第11話 戦場側の癖
「――ヴァル側だろ、お前」
夜風が細い路地を抜け、裏市場の喧騒がほんの少しだけ遠のいた気がした。
ヴァレリアは静かにジードを見る。
茶髪に、くたびれた外套。煙草を咥えた姿は、どこにでもいる下町の情報屋にしか見えない。
なのに妙に引っかかった。
立ち姿が軽い。
肩から力が抜けている。
だがそれは、無防備とは違う。
いつでも逃げられる人間の立ち方だった。
ジードは煙を吐きながら、へらへらした笑みを浮かべる。
「いやぁ、懐かしくてな」
「何がだ」
「その立ち方」
ヴァレリアの目が細くなる。
ジードは木箱へ腰掛け直しながら、面白そうに続けた。
「壁へ寄りすぎねぇ。でも開けた場所にも立たねぇ。前から来る奴より、横と後ろを先に見てる」
軽い口調だった。
だが、見ている場所が完全に実戦側だった。
ルシアンが小さく眉を寄せる。
ヴァレリアは無言のままジードを見返していた。
ジードは煙草を咥え直し、どこか懐かしそうに笑う。
「昔いたんだよ。そういう歩き方する化け物が」
ノルヴァルだけが妙に楽しそうだった。
「化け物なのですか?」
「戦場じゃ褒め言葉だ」
「なるほど」
「納得するな」
ヴァレリアが即座に突っ込む。
その反応の速さに、ジードの目がほんの少しだけ丸くなった。
だが彼はすぐ、いつもの軽い笑みへ戻る。
「で? お嬢さん方はこんな裏路地で何してんだ」
「散歩」
ヴァレリアが即答する。
ルシアンが真顔になった。
「その言い訳は無理がある」
「夜の裏市場を散歩とは、随分と豪快ですね」
クラリスまで静かに頷いている。
ノルヴァルは、いつの間にか露店の串焼きを見ていた。
「美味しそうですね」
「お前さっきから自由すぎるだろ」
「潜入任務中ですが?」
「その認識でなんで串焼き見てるんだ」
「お腹は空きます」
真理だった。
ヴァレリアが頭を押さえる。
ジードはとうとう吹き出した。
「ははっ、何だお前ら」
笑いながらも、その目だけは細かく周囲を見ている。
路地の入口。
屋根の影。
酒場の窓。
通りを横切る人間の流れ。
完全に染み付いた癖だった。
ヴァレリアの視線が、ほんの少しだけ動く。
その変化へ、ジードも気づいた。
空気が変わる。
ほんの一瞬だけ、昔の夜営地みたいな静けさが落ちた。
その時だった。
奥の通りで怒鳴り声が響く。
男同士の揉め事。
酒瓶が割れる音。
周囲の人間が、さっと距離を取る。
その瞬間。
ヴァレリアが低く言った。
「右、二人追加」
ルシアンが反射的に動く。
クラリスは何も言わず、自然にヴァレリアの死角側へ位置を変えた。
ノルヴァルだけは串焼きを持ったまま、「おお」と感心している。
そして。
ジードだけが止まった。
煙草を持った手が、ぴたりと止まる。
細められていた目が、ゆっくり開いた。
今の言葉。
今の間。
今の報告の仕方。
昔、雪の戦場で何度も聞いた。
ジードが低く呟く。
「……は?」
ヴァレリアは揉め事の方を見たまま動かない。
だが、視線だけは周囲を測っていた。
男たちへ正面から向き合っているのに、身体だけはいつでも横へ抜けられる角度で止まっている。
訓練ではない。
実際に死地を潜った人間だけが持つ癖だった。
それを見た瞬間、ジードの脳裏へ遠い記憶が不意に蘇る。
血の匂い。
焚き火。
泥だらけの野営地。
雪の中で交わした短い報告。
そして、いつも無愛想な顔で壁際へ立っていた、一人の傭兵。
ジードはヴァレリアをじっと見つめる。
そして、小さく笑った。
だがその声には、さっきまでの軽さが少しだけ消えていた。
「お嬢ちゃん」
「なんだ」
「誰に教わった?」
ヴァレリアは、そこで初めてジードを見る。
真正面から。
数秒。
夜風が二人の間を抜けていく。
そして。
ヴァレリアの眉が、ほんのわずかに動いた。
喋り方。
空気。
立ち位置。
煙草の持ち方。
その全部が、遠い記憶の奥と重なる。
雪。
血の匂い。
焚き火。
馬鹿みたいに薄いスープ。
そして。
「……ジード?」
ぽつりと落ちた声に、ルシアンが目を見開く。
クラリスも静かに瞬きをした。
ジードは数秒止まり――次の瞬間、盛大にむせた。
「げほっ!? ごほっ!!」
煙草を落としかける。
「な、なんでそこでその名前出てくんだよ!?」
「やっぱりジードか」
「いや待て待て待て待て!!」
ジードが本気で混乱していた。
さっきまでの余裕が完全に消えている。
ヴァレリアは少し考え込み、小さく首を傾げた。
「……老けたな」
「会って一言目がそれか!?」
「あと背ぇ縮んだ?」
「縮んでねぇよ!!」
ルシアンがゆっくり顔を覆った。
嫌な予感しかしなかった。
ノルヴァルだけが妙に楽しそうに微笑んでいる。
「なるほど。これが“知り合い”ですか」
「説明しろお嬢ちゃん!!」
裏市場の喧騒の中。
死んだはずの戦場の記憶が、静かに蘇り始めていた。




