第17話 中継核の階
灰白の塔の内部は、外から見た以上に歪だった。
崩れた入口をくぐった瞬間、空気が変わる。森の冷たい湿気ではない。乾いているのに、肺の奥へ白い粉がまとわりつくような息苦しさ。壁は古い灰白石で組まれているが、その上から現代の封鎖術式が何重にも書き足されていた。聖典文字の整った紋様と、原初の導路を思わせる金色の筋が、無理やり同じ空間へ押し込められている。
見ているだけで気分が悪くなる混ぜ方だった。
「……本当に、まともな奴の仕事じゃないな」
ゼノンが吐き捨てると、前を歩く男がわずかに肩を揺らした。
「同感だ」
「だから止めに入った」
「失敗したくせに」
「否定はしない」
塔の内部へ入ると、男の歩き方はさっきより不安定になった。白く変質した右腕だけでなく、法衣の下の脇腹や首元でも光の筋がじわじわと増えている。原初の流れと現代術式の両方を浴び続けて、身体の境界そのものが曖昧になりつつあるように見えた。
死にかけている。
だが、まだ動いている。
ゼノンは油断なく男の背を見ながら、低く問う。
「名前は本当に思い出せないのか」
男は足を止めずに答えた。
「そこだけが切られている」
「記録処置か、自己防衛か……今となっては判別できない」
「だが、お前が知りたいのは名ではなく、誰の命令で動いたかだろう」
「分かってるなら話が早い」
男は短く息を吐いた。
「命令系統は中央直属」
「封鎖管理局第三監督班」
「ただし今回の再起動は、正式命令ではない」
ゼノンの目が細まる。
「独断か」
「半分は」
「残り半分は……上から落ちてきた“調査許可”を拡大解釈した」
曖昧な言い方だった。
責任の所在を自分でも切り分けきれていないのだろう。あるいは、そこまで明言すると本当に戻れなくなるのかもしれない。
通路はすぐに螺旋階段へ変わった。
塔は外から見れば上半分が崩れていたが、内側には下へ続く階段が生きている。石の手すりには古い欠け傷が無数にあり、その上へ新しい封鎖術式が白い塗料のように走っていた。途中、壁の裂け目から見える外の森は、白い粉の幕を通したように揺らいでいる。
下へ降りるほど、胸の奥の熱が重くなる。
「中継核ってのは、どんなものだ」
ゼノンが聞くと、男は少しだけ間を置いた。
「心臓に近い」
「ただし意思はない」
「本来は、流れを整え、分け、上位座へ必要量だけ通すための節点だ」
「だが再起動のあと、空いたままの容量へ周辺流路を無理やり噛ませた」
「その結果、中継核は“配る”より“集める”側へ偏った」
「それで第二分流点や井戸の下まで吸われたわけか」
「そうだ」
男の答えはよどみなかった。
自分が何をしたか、理解だけはしているらしい。
階段を降り切った先に、半円形の広間があった。
天井は低く、中央に円盤状の床が一段高くなっている。その上へ、四方から金色の導路が集まり、中心で白く濁った塊を形作っていた。水でも石でもない。光の泥としか言いようのない、半液体の塊だ。脈動するたびに内側から白い泡のようなものが浮かび、消え、また浮かぶ。
それが中継核だった。
周囲には現代術式の杭が八本打ち込まれている。杭同士を結ぶように白い線が走り、本来なら封じるための陣を作っているのだろう。だが線は途中で黒ずみ、何本かは逆向きに流れを引いていた。
「封鎖陣が、食われてる……?」
ゼノンが思わず呟くと、男が低く答える。
「食わせた」
「原初の流れだけでは起動が不安定だったから、現代術式を足場にした」
「最初は制御できていた」
「最初だけ、だろ」
返事はない。
中継核の周囲に立った瞬間、ゼノンは歯を食いしばった。
見える。
この塔へ集まってくる流れが。
前の村の井戸の下から漏れた歪み。
北の集落の分流点から吸われた痩せた流れ。
そして、もっと遠く――まだ行っていない場所からも、細く長い線が何本もこの中継核へ食い込んでいる。
辺境第三区画。
その意味がようやく輪郭を持って迫ってきた。
「一区画全部をつないでるのか」
「元はそうだ」
「封鎖前の原初導路は、もっと広かったはずだが……今残っているのは断片だけだ」
「それでも辺境の村々を維持するには十分だった」
「止まるまではな」
ゼノンは中継核から目を離さずに問う。
「何を調べたかった」
男の息が、少しだけ乱れる。
「原初導路の再利用性」
「封鎖維持のまま、上位座だけを限定起動できるか」
「……中央は、古い仕組みを捨てきれていない」
「捨てたふりをして隠してるだけか」
「そうだ」
あまりにあっさり認められて、ゼノンは逆に言葉を失った。
聖教会は原初魔法を禁忌とする。
人前ではそう説き、使った者を異端として裁く。
その裏で、自分たちは封鎖された施設を管理し、必要とあらば再利用まで検討している。
反吐が出る、という感想しか出てこない。
その時だった。
広間の壁の一部で、かちり、と小さな音がした。
ゼノンが振り向くより早く、男の顔色が変わる。
「伏せろ!」
瞬間、壁面に埋め込まれていた白い板が一斉に開いた。中から飛び出したのは矢ではない。細い白光の束だった。聖典の浄化術式に似ているが、もっと鋭く、もっと殺意に振り切れている。
ゼノンは反射的に床へ身を投げ出す。肩口を一本かすめ、焼けるような痛みが走った。背後で石が弾ける音。ミラの小さな悲鳴が階段の上から響く。
「ミラ、来るな!」
「でも!」
「上にいろ!」
男は白く変質した右腕で二本の光束を受け止めていた。肉でも金属でもないその腕が、白い火花を散らしながら裂けていく。
「監視機構だ」
「再起動で、まだ一部が生きていた……!」
「気づくのが遅い!」
「言うな!」
怒鳴り返す声に、ようやく少しだけ人間臭さが戻る。
光束は途切れない。中継核を守るように、広間の壁の各所から交差して放たれている。普通に突っ込めば蜂の巣だ。
ゼノンは床を転がりながら、壁と壁の間を睨んだ。
規則性がある。
単なる乱射じゃない。
通路と中継核の間に、一定の網を作って侵入を弾いている。
「タイミング制御か」
「そうだ……原初側の防衛じゃない。現代側の増設だ」
「私たちが足した」
「ますます最低だな!」
吐き捨てると同時に、ゼノンは胸の奥の第二分流点との接続を強めた。
中継核へ集まる流れ。
壁面の監視機構へ回る流れ。
それらは別に見えて、根は同じだ。
なら、一部だけを鈍らせることはできるはず。
問題は、中継核そのものまで巻き込まないこと。
崩せばここごと吹き飛ぶ。
ゼノンは呼吸を整え、意識を絞る。
中継核の白濁した脈動の外側、監視機構へ枝分かれしている細い線だけを見極める。怒りも苛立ちも邪魔だ。欲が混じれば、全部を奪いたくなる。そうなれば終わる。
「……返れ」
低く呟き、ゼノンは壁の一角へ手を向けた。
監視機構へ流れていた白い光が、一瞬だけ揺らぐ。
そこだ。
「右、三つ目!」
男がすぐに反応した。変質した腕を無理やり振り上げ、壁の白板を叩き割る。甲高い音とともに一基が沈黙した。光束の網に、わずかな隙間が生まれる。
「次は左奥!」
「分かってる!」
言いながら、男は明らかに無理をしていた。右腕の裂け目から白い粉がこぼれ、左足ももうほとんど引きずるようにしか動かない。それでも彼は中継核の前に踏み込み、二基、三基と監視板を潰していく。
ゼノンも流れを捻じ曲げ続ける。
額から汗が落ちる。
頭の奥が熱い。
第二分流点の制御権だけでは足りない。中継核そのものが持つ量が大きすぎる。
それでも、隙は広がった。
男が苦しげに言う。
「今だ……!」
「中継核の基部にある杭を抜け!」
「逆流の足場を断てば、少なくとも“集める”偏りは止まる!」
ゼノンは中継核の周囲を見た。
八本の杭。
そのうち三本が白く、五本がすでに黒ずんでいる。
全部は無理だ。
だが、偏流の中心になっているのは北東へ向いた二本と、井戸側へ食い込む一本。
どれを先に断つ。
迷った瞬間、中継核が大きく脈打った。
白い泥の表面に、一瞬だけ顔のようなものが浮かぶ。
泣き顔にも、笑顔にも見える無数の輪郭。
それがこちらを見た気がして、ゼノンの背筋が凍る。
「……っ」
祈りだ。
吸われた流れの残滓。
行き場を失い、中継核に滞留したものたち。
このまま放っておけば、もっと増える。
ゼノンは迷いを切り捨てた。
「北東からだ」
床を蹴り、一気に中継核の縁へ飛び込む。光束が肩を焼く。だが致命には届かない。手を伸ばし、黒ずんだ杭の一本へ触れる。
熱い。
いや、冷たいのかもしれない。
感覚がおかしくなるほど、そこには無数の“集める意思”がまとわりついていた。
抜け、と念じる。
喰らうな、返せ、と自分へ言い聞かせる。
「ぬ、け――!」
杭が、ずるりと抜けた。
同時に、中継核の一部がぐしゃりと形を崩す。
北東へ向かっていた太い流れが途切れ、塔全体が悲鳴みたいに鳴動した。
階段の上で、ミラが息を呑む音がした。
だがまだ終わらない。
残り二本。
ゼノンが次の杭へ手を伸ばした瞬間、背後で男の低い呻き声が響いた。
振り返る。
監視機構の最後の一基が、まだ生きていた。
白い光束が一直線に男の胸を貫いている。
男は立ったまま、その一撃を受けていた。




