第41話 新企画開始②
柴犬となったサキュミは、猛スピードで次々と他の犬たちをなぎ倒し、ステージを駆け抜けていく。
トイプードル、フレンチブルドッグ、ウェルシュ・コーギー、ゴールデン・レトリバー、土佐犬に至るまで。
「ガルルルル……。ワンワン! ワンワンワンワン——!!」
もちろん、どれも開始5秒で瞬殺だ。
前世は犬だったんじゃないかと思うほど上手かった。
僕もこのゲームだけは水田さんに勝てる気がしなかった。
「わ、わぁ……! 全クリアしちゃいましたぁ……! っていうか、簡単すぎませんか? 思ったより早く終わっちゃったんですけど」
メインメニューに戻ったサキュミは、他のモードもいろいろと試してみたが、やはりあっさり突破してしまった。
マルチプレイモードもあったが、この手のゲームはリスナー参加型にするべきで、同接が一桁にすぎない現状では期待できそうにない。
となれば、次にやるべきことは――
「そ、それでは今日のメインに入りますぅ……! 少々お待ちください……!!」
サキュミが配信画面を再び待機画面に戻した。
つられて僕の方まで緊張してきた。
数分後、待機画面が消え、右隅にピンク髪のアバターが現れた。
先ほどまでゲーム映像が占めていた中央には、代わりに実写カメラの映像が映し出された。
「あ、あの、なんかぎこちないですけど、サ、サキュミですぅ……!」
濃いグレー地に水玉をあしらったビスチェから華奢な鎖骨がのぞき、豊かなバストと引き締まったウエストを際立たせている。
合わせた黒いショートパンツが、まっすぐに伸びた艶やかなレッグラインを余すところなく露わにしていた。
どちらも、以前モールで僕が見立てた服だ。
その時、コメント欄が動いた。
『おおっ……』
『サキュミちゃん、すごすぎる』
それぞれ別のアカウントから書き込まれた、二つのコメント。
画面右下に映るサキュミのアバターが、パッと目を丸くした。
「そ、そうでしょうか……? へへ、私、正直すごく緊張してますけど、頑張ります……!」
それも無理はない。
これまでは、コメントがついても、たまにぽつりと流れる程度だった。
こんなふうに二つも立て続けに流れたことなど、一度たりともなかったのだから。
(まずは、目を引くスタイルだってことがはっきり証明されたな)
もちろん、スタイルだけで釣るわけにはいかない。
十中八九、女性リスナーはつきにくくなるだろう。
だが、様々な意味で強力な武器になるのも事実だ。
(少し複雑な気分ではあるけどな)
あの山本すら気づかなかったサキュミ――いや、水田さんの魅力が、こうして不特定多数の目にさらされるのだから。
もちろん、スタイルが彼女の魅力のすべてじゃない。
彼女が前に進むために必要なことだとも理解している。
それでも、理屈では割り切れない身勝手な感情が、胸の奥から湧き上がってくる。
「今日はこの吠えゲーに出てくるワンちゃんたちを、クッキーにしてみます……!」
サキュミはすぐにゲーム画面から柴犬、トイプードル、土佐犬のイラストをキャプチャしてプリントアウトし、どこをどう切り取ってクッキーに落とし込むかを、プリントにペンで描き込んでいった。
カメラはサキュミの机の上へと移った。
(最初はあえて、シンプルに)
今回作るのは、犬の形をしたアイシングクッキーだ。
それほど珍しいものでもない。
もちろん、ゲームの性質上、工作で再現できる要素が限られるという事情もある。
だがそれ以上に、今回はできるだけシンプルなものにしてほしいと、僕から水田さんに頼んでおいたのだ。
(少しずつ慣れさせていかないとな)
水田さん自身、まだこの企画に完全に馴染めているわけではない。
きっと途中でミスをして、予定より時間がかかるはずだ。
そして工作が複雑になるほど、ミスの数も増えていく。
いくら工作系コンテンツとはいえ、配信が長引けば、見ている側は退屈するだけだ。
ペンを置いたサキュミは、バター、砂糖、卵などの材料を机の上に並べた。
「それじゃあ、本格的に生地を作っていきます……!」
レシピは、水田さんがお母さんから教わったものらしい。
お母さんの本業はパン屋だが、洋菓子もいくつか手がけているそうだ。
僕も実際に食べたことがあるが、あの味なら太鼓判を押せる。
「あとは一塊にして捏ねるだけで……」
サキュミは手袋をはめ、ボウルに手を入れようとして――ふと動きを止め、モニターへ視線をやった。
カメラの角度を少し調整してから、生地をこね始めた。
……なぜ突然そんなことをしたのか、僕にもすぐわかった。
(巨乳アピール、あからさますぎるだろ)
画面の下3分の1――いや、時には半分近くまでが、ビスチェの胸元から覗く谷間で埋め尽くされていた。
これは後で、水田さんにきっちりフィードバックせねばなるまい。
◇
数時間後。
生地を寝かせたり、オーブンで焼いたりする待ち時間には、トークを挟んだ。
予想どおり、コメント欄が大きく盛り上がることはなかったが、それでもコメントはぽつりぽつりと流れていた。
気づけば、同接も15人ほどに増えていた。
「か、完成……!!」
サキュミは、アイシング作りからデコレーション、仕上げまで、すべての工程を終えていた。
ゲームに登場した柴犬、トイプードル、土佐犬が、クッキーという形でほぼ完璧に再現されていた。
サキュミは手のひらにクッキーを乗せ、カメラへぐっと近づけた。
「へへ、なんか思った以上に可愛くできた気がします……! それじゃあ、試食してみますね」
サクッ、と軽快な咀嚼音がマイクに乗る。
もちろん、食べている本人の姿がカメラに映ることはない。
代わりに、画面右隅のアバターが、彼女の咀嚼に合わせて口を動かしていた。
「うーん、美味しいです! 土佐犬ってこういう味なんですね!」
続いて、彼女はトイプードルのクッキーを手にとった。
今度は両手でそれを半分に割り、断面をカメラに見せた。
「ASMRマイクがあれば、こういう音ももっと綺麗に届けられたんですけどね……。やっぱり無理ですよね、今は」
そりゃあ当然、普通のコンデンサーマイクすら厳しい現状じゃあ……。
それにしても、ASMRコンテンツか。
機材の問題以前に、かなりハードルの高いジャンルなのだが。
水田さん、意外と興味があるんだろうか。
サキュミはトイプードルのクッキーも口へ運び、味わった。
残るは柴犬のクッキーだけ。
当然、最後の一枚も食べるのかと思いきや――
「そ、それでは今日はここまでですぅ……! 夜遅くまで見てくださってありがとうございました……!! それじゃあおやすみなさい、またねぇ〜」
サキュミが両手を振ると、画面が配信終了の表示に切り替わり、そのまま配信は幕を閉じた。
ハラハラしながら見守っていたが、リハーサルの時よりもスムーズだった。
水田さん、もしかして本番に強いタイプなんだろうか。
モニター用アプリでも配信が完全に終了したことを確認してから、ラインを送った。
『お疲れ様でした。リハの時よりずっとスムーズで、驚きました。僕が見た限りでは、同接も最高17人までいきましたよ。新記録じゃないですか?』
『17人!! 本当に緊張してて、ちゃんとできてるのかなって、ずっと不安だったんですけど、やりがいがありました!!』
水田さんからの返事はすぐに届いた。
当然、彼女自身が一番不安だったのだろう。
今日の配信にも改善すべき点はいくつかあったが、今はまず褒めてあげるべきだと思った。
『あの、今から小町さんの部屋に行ってもいいですか?』
『え? 今ですか?』
外は暗いどころか、もう深夜なんだけど?
『はい、渡したいものがあるので……!』




