第5話 現代視覚文化研究部
水田さんの実家のパンを報酬に、VTuber活動について少しアドバイスをする。
そんなささやかな取引が成立してから三日が経った。
(意外とあれから何も聞いてこないな)
正直、質問攻めにしてくるかと思っていた。
こっちはそれなりに覚悟して、水田さんの配信を見返したり、下調べまで済ませておいたのに。
もしかして、あのあと母親に怒られたのだろうか。
許可も取らず、店のパンを勝手に条件にしたのだから。
(まあ、別にいいけど)
パンに釣られたとはいえ、正直また結衣の二の舞になるんじゃないかという不安もあった。
当然、あの時ほど深く肩入れするつもりはない。
それでもまた「もう必要ない」と突き放されるんじゃないかと思うと、胸がざわついていた。
昼休みになると、僕は後ろを振り返った。
「山本、学食行こう」
「あ、悪い。今日は彼女と昼飯の約束があってさ。弁当作ってきてくれるんだって」
「何言ってんだよ。今の彼女は他校だって言ってただろ」
「それは前の彼女」
いや、たった数日で変わってんのかよ。
一体こいつにとって恋人って何なんだ。
恋人を日替わり定食か何かだと思ってるんじゃないか?
ツッコミを入れる間もなく、山本は席を立ち、風のように教室から消え去っていった。
(仕方ない、今日は一人で食うか)
僕も席を立ち、学食へ向かうため教室のドアに近づいた。
廊下に出ようとした、まさにその瞬間だった。
「うわっ!?」
突然、背中のシャツをぐいっと引かれ、危うくつんのめりかけた。
反射的にムッとして、勢いよく振り向いた。
「水田さん……?」
「あ、あのっ、す、すみません。力加減を間違えちゃったみたいで」
いや、異能バトル物のキャラかよ。
「あ、あのっ、も、もしかして今お忙しいですか……?」
「いえ、別に。どうしたんですか?」
「そ、その、例の件でお願いしたいことがありまして」
例の件?
あ、VTuberのことか。
教室で堂々と話すには、ちょっとまずいな。
「ああ、分かりました。じゃあ、部室に行きましょうか」
「え? ぶ、部室ですか……?」
「はい、えっと……たしか、現代視覚文化研究部だったはずです」
「え、なんだかすっごく難しそうなことしてる場所じゃないですか……?」
「ただのオタク部ですよ。昔の漫画の名前から取ったらしいです」
実際のところ、この部はどうにか存続しているだけで、僕を含め大半が幽霊部員だ。
うちの学校のオタクは大体、漫研に流れるらしい。
部室に着くと、案の定ドアが開いていた。
「おやまあ、小町くんじゃないか」
「部長、今日も一人ですか」
現視研の部長は今日も、昼飯代わりの焼きそばパンをかじりながら、テーブルに足を投げ出していた。
……頼むからスカートであんなに堂々と脚を投げ出さないでほしい。
あと、巨乳だからってスマホを胸の上に置くのもやめてほしい。
いくら普段は誰も来ないからって。
「今日もBL漫画読んでるんですか」
「違うけど? テルコちゃんのアーカイブ見てるけど?」
「……」
ああ、そうだった。
僕が部長にまで布教してしまったんだ。
こんなところにまで、その痕跡が残っているとは。
僕が思わずため息をつくと、部長は首だけをぐいと後ろに反らし、ようやくこちらを見た。
「ん〜? へえ、珍しいね。小町くんが結衣ちゃん以外の女の子を連れてくるなんて」
「あ、部長……。実は僕、結衣に告白して振られたんですよ。だから、その話はできれば……」
「え? 振られた? え?? マジで??」
「はい……」
部長は、信じられないというように目を丸くした。
「結衣ちゃんも本当に馬鹿だねえ……。小町くんを振るなんてさ」
「まあ……。仕方ないですよ。僕以外に好きな男ができたって言ってたし」
「で、さっそく次の女の子に乗り換えたってわけか」
「違いますから!?」
本人の目の前で何を言ってるんだ。
ほら、水田さんも驚いて、指先をもじもじさせながら顔を真っ赤にしてるじゃないか。
「水田さんからも一言お願いしますよ。全然そういうのじゃないって」
「あ、は、はい……! その……。知り合ってまだ日は浅いですけど、小町さんはそんな男の子じゃないと、お、思います……。最初に突然、家まで押し掛けてきた時はびっくりしましたけど……」
「へえ、突然女の子の家に……」
「いやいや、水田さん。なんか言い方がおかしいですよ」
水田さんの家には、一歩も入っていないのに。
僕は慌てて話題を変えた。
「とにかく部長、水田さんと二人で話したいことがあるんです。少し席を外してもらえませんか?」
「仕方ないね〜。話すだけだよ? 変なことしちゃ駄目だからね?」
「するわけないでしょ! 早く出てください、セクハラ部長!!」
そもそも僕がこの部に入ったのは、昼休みに結衣と二人きりでVTuberの話ができる場所が欲しかったからだ。
だから部長と取引をした。
僕と結衣が幽霊部員として名義を貸す代わりに、使いたい時だけ部室を空けてもらえるようにしたのだ。
「さて、部長も出ていきましたし、楽に座ってください。これから学校でV関係の話をする時は、ここを使えばいいですよ」
「あ、はぁ……。でも、一つ気になることがあって……」
「はい」
水田さんは、僕の顔色をちらちらと窺った。
「ほ、本当に部室で、え、エッチなことってするんですか?」
「知りませんよ。少なくとも僕はしたことないです」
そもそも童貞だし。
彼女は指先をもじもじさせながら、なぜかますます頬を赤らめた。
「で、でも、ここ、私と小町さんの二人きりですし、こ、小町さんさえその気になれば……」
「いやいやいや」
なんてことを言い出すんだ。
いや、確かに。突然、女の子を誰もいない部屋に連れ込んだら、変な意味に受け取られかねない。
けどこれは、あくまで教室で堂々とVTuberの話ができないからだ。
「まったくそういう気はこれっぽっちもないんで、安心してください」
「そ、そうですよね……。分かりました……。す、すみません、急に変なこと言い出しちゃって」
「いえ、僕が少し無神経だったみたいですね。前もって言っておけばよかったです」
「じ、実は私、下ネタとかもす、好きで……。うへ、うへへ……」
「……」
水田さん、良くも悪くもクセが強いな。
「それで、どうしたんですか?」
「え?」
「いや、水田さんが突然僕を捕まえたんじゃないですか。お願いしたいことがあるって」
「あ、そ、そうでした」
まさか、ここに来るまでの数分で忘れたのか。
「そ、その、この前、小町さんにすすめられた通りに、ダイナミックマイクを買ったんですけど……」
「あ、はい」
「ダイナミックマイクも高いんですねぇ……。お母さんからお小遣い前借りしちゃいましたぁ……。これから数ヶ月、私、もう一文無しですよぉ……」
「あ、はい……」
これだけか?
ただの愚痴を言いたくて呼んだのか?
そもそも、手持ちのコンデンサーマイクを中古で売れば、多少は足しになるんじゃないか?
しかし、どうやら本題は別だったらしく、水田さんが言葉を継いだ。
「そ、それでですね、小町さん」
「はい」
「わ、私の家に来てくださいぃ……!!」
「……はい?」
なんで?




