第一章‐12
「サモスタルコス様」
スラッグが声を張り上げて歩く向きを変える。その先には一人の男がこちらに向かって歩いてきていた。
「スラッグ、アテラ、そして……君は見ない顔だ、新しい民なのですね、よく来てくれました。私はサモスタルコス。ここで神の声を届けるために体を捧げています」
橙色が混じった白い衣装を纏った老齢の男が神の代弁者、いや違う、漢字での目的言語が分からないため固有名詞のまま考えよう。彼がコードペイター、サモスタルコス。
「あなたはどこからいらしたのですか、そこではどなたがコードペイターをしておられましたか」
コードペイターについての説明からして、選ばれた少数ではあっても彼らは普通の人間に過ぎない。俺が一体どのような存在かなど分からないだろう。
「俺はコウと言います。昨日目が覚めたら森の中にいて、それ以前の記憶がないんです。なのでコードペイターは勿論太陽神も知りません」
俺は正直に自分の事を簡潔に話した。別に隠す事ではない。それを聞いたサモスタルコスは目を見開いたと思うと俯いてとても辛そうな表情になった。
「記憶がない……それはさぞお辛いでしょう。思い出を失った事は体の一部を失った事と同じくらいの痛みを伴います。自覚がなかったとしてもそれは心を強く蝕み平穏を崩すかもしれません。そうならないためにも神の声を聞くべきです」
彼はとても真摯に俺の境遇を悲しんでいるように見えるし実際そうなのかもしれない。けれど酷い宗教勧誘を受けているような気分になった。
「ではサモスタルコス様、太陽神様の声をお聞かせください」
スラッグは彼の前では妙に畏まった口調をしていて、先程までとの違いにおかしく感じてしまう。
「ええ、勿論。新たな民に興味を示しているようです」
サモスタルコスは、両手を開き、まるで何かが降りてくるのを待つかのように目を閉じる。そしてそれは、まるで、などという比喩ではない。彼が再び目を開けるとその表情は同一人物のものとは思えない程、顔の筋肉の使い方が違った。まるで別人のように。
「我は太陽神。下の世に存在する地を照らしたる唯一無二の光である」
先程まで発せられていたサモスタルコスの声とは違う、脳に直接浸透するかのような、人間ではない別種の声のようだった。何故だ、たかが声で、ここまで異質なものに変えられるとは想像だにしていなかった。その声は気色悪いくらいに人間離れしている。サモスタルコスの体から発せられる声はサモスタルコス本人の声ではないものの、普通の声だ。しかし、それにエフェクトがかけられているかのように様々な音が重なり、異質となっている。その異質さは理解が追い付かない。これが超常の存在だというのか。
「下の世に紛れ込みし新たなる人の子よ、この輝きに満ちし巧妙たる太陽世界へ招かれた事を喜ばしく思う。下の世では森に多様なる命が生を育む。時には人を脅かし恐怖を与えるのかもしれない。しかしそれは生けるものの宿命であり、異常ではない。森と、多様なる命は保たねばならない永久の存在である。そしてお主ら人も同様。森の命を狩りつくし、人と人が争い合うことは絶対に避けなくてはならない定めである」
神と名乗る、サモスタルコスの体はこの街における掟のようなものを語る。それは妙に言い回しが独特で分かり辛い事この上なかったが、要するに節度を守って平和的に過ごせ、ということだ。サモスタルコス、いや便宜上、太陽神と呼称しよう。太陽神は俺の目をじっと見つめ、口を開く時を待っていた。どのような言葉を並べる存在か、確かめたいのだろう。なら最大の親しみを込め、笑顔で口を開く。
「ルールを守らなければこの街で生きる資格はない、というわけですよね、でしたら何の不都合もありませんよ。太陽神様のおっしゃるような事は禁じてしかるべき事柄ですから。わざわざ破るような悪意は自分の中にはありません。この街の民として、平和的に過ごし、共に手を取り合える絆を築いていくことを誓います。怪しい、とは思いますけれどね」
狩り尽くしたり、争ったり、そんな恐ろしい事、やろうだなんて考えていない。
食事に必要なだけ、あるいは店に並べる、武器を作るだけのモンストラクターを狩る。それがヘリオスでのルール。過去の事は分からないが、今持っている思考からして俺は平和主義者だ。ちょっとした喧嘩が起きても、血なま臭い争いへ発展する前に笑って済ませられるような、そんな寛大な心を持っていると信じている。平和に、安全に、笑って楽しく暮らしていく事が過去を失い、新たな生活を形成する事への目標だ。
「コウ、と言う名であったか。記憶がないことによる苦しみは多いであろう。しかしそれに屈せず自らの美しい強き意志を保ち、より良い生きる道を選ぼうとする事は素晴らしき心がけである。世界には悪意に満ち満ちた意志が数多く存在し世界を脅かす。我は世界を照らしたる絶対神であれども、心までも照らす事は叶わないのだ。その中で素性が知れずとも善意の意志を持つコウは喜ばしい。迷い込んだ事を感謝する」
名乗っていないのに何故名前を、と思ったがサモスタルコスに名乗っていたんだった。実際に太陽神だとして、体を使っている事から記憶を共有したりしているのだろう。それとも空から眺めているとか。細かいことはさておき、太陽神が俺の事を認めるどころか感謝した事に驚く。それ程世界には悪意が蔓延っているということなのか。それは確かにそうだ。知識上の日本でも、世界では平和な国とされていても悪意は多数存在する。俺は運よくスラッグ、アテラという善意の塊としか思えないような人に助けられたが、運が悪ければ悪意が俺の元に来たのかもしれない。ともすれば世界を統べる太陽神からすればヘリオス、いや世界には相当数の悪意が存在する事だろう。そう考えると見知らぬ善意が現れれば嬉しいと思うのは不思議ではない。恐らく俺は無神論者ではないが、頭から太陽神を肯定する気はなかった。逆に否定する気もない。故に、太陽神の言い分を聞き、共感できる部分があった事で信じようという気持ちが芽生える。イコール神の存在を信じる、という事ではないものの、神が実在するという情報から来る胡散臭いイメージは払拭できた気がした。
「太陽神様。実のところ神というものに疑いの目を向けていたのですが、あなたの言葉を聞いて、その考えを改めました。自分に対して感謝してくれた事、こちらこそ感謝しきれない思いです。これからも、末永く認知していただければ」
しかし。太陽神の言っている事は俺の考えからすれば正しい事だし、何も問題はない。それなのに思考の奥で気持ち悪いものが燻っているような感覚があった。これは一体なんなのだろう。
「再び会いまみえる時を待ち望んでいる」
太陽神はそう言うとサモスタルコスの体から消えた。それまで神々しさを纏っていた空気が綺麗さっぱりと消え去った。目の前にいるのは本来の持ち主であるサモスタルコスだ。




