴァレリアが即答する。
馬車の空気が、ほんの少しだけ緩む。
だが。
ふと、ヴァレリアの視線が窓の外へ流れた。
夜の王都。
遠くに揺れる灯り。
静かな街並み。
その脳裏へ、不意に裏市場で聞いた言葉が蘇る。
――『“シュヴァリエでは弱い”って声も出始めてる』
ヴァレリアの眉が、ほんの少しだけ寄った。
向かい側では、ルシアンが静かに窓の外を見ている。
表情は変わらない。
だが。
長い付き合いだから分かる。
少しだけ、静かすぎた。
「……ルシアン」
ヴァレリアが声を掛ける。
ルシアンは視線だけをこちらへ向けた。
「なんだ」
「怒ってるのか」
その言葉に、ルシアンがわずかに瞬きをする。
「なぜそうなる」
「なんか静かだ」
「元からだ」
淡々と返されて、ヴァレリアは少し考え込み――
「確かに」
本気で納得した。
ルシアンが深いため息を吐く。
「……お前はもう少し、人の機微を学べ」
「難しいな」
「本当にそう思ってる顔なのが厄介なんだ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌日。
昼下がりの談話室には、穏やかな陽射しが差し込んでいた。
窓の外では春風が庭木を揺らし、淹れたての紅茶の香りが静かに広がっている。
平和だった。
少なくとも景色だけは。
その中で。
ヴァレリアが真顔で呟く。
「……暇だな」
「平和とも言います」
クラリスが静かに紅茶を置く。
ノルヴァルは、当然みたいな顔でソファへ座っていた。
完全に馴染んでいる。
ルシアンはもう何も言わない。
諦めていた。
その時。
扉が静かに叩かれる。
「失礼いたします」
使用人が一礼した。
「ベルンハルト家より、カイル・フォン・ベルンハルト様がお見えです」
ヴァレリアが瞬きをする。
「……赤髪の」
「覚え方どうなってるんだ」
ルシアンが即座に突っ込む。
ヴァレリアは少し考え込み――
「剣術の話をしてきた奴だ」
と思い出したように言った。
「ああ、圧が強かった」
「お前も大概だぞ」
その直後。
廊下の向こうから、明るい声が響いた。
「おーい! 入っていいか!?」
返事より先に扉が開く。
そこへ立っていたのは、鮮やかな赤髪の青年だった。
高い背。
鍛えられた身体。
赤銅色の目。
立っているだけで分かる。
武官側の人間だった。
貴族らしい優雅さより先に、騎士団そのままの空気がある。
肩の力は抜けている。
だが、重心だけは静かに安定していた。
カイルは室内を見回し――
ヴァレリアを見つけた瞬間、にっと笑った。
「よっ、“氷の妖精姫”」
「やめろ」
即答だった。
カイルが豪快に笑う。
「ははっ!
やっぱ面白ぇなあんた!」
遠慮なく部屋へ入ってくる。
ルシアンが小さく息を吐いた。
「お前、相変わらず距離が近いな」
「演習場じゃもっと近ぇだろ」
カイルが笑う。
「婚約者殿は苦労してんな?」
「非常に」
「即答かよ」
ノルヴァルだけが、妙に楽しそうだった。
「仲が良いですね」
「どこがだ」
ヴァレリアが真顔で返す。
クラリスが静かに紅茶を置いた。
「ルシアン様は、本日も大変そうでございます」
「他人事みたいに言うな」
「実際、他人事ですので」
「ひどくないか?」
カイルがとうとう吹き出した。
「何だここ。
想像してた公爵家と違ぇぞ」
そう言いながら、ヴァレリアの近くへ歩いてくる。
距離が近い。
普通の令嬢なら、少し身を引く距離だった。
だが。
ヴァレリアは動かない。
――いや。
正確には違った。
自然すぎて、ほとんど分からない程度に。
ほんの半歩だけ、位置をずらしている。
真正面へ立たない。
相手の動線を塞がない。
けれど。
いつでも動ける位置だけは崩さない。
それがあまりにも自然だった。
訓練ではない。
身体へ染みついた動きだった。
カイルの目が、ほんの少し細くなる。
「……なるほど」
小さく笑う。
「そりゃ目立つわけだ」
ヴァレリアが眉を寄せた。
「何がだ」
カイルは少しだけ肩を竦める。
「気づいてねぇの、お前だけだぞ」
カイルはそれ以上は言わず、意味ありげに笑ったまま紅茶を飲み干した。
しばらく騒がしく談笑したあと、赤髪の来訪者は
「また来るわ」
と軽い調子で手を振り、
そのままベルンハルト家へ帰っていった。
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