第7話 継承試験
石壁が閉じる轟音は、地下広間の空気ごと震わせた。
退路は消えた。
ゼノンは反射的に駆け戻り、閉ざされた入口の継ぎ目に手を当てる。冷たい。押しても引いてもびくともしない。神授魔法の簡易破砕を試そうとして、すぐにやめた。昨夜の石板と同じだ。下手に刺激すれば、今度こそ洒落にならない何かが起きる。
『継承試験を開始します』
感情のない声が、もう一度広間に響いた。
「誰だ」
問うても返事はない。
代わりに床の紋様が強く脈打ち、ゼノンの足元から金色の線が伸びた。一本、また一本と増え、それらは広間の中央へ向かって集束していく。巨大な紋様の中心、白い台座の前に、薄い光の膜が立ち上がった。
鏡のように平らな膜だ。
そこに、見覚えのある光景が映る。
「……村?」
井戸の上だ。
昼の光の下、村人たちが不安げに井戸を見つめている。ミラが縄を握りしめ、村長が祈るように両手を組んでいる。細部まで鮮明だった。まるで今、この瞬間の地上を覗き見ているかのように。
ゼノンの喉がひくりと鳴る。
次の瞬間、映像が歪んだ。
井戸の縁から黒い靄が溢れ出し、村へ広がっていく。さっきまで回復していたはずの村人たちが咳き込み、膝をつき、ミラが口元を押さえて倒れる。井戸の周囲で悲鳴が上がった。
「……っ!」
ゼノンは一歩踏み出しかけて、止まる。
偽物かもしれない。
試験と言った。ならばこれは幻か、あるいは精神を揺さぶるための何かだ。分かっている。分かっているのに、目の前でミラが苦しそうに喉を掻いている光景を見せられて、平然としていられるほど器用ではなかった。
『問い一』
声が落ちる。
『一人を救うために、百を捨てられるか』
広間の反対側にも光の膜が現れた。
今度は知らない光景だ。焼け落ちた村。瓦礫に埋もれた人々。倒れた兵士。空を覆う黒雲。遠くに巨大な影がうごめいている。中央には、まだ息のある幼子が一人だけ取り残されていた。
『あなたが今すぐ力を向ければ、片方は救える』
ゼノンは歯を食いしばった。
「ふざけた試験だな」
『両方は救えません』
「本当にそうか?」
『現時点の適合者能力では不可能です』
即答だった。
胸の奥が嫌な音を立てる。前世でも、この世界でも、選ばされる場面はいつもこうだ。限られた資源。限られた時間。誰を助けて、誰を切るのか。正しさの顔をした天秤に、人の命を載せて決めろと迫ってくる。
勇者パーティでもそうだった。
前衛を守るために後衛の補給を削る。
より重要な依頼のために辺境を後回しにする。
中央を守るために、小さな村を切り捨てる。
そして切り捨てられる側には、いつだって「仕方なかった」で済まされる。
『選択を』
ゼノンは光の膜の前に立ち尽くした。
ミラの青ざめた顔。
焼け跡の幼子。
どちらも、ただ助けを待っている。
呼吸が浅くなる。
心臓が嫌なほど速い。
「……嫌だ」
掠れた声が漏れた。
『選択を』
「嫌だと言ってる」
『選ばなければ、両方を失います』
その言葉に、胸の奥の何かが切れた。
「だからそれが気に入らないんだよ」
ゼノンは顔を上げた。
怒りだった。
静かな、だが底の深い怒り。
「なんで最初から“捨てる前提”なんだ。なんで選択肢が二つしかないことになってる。なんでお前らはいつも、誰かを見殺しにする理由を先に用意する」
光の膜は揺れるだけで答えない。
ゼノンは一歩、広間の中央へ踏み込んだ。
「一人を救うために百を捨てる? 百を救うために一人を捨てる? どっちも同じだ。捨てられる側にとってはな」
床の紋様が強く脈打つ。
『論理的回答を要求します』
「知るか」
吐き捨てた瞬間、ゼノンは胸の奥にある熱へ意識を向けた。
昨夜から分かっている。
この力は、聖典の術式みたいに決められた形だけでは動かない。祈り、願い、救われたいという感情。それに触れ、繋ぎ、流れを作る力だ。
なら、やるべきことは一つしかない。
奪って選ぶんじゃない。
繋ぐ。
ゼノンは目を閉じた。
地上の村人たちの気配を探る。
ミラの不安。
村長の祈り。
自分へ向けられた信頼と、助けてほしいという切実さ。
そして反対側の膜の向こう、焼け跡の幼子からも微かな願いの灯が立っている気がした。幻でも構わない。そこに“救いを求める意思”があるなら、力の流れは作れるはずだ。
「流れろ」
呟いた瞬間、床の導路が一斉に光った。
ゼノンの足元から伸びる金色の線が、二つの光の膜へ同時に枝分かれする。胸に鋭い痛みが走る。無理をしていると分かる。今の自分には荷が重い。だが止めるつもりはなかった。
『負荷超過を確認』
「黙れ……!」
ミラの方へ、焼け跡の幼子へ、それぞれ違う流れを意識する。片方は瘴気を祓う方向、片方は生命の灯を繋ぎ止める方向。神授魔法なら同時には無理だ。術式が違う。だが今の力はもっと曖昧で、そのぶん融通が利く。
問題は、自分の器が足りないことだった。
頭の奥が軋む。
視界が白く霞む。
それでもゼノンは歯を食いしばった。
「選ばない……」
「俺は、そういうのを……もう、見たくない……!」
その瞬間だった。
地上の光景の中で、ミラが井戸へ向かって叫んだ。
「ゼノンさん!」
ただ名前を呼んだだけだ。
だがその声に応えるように、胸の奥へ温かな熱が流れ込む。感謝や信頼ほど整ったものではない。もっと剥き出しの、「戻ってきて」「助けて」という真っ直ぐな願い。けれどそれが確かに、今のゼノンを支えた。
足りなかった器に、一瞬だけ余白が生まれる。
「――届け!」
金色の線が強く輝いた。
地上の黒い靄が、風に散る煙のように薄れていく。
焼け跡の幼子を包む光が、か細い呼吸を繋ぎ止める。
どちらの光景も、完全ではない。
だが、死にはしない。
少なくとも“片方を見殺しにする”結末ではなくなった。
広間が静まる。
光の膜がゆらぎ、二つの映像は霧のように消えた。
『回答を確認』
無機質な声が、初めてわずかに間を置いた。
『適合者は選別論理を拒否』
『代替経路の構築を優先』
『不完全ながら成立を確認』
ゼノンは膝をついた。
「……はっ、は……」
息が苦しい。
肺が焼けるようだ。
指先は痺れ、頭の中では鐘みたいな音が鳴っている。
広間の中央、白い台座の表面に新たな文字が浮かび上がった。
『導き手の素養を確認』
『第一封を解除します』
低い振動音とともに、台座の脇が横へ滑る。内部から現れたのは、掌ほどの透明な結晶だった。中に金色の筋が一本、封じられている。
ゼノンが警戒したまま見つめていると、声が告げる。
『原初導式・第一節』
『祈りの受信と分流に関する基礎権限を付与します』
「……権限?」
『適合者は未熟です』
『ゆえに制限下でのみ継承を許可します』
随分と偉そうだった。
ゼノンは毒づきたかったが、今はその余裕もない。結晶へ手を伸ばすと、拒絶はなかった。触れた瞬間、中の金色の筋が砕けて流れ込み、短い知識の断片が頭へ刻まれる。
祈りは一方的に受け取るものではない。
流れを整え、必要な場所へ分けることができる。
だが術者の欲が混じれば、流れは澱み、やがて“喰らう”力へ変質する。
昨夜感じた危うさの答えが、そこにあった。
「……便利な代わりに、最悪だな」
呟くと、広間の壁画の人物が、松明の光で一瞬だけ笑ったように見えた。
気のせいだと思いたかった。
『継承試験・第一段階を終了します』
閉ざされていた入口の石壁が、ゆっくりと開き始める。
『適合者ゼノン』
『次段階への進行資格を取得』
『ただし、深層への侵入は推奨されません』
「推奨されない、ね」
ゼノンは立ち上がりながら、口の端をわずかに歪めた。
「それを素直に聞くような性格なら、そもそもここまで来てない」
声は、それには答えなかった。
回廊へ戻る途中、白骨のそばでゼノンは一度だけ足を止めた。金属板も水晶板もそのまま残されている。持ち帰るべきか迷い、結局、水晶板を一枚だけ拾った。
そこに刻まれていた短い文が、妙に頭に残っていたからだ。
『祈りを喰らうな』
『祈りに応えよ』
地上への縄を掴む直前、ゼノンは振り返る。
祭壇は再び静まり返っていた。
だがもう、昨夜のように“分からないもの”ではない。
危険だ。
教会が隠した理由も分かる。
それでも、この力には確かに人を救う可能性がある。
問題は、その救いがいつ支配へ変わるのか、自分にもまだ分からないことだった。
縄を二度引くと、上から気配が動く。
ほどなくして、地上の光が近づいてきた。
「ゼノンさん!」
「無事か!?」
井戸の上から降ってくる声に、ゼノンは少しだけ目を細めた。
戻れば、また期待される。
また祈られる。
また、その力が自分へ流れ込む。
それが心地いいと思い始めたら、きっと危ない。
そう分かっているのに――
地上の光へ手を伸ばした時、胸の奥で灯る熱を、ゼノンは完全には否定できなかった。




