第4話 何も知らないパン屋の娘
水田さんを家に上げた。
とはいえ、通したのは自室ではなくリビングだ。
それでも、結衣以外の女の子がうちにいるのは、なんだか不思議な感じがした。
「何か飲みますか?」
「そ、それじゃあコーヒーで……。ミルク多めで、すっごく甘くして……。あ、できればアイスで」
「あ、はい」
注文が多いな。
まあ、別にいいけど。
冷蔵庫から水出しコーヒーを取り出して、グラスに注いだ。
言われた通りに氷とミルクを加え、ガムシロップもたっぷり入れて、彼女の前に置いた。
「お、おいしいです……! これ、自分で作ったんですか」
「ええ、まあ、そんなところです」
時間がかかるだけで、作るのはそれほど難しくない。
一度仕込めば数日は持つ。
もっとも、普段飲んでいるのは僕より父さんの方だが。
(やっぱり水田さん、可愛いんだよな)
ボサボサの前髪に隠れてはいるが、よく見れば美少女と呼べる要素は揃っていた。
白く滑らかな肌。長い睫毛に縁取られた大きな瞳。すっと通った鼻筋、薄紅色の柔らかそうな唇――。
いや、今はこんなことを考えてる場合じゃない。
「それで水田さん、話って?」
さっき玄関先でも聞いたけど。
「あ、は、はい……。その……。昨日は本当にす、すみませんでした……」
水田さんが深く頭を下げた。
いや、ここまで大げさに謝ってほしかったわけじゃないんだけど。
実際、僕が注意してからはそこまでうるさくなかったし。
「あの、これ、母がやってる店のパンなんですけど……」
そう言って水田さんが紙袋を一つ差し出した。
視線を落とすと、隣町にある有名なパン屋の袋だった。
ということは――
「水田さんのお母さん、パン屋をやってるんですか」
「はい……。母の唯一の取り柄なので、味だけは保証します……」
唯一の取り柄って、言い方がひどくないか。
ともあれ、味の評判はかなりのものらしく、いつも行列ができている店だ。
「いただきます。昨日は僕も突然押しかけてすみませんでした」
「い、いえ……でも本当にびっくりしたんです。まさか底辺の私を狙うストーカーがいるなんて思って……!!」
水田さんが身震いした。
よっぽど怖かったらしい。
……確かに、そこは僕が悪かった。
少しうつむいたまま、彼女は言葉を継いだ。
「でも、やっぱりストーカーじゃなかったんですね。考えてみれば当然です。私みたいな底辺を追いかける人なんていませんし、どうせストーカーだって有名な大手に行くでしょうし」
「そうとも限りません。気をつけるに越したことはないし、配信でプライベートな話は控えた方がいいです」
「そ、そうですかぁ……?」
「ええ。下手したら特定されることもありますから」
そもそも、わざとJKアピールをする気がないなら、自分が学生だと明かす必要すらないのに。
「そ、それなら何を話せば……? ゲームの前に雑談はしなきゃいけないじゃないですか。今日見たお花、とか……?」
「別に花である必要はないですけど、花の話も避けたほうがいいです。種類や咲く時期だけでも、地域は絞れますから」
「ひえっ……」
水田さんの顔が青ざめた。
これ、絶対に花の話をしたことあるな。
まるで典型的な初心者配信者を見ている気分だ。
結衣に最初にいろいろ教えた時のことを思い出した。
「じゃあ一体何を話せばいいんですか……?」
「できるだけ地域性の出ない話題にするといいですよ」
「地域性を……。コンビニとか?」
「それもあまりよくないですね。地域によって展開しているチェーンが違いますし、商品のラインナップから店舗のある地域を推測されることもあります」
「ひえっ……。それじゃ天気くらいしかないじゃないですか」
「天気ほど地域性がはっきり出る話題もありませんよ……」
水田さん、知らなさすぎるだろ。
よくこの状態で一年以上も続けてこられたものだ。
もしかすると、これまで底辺だったからこそ、かえって問題が起きずに済んでいたのかもしれない。
「全国的に話題になっていることを、適当に雑談のネタにすればいいんです」
「全国的に話題になってることですか? ニュ、ニュース?」
「一応言っておきますけど、政治や時事ネタは完全にNGですからね」
「そ、それくらいは私でも分かってます……!」
ならよかった。
「最近SNSやユーチューブで見かけた話題とか、好きなアニメやゲーム、映画のニュースなんかですね。そういうのは地域に関係ありませんから」
「あ、な、なるほど……! 私、雑談だから当然自分の話をしないといけないんだと思ってて……」
「日記じゃないですから。もちろん、ニュースみたいに事実だけを伝えるのが目的じゃないですよ? その話題に対して、水田さんがどう反応するかを見せるんです。どんなふうに楽しみにしているのか、とか」
「な、なるほど……」
水田さんは突然スマホを取り出すと、タタタッとせわしなく指を動かし始めた。
メモを取っているのだろう。
にしても、打つのがめちゃくちゃ速いな。
「あと、一つだけ言うなら、今コンデンサーマイクを使ってますよね?」
「こ、コンデンサー……? それって何ですか」
「……いや、マイク自分で買ったんじゃないんですか」
「買ったのは買ったんですけど、中古サイトでVTuber機材セットって出ていたものを適当に買ったので、正直よく分からなくて。セッティングも何が何だかちんぷんかんぷんで、結局、出張対応の業者さんを呼んだんです。すっごく高かったです……」
「それじゃあ、機材トラブルが起きても、自分ではまったく対応できないんですか」
「はい……」
せめて自分の機材が何でできていて、どう繋がっているかくらいは把握しておいた方がいい。
リスナーがコメントでアドバイスしてくれるかもしれないし。
「とにかく、たぶん今はコンデンサーマイクを使っているんだと思います。けど、部屋の防音はまったくできてないですよね」
「はい、防音って、すっごくお金がかかるから……」
「ええ。だからまずはダイナミックマイクに変えて、セッティングも見直して、余計な環境音を拾いにくくしたほうがいいですよ」
そうすれば選挙カーや防災無線の音が配信に乗って身バレする事故はかなり減らせる。
もちろんそのぶん、声をしっかり拾うためマイクへの角度や距離にはシビアになるが。
「なんだかその……。えっと、お名前が……」
「……小町翼です」
「す、すみません。私、人の名前を覚えるのが苦手で……。と、とにかく小町さん、なんだかこういうことに詳しいんですね。も、もしかしてこの業界の人とか……?」
この程度なら、ネットで少し検索すればいくらでも出てくる。
まあ、結衣の件があって、他の人より妙に詳しくなったのは事実だ。
今となっては苦い記憶だけれど、誰かの役に立つなら、悪いことばかりでもない。
「いえ、そういうわけじゃないです。昔、VTuberになりたがっていた知り合いを少し手伝ったことがあって。その時に覚えただけです」
「な、なるほど……! ある意味、経験者なんですね……!」
僕の話、聞いてたか?
「そ、それじゃあ小町さん、配信で何かうまくいかない時に、こんなふうにちょっと相談しに来てもいいですか……?」
「うーん……」
「も、もちろんお母さんのパン、たくさん持ってきますから!」
「あ、じゃあよろしくお願いします」
「VTuber本人より、うちのお母さんのパンのほうが魅力的なんですね!? 分かってますけど! これでもVTuber本人なのに! いくら底辺でも!!」
水田さんはがっくりと肩を落とした。




