第46話 遠足①
翌日。
今日は学校へは行かず、遠足の集合場所へ直接向かうことになっている。
芽生と一緒に準備を済ませ、駅へと向かった。
「へへ、へへへ……。なんだかこの前、ネズミーランドに行った時みたいですねぇ……!」
今日もまた、彼女は僕の袖を掴んでいた。
ひょんなことから僕が彼女を下の名前で呼び、タメ口で話すようになってから生まれた変化の一つだ。
僕はふと考えた。
「芽生も、もうそろそろ僕にタメ口で話してもいいんじゃない?」
相変わらず彼女は僕に敬語を使っている。
クラスメイトで友達同士なのだから、前のようにお互い敬語ならまだしも、片方だけがタメ口なのはどうにも不自然な気がする。
「だ、ダメですぅ……!」
「え? ダメって?」
断られるにしても、せいぜいタメ口に慣れていないとか、その程度の理由だと思っていたのだが。
「こ、小町さんは私にとって神様なんですぅ……!」
「いや……」
仮にそうだとしても、当の僕がこう言っているのだから、言う通りにすべきではないだろうか。
だけど芽生は気にする様子もなく、言葉を続けた。
「私は小町さんを目上として敬い、小町さんは私を目下として軽くあしらう……! それがゾクゾクして気持ちいいというかぁ……!!」
「……」
結局、自分の好みに合わせてロールプレイを楽しみたいだけなのか。
芽生は地味にこういうのが好きみたいだし。
妙なところで意地っ張りなんだよな。
「だったらせめて、名前で呼んでよ。僕だけが名前で呼んでると、周りに変な誤解されるかもしれないから」
「ご、誤解ですかぁ……?」
「うん。僕だけが一方的に親しいふりしてるみたいに見えるだろ」
「た、確かにぃ……。そ、それじゃあ——」
芽生が僕をチラチラと見上げてきた。
「翼さん……と呼べばいいでしょうかぁ……?」
名前で呼ばれた瞬間、思わず肩がビクッと跳ねた。
自分で要求したことなのに。
なんだこれ、思った以上に破壊力があるぞ。
「う、うん。まあ、さん付けも外してくれれば嬉しいけど」
「だ、ダメですぅ……! 様付けならともかくぅ……!!」
「……頼むから、様付けだけは勘弁してくれ」
神様扱いなんて、誰が聞いても理解できないだろうから。
◇
現地で点呼を終えると、すぐに班ごとの行動が始まった。
芽生と同じ班の女子二人が、僕と山本の方へ歩いてきた。
……いや、正確には、女子二人の視線は山本にだけ注がれていた。
芽生が僕のシャツの袖を掴みながら話しかけてきた。
「翼さん、これからどこに行くんですかぁ……?」
「ん? いや、この前みんなで話し合っただろ」
「わ、忘れちゃいましたぁ……」
「……」
まあ、ほとんど僕一人で計画を立てたようなものだけど。
「とりあえずミュージアムから回るよ。この地域の文化を体験するコースにしたから」
「そ、そうなんですねぇ……! へへ、楽しみですぅ……!」
僕たちはさっそく、ミュージアムへ向かった。
女子二人は山本にべったりと張り付いて、アピールに忙しそうだった。
おまけにお互いへの牽制も忘れない。
だが山本は少し面倒くさそうな顔で、まとわりつく女子二人には適当に相槌を打つばかりで、代わりに僕に話しかけてきた。
「へえ、なんだお前ら。いつの間にか小町も水田さんを名前で呼んでると思ったら、水田さんも今日からそう呼ぶようになったんだな」
……なんでわざわざそこに触れるんだよ。
「まあ、それだけ仲良くなったからな」
「じゃあ、お前と俺の付き合いも長いんだから、同じように呼ぶべきじゃないか? そうだろ、翼?」
「おえっ、マジで吐きそうだからやめろ」
「いや、それはあんまりじゃないか?」
なぜか山本みたいなイケメンにそんなことを言われると、鳥肌が立つんだよな。
別に彼のことが嫌いなわけではないが。
彼が今度は芽生に尋ねた。
「水田さんはどう?」
「は、はいぃ……?」
「俺も水田さんのこと、名前で呼んだら」
山本の奴、芽生を口説いているのか。
こいつも本当に懲りないな。
自分のことが好きで追いかけてくる女子が、今も横に二人もいるっていうのに。
まあ、芽生の可愛さはこの二人とは比べものにならないけれど。
芽生がすぐに首をブンブンと横に振った。
「い、嫌ですぅ……! それは気持ち悪いセクハラなのでやめてくださいぃ……!!」
「いやいや、そんなつもりじゃなかったんだ。とにかく、不快にさせたならごめん」
あの山本が、珍しく慌てた様子で頭を掻いた。
正直、芽生がここまで嫌がるとは思わず、僕も驚いてしまった。
考えてみれば、芽生は山本に一目惚れしていたはずじゃなかったか。
僕が不思議に思っていると、山本の腕にさりげなく絡んでいた女子二人が、眉根を寄せてひそひそと囁き合った。
「なによ、自分が何様だと思ってるわけ?」
「本当よね。心の中では喜んでるくせに、わざと勿体ぶっちゃって」
……二人だけの内緒話を装ってはいるが、どう見ても芽生への当てつけだ。
嫉妬する気持ちは分からなくもないが、いくらなんでも本人の目の前でやれば、山本に良く思われるはずがない。
案の定、山本が二人を睨みつけた。
「俺は俺の友達の、ええっと……友達を悪く言う奴が一番嫌いなんだけどな」
なんで途中で口ごもったんだよ。
僕と芽生って、そんなに友達に見えないんだろうか。
まあ、確かに不釣り合いなのは事実だけど。
山本の言葉に、女子二人はビクリと身を竦ませた。
「わ、悪口なんて言ってないよね? ね?」
「う、うん! やだなぁ、山本くん。水田さんは本当に可愛いって話をしてたのよ」
そういえば山本のやつ、前は彼女ができるたびにいちいち僕に紹介してきたっけ。
……もしかして、僕への態度で彼女の性格を見極めてたんじゃないだろうな。
山本が小さく微笑んだ。
僕には作り笑いにしか見えなかった。
「そう? なら良かった。てっきり人を外見だけで判断するゴミクズかと思ったよ」
「あ、あははは、そんなわけないじゃない! 山本くんったら!」
これがイケメンという名の強者か、と痛感した瞬間だった。
◇
ミュージアムや史跡をひと通り巡り終える頃には、もう昼食の時間になっていた。
僕たちは食堂には行かず、近くの公園で各自用意した弁当を食べることにした。
同じことを考えたのは僕たちだけではなかったらしく、公園には同じ制服の生徒たちがちらほらいた。
適当な場所に陣取って、それぞれ弁当を取り出した。
僕の分は、いつものように芽生が用意してくれた。
弁当箱を二つ取り出す芽生の姿を見て、山本の目が丸くなった。
「え、小町の分まで水田さんが作ってるの?」
「え? は、はいぃ……。あ、ご、誤解しないでくださいぃ……! 私が好きでやっていることですからぁ……!!」
「いや、そんな誤解はしないけど。なんか、純粋にすごいなと思って」
考えてみれば、今日は他の連中もいる場所で食べるんだったな。
……今日くらいは、僕が作ってくればよかったか。
芽生が自分から今日も作ってくると言うから、深く考えずに甘えてしまったのだ。
「いつもありがとう」
「へへ、いつも美味しそうに食べてくれるので、私も作りがいがありますぅ……! それに、いつもこれもしてくれますし」
「これ?」
芽生が少し頬を染めた。
それから僕の分の弁当箱のフタを開け、箸でおかずを一つ摘まんだ。
……え、まさか。
「はい、翼さん。ど、どうぞ……!」
衆人環視の中、芽生が僕に向かって『あーん』を仕掛けてきた。




