第13話 封鎖未完の番人
石段の奥で何かが動いた気がした瞬間、ゼノンは呼吸を止めた。
灯石の淡い光は、数段先までしか届かない。白い石壁。細く走る金色の導路。乾いた黒い粉。そこまでは見える。だが、その先の暗がりにあるものの正体は、まだ輪郭すら掴めなかった。
耳を澄ます。
かり、と硬いものが擦れるような音。
続いて、低く鈍い振動。
獣ではない。
少なくとも、生きた肉の動きじゃない。
「……面倒だな」
小さく吐き捨て、ゼノンは足を一段ずつ下ろしていく。
石段は思ったより長かった。途中、壁面にいくつもの文字が刻まれている。灯石をかざすと、読めるものだけがじわりと浮かび上がった。
『第二導路保守路』
『分流点異常時、管理核へ接続』
『封鎖未完』
『補助機構、待機継続』
待機継続。
その文に嫌な予感が強まる。
完全に停止していない。
封じ損ねた何かが、ここでずっと“待っていた”のだ。
十数段ほど降りた先で、石段は小さな地下室へ繋がっていた。
広さは井戸の底の祭壇ほどではない。円形の部屋の中央に、低い台座が一つ。その周囲を囲むように、三本の太い導路が床を走っている。そのうち二本は干からびたように暗く、残る一本だけが異様に強く脈打っていた。北東へ向かう流れだ。
そして台座の前に、それはいた。
人の形に似ている。
だが人ではない。
白い石と金属で組まれた細身の躯体。膝をついたまま停止していたらしいそれは、ゼノンが部屋へ足を踏み入れた瞬間、ぎこりと首を上げた。顔にあたる部分には目も口もなく、ただ縦に細い溝が一本走っているだけだ。その溝の奥で、弱い金色の光が明滅していた。
守衛、という言葉が頭をよぎる。
『……適……合……者……?』
機械の擦れるような声が、地下室に響いた。
ゼノンは反射的に身構えた。
「喋るのかよ」
『認……証……照……合……中』
石人形のようなそれが、ゆっくりと立ち上がる。関節が悲鳴のような音を立てた。片腕は途中から砕け、胸部の一部には大きな亀裂が入っている。まともな状態ではない。だが、壊れきってもいない。
『第……二……補助……機構……保守……体……セ……ル……』
名乗った、らしい。
ゼノンは相手の動きを見ながら、足元の導路へ意識を向けた。北東へ流れる一本だけが異様に太い。残り二本は痩せている。つまりこの保守体は、どこかへ流れを優先供給し続けている可能性が高い。
「お前が吸ってるのか」
『供……給……継……続……』
『上位……座……命……令……優……先……』
上位座。
またその語が出た。
次の瞬間、保守体の胸の亀裂から金色の線が走った。床の導路と共鳴するように強く脈打ち、ゼノンの胸の奥の熱がひりつく。
『未……承……認……接……続……を……検……知』
『権……限……照……会……』
『……第……一……節……保……持……個……体』
細い溝の奥の光が、わずかに強くなる。
『な……ぜ……生……存……し……て……い……る』
「こっちが聞きたい」
答えながら、ゼノンは少しだけ安堵した。
敵意はあるかもしれない。
だが今のところ即座に襲ってくる様子はない。むしろ、権限の照合に引っかかって迷っているように見える。
なら、会話できる。
「この集落の流れが枯れてる。お前が上位座へ流しすぎてるからだろ」
『規……定……供……給……量……を……維……持』
『偏……流……は……上……位……座……損……耗……防……止……の……た……め……必……要』
「必要、ね」
ゼノンは眉をひそめた。
「周辺が枯れてもか?」
保守体は一瞬だけ沈黙した。
そして、壊れかけた声で返す。
『周……辺……供……給……優……先……度……低』
『上……位……座……保……全……最……優……先』
その言葉に、前世の嫌な記憶が唐突に蘇る。
現場は削っていい。
末端は後回しでいい。
重要な中枢さえ守れれば、周囲の消耗は“必要な犠牲”だと切り捨てる声。
教会のやり方と、何も変わらない。
「ふざけるな」
ゼノンの声が低く落ちる。
「ここで生きてる連中にとって、自分たちが“優先度低”で済まされる筋合いはない」
胸の奥の熱が、怒りに反応するように脈打った。
危ない、と理性が告げる。
感情をそのまま力へ混ぜれば、流れは濁る。
ゼノンは歯を食いしばって、それを押しとどめた。
保守体が一歩、こちらへ近づく。
『第……一……節……保……持……個……体……へ……通……達』
『分……流……点……へ……の……干……渉……は……禁……止』
『上……位……座……維……持……の……た……め……服……従……せ……よ』
「断る」
即答した瞬間、保守体の光が赤みを帯びた。
『拒……否……を……確……認』
『権……限……競……合……発……生』
『補……助……機……構……に……よ……る……排……除……を……開……始……』
「やっぱりそうなるか」
保守体の足元から、床の導路が一斉に光った。
次の瞬間、三本の細い金線が鞭のように跳ね上がり、ゼノンへ襲いかかる。神授魔法の障壁を咄嗟に張るが、金線はそれを薄紙みたいに裂いた。普通の術式では止まらない。
ゼノンは横へ転がってかわす。肩先をかすめた一撃だけで、法衣の布が焼け焦げた。
「っ……!」
強い。
だが、井戸の祭壇ほど理不尽ではない。
見れば、金線はすべて床の導路に繋がっている。つまりこいつ単体の力ではなく、分流点そのものを武器にしている。
なら、断てばいい。
ゼノンは片手を床へ叩きつけ、地下で得た第一節の感覚を思い出した。
受信。
分流。
そして、導く。
目の前の金線は“上位座へ送るための流れ”を一時的に戦闘用へ転用したものだ。ならば本来の分流へ戻してやればいい。
「返れ」
短く呟き、ゼノンは一本だけ金線の流れへ意識を割り込ませた。
抵抗がある。
強引に引かれる力。
だが、その奥に確かに“分流点としての正しい形”が残っている。
線がぶれる。
保守体の動きがわずかに止まった。
『接……続……干……渉……を……検……知』
「お前、壊れてるんだよ」
ゼノンは床を睨みつけたまま続ける。
「だから命令だけ守って、周りを全部削ってる。正常な分流を忘れてる」
『保……全……最……優……先』
『保……全……最……優……先』
『保……全……最……優……先』
壊れた祈祷みたいに同じ言葉を繰り返しながら、保守体がもう一度金線を放つ。今度は二本同時だった。
ゼノンは一方をかわし、もう一方を腕で受ける。焼けるような痛み。だがその一瞬、流れの芯が見えた。
奪うのではなく、戻す。
喰らうのではなく、整える。
「そこだ……!」
痛みに顔を歪めながら、ゼノンは金線を逆向きへ捻った。
ぶち、と何かが切れるような感覚。
北東へ偏っていた太い流れの一部が、二本の痩せた導路へ押し戻される。地下室全体が震え、水の流れるような音が壁の向こうで一斉に走った。
保守体が膝をつく。
『供……給……率……低……下』
『上……位……座……か……ら……の……再……帰……要……求……』
『再……配……分……を……開……始……』
赤みを帯びていた光が、再び鈍い金色へ戻った。
部屋の外、石段の上の方から、誰かの足音が聞こえた。
「ゼノンさん!」
ミラの声だ。
「来るなって言っただろ!」
「ごめん、でも一人じゃない!」
次の瞬間、石段の入口から集落の長と若い男が顔を出した。灯りを掲げている。水が急に増えたことで異変に気づき、追ってきたのだろう。
ゼノンは舌打ちしかけて、やめた。
ちょうどその時、地下室の床を走る導路が再び脈打ち、今度はさっきまでとは違う模様を描き始めたからだ。
部屋の中央、台座の表面に文字が浮かび上がる。
『第二分流点・暫定復旧』
『偏流率低下を確認』
『上位座異常、継続』
そこまでは予想通りだった。
だが次の行で、ゼノンの目が止まる。
『上位座異常原因』
『人為的再起動反応を検知』
地下室の空気が、一瞬で冷えた気がした。
「……人為的?」
保守体が、壊れたままの声で答える。
『七……十……二……日……前』
『外……部……権……限……侵……入』
『上……位……座……再……起……動』
『第……二……保……守……体……へ……過……剰……供……給……命……令……』
自然災害でも、古代の故障でもない。
誰かが意図して、上位座とやらを起こした。
その結果、この集落は枯れ始め、前の村の井戸でも封が緩み、周辺の流れが歪み始めた。
ゼノンの胸の奥で、熱が重く沈む。
教会か。
それとも別の誰かか。
まだ分からない。
だが一つだけ確かなことがあった。
自分が足を踏み入れたこの異変は、ただ昔の遺物が壊れただけの話じゃない。
今、この時代の誰かが動かしている。
石段の上で、ミラが息を詰めたままこちらを見ている。
集落の長も、若い男も、意味までは分からなくても、ただならない空気だけは感じ取っていた。
ゼノンはゆっくりと台座の文字を見つめた。
上位座異常。
人為的再起動。
七十二日前。
線が、また一つ繋がった。
そしてその線の先には、もう偶然では済まされない“誰かの意志”がある。




