第38話 高いが、それだけの価値はある①
幸い予備の下着を持ってきていたようで、水田さんはすぐにトイレから出てきた。
彼女はどこかすっきりした表情を浮かべ、僕の方へと歩いてきた。
「私、さっき思いついたんですけどぉ……!」
「え?」
「今、私が脱ぎたての、その……。よ、汚れた下着とかも、VTuberグッズとして需要があるんじゃないでしょうかぁ……!?」
いきなりとんでもないことを言い出した。
「確かに需要はあるでしょうけど、アウトです」
まさに、いろんな意味でね。
ふと時計を見る。
まだ正午前だが、混雑を考えると昼食は早めに済ませておいた方がよさそうだ。
「お昼、何にしますか?」
僕はスマホにネズミーランド内のレストラン一覧を表示し、水田さんに見せた。
ハンバーグ、カツカレー、担々麺、海鮮丼などなど。
正直どれも思った以上に値が張るが、テーマパークならこんなものか。
「せっかく高いお金を払うなら、普段あまり食べられないものとか、ここでしか食べられないものがいいですぅ……!」
「そうですね。じゃあ、ここにしましょう」
選んだ店は、ちょうどここから歩いて行ける距離にあった。
10分ほど歩くと、目当てのレストランへ続く緑の生垣が目を引くアーチ状の入り口に辿り着いた。
子供の頃は何とも思わなかったが、改めて見れば独特な造りで、それでいて隅々まで綺麗に手入れされているのが分かる。
そのせいか、入り口で記念写真を撮っている人たちの姿が目に留まった。
「そういえば水田さん、写真は撮らないんですか?」
「え? しゃ、写真ですかぁ……?」
「はい。せっかくネズミーランドまで来たんですし、一枚も撮らないのはもったいないですよ」
もちろん、絶対に撮らなきゃいけないわけじゃない。
僕だって、そこまで写真好きというわけでもないし。
でも、後から見返せばいい思い出になるし、撮っておいて損はないだろうと思った。
「そ、そうですねぇ……! 確かにここまで来たのに一枚も撮らないのはちょっと変ですよねぇ……!!」
「じゃあ、僕が撮りましょうか?」
「い、いえぇ……! やっぱりこういうのはお、女の子がやるのがギャルゲっぽいですからぁ……!!」
え、ギャルゲっぽい写真撮影って何?
僕はただ、照れくさそうに笑ってピースする水田さんを撮ってあげるつもりだった。
ところが彼女はスマホを取り出すと、僕の隣にぴたりと寄り添ってきた。
そのままカメラアプリを起動し、インカメラに切り替える。
(え、自撮り?)
しかも、まるでカップルのように二人で?
思わず体がこわばった。
女の子からこんな風に、二人きりで自撮りしようと誘われたのは初めてだった。
「こ、小町さん、顔がこ、強張ってますよぉ……!」
「いや、水田さんこそ……」
普段あまり自撮りをしないのか、水田さんが開いたのは標準のカメラアプリだった。
しかも、操作する手つきもひどくおぼつかなかった。
水田さんはぎこちなく口角を上げた。
「さ、さあ、は、はい、チーズですよぉ……!」
「は、はい」
「「チーズぅ」」
彼女の親指が画面に触れた瞬間、カシャッとシャッター音が鳴った。
考えてみれば大したことではないが、ネズミーランドに来て女の子と自撮りをするというシチュエーションだけで、陽キャの仲間入りをしたような気分になった。
水田さんはすぐに写真アプリを開き、撮ったばかりの写真を確認した。
僕と彼女の姿は綺麗に収まっていたのだが……。
「これ、全然背景が写ってないんですけど」
画面いっぱいに僕たちの顔だけが写っていた。
それにしても、こうして二人並んだ姿を見ると、僕なんか水田さんには本当に不釣り合いだと思ってしまう。
水田さんはもう一度スマホを構えながら言った。
「そ、そうですねぇ……! じゃあ撮り直しましょうぉ……!!」
仕切り直して、二度目のシャッターを切った。
今度は背景まで綺麗に入ったものの、手ぶれで写真がぼやけてしまった。
三度目には手を滑らせて、「うわっ!?」とスマホを落としてしまった。
幸い、画面は無事だった。
気を取り直し、四度目に挑んだ。
「よ、ようやくまともな写真が撮れましたぁ……!」
「そうですね。僕たちも背景もしっかり写ってます。ブレてないですし」
「で、でも、ちょっと表情とか、そういうのが硬すぎませんかぁ……?」
「まあ……そうですけどね」
僕だって、慣れないことをすれば緊張する。
水田さんも顔が真っ赤だし。
「ほ、本当に、もう一回だけ撮りましょうぉ……! 今度は素早く、自然な表情が撮れるようにしてみますからぁ……!」
「あ、はい。でも、どうやって?」
「い、一回、私が小町さんを驚かせてみますからぁ……!!」
なぜ驚いた顔を撮ろうとするのだろう。
いや、それよりどうやって驚かせるつもりだ。
答えを考える間もなく、彼女は動いた。
「え、えいっ……!!」
水田さんが僕の腕にぎゅっと抱きついてきた。
うおおおお。
腕に、腕に柔らかい感触が!
ダメだ。頭が一瞬でバカになりそうだ。
カシャ――
その瞬間、水田さんはシャッターボタンをタップした。
一体どんな写真が撮れたのだろう。
どうせ僕は、とてつもなくマヌケな顔をしているに決まっている。
「や、やっぱりこれが一番自然ですねぇ……!」
水田さんは満足げな表情で写真アプリを開いた。
そこには、真っ赤な顔で僕の腕に抱きつく彼女と、飛び上がらんばかりに驚く僕の姿が収まっていた。
……僕が見ても、この写真が一番の出来だった。
「へへ、へへへ……。柔らかかったですかぁ……?」
「それは……絶対に答えなきゃダメですか?」
そんな直球で聞かれたら、どう答えていいか分からない。
「き、気持ち悪くはなかったですよねぇ……?」
「あ、はい、それはもちろん……」
「じゃ、じゃあ、これからは勇気を出して、もう少し頻繁にやってみますぅ……! じ、実は私も今、すごく胸がバクバクしてて……」
水田さんは両手を胸元に当てた。
あ、やばい。
こういう仕草の一つ一つがものすごく可愛く見えてしまう。
彼女は再び僕の手首を掴みながら、言葉を続けた。
「い、今はこれくらいが限界というか……」
「もしかして、僕の心拍数を測ってるわけじゃないですよね?」
僕は火照った顔をごまかすため、あえて冗談めかして尋ねた。
だが、彼女はビクッと体を震わせた。
「ち、違いますぅ……! 最初はエイムがズレて間違えて掴んじゃったけど、脈拍が感じられるからここでも悪くない、なんて絶対に思ってませんからぁ……!?」
「……一応聞いておきますけど、脈拍を感じるのも悪くないと思ったのはどうしてですか?」
「そ、それは……」
水田さんは「へへ、へへへ……」と笑いながら答えた。
「小町さん、ちゃんと生きている人間なんだなぁって思いましてぇ……!」
「ええ……?」
一体どういうことなんだ。
水田さんの感性は、知れば知るほど分からなくなる。
今度こそ昼食にありつこうとレストランへ入った。
だが、そこにはすでに長い行列ができていた。
その理由は明白だった。
「……あの、水田さん」
「はいぃ……?」
「いつの間にか12時を過ぎてしまったんですけど」
水田さんはぎこちなく笑いながら顔を背けた。
「す、少し写真に夢中になりすぎちゃいましたぁ……」




