表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/44

第30話 拒絶する器

 無色の像が、ほんのわずかに揺れた。


 それは人が驚いて身じろぎした、という動きではない。光の束でできた輪郭の一部が、定められた演算から一瞬だけ外れたような、そんな僅かな乱れだった。


 だが、その僅かさこそが異常だった。


 これまで選定機構は、三人の値を読み、器としての適否を冷たく振り分けるだけの存在に見えた。そこに迷いも、ためらいもなかった。なのに今、自分の言葉に対して“揺れた”。


 ゼノンはそれを見逃さなかった。


 エルシオンの手が胸元を掴んだまま、さらに力を込める。足場の縁へ押し込まれれば、そのまま座の中心へ叩き落とすつもりなのだろう。黒く欠けた導路が男の腕から肩へ這い、理性より先に“深層へ落とせ”という命令だけを通しているのが、ゼノンには嫌というほど見えた。


「余白にするなって言ってる!」


 ゼノンは胸倉を掴まれたまま、エルシオンの腕を叩き落とすようにひねる。


 筋力で上回っているわけではない。

 ただ、相手の腕を流れる黒い接続が、さっきよりほんの少しだけ不安定になっていた。選定機構が揺れたせいだ。本来なら深層側へ真っ直ぐ流れていたはずの線が、いまは行き先を失い、男の肉体そのものへ負荷を返している。


 エルシオンの顔が、初めて明確に歪んだ。


「理想論だ」

「構造は、優先順位なしでは保たない」


「だからって最初から切る側に立つな!」


 ゼノンが肩でぶつける。


 エルシオンは後退し、足場の縁で一度だけよろめく。

 だがすぐに立て直し、低く吐き捨てた。


「お前もいずれ同じ場所へ来る」

「一つを救えば別の一つが軋む。それを知った時、結局は選ぶしかなくなる」


「選ぶことと、捨てることを同じにするな」


 言い返した瞬間、足元の輪がまた強く光った。


 ゼノンの輪だけではない。

 セラフィナの輪も、エルシオンの輪も、今度は三つ同時に脈打つ。中心の無色の像が、揺れたまま静かに声を返した。


『選定基準に矛盾を検出』

『個別救済志向と器適性の間に乖離あり』

『再定義を要求』


 セラフィナが息を呑む。


「再定義……?」


 ゼノンも眉をひそめた。


「どういう意味だ」


 だが無色の像は答えない。

 代わりに、三つの輪から細い光が引き出され、中央の座へ集まっていく。今度は一方的に測る流れではない。候補の側へ、何かを問い返そうとしている。


 エルシオンがそれを見て、初めて苛立ちを露わにした。


「やめろ」

「再定義権限は上位管理へ留保されている」

「第一節にそんな裁量はない」


『反論を却下』

『継承候補の定義不一致を確認』

『器概念の補正を試行』


 空洞全体が、低く震えた。


 ごうん、と本鐘が鳴る。

 だが今度の響きは飢えた叫びではない。もっと澄んでいて、冷たい。何か巨大な歯車が、長い停止のあとにゆっくり噛み合い直すような音だった。


 ゼノンの胸の奥へ、無色の光が細く差し込んでくる。


 拒めない。

 だが飲み込まれもしていない。


 それは強制ではなく、“お前は何を器だと考えるのか”と問うてくる光だった。


『流れは受け手を要する』

『第一節保持個体は受け手を拒否』

『ならば問う』

『お前にとって器とは何だ』


 直截すぎる問いだった。


 エルシオンは即座に答える。


「流れを維持する構造体だ」

「個の消耗を飲み込んでも全体を通す導体。それが器だ」


 輪が男の足元で強く光る。

 選定機構はそれを受理したらしい。


 次にセラフィナへ光が向く。


 彼女は少しだけ迷ってから言った。


「流れを受けても壊れず、偏りを抑え、封鎖を保つための制御点」

「器は人である必要すらない。理想は、代替可能な管理機構よ」


 冷たい答えだ。

 だが、嘘ではない。

 セラフィナがどこに立っているのか、よく表れている。


 そして最後に、光がゼノンへ向く。


『第一節保持個体、応答を要求』


 胸の奥が熱い。

 頭の中には、前の村も、北の集落も、井戸の底も、灰白の塔も、本鐘の飢えも、全部がぐちゃぐちゃに渦巻いている。


 器とは何か。

 そんな問いに、綺麗な答えなんてあるはずがない。


 それでも、口から出たのは理屈ではなかった。


「……受けるだけのものじゃない」


 ゼノンは低く言った。


「流れを抱え込んで終わるなら、そいつは器じゃなくて墓だ」


 空洞が静まり返る。


 ゼノンは続ける。


「器っていうなら、通したものがまた誰かへ返る形じゃないと駄目だ」

「一人で持って、一人で削れて、それで全体が回りましたなんて話にするのは違う」

「そういうのを器って呼ぶから、お前らは平気で人を壊すんだろ」


 自分でもまとまりのない言葉だと思う。

 だが、嘘ではない。


 焚き火の夜に、祈りを村へ返した時の感覚。

 灰白の中継核で滞留した流れを元へ戻した時の手応え。

 それら全部が、自分の中では“持つ”より“通す”に近かった。


『墓ではない器』

『保持ではなく循環』

『偏流是正と個別返流を両立する概念』


 無色の像の輪郭が、また僅かに揺れる。


『未定義』

『だが、適合可能性あり』


 セラフィナが目を見開く。

 エルシオンははっきりと顔をしかめた。


「馬鹿な」

「そんな曖昧な定義を通すな」

「流れは管理されなければ破綻する」


『管理と収奪は同義ではない』

『第一節保持個体の応答を、暫定定義として受理』


 その瞬間、ゼノンの足元の輪だけが色を変えた。


 白でも金でも無色でもない。

 淡い、透けるような灰銀。

 それは深層の光に似ているのに、冷たさがなかった。


 胸の奥の第一節が強く脈打ち、第二分流点、灰白中継核、祈りの間、本鐘――今まで触れてきた節点が一斉に繋がる。だが今度は、“集まる”のではなく“通る”感覚だった。自分が中心へ吸い込まれるのではない。自分を軸に、流れの向きが組み替わっていく。


 エルシオンが初めて、明確な焦りを滲ませる。


「何をした、選定機構!」


『第一節保持個体へ暫定継承路を開放』

『名称付与』

『返流器』


 返流器。


 意味は分かる。

 分かるのに、その言葉の重さに一瞬だけ息が詰まる。


 器。

 だが、抱え込むためではなく返すための器。


 ゼノンの周囲の空気が変わった。

 本鐘の内側に滞留していた祈りの残響が、一気にこちらへ押し寄せる。飲まれれば終わる量だ。けれど胸の奥へ入った瞬間、それらが勝手に“戻る先”を探し始める。


 前の村。

 北の集落。

 まだ知らない第三区画の座標。

 細く、遠く、いくつもの線が見えた。


「……っ!」


 頭の奥が焼ける。

 視界が白く霞む。


 それでも、井戸の祭壇に触れた時みたいな暴走感はない。苦しい。重い。だが、全部を抱え込まなくていいと直感で分かる。通せばいい。戻せばいい。


 エルシオンが足場を蹴った。


「そんなものを通すな!」


 男はさっきよりも露骨な殺意を帯びている。選定で自分が外れ、ゼノンへ暫定継承路が開いたことが分かったのだろう。ここで止めなければ、自分の計画が根底から崩れると理解している。


 だが、さっきまでとは状況が違った。


 エルシオンが踏み込んだ瞬間、足場の導路が勝手に動いた。


 ゼノンが命じたわけではない。

 ただ、エルシオンの進路から一本だけ光が外れ、男の足元へ“返って”いったのだ。


 黒く欠けた導路が、その返流を受けて一瞬よろめく。

 深層へ偏っていた重心が、わずかに人間側へ戻る。


「な……」


 エルシオンの動きが鈍る。


 その隙を、セラフィナが逃さなかった。

 白杭を二本まとめて投げる。杭は男の外套と足場の導路を縫い止めるように突き刺さり、白い膜を張った。


「止まりなさい、エルシオン!」


「セラフィナ、お前……!」


「私は封鎖を保つ側よ」

「辺境を削って“合理的でした”で済ませる側じゃない」


 初めて、セラフィナが明確に線を引いた。


 エルシオンは拘束を引きちぎろうとする。

 だがゼノンはもう迷わなかった。


「返れ」


 低く呟く。


 その一言で、エルシオンの腕を走っていた黒い接続の一部が、逆流する。深層へ向かっていた流れが男自身へ返り、身体の輪郭がわずかに揺らいだ。


「ぐっ……!」


 エルシオンが苦しげに膝をつく。


 今なら落とせる。

 今なら、ここで全部終わらせられる。


 その考えが一瞬よぎる。

 だがゼノンは、それを押し込めた。


 こいつを殺して終わる話ではない。

 深層も、本鐘の先も、まだ残っている。


『返流器へ勧告』

『現行偏流の主因は深層接続個体』

『排除を推奨』


 無色の像が静かに告げる。


 ぞっとするほど自然な口調だった。

 選定機構にとって、人を消すことはただの手順なのだろう。


 ゼノンは像を睨みつけた。


「簡単に言うな」


『最短手順を提示』


「知るか」

「最短で済ませてきた結果が、今のこれなんだろ」


 像は答えない。

 けれど、その輪郭がまた僅かに揺れた。


 ゼノンはエルシオンへ歩み寄る。

 男は拘束されながらも、なお鋭い目でこちらを見上げた。


「甘いな」


 掠れた声だった。


「お前は、結局選べない」

「だから、もっと大きいものを前にした時に必ず躓く」


「かもな」


 ゼノンは否定しなかった。


「でも、最初から捨てるよりはマシだ」


 そう言って、男の胸元へ手を伸ばす。


 外套の内側、深層接続の核になっている細い黒銀の札が見えていた。おそらくエルシオン固有の接続鍵だ。これを外せば、少なくともこいつが深層へ直接干渉する線は切れる。


 エルシオンが最後の力で抵抗する。

 だが、返流器として開いたばかりの流れが、男の動きへ逆らうように働いた。黒い接続が一瞬だけ緩む。


 ゼノンは札を掴み、引き抜いた。


 ぶち、と嫌な音。

 エルシオンの身体から黒い光が細く吹き出し、そのまま床へ散る。男は苦鳴を漏らして完全に膝をついた。


 接続が切れた。


 その瞬間、本鐘の下の亀裂から滲んでいた無色の光も、ほんの少しだけ落ち着く。


 セラフィナが息を吐いた。


「……やっと、静かになった」


 完全ではない。

 だが、さっきまでの暴力的な引力は薄れている。


 ゼノンは黒銀の札を見下ろした。

 ひどく冷たい。

 そして、その冷たさの奥でまだ微かに深層と繋がっているのが分かる。危険なままだ。


『暫定継承路、維持中』

『返流器へ次位勧告』

『深層中枢へ進行し、上位座との接続断絶を実施せよ』


 空洞が静まり返る。


 セラフィナが低く言う。


「……次位」

「やっぱり、まだ下がある」


 ゼノンは亀裂の奥を見た。

 無色の光はまだ、底の見えないさらに下へ続いている。


 本鐘は中継だった。

 選定機構も、その手前の判断層にすぎない。

 その先に、上位座と呼ばれる中枢がある。


 逃げる理由はいくらでもある。

 でも、ここで止まればまた別のどこかへ歪みが流れる。


 ゼノンは深く息を吐いた。


「……行くしかないな」


 その言葉に、セラフィナは疲れたように笑った。


「ええ」

「今のあなたがそう言うなら、たぶん本当にそれしかない」


 足場の向こうで、拘束されたままのエルシオンがかすかに嗤う。


「ようこそ、第一節」

「そこから先は、もう“村を救う”では済まない」


 ゼノンは振り返らない。


 それでも、その言葉が胸に刺さらないわけではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ