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元傭兵(男)ですが、公爵令嬢は無理です‼️  作者: くいたん
第一部 元傭兵(男)ですが、公爵令嬢は無理です‼️

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第12話 裏市場の温度


「説明しろお嬢ちゃん!!」


ジードの声が、夜の路地へ盛大に響いた。


木箱へ座ったまま、片手には落としかけた煙草。


さっきまでの余裕は綺麗に吹き飛んでいる。


ヴァレリアはそんな彼を見ながら、小さく首を傾げていた。


「何をだ」


「全部だよ!!」


「雑だな」


「雑にもなるだろうが!?」


ジードが本気で混乱していた。


ノルヴァルだけが妙に楽しそうだった。


黒いフードの奥で、灰銀の瞳が細められている。


しかもまだ串焼きを持っていた。


「面白いですね」


「お前はずっと楽しそうだな」


ルシアンが疲れた声で言う。


「ええ。数百年ぶりに退屈しません」


「規模が怖い」


クラリスは静かにため息を吐いた。


「とりあえず、場所を移しませんか」


その一言で、ジードの表情が変わる。


軽薄そうだった空気が、ほんの一瞬だけ消えた。


「……ああ、そうだな」


その声だけ、少し低い。


ヴァレリアの目が細くなる。


ジードは周囲を軽く見回した。


通りを横切る酔客。


屋根の影。


酒場の窓。


こちらを見ていないふりをしている人間。


裏市場の空気が、さっきより少しだけ重い。


ジードは立ち上がると、くたびれた外套を軽く払った。


「ついて来い」


歩き出す。


その瞬間だった。


ヴァレリアが、ほとんど無意識みたいに壁際へ寄る。


人通りの中央を避け、視界の開ける位置を選ぶ。


その動きを見て、ジードが小さく息を吐いた。


「変わってねぇな……」


「何がだ」


「壁際好きなとこ」


「生存率が上がる」


反射みたいな返答だった。


ジードが額を押さえる。


「駄目だこりゃ……」


ルシアンは、そのやり取りを黙ったまま見ていた。


胸の奥が、少しだけざわつく。


分からないわけではない。


むしろ分かる。


それが余計に、落ち着かなかった。


ヴェラだった頃、自分は確かに“ヴァル”の隣にいた。


雪の戦場。


冷え切った夜営地。


血と煙の匂い。


焚き火の光から少し離れた場所で、ヴァルはいつも壁際へ立っていた。


誰より先に周囲を確認し、誰より先に退路を確保し、仲間たちが気づくより前に危険を察知する。


その姿を、自分は知っている。


何度も見てきた。


だから今、ジードが見ているものも分かってしまう。


ヴァレリアは、無意識に“ヴァル”へ戻っている。


問題なのは、その空気を自分より先に、ジードが理解していることだった。


ルシアンは、ゆっくり視線を落とす。


今の自分はヴェラではない。


ルシアン・フォン・シュヴァリエだ。


公爵家の次男で、ヴァレリアの婚約者で、彼女の隣にいるはずの人間。


そう思っていた。


だが今、ヴァレリアとジードの間には、自分の知らない時間が流れている。


そこへ入れない。


それが、妙に寂しかった。


嫉妬ではない。


ジードへ敵意があるわけでもない。


ただ。


ヴァレリアが見せる“ヴァル側の顔”を、自分より先に理解されている。


その事実だけが、胸へ小さく引っかかっていた。


そして何より。


ヴァレリア本人は、その変化へまるで無自覚だった。


普通に歩き。


普通に話し。


普通に壁際を選ぶ。


それがどれだけ異質なのか、自分で全く気づいていない。


挿絵(By みてみん)


ルシアンは小さく息を吐いた。


――ああ。


ヴェラだった頃、自分もこんな顔をしていたのかもしれない。


戦場で平然としているヴァルを見ながら。


「それ、普通じゃないぞ」と、何度も思っていた。


その時。


前を歩いていたジードへ、露店の男が軽く声をかけた。


「おうジード、今日は――」


途中で止まる。


視線がヴァレリアへ向く。


そして。


男の顔から笑みが消えた。


「……誰だ、それ」


小さな声だった。


ジードが舌打ちする。


「見るな」


「いやでも、その嬢ちゃん……」


男の視線が、ヴァレリアの立ち姿を追う。


黒い外套。


低い重心。


視線の流し方。


壁との距離。


そして、“いつでも殺し合える位置”。


男の顔色が変わる。


「……嘘だろ」


ヴァレリアは、きょとんとしていた。


「何だ」


「いやお前、自覚ねぇのかよ……」


ジードが頭を抱える。


ルシアンが低く問う。


「何が見えている」


男は少し黙り込んだあと、ぼそりと言った。


「……戦場側だ」


静かだった。


クラリスが、初めて少しだけ表情を変える。


ノルヴァルだけが、面白そうに目を細めていた。


ヴァレリア本人だけが、意味が分からない顔をしている。


「さっきから何なんだ、その戦場側って」


「ヴァル側じゃねぇ。戦場側だ」


ジードが疲れた顔で訂正する。


そして、そのままヴァレリアを見た。


「お前、自分がどんな目で周り見てるか分かってねぇだろ」


「普通だろ」


「普通の令嬢は、路地入った瞬間に逃走経路から確認しねぇ」


「危ないだろ」


「だからその感覚がもう駄目なんだよ!!」


ノルヴァルが横で静かに笑う。


「私は好きですよ」


「聞いてない」


即答だった。


だが、そのやり取りを見ながら、ルシアンは静かにヴァレリアを見つめていた。


遠いと思った。


すぐ隣にいるのに。


ずっと一緒に育ってきたのに。


それでも今、ヴァレリアの中には、自分の知らない“ヴァル”の時間が確かに存在している。


そして。


裏市場では、“戦場側の人間が現れた”という噂が、静かに流れ始めていた。

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